日本現代詩人会とは
講演会・現代詩ゼミナール
本章では、一九六〇(昭和三五)年、日本現代詩人会と改称してからの活動を記す。
(1)一九六〇(昭和三五)年五月から翌六一年一月にかけて、東京江古田の日本大学芸術学部講堂で、「公開・現代詩講座」全一二回が実施された。
現代詩の生れるまで 木下常太郎 五月
明治時代の詩 神保光太郎 六月
島崎藤村について 瀬沼 茂樹 六月
大正時代の詩 伊藤 信吉 六月
萩原朔太郎について 三好 達治 九月
昭和時代の詩(戦前)大岡 信 一〇月
昭和時代の詩(戦後)黒田 三郎 一〇月
詩とは何か 村野 四郎 一一月
詩と哲学 藤原 定 一一月
詩の表現方法 安東 次男 一二月
日本の詩と外国の詩 西脇順三郎 翌一月
詩の未来 山本 太郎 翌一月
(2)一九六〇(昭和三五)年九月から六一(昭和三六)年五月まで、東京新橋・蔵前工業会館で、連続公開研究会を開いた。九月一九日、大岡信「シュルレアリスムの詩と絵画」。一〇月一七日、西脇順三郎「ジョイスの文学」。一一月二七日、伊藤信吉「萩原朔太郎について」。一二月一九日、清岡卓行「詩と映画」、佐藤朔「ボードレールと現代」。この講座中、伊藤信吉は萩原朔太郎作曲のマンドリン演奏テープを持参して聞かせた。
つづいて、六一年一月一六日、岩崎良三「エズラ・パウンドと中国文学」、黒田三郎「詩の実作について」。二月二〇日、藤原定「現代詩と現代思想」、岩田宏「現代詩雑感」。三月二〇日、蒲池歓一「T・S・エリオットと中国の詩」、山本太郎「私の詩観」。四月一七日、神保光太郎「四季について」、飯島耕一「シュルレアリスムの詩」。五月二二日、手塚富雄「リルケについて」を開講した(会員無料、一般会場整理費五〇円)。
(3)一九六三(昭和三八)年一〇月から、東京銀座・山一証券ホールで、月例の公開研究会を催した。会場整理費五〇円。
安藤一郎「詩と原始的精神」、吉野弘「詩の鑑賞」、村野四郎「詩雑感」、伊藤信吉「萩原朔太郎について」、秋谷豊「山の詩について」、西脇順三郎「詩と言葉」、福田陸太郎「私の逢った海外詩人について」、木下常太郎「近代詩の行方」、伊藤桂一「詩と小説」、北園克衛「詩の実験」、服部嘉香「口語詩の歴史」、上林猷夫「詩の朗読について」(「津田誠と火曜会朗読グループ」出演)、神保光太郎「抒情について」、安西均「日本古典と現代詩」。
(4)一九六三(昭和三八)年一一月から翌年一二月まで、ニッポン放送「深夜の詩集」(毎週月曜日午前零時四五分から一五分間)を、本会編集で放送した。これはニッポン放送役員の詩人三ツ村繁(会員)の申入れによるものだった(三ツ村氏は、九六年六月、先達詩人として顕彰された)。会では安西均、吉野弘が委員として、この業務を担当した。五五人の作品を竹野圭之助アナウンサーが朗読した。
なお、六四年の「五月の詩祭」直後には、特別番組「H氏賞受賞者との座談会」が企画され、石原吉郎、安藤一郎会長、安西均編集委員が出席して放送した。五〇回記念番組「詩の朗読について」には、上林猷夫理事長、近藤東理事が出演した。
(5)一九六四(昭和三九)年六月二〇日、神戸・兵庫県中小企業労使センター大ホールで、「神戸現代詩の夕べ」が催された。これは本会の関西における初めての本格的イベントで、地元会員の努力で実現した。すなわち、君本昌久、安水稔和、中村隆、伊勢田史郎らの「蜘蛛編集グループ」、大阪の港野喜代子らの協力によるものである。講師として大阪の小野十三郎のほか、東京からの西脇順三郎、安藤一郎会長、木下常太郎常任理事らが出演した。神戸新聞社後援で、聴衆四〇〇名を越えた。
(6)一九六八(昭和四三)年四月から六月まで「現代詩作詩講座」を、霞ヶ関・商工会館ホールで、毎週一回ずつ一三回にわたって開いた。(募集人員六〇名、会費全期分三〇〇〇円)。講座終了後、受講者提出の作品を選考し、「現代詩作詩講座賞」として賞状と賞金を贈った。講師は鈴木亨、大岡信、秋谷豊、中桐雅夫、安西均、川崎洋、粟津則雄、西脇順三郎、黒田三郎、入沢康夫、小海永二、山本太郎。「自作を語る」は、井上靖、田村隆一、伊藤桂一、関根弘、那珂太郎、高田敏子、石原吉郎、長谷川龍生、石垣りん、会田綱雄、清岡卓行、草野心平、村野四郎。
(7)一九七四(昭和四九)年三月より翌七五年六月まで一三回、中央区八丁堀・東京勤労福祉会館で、「現代詩ゼミナール」が開かれた。これからこの名称が定着するようになった。ゼミナール担当理事は小海永二であった。講師とテーマは次の通り。
石原吉郎「ことばは人に伝わるか」、山本太郎「詩のコンストラクションについて」、大岡信「自作詩の二、三について」、伊藤桂一「戦旅の中の抒情」、三好豊一郎「現代詩の一考察」、磯村英樹「水と女のイメージ」、壺井繁治「政治詩の課題」、宗左近「象徴の詩と表象の詩――ロラン・バルトをめぐって」、中桐雅夫「怒りの詩とやさしさの詩」、黒田三郎「戦後三十年」、福田陸太郎「アメリカ現代詩――現実と想像」、安西均「宗教と日本の詩」、渋沢孝輔「詩を書くということ」。
(8)一九七五(昭和五〇)―七六年度は、会長石原吉郎、理事長宗左近、「ゼミナール」担当理事秋谷豊で進められた。会場は七五年九月から豊島区民センターになった。内容は次の通りである。
(七五・一一・一六)石原吉郎「断念について」、伊藤信吉「室生犀星と萩原朔太郎」。(一二・一六)石垣りん「わたしが詩を書きはじめた頃」、野田宇太郎「日本の印象主義」。(七六・一・一七)高橋新吉「日本のダダイズム」、安西均「同人雑誌の問題」。(二・一七)高田敏子「詩から学んだこと」、郷原宏「北村透谷論」。(三・一六)木原孝一「詩と映像文化」、薩摩忠「シャンソンについて」。(四・一九)小海永二・長谷川龍生対談「詩に何を求めるか」。(五・一八)宗左近「美術と詩の出会い」、藤富保男「詩のイメージとことば」。
この後、七六年九月から七七(昭和五二)年五月まで、八回の「現代詩ゼミナール」を開いた。非常な過密スケジュールで、この後期の第二回までを秋谷理事が担当し、第三回からは南川周三理事に代わった。この間継続して事務局をつとめたのは、会員の会田千衣子、菊田守、松本建彦であった。なお後期の第三回から会場は交通博物館ホールに変った。
(七六・九・一三)荒川洋治「〈詩集〉について」、出岡実「詩と絵画の世界」。(一〇・一四)土橋治重「歴史と小説と詩」、黒田三郎「詩の日常と現実」。(一一・一七)福田陸太郎「オーストラリアとニュージーランドの詩」。
(七七・一・一一)三好豊一郎「私の詩的体験」。(二・一八)川崎洋「詩とことば」。(三・一五)黒田三郎「現実とはなにか」。(四・一九)中桐雅夫「詩と政治」、英美子「詩の朗読について」。(五・二〇)伊藤桂一「私の詩と小説」、田村昌由「詩の朗読について」。
(9)一九七七(昭和五二)年九月から、会長小野十三郎、理事長上林猷夫、「現代詩ゼミナール」担当は藤富保男常任理事となり、会場も渋谷区立大向区民会館に変った。七七―七八年度実施の内容は次の通りであった。
(七七・一〇・二〇)那珂太郎「萩原朔太郎について」、風山瑕生、金沢星子「自作詩朗読と私の詩法」。(一一・二五)鍵谷幸信「西脇順三郎について」、河邨文一郎、筧槇二「自作詩朗読と私の詩法」。(一二・一三)中島可一郎「金子光晴について」、武田隆子、中正敏「自作詩朗読と私の詩法」。(七八・一・二四)平井照敏「芭蕉と現代詩人について」、松田幸雄「ディラン・トマスについて」。(二・一七)境忠一「宮澤賢治について」、菊田守、望月昶孝「自作詩朗読と私の詩法」。(三・二四)生野幸吉「中原中也について」、村田正夫、鎗田清太郎「自作詩朗読と私の詩法」。(四・二七)安西均「三好達治について」、志村辰夫、支倉隆子「自作詩朗読と私の詩法」。
七八(昭和五三)年一〇月からは、会場を渋谷勤労福祉会館に移し、左記の「ゼミナール」を行なった。
(七八・一〇・一二)谷川俊太郎・小海永二対談「国語教育としての詩について」、石垣りん「教科書の私の詩について」。(一一・二九)大岡信「私の詩作について」、高田敏子「詩の言葉から得るもの」。(七九・一・二四)新川和江「詩ができるまで」、田村隆一「詩について」。(二・二七)入沢康夫「詩は誰が書くのか」、長谷川龍生「詩は誰が読むのか」。(三・二七)宗左近「詩作の実際について」、鈴木志郎康「最近の詩について」。(五・二三)荒川洋治「新世代の詩人たち」、郷原宏「これからの詩」。
(10)一九七九(昭和五四)年七月二八日の総会で新任理事が承認され、八月九日の第一回理事会で、大岡信会長、磯村英樹理事長、「現代詩ゼミナール」担当は郷原宏常任理事に決まった。この任期に実施された内容は次の通りであった。会場には中野サンプラザを使うこともあった。
(七九・一〇・二五)荒川洋治「私の現代詩作法」、大岡信「古典と現代詩」。(一一・一五)一色真理「ある友の死にふれて」、長谷川龍生「持続する詩」。(一二・一五)鈴木志郎康「最近の詩集から」、小海永二「生きるために必要な言葉」。(八〇・一・二五)「谷川俊太郎を困らせる会」――この会は、聴衆が谷川俊太郎に難問、奇問を浴びせるのを受けて、谷川氏が、生い立ち、詩との出会い、女性観、語呂合わせの実験の意義、職人的作詩の必要性、芸術以後にフォークロワ的な歌が来るという予言、尖端の詩の裾野の共有可能な詩の必要論、本質的な遊びによる現代へのアンチテーゼ論、王様をあざ笑う道化、ナンセンス必要論などをもって答えるという、新鮮な趣向のトーク・パーティ。(二・二六)高田敏子「私の詩作法」、中桐雅夫「真の詩と美の詩」。(三・二二)安宅夏夫「室生犀星と萩原朔太郎」、渋沢孝輔「詩と美術――サンボリスムを中心に」。(四・二六)宗左近「私の好きな詩」、高良留美子「モダニズムの克服」。(五・二二)宮園真木「活字以前」、安西均「このごろの抒情詩」。(六・二七)那珂太郎「萩原朔太郎について」、安藤元雄「詩・ことば・世の中」。
八一(昭和五六)年に入り、会創立三〇周年記念出版『資料・現代の詩』の編集委員である郷原宏常任理事が繁忙のため、「ゼミナール」担当は長谷川龍生理事に代わった。会場も新宿の東京土建会館に変更。
(八一・一・二三)藤富保男「カミングスは紙ん屑か」、荒川洋治・井坂洋子対談「80年以降新しい詩の成長を目ざして」。(二・二六)粒来哲蔵「私詩の中の〝わたし〞」、ソンコ・マージュ・詩と音楽と語り「はるかなるアレデス」(インタビュアー・長谷川龍生)。(三・二六)風山瑕生「犬派の詩・猫派の詩」、阿部岩夫・ねじめ正一・岩崎迪子・伊藤比呂美「座談・若い群像が目ざすもの」。(四・一八)荒川法勝「宮澤賢治の未来性」、最匠展子「存在の詩、について」。(五・二八)磯村英樹「水・女・わが詩の根源」、浜田知章「現代詩の彷徨」。
(11)一九八一(昭和五六)年八月からは、安西均会長、新川和江理事長、担当理事秋谷豊となった。会場は新宿百人町・俳句文学館大会議室を継続的に使用。
(八一・一〇・三〇)斎藤怘、安宅啓子、阿部岩夫、笠原三津子「朗読とスピーチ〝私の詩集から〞」、一色真理・ねじめ正一・秋谷豊(司会)「H氏賞詩人=青春と文学を語る」。(一一・二七)手塚久子、小長谷清実「朗読とスピーチ〝私の詩集から〞」。小柳玲子(地球)、菊田守(風)、星野徹(白堊紀)、高木秋尾(射撃祭)「同人詩誌座談会」。(一二・二二)宗左近、長谷川龍生、小海永二、郷原宏「座談会〝現代詩のよいところ わるいところ」。(八二・一・一九)ジュリエット・アデルカ「ベルギーの女流詩人たち」、北森彩子、村田正夫「朗読とスピーチ」。(三・二〇)〝世界の詩をどう読むか〞、石原武「現代アメリカの黒人詩」、田村さと子「ラテン・アメリカの詩と詩人」、印堂哲郎「インドネシアの現代詩」。(四・二七)「〝萩原朔太郎〞」那珂太郎、「〝月に吠える〞と〝青猫〞」、安宅夏夫「萩原朔太郎と室生犀星」。(一〇・六)アンソニー・スウェイト「イギリスの新しい詩と日本の詩」(通訳・高市順一郎)、田村さと子、大石規子「朗読(日本語)―P・ポーター〝猫殺し〞S・ヘイニー〝懲らしめ〞」、「谷川俊太郎、新川和江、山本太郎、吉原幸子の詩(英訳)を聞く」。(一一・二九)畠中哲夫「若き日の詩歌」、岡島弘子「水の国から」、鈴木亨「中国リポート」。(一二・二二)原崎孝「戦後の詩誌をめぐって」、藤富保男「詩の抽象と具象――北園克衛の詩を中心に」。(八三・二・二五)犬塚堯「マスコミと現代詩」、田村雅之「詩集出版の状況」、斎藤正敏、武田肇、高木秋尾、天童匡史「同人詩誌の現在」。(三・二二)澤村光博「詩の言語と散文の言語」、高良留美子「〝切迫した(愛)の主題〞―滝口雅子と茨木のり子―」。(四・二二)鍵谷幸信「西脇順三郎」、上林猷夫「高見順の人と詩について」。(六・一〇)会員一五人による処女詩集の回想「特集・わたしの処女詩集―その時代と現在」。
(12)一九八三(昭和五八)年八月、新川和江会長、鎗田清太郎理事長、担当理事内山登美子、郷原理事が補佐する体制となった。会場は引きつづき俳句文学館で、聴衆は四〇―八〇人ぐらいで推移した。
(八三・一〇・二六)安西均、長谷川龍生、三好豊一郎「中桐雅夫の人と文学」。(一二・九)荒川洋治「則武三雄氏について」、斎藤和明「雨が降るとき――アメリカ少数民族の詩」。(八四・一・二七)藤富保男「現代詩・私はこう書く」、深澤忠孝「心平詩の六十年」、堀内幸枝「個からの出発」。(三・九)秋谷豊、村田正夫「現代詩・私はこう書く」。(四・九)山本太郎「現代詩・私はこう書く」。(六・二九)鶴岡善久「言葉と音声」、吉原幸子「朗読雑感」、阿部岩夫、井坂洋子、犬塚堯、ねじめ正一、水野るり子「朗読とショート・スピーチ」。(一〇・二六)石原武「ケネス・パッチェンの詩から―アメリカの闇―」、鎗田清太郎「詩のなかの〝歴史〞」。(一二・七)、大岡信「同世代の詩人たちと私」。(八五・一・二五)、川田靖子「詩人たちを育てた女たち―一七世紀フランスのサロンの女主人」、磯村英樹「田中冬二とエロチシズム」、村瀬和子「田中冬二の思い出」。(三・八)、小海永二「現代詩に欠けているもの」。(四・二六)、南川周三「現代詩の二、三のあやまち」、辻井喬「詩と小説のあいだ」。(六・二八)、崔華國「私の詩と人生」、那珂太郎「私の現代詩」。
(13)一九八五(昭和六〇)年一〇月からの「現代詩ゼミナール」は、新理事会(伊藤桂一会長、小海永二理事長、内山登美子担当理事)によって運営された。
(八五・一〇・二二)郷原宏「現代詩のはじまり」、宗左近「比喩について」、新井豊美、手塚久子「自作詩朗読とショート・スピーチ」。(一二・一一)、佐久間隆史「詩を体験するということと詩の技術―危機的といわれる状況を前にして」、木津川昭夫「今年一年の詩集から」。(八六・一・二八)、鈴木亨「詩の難解性について」、荒川法勝、金沢星子、菊地貞三、弓田弓子「朗読とスピーチ〈最新詩集より〉」。(三・一七)川崎洋「自作について」、赤石信久「私の詩のなかの大和古寺」、菊田守「私の詩のなかの小動物」。(四・二二)新川和江「わたくしの表現法」、原子朗「日本の詩について――外国で考えさせられたこと」。(六・一六)朝倉勇、安宅夏夫、内山登美子、上林猷夫、高良留美子、小海永二、小林耿、最匠展子、斎藤怘、高木秋尾「朗読とスピーチ・――それぞれの十分間特集」。
八六(昭和六一)年一二月一四日、日本現代詩人会、中日詩人会、中日新聞社共催による「’86師走の現代詩ゼミ」が、中日新聞本社ホールで開かれた。これは地元会員の熱意と努力によって実現したもので、当日は雨天であったが満席のおよそ二〇〇名の参会者があった。会は浅井薫、冨長覚梁の司会によって、次のように進められた。岩瀬正雄「開会の言葉」、講演・小海永二「これからの現代詩」、伊藤桂一「私の詩・私の小説」、平光善久「中部の先達詩人たち」、牧野芳子、宮田澄子、河合俊郎、紫圭子、村瀬和子「自作詩朗読」、柏木義雄「閉会の言葉」。
(14)一九八七(昭和六二)年八月、上林猷夫会長、斎藤怘理事長。「ゼミナール」担当改め「普及活動」担当理事には一色真理、小柳玲子が就任した。この期から会場は渋谷区立勤労福祉会館になった。
(八八・一・二四)「現代詩は病んでいるか」・黒岩隆「詩と精神病」、墨岡隆「現代詩を病んだものにさせないために」、吉原幸子「朗読」。(三・六)鈴木俊「ドイツ詩を読む」、生野幸吉「パウル・ツェランの詩について」、松尾直美「ドイツ詩を歌う」。(五・一五)崔華國、藤富保男、村田青朔「詩とユーモア」。(九・一八)財部鳥子「中国の現代詩について」、佐岐えりぬ・中林恭子「詩とフルートによるパフォーマンス」。(一二・一七)「現代詩ゼミナール・忘年会」、会員による朗読とパフォーマンス。
なお、この年は関西地区と盛岡で「現代詩ゼミナール・地方講演会」が開かれた。関西地区は地元会員による実行委員会と本会が共催し、大阪文学学校が協賛の「関西地区’88文学フェア」。一一月二七日、大阪府中小企業会館文化ホールで開催した。上林会長が開会挨拶をし、杉山平一「詩と関西」、大岡信「現代詩と伝統詩」の講演、井上俊夫、片岡文雄、日高てるらの朗読があり、赤石信久常任理事が閉会挨拶を述べた。司会は大野信。参会者三〇〇名。
盛岡市の「現代詩ゼミ」は、本会と岩手県詩人クラブとの共催。一二月二一日、盛岡市上田公民館で開かれた。斎藤怘理事長が挨拶し、宗左近「詩の未来」と題する講演があった。宮澤賢治の作品による演奏もあり、二〇〇名を越す盛会。
(八九・三・一一)〝英米詩の午後〞中崎一夫「フィリップ・ラーキンについて」、関口篤「カール・サンドバーグをめぐって」。
(15)一九八九(平成元)年九月、会長秋谷豊、理事長赤石信久、ゼミナール担当理事は木津川昭夫になった。会場は八八年一二月から、蔵前工業会館を使用するようになった。
(八九・一二・一六)長谷川龍生「’89現代詩回顧」。(九〇・四・二一)伊藤信吉「高村光太郎について」。(七・一四)中島可一郎「金子光晴 水の流浪」、高良留美子「与謝野晶子と青踏」、(横浜詩人会と共催で、会場は横浜市開港記念会館)。(九一・一・一九)上林猷夫「小野十三郎について」。
(16)一九九一(平成三)年八月、小海永二会長、菊田守理事長、大滝清雄ゼミナール担当の理事会が発足した。
(九二・一・二五)秋谷豊「埼玉の詩と詩人たち」、伊藤桂一「詩と小説の間」、(埼玉詩人会との共催で、会場は浦和市市民会館)。(二・一五)大滝清雄「現代詩の史的現在をめぐる一考察」、ジャン・ジャック・オリガス「詩の表現をめぐって―日本の詩とフランスの詩」、(本会の「国際交流」部門〈原子朗理事担当〉との共催で、会場は神楽坂・エミール)。(三・一四)日本詩人クラブと共催の「地球環境を守ろう」講演(「その後の出版」の項で既述)。(五・二三)田村さと子「ラテン・アメリカの詩と日本の詩(会場・早稲田奉仕園セミナーハウス)。(九・二七)静岡県詩人会との共催「秋の現代詩ゼミナール」内山登美子「詩とわたし」、埋田昇二・大井康暢・高橋喜久晴・菊田守・小海永二「シンポジウム・いま詩を考える!」。静岡市・クーポール会館。(九三・三・一三)現代京都詩話会と共催「現代詩ゼミナール」。石川逸子「詩といのち」、菊田守・小海永二・田中国男・福中都生子・有馬敲「シンポジウム・詩といのち」。会場・京都新聞文化ホール。
(17)一九九三(平成五)年八月、理事改選により、磯村英樹会長、木津川昭夫理事長、ゼミナール担当理事は高良留美子、宮本むつみの二人制。この時から会場は神楽坂・エミールに固定化された。
(九三・一二・一五)伊藤信吉「萩原朔太郎と現代」、谷川俊太郎・小松郁子「対談と詩の朗読」。(九四・五・二八)森常治「詩論のための詩論」。(一〇・一〇)白石かずこ「ボーダーレスの詩人たち」、阿毛久芳「言葉の快楽―北原白秋」。会場は飯田橋・家の光会館。(九五・二・一八)小林富久子「金子光晴と森三千代」、原子朗「タゴールの詩とアジア」。
(18)一九九五(平成七)年八月、鎗田清太郎会長、一色真理理事長が新任し、「現代詩ゼミナール」を全国的に展開するために、「東日本」と「西日本」に分け、前者を宮本むつみが、後者を青木はるみが担当することになった。おおむね東西で年間各四回、中規模以上の会を精選して開く方向をとることになり、永年つづいた東京主体、小集会多数開催を転換することになった。
(九五・一二・一四、東日本)新川和江「詩に求めるもの」、安藤元雄「現代詩の置かれている場所」。(九六・三・二三、西日本)杉山平一「映画とポエジー」、下出祐太郎「漆芸とポエジー」、冨長覚梁、成田敦、横田英子、井野口慧子、木川陽子「自作詩朗読と小スピーチ」。会場、奈良・むれしか荘。(六・二二、西日本)村瀬和子「物狂いの精神」、安水稔和「共同体の記憶」、津坂治男、田中国男、福田万里子、山内龍、福中都生子「詩の朗読と小スピーチ」。(一〇・一〇、東日本)斎藤和明「水平測定器の気泡―’95ノーベル賞詩人シェーマス・ヒーニーと北アイルランドの恐怖の闇」、原満三寿「鮫と椰子―金子光晴に於ける南洋」。会場、飯田橋・レインボービル。(一一・二六・西日本)有馬敲「詩の翻訳の面白さ」、多田智満子「ことばの呪力」、高階杞一、川上明日夫、なんばみちこ、井奥行彦、徳永民平「自作詩朗読と小スピーチ」。会場、奈良・薬師院会館。(九七・一・二六、東日本)田村さと子「ラテンアメリカの政治と文学」、清水哲男・辻征夫「対談=俳句・詩・その他」。聴衆八六名。(四・一二、西日本)薬師川虹一「シェイマス・ヒーニー」、岩成達也「詩(論)を求めて」。会場、奈良・文化会館。聴衆一一六名。
(19)一九九七(平成九)年八月、長谷川龍生会長、菊田守理事長、「ゼミナール東日本」担当は辻井喬常任理事、「西日本」担当は三井葉子理事の体制で発足した。
(九八・三・一五、西日本)長谷川龍生「現代詩の再生はなるか―レトリックを超えて」。講演のテーマを受けての「パネルディスカッション」(井之口慧子、倉橋健一)。会場、広島国際会議場、聴衆一六〇名。(三・二一、東日本)町田康・ねじめ正一・辻井喬(司会)「対談・書くことについて」、荒川洋治「詩と小説の展望」。会場、アルカディア市ヶ谷。聴衆一八二名。(九・二七、西日本)福井県清水町の「’98ふるさとの詩劇場」に「現代詩ゼミナール」をドッキングするかたちで開催された。「清水詩の会の会員による自作詩の朗読」、北陸在住の詩人による自作詩の朗読」、三井葉子・長谷川龍生「対談・詩は何の役に立つか」。会場は同町・きらら会館大ホール。聴衆二〇〇名。(一二・一九、東日本)中国の反体制詩人北島、芒克を迎えての講演会。(「国際交流」の項に既述)。(九九・四・二五、東日本)「現代詩フォーラム・札幌」と題して、北海道詩人会と共催。会場、札幌アスペンホテル。石井ポンペ「アイヌ民族のムックリ演奏」、バイ・フォムチ「モンゴル民族の口承文学の朗唱と馬頭琴演奏」、河邨文一郎・辻井喬・長谷川龍生・原子修〝現代詩フォーラム〞「詩の原郷をもとめて―詩のローカリズムとグローバリズム、根源文化、新しい伝達性の問題など」。内川吉男、小坂太郎、原田勇男、三谷晃一、鷲谷峰雄「自作詩朗読」、「全参会者による連詩創作」。総合司会・麻生直子。(五・八、西日本)「西日本現代詩ゼミナール宮崎集会」。テーマ「詩の魅力・言葉の魅力」会場、宮崎市・ホテルプラザ宮崎。川崎洋「方言詩の魅力―その自作朗読テープを聴きながら」。その後、三分散会に分れて、方言論について討論した。参加者一〇〇名。
(20)一九九九(平成一一)年八月、長谷川龍生会長(留任)、葵生川玲理事長、ゼミナール東日本担当に八木忠栄理事、西日本担当に三井葉子理事が就任した。
(九九・一〇・一六、西日本)神戸ポートアイランド、凮月堂・ゴーフル劇場で開催。テーマ「明日への架橋」長谷川龍生、杉山平一「あいさつ」、宗左近「生きていくのです」、片岡文雄・安水稔和「対談・明日への架橋」、堀口統義ほか九人「詩の朗読とメッセージ」。参加者一五〇人。(一二・四、東日本)テーマ「アジアの詩との交流」。財部鳥子「中国現代詩事情」。秋谷豊「未踏の詩の国モンゴル」。会場はエミール。(二〇〇〇・四・二二)静岡県詩人会、静岡県詩をつくる会との共催で「現代詩フォーラム・静岡」。原子朗「宮澤賢治とはだれか」、小川国夫「詩人随想」、佐岐えりぬらの「自作詩朗読」。会場、プケ東海静岡。(五・六、西日本)西日本現代詩ゼミナール岐阜・三重大会(四日市集会)。長谷川会長、中日詩人会会長(冨長覚梁)、四日市教育長(佐々木龍夫)「あいさつ」、坂本明子「ことば往来」。広部英一ほか四人「ちいさなスピーチ〝地域からの発信〞」。
『資料・現代の詩2001』の本章では、記録として一九九九年一〇月一六日開催の日本現代詩人会「西日本ゼミナール」まで記され(予告として若干記されてはいるが)ているので、それ以後の活動を記す。
(21)一九九九(平成一一)年一二月四日(長谷川龍生会長、葵生川玲理事長、ゼミナール東日本担当八木忠栄理事、西日本担当三井葉子理事)「東日本ゼミナール」は日本現代詩人会の忘年会を兼ねて東京神楽坂エミールで開催。講演財部鳥子「中国現代詩事情」、秋谷豊「未踏の詩の国モンゴル」。財部氏は中国の国家体制の中での詩人たちの複雑事情を語り、秋谷氏は「モンゴルは詩を一番大切にする国」と語った首相のメッセージを紹介、遊牧の風景やロマンを探る旅の様子などを語った。自作詩朗読は、岩崎迪子、菊田守、太原千佳子、田村雅之、水野るり子、山本博道。出席者八一名。
(二〇〇〇・四・一二東日本)は、静岡のマーガレット・ホールで開催。講演は、原子朗「宮沢賢治とは誰か」、小川国夫「詩人随想」。原氏は、「不可視の世界を望見する作風は小川国夫の世界とも共通性を持つ」などと語り、小川氏は「文学的創造の難しさを自己の体験(イベリア半島からギリシャへの道)」を通して語った。つぎに、全員参加の、各グループに分かれての連詩創作と発表が有意義であった。
(二〇〇〇・五・六西日本―岐阜・三重大会は、四日市市じはさん三重で開催。講演は、坂本明子「ことば往来」。坂本氏は「ことばが居る。ことばは書かれたがっている。ことばは動く。はたらく。こたえる」など感覚の重要性を語った。詩の朗読は砂川公子、キム・リジャ・村瀬和子他十一名。小さなスピーチは、広部英一、宮内憲夫、金堀則夫、頼圭二郎、津坂治男。
(二〇〇〇・一二・二東日本)は、日本現代詩人会の忘年会を兼ねて東京神楽坂エミールで開催。講演はロジャー・パルバース(ハーバード大学院を経てワルシャワに留学。著書に『英語で読む銀河鉄道の夜』『旅する帽子―小説ラフカディオ・ハーン』他)「詩的なるものをめぐって」。パルバース氏は、「詩的なるものとは、言語の劇性の自覚であり、ことばの立体性、そして四次元的な躍動にこそ「詩性」は発揮される」と語った。詩の朗読は、藤富保男、弓田弓子、野村喜和夫など。
(二〇〇一・三・二四西日本―福岡大会)は、『21世紀の現代詩』を総タイトルとして福岡市ホテルステーションプラザで開催。講演は、伊藤桂一「詩と小説について」。伊藤氏は「韓国では詩人はとても大切にされていると聞くが、日本でも電車に乘れば、二、三人は詩集を読むか詩を語り合っている状態が21世紀初めには来ないといけない」などと語った。対談は、秋吉久紀夫、柴田基孝両氏。詩の朗読は宮本むつみ、宮内憲夫、長津功三郎、龍秀美他。
(二〇〇一・六・一六東日本―山形)は、山形市文翔館ホールで開催。講演は、辻井喬「現代詩と伝統」、辻井氏は「折口信夫の詩論、高村光太郎の戦争詩等に触れながら、日本の詩歌の弱さは批評精神の弱さである。時流に付和雷同しない批評精神と自前の思想で詩論を構築しなければならない」と語った。他に「ことばと世界」と題した対論、赤坂憲雄氏と荒川洋治氏。詩の朗読は財部鳥子、泉谷明、小坂太郎、清岳こう他。
(22)二〇〇一(平成一三)年一二月二二日東日本ゼミ―東京(木津川昭夫会長、丸地守理事長、東日本担当鈴木東海子理事、西日本担当福中都生子理事が就任)は、日本現代詩人会の忘年会を兼ね東京神楽坂エミールで開催。講演は、安藤元雄「詩を書くとき、詩を読むとき」。安藤氏は「詩を書く人は、詩をよく読む人でなければならない。また詩を書く位相について、きちっとした理念を持つべきである」と語った。詩の朗読は、網谷厚子、相沢正一郎、中本道代、八木幹夫、鎗田清太郎他。
(二〇〇二・二・三西日本―大阪)は、KKR・HOTEL・OSAKAで開催。講演は以倉紘平「詩への関心」。以倉氏は「実生活の中に詩が埋まっている。詩は心の先にあってそれを如何に伝えるかである」と語った。ショート・スピーチは木津川昭夫、杉山平一、三井葉子。詩の朗読は福田万里子、明珍昇他。
(二〇〇二・四・六東日本―さいたま)は、さいたま市民会館うらわで開催。対談は辻井喬と石原武「わたつみ三部作をめぐって」。石原氏が「この詩集はわかりずらいと評されているが」に対して辻井氏は「一つには日本語が論理的でない為に私の言いたい事との隔りが増幅されているようです。……論理的思考で捉え切れないものに人間の翳りや矛盾がある。それを表現する時に芸術が必要となる」など奥の深い対談になった。音楽は島田璃里子氏、詩の朗読は、西岡光秋、山田隆昭、野村喜和夫、鈴木有美子、北岡淳子他。
(二〇〇二・五・二六西日本―和歌山)は、和歌山東急インで開催。講演は梅田恵以子氏「熊野・詩の風土」。梅田氏は、藤原定家が歩いたと思われる熊野古道を歩いて先人たちの詩境を語った。スピーチは木津川昭夫、丸地守、日高てる。詩の朗読などは伊勢田史郎、下村和子他。
(二〇〇二・一二・八西日本―徳島)は、徳島東急インで開催。講演は鈴木漠「詩と連句のクロスオーバー」。鈴木氏は「連句の歴史が万葉集以前から二千年近い歴史がある。芭蕉や蕪村の連句には造詣深いものがある」などと語った。スピーチは丸地守、御庄博美、原圭治。詩の朗読は堀川豊平他。
(二〇〇三・二・二東日本―名古屋)は、ホテル・サンルート名古屋で開催。講演は北川透「現代社会における〈場所〉の自覚」。北川氏は「生まれ育った愛知・碧南、長年暮らした豊橋、それら古い土地に働きかけられることで〈場所〉を意識するようになった。「場所を移動する」視点から近代を疑うことで、見えてくるものがある」と語った。対談は、長谷川龍生、野村喜和夫。その中で長谷川氏は「今書かれている日本のシュールレアリズム詩は「単なるモダニズムである。それを鍛えなおすことによって、現代詩を改革したい」と語った。
(二〇〇三・四・一九東日本)は、東京神楽坂エミールで開催。対談は新井豊美、井坂洋子「女性詩の百年」。新井氏は「人間の主張は太古の昔からそれほど変化するものではないが、いま、どのような詩を書いていったらよいか、詩の歴史から学べば見えてくるのではないか」と発言、「特に女性詩は戦後五十年であり、これからだと思う」と井坂氏がくくった。詩の朗読は、甲田四郎、八木忠栄、水野るり子他。
(二〇〇三・五・二五西日本―金沢)は、金沢シティモンドホテルで開催。講演は辻井喬「現代詩における思想表現と伝統」。辻井氏は「室生犀星の詩の本質が「即物的」な表現であり、そこに主体が入っていた。どんな作品も主体を欠かした詩は弱い。また、現代への懷疑から現代詩は創造されるべきである」と語った。シンポジウムは、「抒情、詩に於ける肯定と否定」。パネリストは倉橋健一、川上明日夫、田中勲。コーディネーターは砂川公子。
(23)二〇〇三(平成一五)年一二月二二日東日本ゼミ―東京(菊田守会長、甲田四郎理事長、山本十四尾副理事長、東日本担当山田直理事、西日本担当以倉絋平理事が就任)は、東京神楽坂エミールで日本現代詩人会忘年会を兼ねて開催。講演は藤富保男「詩にからむ」。藤富氏は「アリストテレスは彼の「詩学」で、「不可能でも可能らしいことを創造する」と言っているなど含蓄のある詩論を語った。詩の朗読とスピーチは、赤木三郎、大掛史子、高貝弘也、高橋馨、春木節子、柳生じゅん子。
(二〇〇四・一・三一西日本―大阪)は、KKR・HOTEL・OSAKAで開催。講演は、山田俊幸(帝塚山学院大教授)「梶井基次郎と三好達治の周辺」。山田氏は「梶井の小説の方法は、対象に乘り移り別世界に入るが、見慣れた風景が一瞬変質するのは、シュールレアリスムの異化作用。三好は梶井から批評精神を学んだ」と語った。つぎに杉山平一氏の講演。杉山氏は「触角で表現する時非常に奥深いピッタリしたことを伝えられる。具象から発するものであってこそ抽象的な観念、感覚は深くなる」と語った。
(二〇〇四・四・三東日本―横浜)は、横浜ブリーズベイホテルで開催。講演は原子朗氏。原氏は「横浜は開国という一大事業に触発され、外国人居留民と混じって横浜ことばなるものが生まれた。翻訳の新体詩など新鮮だった。特に『海潮音』あたりがその頂点にある」と語った。パネルディスカッションは「同人誌の現在と未来」と題し、パネラー小柳玲子、芳賀章内、鎗田清太郎で、コーディネーターは荒船健治。
(二〇〇四・五・一五西日本―岡山)は、岡山プラザホテルで開催。講演は杉谷昭人「詩の条件――生活語から詩語へ」。杉谷氏は「自分の詩が新しいか古いか悩まず、確固たるモチーフを獲得して詩人とならねばならない」と語った。続いて中村不二夫の講演は、「キリスト教の教義を広めたパウロの「心に愛がなければどんな美しい言葉も相手の心に響かない」と述べた。
(二〇〇四・一二・五東日本、日本現代詩人会忘年会―東京)は、東京神楽坂エミールで開催。講演は、伊藤桂一「詩と小説。私感」。伊藤氏は「戦後口語詩運動の躍進により、民衆派などによる〈言葉で説得する詩〉が提唱されたが・詩の本質を離れた統一のとれない表現が目立ってしまった。もっと感性を活かして端的に書けるのではないか」と語った。自作詩朗読とスピーチは、加賀谷春雄、硲杏子、山田隆昭他。
(二〇〇五・四・二東日本―前橋)は、前橋市前橋テルサで開催。講演は、新井豊美「石牟礼道子の世界――その女性性の表現を中心に――」。新井氏は「敗戦から高度経済成長期にかけての、社会や人心の歪みの部分への着眼とポエジーを実証的に捉え」論じた。詩の朗読は「方言詩の朗読をめぐって」と「ことばを声に変えていく一つの試み」「パフォーマンスとしての朔太郎・暮鳥らの朗読者群の交錯劇」があった。
(二〇〇五・五・一四西日本―鹿児島)は、パレスイン鹿児島で開催。講演は、野村喜和夫「金子光晴の現代性」、村永美和子「藤田文江の世界」、高崎正治(京都造形芸術大教授「言葉と建築」。高崎氏は、「建築の仕事はむしろ言語の世界のものと思っている。つまり言語でしか表現しえないような世界を、建築物として示してみせる」など、高度な詩論でもあった。
(24)二〇〇五(平成一七)年一二月三日東日本ゼミ―東京(安藤元雄会長、葵生川玲理事長、山田隆昭副理事長、東日本担当藤富保男理事、こたきこなみ理事西日本担当、以倉紘平理事、長津功三郎理事が就任)は、東京神楽坂エミールで日本現代詩人会忘年会を兼ねて開催。講演は安藤元雄「詩のあり方、詩人のあり方」。安藤氏は、「詩は、謙虚な言葉で言えば、井戸のなかの水で、詩人は空洞の姿にすぎない。その空洞の姿で水の湧き出てくるのを取り出すのだ」と語った。自作詩朗読とスピーチは、佐野千穂子、殿岡秀秋、長嶋南子、久宗睦子、八木忠栄、山本博道。
(二〇〇六・二・一九西日本―大阪)は、大阪ガーデンパレスで開催。
(二〇〇六・二・一九西日本―大阪)は、大阪ガーデンパレスで開催。講演は高階杞一「詩と生態学」と鈴木漠「対話する詩・連句文芸」。高階氏は「何の脈絡もない生態学を詩の土壌としている。生物は棲み分けて行くことで共存共栄をしている」と語った。鈴木氏は「古事記は伊耶那岐、伊耶那美の相聞歌に端を発するが、俳句も短歌も、その基本理念は、独白ではなく複数の作者による想像力を駆使してのミクロコスモスを構築する妙味がある」と語った。
(二〇〇六・四・二三東日本―東京)は、神楽坂エミールで開催。講演は野村喜和夫「オルフェウス的主題」。野村氏は「―オルフェウスはなぜうしろを振り返ったか、という点について多くの文学者や詩人たちが注目してその謎を解こうとしている。……要するにわれわれ詩を書く人間は、それなりにオルフェウスであって主題を抱えている」と語った。ショート・スピーチは秋村宏、安部壽子、長津功三良、高貝弘也、暮尾淳が、それぞれに身近な詩人について語った。
(二〇〇六・六・二四西日本―松山)は、国際ホテル松山で開催。講演は林嗣夫「日常の裂け目より―私の場合」。林氏は「裂け目は、歴史的、思想的な大きな裂け目と、日常の中でふと訪れる小さな裂け目がある。小さな裂け目は、それを受けとめる用意がなければ気付かないが、この小さな切実な裂け目と詩の生成の関係を大事にしたい」と語った。ゲスト講演は、神山恭昭(松山市在住)氏「詩と工作」。既成美術の観念に揺さぶりをかける異才でユーモアに溢れた具体で示す名講演であった。詩の朗読は、真崎希代、武田弘子、香川紘子、図子英雄、三木昇、森口啓子、久保田博史、桂ゆたか。
(二〇〇六・一〇・一四西日本―大垣)は、大垣市スイトピアセンターで開催。講演は新川和江「詩作の現場」。新川氏は「詩を書き始めた頃、詩とはどういうものだろう、こういうものではなかったか、と試行錯誤の時代があった。……昭和30年、平凡社発行の「世界名詩集大成」を読みながら、そのほとんどを書き写した」などと話し、今なお原点にもどっては模索していると、謙虚な姿勢をみせた。もう一つの講演は地元郷土史研究家清水進「芭蕉と大垣」があった。
(二〇〇六・一一・四東日本―仙台)は、仙台市仙台文学館で開催。講演は、内藤正敏(写真家、民族学者、東北芸術工科大学院教授)「宮沢賢治と佐々木喜善」。内藤氏は「佐々木喜善は柳田國男の「遠野物語」の原話を語った人、賢治が「ざしきわらし」を引用させて欲しいと手紙を出したり、賢治が結核で臥っているとき毎日のように賢治を訪ねたりした人」など、柳田國男とともに賢治の思想の土壌となったことなどを語った。スピーチは、八木忠栄、若松丈太郎、木村迪夫、工藤優子、原田勇男他。
(二〇〇七・一・二〇東日本―東京)は、神楽坂エミールで開催。日本現代詩人会新年会を兼ねた。講演は師岡カリーナ・エルサムニー「アラブの詩と詩人」。師岡氏は「アラブにおける至上芸術は詩であり、アラブの歴史そのものが詩人の歴史である。砂漠の部族間の抗争が絶えないアラブでは武力による結着がつかない場合、詩人の詩の競いあいで結着をつけた。それゆえ共通語が必要となり、予言者ムハンマドの部族の方言が採用された」など含蓄のある話をされた。詩の朗読は、相沢正一郎、森川雅美、渡辺めぐみ他。
(二〇〇七・二・二四西日本―沖縄)は、那覇市琉球新報社ホールで開催。講演は、安仁屋眞昭(琉球王府第一五代おもろ伝承者)が、沖縄の古代歌謡「おもろ」を解説、朗詠した。続いて作家の大城貞俊「沖縄現代詩の挑戦」と題し沖縄戦後詩の流れ、方言詩の方法論を語った。詩の朗読は、貘賞詩人の二氏。二里友豪、原敏夫。
(二〇〇七・四・一四東日本―山梨)は、ベルクラシック甲府で開催。講演は近藤信行「山と詩人たち」。近藤氏は「記紀万葉の昔から現代にいたるまで、山の存在はつねに日本人のこころに投影してきたといえる。自然の変化は、人間の生活と美的感覚に大きな影響を与えた」と語った。続いて山梨放送制作の『いつになったら〜詩人 金子光晴』(時代映像賞受賞)が上映され圧巻であった。詩の朗読は、経田佑介、高見沢隆、土屋智宏、澤フジ子、安藤一宏。
(25)二〇〇七・一一・三(平成一九)年一一月三日西日本ゼミ―広島(大岡信会長、山田隆昭理事長、斎藤正敏副理事長、東日本担当高見弘也理事、長嶋南子理事、西日本担当小柳玲子常任理事、長津功三良理事が就任)は、広島平和記念館のメモリアルホールで開催。講演は安藤元雄「詩の前を行くもの」。安藤氏は「館内で上映されていた10分余りの映画の中に、姉と弟の姿が映し出されて「私も弟ももうじき死にます。だから覚えていてください」というひとコマがあり忘れ難い。ランボーは手紙の中に「詩というものは、もはや行動にリズムを与えるものではないでしょう。詩に先立つものが何かある」と書いている」と含蓄の意を語った。その後チェリスト猪原和子のミニコンサート。詩の朗読は、門田照子、中岡淳一、南那和、村永美和子、川上明日夫、清水恵子。
(二〇〇八・一・一九東日本―東京)は、早稲田奉仕園日本キリスト教会館で開催。講演は、郷原宏「詩と推理小説」。郷原氏は「エドガー・アラン・ポーは一八〇九年ボストンで生まれた。父アイルランド人、母イギリス人、父母は寂しい旅役者で波瀾万丈。三〇〇行を超す長編詩「大鴉」は最後の一行から書き始めた。この仕掛けをギミックという」などミステリアスな背景に迫った。詩の朗読は、麻生直子、北畑光男、野木京子他。
(二〇〇八・三・一五東日本―千葉)は、千葉市民会館で開催。講演は、新川和江「自作詩朗読とトーク」。新川氏は「大岡会長の年頭の挨拶の中にノヴァーリスの断章の一部がひかれていた。「見えるものは見えないものに触っている。聞こえるものは聞こえないものに触っている。それならば考えられるものは考えられないものにさわっているはずだ」これを読み、私はキーツの「ギリシャ古甕のうた」の冒頭の詩句を思い出した「耳にひびく音楽は楽しい。だが耳にひびかぬ音楽はことさら美しい」このような詩を書いていきたい」と語った。詩の朗読は新延拳、水崎野里子、杜みち子、八木幹夫他。スピーチは高安義郎、秋元烔、根本明、山中真知子他。
(二〇〇八・四・一九西日本―高知)は、高知市高知会館で開催。講演は高橋正「高知の文学」。高橋氏は、高知の文学系譜を①民権派文学、②評論文学、③社会文学、④大衆文学に分類、それらの話の中から中江兆民、司馬遼太郎、大町桂月、田岡嶺雲、幸徳秋水、黒岩淚香、田中英光、上林暁、寺田寅彦、小山いと子、大原富枝、宮尾登美子、倉橋由美子らの名を挙げ語った。詩の朗読は、高知の若い詩人数名によるものであった。
(二〇〇八・七・二六西日本―神戸)は、神戸、兵庫県民会館で開催。講演は、岩成達也「詩論の方へ」と安水稔和「やっとわかりかけてきたこと」。岩成氏は、岩成詩学の持論を展開、半ば暗号のように聞こえた――と呟く人も中にはあった。安水氏は、大震災により崩壊した家の庭の焼け焦げた樹の根本から小さな木の芽が生え、その若木に毎日のように会いに行ったことを語り、それが自身の詩の土壌にもなったと語った。詩の朗読は、岡崎葉、清水恵子、田村のり子、原圭治、三井喬子、岡隆夫、紫圭子、山本衛。
(二〇〇八・一〇・一八東日本―山形)は、山形グランドホテルで開催。講演は、岡井隆「現代詩入門・詩歌の意味と韻律について」。岡井氏は「現代詩といえども言葉の伝統を背負っている。第二芸術論に疑義を抱き、短歌・俳句にも思想性はあると信じた。レトリックの底には思想がある」などと語った。詩の朗読は、原田勇男氏他八名であったが、福司満、島村圭一の両氏は方言を用いた詩を佐野カオリは掛け合い形式で演劇的な詩朗読を披露した。
(二〇〇九・一・二四東日本と新年会―東京)は、早稲田奉仕園内日本キリスト教会館にて開催。講演は井坂洋子「詩から照らされる生」。井坂氏は、永瀬清子の生き方や詩作との対比、井狩初子の風物を積み上げることによって生まれてくる作品の面白さなどを語った。詩の朗読は、岩佐なを、岩切正一郎、岡野絵里子、金井雄二、杉本真維子、中本道代。
(二〇〇九・三・一西日本―福岡)は、福岡市都久志会館で開催。トークセッションは、伊藤比呂美と韓国の詩人韓成禮(ハン・ソンレ)、コーディネーター田代俊一(西日本新聞特別編集委員)。ハン・ソンレ氏は「韓国は詩の国――というくらい詩が大切にされ、国民の殆どが詩を愛し、詩と暮らしている」、伊藤比呂美氏は「アメリカで暮らすことで日本語と真剣に向き合うことになった」と語り、浄瑠璃に近い詩の朗読を演じた。また、ハン・ソンレ氏は「韓国の〝恨(ハン)〞は、日本の〝あわれ〞に近い。誰れかを恨むのではなく、むしろ自分自身に向ける悔恨の情である」と語り、伊藤比呂美氏も、その〝無常〞を「現代詩」に取り入れ詩を書いていると語った。トークの途中で、二人の詩の朗読も楽しかった。
「日本の詩祭」(贈賞式)
(1)一九五一(昭和二六)年三月二五日、第一回H氏賞・殿内芳樹詩集『断層』の贈賞式(当時は「授賞」と言っていたが、本稿では「贈賞」に統一する)を、神田駿河台・東京出版小売商組合講堂で行なった。北川冬彦幹事長が表彰状と賞金を贈呈。木下常太郎、安藤一郎、北園克衛、壺井繁治、草野心平が、「新人について」と題して講演した。
(2)一九五二(昭和二七)年六月一九日、有楽町・読売ホールで、第二回H氏賞(長島三芳詩集『黒い果実』)贈賞式と併せて、「現代詩講演と討議会」を開く。神保光太郎、伊藤信吉の講演「現代文学における詩の位置」、阪本越郎、村野四郎の講演「現代詩の難解について」のほか、蔵原伸二郎ら六人の小講演、高見順ら六人の「自作詩朗読と随想」があった。
(3)一九五三(昭和二八)年五月二四日、神田駿河台・明治大学講堂で、第三回H氏賞(上林猷夫詩集『都市幻想』)贈賞式が行なわれた。選考経過報告は村野四郎幹事長。この時は、三好達治詩集『駱駝の瘤にまたがって』の芸術院賞受賞記念もかねて行なわれた。講演は、蔵原伸二郎「三好達治論」、三好達治「随想」、伊藤信吉「詩の社会性」、西脇順三郎「詩的な話」、北川冬彦「ダンテの神曲と詩的イメェジ」、高橋新吉「詩について」、田中冬二ら六人の「詩朗読」。また、俳優の久米明、加藤玉枝が三好達治と上林猷夫の詩を朗読した。
(4)一九五四(昭和二九)年七月三日、東京駅八重州口・国鉄労働会館ホールで、第四回H氏賞(桜井勝美詩集『ボタンについて』)の贈賞式があった。村野四郎幹事長が選考経過報告をし、上林猷夫が受賞者を紹介した。この日は、金子光晴詩集『人間の悲劇』の読売文学賞受賞記念もかねていた。吉田一穂「金子光晴論」、金子光晴「随想」、安東次男の金子光晴作品朗読。つづいて、本会編『死の灰詩集』近刊に因んで、深尾須磨子が「灰について」と題して講演した。また、つづいて上田保「詩の社会的基礎」、安藤一郎「国際詩学会議出席を前にして」、草野心平「詩と政治」、岡本潤「詩の機能について」の講演。加藤玉枝が「死の灰」作品と桜井勝美作品を朗読し、最後に、近藤東のアイデアによるクイズ「詩の泉」が行なわれた。
(5)一九五五(昭和三〇)年六月四日、今回からH氏賞贈賞式をかねた行事を「夏の詩祭」とし、毎年催すこととした。この日はその第一回で、神田・YWCA会館ホールで、第五回H氏賞を黒田三郎詩集『ひとりの女に』に贈呈した。草野心平幹事長が選考経過報告をし、田村隆一が受賞者を紹介した。また同じく創設した第一回「先達詩人」に選ばれた河井酔茗に敬意を捧げた。笹澤美明、青野季吉(日本文藝家協会会長)が顕彰の言葉を述べ、村野四郎が記念品を贈り、酔茗が挨拶した。H氏賞贈賞式では、片岡みどりが黒田三郎作品を朗読した。つづいて、伊藤整「ポエジーについて」、岡本太郎「絵画と詩」、河上徹太郎「詩と小説」、木原孝一「詩劇について」、壼井繁治「詩の諷刺」の講演があった。
(6)一九五六(昭和三一)年六月二日、神田・YWCA会館ホールで、「夏の詩祭」が行なわれた。第六回H氏賞は、鳥見迅彦詩集『けものみち』。草野心平幹事長が選考経過報告をし、長江道太郎が受賞者を紹介した。贈賞式の後の講演は、尾崎喜八「高村光太郎を偲ぶ」、阪本越郎「百田宗治について」、安西均「新しい抒情について」、加藤周一「マチネポエティックの功罪」、西脇順三郎「私の信ずる詩」。また、植村諦ら一四人、およびレコードによる海外詩人の自作詩朗読があり、最後は岩佐東一郎考案によるクイズ「詩の泉」で終った。
(7)一九五七(昭和三二)年五月一八日、「夏の詩祭」改め「五月の詩祭」が、東京駅八重州口・国鉄労働会館ホールで開かれた。第七回H氏賞は井上俊夫詩集『野にかかる虹』、金井直詩集『飢渇』。西脇順三郎幹事長から贈賞。草野心平が選考経過報告をし、井上を関根弘が、金井を山本太郎が紹介した。先達詩人として川路柳虹に敬意を捧げ、村野四郎がその詩業を語った。また、西脇順三郎詩集『第三の神話』の読売文学賞受賞を記念して、木下常太郎、福田陸太郎がその人と作品を語り、西脇順三郎が挨拶した。真弓田一夫の西脇順三郎、井上俊夫、金井直作品の朗読。鳥見迅彦ら六人の自作詩朗読の後、「詩についての随想」と題して、串田孫一、山本健吉、中桐雅夫が講演した。アトラクションは沖縄舞踊で、山之口貘が解説した。
(8)一九五八(昭和三三)年五月三一日、日比谷図書館講堂で、「五月の詩祭」開催。第八回H氏賞を富岡多恵子詩集『返礼』に贈呈。西脇順三郎幹事長が選考経過報告をし、長谷川龍生が受賞者を紹介し、加藤玉枝がその作品を朗読した。また、来日中のスティーヴン・スペンダーからの「日本の詩人に寄する言葉」が披露され、安藤一郎が解説した。講演は、高橋新吉「詩と禅」、黒田三郎「現代詩の行方」、吉田一穂「詩人について」、井上靖「詩について」、寺田透「詩と小説の間」、江藤淳「詩的世界像と時間」。つづいて、上林猷夫構成、津田誠と火曜会出演による組詩「黒い歌」、友竹正則の独唱、谷川俊太郎ら四人による「自作詩朗読」があった。最後は近藤東考案によるクイズ「詩の泉」で締めた。
(9)一九五九(昭和三四)年五月二七日、赤坂・草月会館で「五月の詩祭」を開いた。第九回H氏賞を北川冬彦幹事長から吉岡実詩集『僧侶』に贈賞。西脇順三郎が選考経過報告をし、平林敏彦が受賞者を紹介した。講演は、木下常太郎「現代詩の課題」、高橋忠弥「詩と絵画」、荻昌弘「映画の詩について」、山之口貘「見てきた沖縄」、谷川俊太郎、鳥居良禅、緒方昇、近藤東「随想」。福田陸太郎、白井浩司、星野慎一「海外詩の動向」。最後に高橋新吉ら五人の「自作詩朗読」があった。
(10)一九六〇(昭和三五)年五月一四日、日本現代詩人会と改称後初めての「五月の詩祭」を、九段下、千代田公会堂で開いた。第一〇回H氏賞を、黒田喜夫詩集『不安と遊撃』に、村野四郎会長から贈賞。選考委員長田中冬二が選考経過を報告し、長谷川龍生が受賞者を紹介した。先達詩人に推された堀口大学について城左門が顕彰の辞を述べ、堀口大学が挨拶した。また、詩集『亡羊記』で読売文学賞受賞の村野四郎について田村隆一が、詩集『新世界交響楽』で高村光太郎賞受賞の岡崎清一郎について山本太郎が、それぞれその人と作品を語り、大滝清雄が二人の詩を朗読した。つづいて「ことばの勉強会」による「現代詩五十年史」、関根弘解説による「海外実験映画集」を上映。また、蔵原伸二郎ら八人が自作詩を朗読した。
(11)一九六一(昭和三六)年五月二七日、日比谷・第一生命ホールで、「五月の詩祭」を開催。第一一回H氏賞を石川逸子詩集『狼・私たち』に、村野四郎会長から贈賞。選考委員長田中冬二が選考経過を報告し、吉野弘が受賞者を紹介し、草野心平がその作品を朗読した。先達詩人は佐藤春夫で、井上靖、西脇順三郎がその人と詩業について語り、佐藤春夫が挨拶した。また、新川和江の小学館文学賞、滝口雅子の詩集『蒼い馬』、『鋼鉄の足』による室生犀星賞、高田敏子の「朝日新聞連載の詩」による武内俊子賞、山本太郎の詩集『ゴリラ』による高村光太郎賞等の会員の受賞を記念して、村松英子、高田純江、山本太郎がそれぞれの作品を朗読した。アトラクションは、秋谷豊ら「地球」グループによる劇「それでも地球は廻っている」と、英仏短篇映画の上映。
(12)一九六二(昭和三七)年五月二六日、日比谷・第一生命ホールで、「五月の詩祭」開催。第一二回H氏賞を、風山瑕生詩集『大地の一隅』に、西脇順三郎会長から贈賞。西脇順三郎選考委員長が選考経過を報告し、草野心平が受賞者を紹介した。先達詩人は日夏耿之介で、録音による自作詩朗読が披露された。次に、田中冬二詩集『晩春の日に』の高村光太郎賞、粒来哲蔵詩集『舌のある風景』の土井晩翠賞、富岡多恵子詩集『物語の明くる日』、辻井喬詩集『異邦人』の室生犀星賞、それぞれの受賞を記念して、各受賞詩人が自作詩朗読と小スピーチをした。また、北原白秋、萩原朔太郎、佐藤惣之助没後二〇年に因み、大木惇夫、萩原葉子、金子光晴、伊藤信吉が故人を偲ぶ話をした。
(13)一九六三(昭和三八)年五月二五日、日比谷・第一生命ホールで、「五月の詩祭」が開かれた。第一三回H氏賞を高良留美子詩集『場所』に、安藤一郎会長から贈賞。選考委員長草野心平に代わって安西均選考委員が選考経過を報告し、白井浩司が受賞者を紹介、村松英子がその作品を朗読した。先達詩人西条八十への敬意の言葉を西脇順三郎が述べ、西条八十が挨拶した。『高橋元吉詩集』、田村隆一詩集『言葉のない世界』、金井直詩集『無実の歌』の高村光太郎賞、斉藤庸一詩集『雪のはての火』の土井晩翠賞、『三好達治全集』の読売文学賞、各受賞を記念して、村松英子、後藤英子が受賞詩人の作品を朗読した。講演は小野十三郎「現代の詩について」、瀬木慎一「現代の美術と詩」、高見順「詩と小説」。
(14)一九六四(昭和三九)年五月二三日、新橋・蔵前工業会館で、「五月の詩祭」開催。第一四回H氏賞を、安藤一郎会長から、石原吉郎詩集『サンチョ・パンサの帰郷』に、贈賞。村野四郎選考委員長が選考経過を報告し、松田幸雄が受賞者を紹介、村松英子がその作品を朗読した。先達詩人は服部嘉香で、安藤一郎が敬意をおくる言葉を述べ、竹村晃太郎がその詩業について語った。服部嘉香の挨拶の後、竹野圭之助がその作品を朗読した。次に、詩集『したたる太陽』で室生犀星賞受賞の磯村英樹が自作詩を朗読。つづいて竹野圭之助が物故会員(島崎曙海、清水房之助、三好達治)を偲んで、その作品を朗読した。講演は、丸山薫「現代詩随想」、寺田透「現代詩について」。
(15)一九六五(昭和四〇)年五月一三日、新宿・紀伊國屋ホールで、「五月の詩祭」開催。第一五回H氏賞を澤村光博詩集『火の分析』に、草野心平会長から贈賞した。近藤東選考委員長が選考経過報告をし、受賞者紹介を三好豊一郎がした後、その作品を村松英子が朗読した。この後、村野四郎が登壇し、H氏賞のH氏が平澤貞二郎であることを公表し、平澤氏も登壇して挨拶、満場の拍手を浴びた。先達詩人は白鳥省吾で、安藤一郎会長より敬意の言葉と記念品をおくられ、伊藤信吉がその詩業を紹介、白鳥が挨拶した。また、竹野圭之助が白鳥作品を朗読した。次に、蔵原伸二郎詩集『岩魚』の読売文学賞、『中桐雅夫詩集』の高村光太郎賞の受賞を記念して、村松英子がその作品を朗読した。講演は村松剛「現代詩について」、江藤淳「文学随想」。
(16)一九六六(昭和四一)年五月二三日、新宿・紀伊國屋ホールで、「五月の詩祭」が開かれた。第一六回H氏賞を、入沢康夫詩集『季節についての試論』に、草野心平会長から贈賞。安藤一郎選考委員長が選考経過報告をし、飯島耕一が受賞者を紹介した。先達詩人は岡山の有本芳水で、永瀬清子がその人と作品を紹介し、有本芳水が挨拶した。次に本年度各賞の受賞者、『生野幸吉詩集』(高村光太郎賞)の生野幸吉、『ローマの秋・その他』(室生犀星賞)の新川和江、『遊女』(室生犀星賞)の寺門仁、『音楽』(室生犀星賞、読売文学賞)の那珂太郎が自作詩を朗読した。講演は「詩について」と題して、井上靖、団伊久磨、吉本隆明。
(17)一九六七(昭和四二)年五月一日、新宿・紀伊國屋ホールで、「五月の詩祭」開催。三木卓詩集『東京午前三時』に、第一七回H氏賞を、伊藤信吉会長から贈呈。笹澤美明選考委員長が選考経過報告をし、清岡卓行が受賞者を紹介した。先達詩人矢野峰人に敬意をおくり、福田陸太郎がその詩業を紹介し、矢野峰人が挨拶した。松田幸雄『詩集一九四七―一九六五』(室生犀星賞)、故木下夕爾『定本木下夕爾全集』(読売文学賞)の作品を仮面座が朗読。講演は「現代詩随想」と題して、大島康正、西脇順三郎。
(18)一九六八(昭和四三)年五月一〇日、「五月の詩祭」を、新宿・紀伊國屋ホールで開く。第一八回H氏賞を、村上昭夫詩集『動物哀歌』、鈴木志郎康詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』に、伊藤信吉会長から贈賞。三好豊一郎選考委員長が選考経過報告をし、村野四郎と入沢康夫が受賞者を紹介、劇団「風」が作品を朗読した。先達詩人は人見東明で、笹澤美明がその人と詩業を紹介し、人見東明が挨拶した。講演は「現代詩について」と題して、伊藤桂一、檀一雄、瀬沼茂樹。
(19)一九六九(昭和四四)年五月三日、新宿・紀伊國屋ホールで、「五月の詩祭」を開催。第一九回H氏賞は、石垣りん詩集『表札など』、犬塚堯詩集『南極』に贈られた。村野四郎会長・選考委員長が選考経過を報告し、受賞詩人を紹介した。この二詩人と、詩集『炎える母』(歴程賞)の宗左近、詩集『わが出雲・わが鎮魂』(読売文学賞)の入沢康夫の四人が、自作詩を朗読した。先達詩人として金子光晴が顕彰され、中島可一郎がその人と作品を紹介、金子が挨拶した。講演は「詩について」で、中村真一郎、開高健、篠田一士。
(20)一九七〇(昭和四五)年五月三日、新宿・紀伊國屋ホールで、「五月の詩祭」開催。第二〇回H氏賞が知念栄喜詩集『みやらび』に村野四郎会長から贈られた。壺井繁治選考委員長が選考経過報告をし、宗左近が受賞者を紹介。大木惇夫に先達詩人の敬意をおくり、近藤東がその詩業を紹介した。また、本年は会創立二〇周年にあたるので、H氏賞後援者平澤貞二郎に村野四郎会長より記念品を贈って謝意を表し、平澤貞二郎からも挨拶があった。ついで、創立二〇周年を祝うメッセージを日本文藝家協会会長代理井上靖、日本ペンクラブ会長芹沢光治良が述べた。また、評論『わが光太郎』(読売文学賞)の草野心平、詩集『覇王紀』(読売文学賞)の山本太郎、評論『万葉集・運命の歌』(芸術選奨文部大臣新人賞)の小島信一、詩集『蕩児の家系』(歴程賞)の大岡信の作品を、成瀬満子とぐるーぷソネットが朗読した。講演は、高田博厚、井上光晴、大岡信の「随想」。
(21)一九七一(昭和四六)年五月二日、新宿・紀伊國屋ホールで、「五月の詩祭」開催。第二一回H氏賞を、白石かずこ詩集『聖なる淫者の季節』に、田中冬二会長から贈呈。井上靖選考委員長が選考経過を報告し、富岡多恵子が受賞者の紹介をした。先達詩人は西脇順三郎で、安藤一郎がその人と作品を紹介、西脇が挨拶した。つづいて、『魚仏詩集』で読売文学賞受賞の緒方昇の作品を伊藤桂一が、ラジオ・ドラマ『ジャンボ・アフリカ』で芸術選奨文部大臣賞受賞の川崎洋が自作詩を、西脇順三郎作品を会田綱雄、白石かずこが、ファイブ・ブラザースの伴奏で朗読した。講演は、石原八束「三好達治のこと」、吉本隆明「詩と詩人について」。
(22)一九七二(昭和四七)年五月三日、新宿・紀伊國屋ホールで、「五月の詩祭」開催。第二二回H氏賞を粒来哲蔵詩集『孤島記』に、田中冬二会長から贈賞。村野四郎選考委員長が選考経過報告をし、山本太郎が受賞者を紹介した。先達詩人尾崎喜八に敬意をおくり、串田孫一がその人と詩を語り、尾崎が挨拶した。『石垣りん詩集』(田村俊子賞)、大岡信『紀貫之』(読売文学賞)の受賞者二人が自作詩を朗読し、『風流尸解記』で芸術選奨受賞の金子光晴作品を比留間一成が朗読した。また、粒来哲蔵作の詩劇『つるんつるん』を波瀬満子とぐるーぷソネットが演じた。講演は、中谷孝雄、高田敏子、粟津則雄の「詩について」。
(23)一九七三(昭和四八)年五月六日、新宿・紀伊國屋ホールで、「五月の詩祭」開催。第二三回H氏賞を、一丸章詩集『天鼓』に、山本太郎会長から贈賞。草野心平選考委員長が選考経過を報告、安西均が一丸作品を朗読、那珂太郎が受賞者を紹介。先達詩人に決定していた吉田一穂が逝去したので、黙禱し献花した。田村昌由が一穂作品を朗読、野田宇太郎がその詩業を語り、田中冬二会長から遺子吉田八岑に記念品を贈った。その後、参会の詩人有志による自作詩朗読と三分間スピーチがあった。
(24)一九七四(昭和四九)年五月一七日、本年から「五月の詩祭」改め「日本の詩祭’74」を、信濃町・東医健保会館で開催。第二四回H氏賞は、郷原宏詩集『カナンまで』。壺井繁治選考委員長が選考経過報告をし、山本太郎会長より贈賞。小海永二が受賞者を紹介した。先達詩人として故深尾須磨子、田中冬二に敬意をおくり、町田志津子が深尾須磨子について、三好豊一郎が田中冬二について語り、田中冬二が挨拶した。講演は谷川俊太郎「私のアンソロジー」、佐藤朔「詩人について」。つづいて、伊藤信吉、草野心平ら会員多数の自作詩朗読と三分間スピーチが行なわれたが、村野四郎は病軀を抱えられて登壇、詩二篇を朗読した。これが公衆の前での最後の姿と声となった。桐朋学園音楽部による演奏もあった。
(25)一九七五(昭和五〇)年五月八日、渋谷・西武劇場で、「日本の詩祭’75」開催。第二五回H氏賞は、清水哲男詩集『水甕座の水』。河邨文一郎選考委員長が選考経過報告、山本太郎会長より贈賞。小海永二が受賞者を紹介し、清水昶が作品を朗読した。創立二五周年を迎え、本年度の先達詩人は九人。壺井繁治、高橋新吉が出席したほかに、岡崎清一郎、岡本潤、北川冬彦、笹澤美明、佐藤一英、前田鉄之助、故村野四郎であった。草野心平と石垣りんが村野四郎の作品を朗読して、現代詩界にとっても会にとってもかけがえのなかったこの詩人を偲んだ。ついで、石原吉郎ら六人の詩人による自作詩朗読。劇団「風」による詩劇「ラ・フォンテーヌ寓話より」(市原豊太訳)、犬塚堯作の沖縄舞踊「輪多梨の花」、鈴木昭男の創作音楽、みなみ・らんぼうの歌、創作前衛映画の上映があった。
(26)一九七六(昭和五一)年六月一〇日、新宿・安田生命ホールで、「日本の詩祭’76」開催。先達詩人春山行夫、北園克衛に、石原吉郎会長が敬意をおくり、近藤東、黒田三郎が二氏を紹介した。つづいて、第二六回H氏賞を荒川洋治詩集『水駅』に贈賞。真壁仁選考委員長の選考経過報告、郷原宏の受賞者紹介があった。また、春山、北園作品を俳優小劇場メンバーが朗読。藤井公、利子による創作舞踊「智恵子抄」、「夜鷹の星」。講演は、饗庭孝男「詩と言葉」、鈴木志郎康「わたしの詩の問題」。
(27)一九七七(昭和五二)年六月一七日、新宿・朝日生命ホールで、「日本の詩祭’77」開催。第二七回H氏賞は小長谷清実詩集『小航海26 』。竹中郁選考委員長が選考経過報告、石原吉郎会長より贈賞。三木卓が受賞者を紹介した。草野心平、小野十三郎に、先達詩人としての敬意をおくり、山本太郎が草野心平について、長谷川龍生が小野十三郎について語り、鈴木瑞穂が二人の作品を朗読した。また、小長谷清実ら三人の自作詩朗読があり、講演は山本健吉「詩をめぐって」。
(28)一九七八(昭和五三)年六月三〇日、新宿・朝日生命ホールで、「日本の詩祭’78」開催。第二八回H氏賞は、大野新詩集『家』、近藤東選考委員長が選考経過報告、小野十三郎会長が贈賞し、長谷川龍生が受賞者を紹介した。本年度の先達詩人竹中郁に小野会長から敬意をおくり、井上靖がその人と作品について語った。村松英子が大野、竹中の詩を朗読。講演は、野間宏「現代日本の詩の方向」。アトラクションは、中林淳真のギター独奏、上林真理のフルート独奏、坂本長利の一人芝居「土佐源氏」。
(29)一九七九(昭和五四)年六月二〇日、新宿・朝日生命ホールで、「日本の詩祭’79」開催。第二九回H氏賞は、松下育男詩集『肴』。野田宇太郎選考委員長が選考経過報告をし、小野十三郎会長から贈賞、荒川洋治が受賞者を紹介した。本年度先達詩人の近藤東、大江満雄に敬意をおくり、山内雅人が二人の作品を朗読した。鶴田錦史の薩摩琵琶と横山勝也の尺八による、武満徹作曲「エクリプス」他の演奏があり、講演は、水上勉「詩への憧れ」、小野十三郎「風景のドラマ」。
(30)一九八〇(昭和五五)年六月二五日、新宿・朝日生命ホールで、創立三〇周年記念特別プログラムによる「日本の詩祭’80」開催。第三〇回H氏賞は一色真理詩集『純粋病』。山田今次選考委員長が選考経過を報告、大岡信会長が贈賞し、墨岡孝が受賞者を紹介した。本年度先達詩人は、安部宙之介、上田敏雄、英美子、更科源蔵(欠席)、森山啓(欠席)の五人で、大岡会長から敬意をおくり、小海永二が各個に紹介するスピーチを行なった。
アトラクションは、吉原すみれのパーカッションをまじえての、「テアトル・ドゥ・ラ・マンドラゴール東京」による「アンサンブル・ミーム〝響〞(タゴール詩集より)」の演奏。井上ひさしの講演「現代の言葉」。
(31)一九八一(昭和五六)年六月二日、新宿・朝日生命ホールで、「’81日本の詩祭」開催。第三一回H氏賞は、小松弘愛詩集『狂泉物語』、ねじめ正一詩集『ふ』。中村稔選考委員長が選考経過報告、在外中の大岡信会長に代わって磯村英樹理事長が贈賞。石川逸子が小松弘愛について、清水哲男がねじめ正一について紹介のスピーチ。先達詩人として、神保光太郎、瀧口武士、藤原定に敬意をおくり、大滝清雄が三人の詩業について語った。第二部は、飯田善国構成・演出による「現代詩朗読」。講演は井上靖「最近の旅から」。
(32)一九八二(昭和五七)年五月三一日、新宿・朝日生命ホールで、「’82日本の詩祭」開催。第三二回H氏賞は青木はるみ詩集『鯨のアタマが立っていた』。丸山豊選考委員長が選考経過報告、安西均会長より贈賞。長谷川龍生が受賞者を紹介した。先達詩人として伊藤信吉、永瀬清子に敬意をおくり、城侑、小海永二が紹介のスピーチをし、両氏が挨拶した。アトラクションとして、和田寿子振付によるダンス「星の流れに」を萩原葉子のソロで、「ハーレム・ノクターン」を萩原葉子と沢村尚志のペアで演じた。講演は、清水哲男「清談濁談」、内田朝雄「宮澤賢治びっくり箱」。
(33)一九八三(昭和五八)年五月三十一日、新宿・朝日生命ホールで、「’83日本の詩祭」開催。第三三回H氏賞は、井坂洋子『GIGI』、高柳誠詩集『卵宇宙/水晶宮/博物誌』。この年から新設の「現代詩人賞」第一回は、飯島耕一詩集『夜を夢想する小太陽の独言』。H氏賞の部では、那珂太郎選考委員長が選考経過を報告、安西均会長より贈賞。清水哲男、鶴岡善久がそれぞれ受賞者を紹介。受賞者挨拶と自作詩朗読。現代詩人賞の部では、井上靖選考委員長が選考経過報告。安西会長が贈賞。飯田善国が受賞者について紹介。受賞者挨拶と自作詩朗読。講演は、唐十郎「中原中也のこと」。
(34)一九八四(昭和五九)年六月二二日、八重州・三越ロイアルシアターで、「’84日本の詩祭」開催。第三四回H氏賞は、水野るり子詩集『ヘンゼルとグレーテルの島』、第二回現代詩人賞は、犬塚堯『河畔の書』。H氏賞は吉原幸子選考委員長の選考経過報告の後、新川和江会長から贈賞、堀場清子が受賞者紹介。現代詩人賞は土橋治重選考委員長が選考経過報告、新川会長から贈賞、荒川洋治が受賞者について語った。先達詩人は井上靖、故真壁仁。まず清岡卓行が「井上靖の詩における〈白のイメージ〉について」と題して紹介のスピーチ、次いで井上靖が挨拶。故真壁仁については吉野弘が紹介のスピーチ。次いで中村真一郎の講演「詩をめぐっての雑感」。木山演劇事務所スタッフによる「小説家と詩人と大道香具師の言葉」――「ういろう売り」の口上を詩劇風にアレンジしたものが上演された。
(35)一九八五(昭和六〇)年六月一一日、「’85日本の詩祭」を、八重州・三越ロイアルシアターで開催。H氏賞創設三五周年特集番組が組まれた。第三五回H氏賞は崔華國詩集『猫談義』、第三回現代詩人賞は清岡卓行詩集『初秋の中国で』。新川和江会長より贈賞。また、H氏賞後援者平澤貞二郎に新川会長から感謝状と記念品目録が贈られた。(この記念品は、平澤氏の詩句を刻した銅板を、H型の御影石に埋めこんだ置物で、新川会長が自らデザインしたものであった)。伊藤信吉の紹介スピーチの後、小海永二が「H氏賞の三十五年」と題して記念講演を行なった。次いでH氏賞受賞者七氏―長島三芳、石川逸子、高良留美子、石垣りん、郷原宏、荒川洋治、青木はるみの自作詩朗読。アトラクションは、野村万作、野村万之介、野村武司、野村史高ら野村一門による狂言「船渡聟」(ふなわたしむこ)の上演。
(36)一九八六(昭和六一)年六月三〇日、渋谷・東邦生命ホールで、「’86日本の詩祭」開催。第三六回H氏賞は鈴木ユリイカ詩集『MOBILE・愛』。第四回現代詩人賞は原子朗詩集『長篇詩・石の賦』。H氏賞選考経過を平光善久選考委員長が報告、伊藤桂一会長から贈賞、新川和江が受賞者を紹介した。現代詩人賞については、高田敏子選考委員長が選考経過報告、伊藤会長から贈賞、菊地貞三が受賞者を紹介した。先達詩人は、木下常太郎、渋谷定輔、田木繁(代理出席)で、荒川法勝が三氏の人と詩を紹介し、伊藤会長から敬意をこめた記念品を贈られ、三氏の挨拶があった。アトラクションは、グスタボ・ブジェイロ(ウルグアイ)の詩朗読「ラテン・アメリカの詩」(通訳・嶋谷ゆきえ)、シャクティ(通訳・日高てる)による詩朗読「ギータ・ゴビンダ」(サンスクリット語)、およびシャクティのインド古典舞踊「オリツシイ」、創作舞踊「黎明」。
(37)一九八七(昭和六二)年六月一八日、渋谷・東邦生命ホールで、「’87日本の詩祭」開催。第三七回H氏賞は佐々木安美詩集『さるやんまだ』、永塚幸司詩集『梁塵』。中島可一郎選考委員長が選考経過を報告、伊藤桂一会長から贈賞、井坂洋子が受賞者を紹介した。第五回現代詩人賞は新川和江詩集『ひきわり麦抄』。藤原定選考委員長が選考経過報告、伊藤会長より贈賞し、安西均が受賞者を紹介。先達詩人は高木恭造、土橋治重で、郷原宏が二人の詩業を紹介、伊藤会長が敬意をこめた記念品を贈った。講演は三善晃(桐朋音楽大学学長)「詩と音楽」。
(38)一九八八(昭和六三)年六月一八日、銀座・ガスホールで、「’88日本の詩祭」開催。今回は、鶴岡善久ら六人の自作詩朗読から始められ、次いで吉増剛造の講演「言葉・イメージ・方法・内なる異語」があった。第二部に入り、青木はるみ選考委員長の選考経過報告の後、第三八回H氏賞を上林猷夫会長から真下章(詩集『神サマの夜』)に贈賞、崔華國がその人と詩を紹介した。第六回現代詩人賞は高良留美子詩集『仮面の声』。河邨文一郎選考委員長が選考経過を報告、上林会長から贈賞。新井豊美が受賞者を紹介した。先達詩人への敬意は天野忠、菅原克己(代理出席)におくられ、大野信、阿部岩夫が二詩人についてそれぞれに語った。
(39)一九八九(平成元)年六月一七日、銀座・ガスホールで、「’89日本の詩祭」開催。第三九回H氏賞は藤本直規詩集『別れの準備』、第七回現代詩人賞は安西均『チェーホフの猟銃』。まず、H氏賞選考委員長南川周三が選考経過報告。上林猷夫会長から贈賞。受賞詩集について鶴岡善久が語った。次に現代詩人賞選考委員長原子朗が選考経過報告。上林会長から安西氏に贈賞。菊地貞三がその人と詩について語った。つづいて、中野嘉一、丸山豊の二氏を先達詩人として顕彰。出岡実、川崎洋がその人と詩について語り、両氏が挨拶した。第二部では、秋谷豊構成による立体構成「昭和・詩と詩人の証言」が、石原武、一色真理の進行、佐岐えりぬ、黒岩隆、北畑光男、硲杏子の朗読・ナレーションで行なわれた。これは、昭和の代表的詩グループについてその当事者の一人が証言し、証言と証言とを昭和の名詩の朗読で織り合わせていく「耳で聴く昭和詩史」というべきものであった。証言者は、鈴木亨(「四季」)、藤原定(「歴程」)、土橋治重(開拓移民と詩)、秋谷豊(「純粋詩」)、三好豊一郎(「荒地」)、浜田知章(「列島」)、内山登美子(「日本未来派」)、町田志津子(「時間」)、唐川富夫(「地球」)、川崎洋(「櫂」)、小海永二(見えない詩誌)、郷原宏(今日の詩)の一二人。この内容のすべては録音され、後にカセットテープ二巻、ケース入り、別冊台本付き、二五〇〇円で販売され、好評であった。
(40)一九九〇(平成二)年六月二日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「’90日本の詩祭」開催(この年以来、ダイヤモンドホテルが「日本の詩祭」会場として継続使用されることになった)。第四〇回H氏賞は、高階杞一詩集『キリンの洗濯』、第八回現代詩人賞は、藤原定詩集『言葉』。平林敏彦選考委員長が選考経過報告をした後、秋谷豊会長が高階杞一に賞状と記念品を贈り、鈴木ユリイカが受賞者を紹介した。つづいて、山田今次選考委員長の選考経過報告の後、藤原定に現代詩人賞を贈呈、渋沢孝輔がその人と詩を紹介した。先達詩人は、大木実、大島博光、神原泰、佐川英三、桜井勝美、佐藤朔、山本和夫の七人。小海永二理事がこの七詩人の詩業を紹介した。また、H氏賞第四〇回を記念して、「平澤貞二郎氏への敬意」を表し、秋谷会長から記念品を贈呈、平澤氏が「H氏賞の思い出」を語り、花束を受けた。講演は、原子朗「中国の詩的状況―詩と詩人の存在の意味」。最後に、石垣りんら七人のH氏賞受賞詩人、安西均ら三人の現代詩人賞受賞詩人が自作詩を朗読した。
(41)一九九一(平成三)年六月一日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「創立四〇周年記念、‘91日本の詩祭」開催。第四一回H氏賞は、杉谷昭人詩集『人間の生活』。松田幸雄選考委員長が選考経過を報告し、秋谷会長より贈賞。みえのふみあきが受賞詩人の人と詩について語った。第九回現代詩人賞は、那珂太郎詩集『幽明過客抄』。荒川法勝選考委員長が選考経過報告をし、秋谷会長より贈賞、宗左近が受賞詩集について語った。先達詩人は、杉山平一、故上田静栄の二氏。原子朗が杉山平一について、内山登美子が上田静栄について紹介のスピーチ。つづいて、シンポジウム「これからの現代詩」。一色真理の司会で、小海永二、柴田基孝、新川和江、原子修、平光善久が討論した。アトラクションは、「たのしい童謡・すてきな歌―会員の作品を中心にして」で、作曲・指揮、大中恩、出演は大中恩混声合唱団有志。この時は参加者三五〇名を超えた。
(42)一九九一(平成三)年は、創立四〇周年を記念して、同年四月二八日、地元と共催の「’91岡山の詩祭」も開催された。実行委員長永瀬清子、副委員長山本遺太郎、同吉田研一、事務局長坂本明子。会場は岡山市のまきび会館。秋谷豊会長が開会の言葉を述べ、永瀬実行委員長が歓迎の挨拶をした。「スピーチ+朗読」には、関東、東京、近畿、中国、四国の会員詩人二三名が登壇した。雄壮な「備中神楽」、「詩の会・裸足」同人による群読「岡山おもしろ町」などもあって、興趣をいっそう盛り上げた。会衆二九〇名。なお、翌日は六五名が二台のバスに分乗しての「吉備路めぐり」。井奥行彦、なんばみちこの懇切なガイドにより、吉備の歴史、文学、風光を楽しんだ。
(43)一九九二(平成四)年六月六日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「’92日本の詩祭」開催。第四二回H氏賞は、本多寿詩集『果樹園』。崔華國選考委員長が選考経過を報告し、小海永二会長より贈賞。一色真理が受賞者紹介のスピーチ。第一〇回現代詩人賞は大木実詩集『柴の折戸』。上林猷夫選考委員長の選考経過報告の後、小海会長より大木氏に贈賞。安西均が受賞者紹介のスピーチをした。先達詩人は天野隆一(有馬敲が紹介)、岩瀬正雄(平光善久が紹介)、武田隆子(山本楡美子が紹介)、上林猷夫(石原武が紹介)の四人で、小海会長から顕彰の言葉と記念品をおくられた。アトラクションは、山本健二(バリトン)独唱で、「北原白秋一〇〇年祭に寄せて」。白秋作詩の名曲をはじめ、日本古謡「柴の折戸」、会員の西岡光秋、狩野敏也作詞の曲なども歌われた。
(44)一九九三(平成五)年六月五日、一番町・ダイヤモンドホテルで「’93日本の詩祭」開催。第四三回H氏賞は以倉紘平詩集『地球の水辺』。村田正夫選考委員長が選考経過報告をし、小海永二会長からH氏賞贈呈。安西均が受賞詩集を紹介した。第一一回現代詩人賞は、田村隆一詩集『ハミングバード』、堀場清子詩集『首里』の二冊。秋谷豊選考委員長が経過報告をし、小海会長が両氏に贈賞。田村詩について平井照敏が、堀場詩について川崎洋が紹介のスピーチ。先達詩人としては江間章子(内山登美子が紹介)、山田今次(平林敏彦が紹介)、和田徹三(大滝清雄が紹介)の四人が顕彰された。アトラクションは、歌曲特集「野口雨情生誕一一〇年を経て」。
出演は飯村孝夫(バリトン)、石渡千寿子(ソプラノ)、ユーフォニック合唱団、指揮は西岡文郎、「船頭小唄」「波浮の港」など一〇曲が歌われた。
(45)一九九四(平成六)年六月四日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「’94日本の詩祭」開催。第四四回H氏賞について、斎藤怘選考委員長が選考経過報告をし、高塚かず子詩集『生きる水』に磯村英樹会長が賞を贈り、中本道代がこの詩集を紹介した。現代詩人賞は創設以来初めて「該当作なし」。先達詩人として、相澤等(上林猷夫が紹介のスピーチ)、阿部保(支倉隆子が紹介)、山室静(伊藤信吉が紹介)が顕彰され、三氏(山室氏は夫人が代理出席)が挨拶した。アトラクションは、高塚かず子の詩朗読(中村ヨシミツがギター伴奏)、佐岐えりぬの「先達詩人の詩朗読」。次に中村ヨシミツのギター、大倉正之助の太鼓の独奏があったが、司会者(丸地守)がここで提案。会衆から一人一フレーズの詩を集めて即興の非連続詩を構成するパフォーマンスを実施。朗読・ギター・太鼓のトリオ演奏で、会は大いに盛り上がった。
(46)一九九五(平成七)年六月三日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「’95日本の詩祭」開催。第四五回H氏賞は、岩佐なを詩集『霊岸』。鶴岡善久選考委員長が選考経過報告。磯村英樹会長から贈賞。松永伍一が受賞詩集について紹介のスピーチ。第一三回現代詩人賞は、嵯峨信之詩集『小詩無辺』。岩瀬正雄選考委員長が選考経過報告。磯村会長から嵯峨氏に贈賞。吉野弘が受賞詩集について紹介のスピーチをした。先達詩人として、右原厖、大滝清雄、滝口雅子、福田陸太郎の四氏が顕彰され、賞状と記念品が贈られた。梅木嘉人、寺田弘、高良留美子、石原武がそれぞれ先達詩人について語った。講演は辻井喬「文学の困難な時代」。
(47)一九九六(平成八)年六月一日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「’96日本の詩祭」開催。第四六回H氏賞は、片岡直子詩集『産後思春期症候群』。水橋晋選考委員長が選考経過報告。鎗田清太郎会長が賞状と記念品を贈った。受賞者紹介は野沢啓。第一四回現代詩人賞は、阿部弘一詩集『風景論』。星野徹選考委員長が選考経過報告。鎗田会長から贈賞。嶋岡晨がその人と詩について紹介。先達詩人は上村肇、寺田弘、三ツ村繁の三氏で、鎗田会長から顕彰状と記念品を贈られた。紹介スピーチは、伊藤桂一、上林猷夫、辻井喬。アトラクションは、大和田葉子のフルート独奏、大野一雄・大野慶人による舞踏「天道地道」。いずれも国際的評価の高いものだが、とくに大野父子の舞踏は日本では貴重な公演で、外人の観客が目立った。
(48)一九九七(平成九)年六月七日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「’97日本の詩祭」開催。第四七回H氏賞は、山田隆昭詩集『うしろめた屋』。高橋喜久晴選考委員長が選考経過報告。鎗田清太郎会長からH氏賞が贈られた。受賞者紹介は青木はるみ。第一五回現代詩人賞は、水橋晋詩集『大梟を夫にもった曾祖母』。鈴木亨選考委員長が選考経過報告。鎗田会長が現代詩人賞を贈った。受賞者紹介は中上哲夫。先達詩人は、伊藤桂一、風木雲太郎、河邨文一郎の三氏で、鎗田会長から顕彰状と記念品目録を贈呈した。右三氏については、菊田守、上林猷夫、原子朗が紹介のスピーチ。つづいて、加藤周一、中村真一郎の対談「私たちの世代からみた文学」。次に、古賀力と芳賀千勢子の「シャンソン」。ヴェルレエヌ、ルイ・アラゴン、アポリネール、ポール・フォール、ジャック・プレベールなどの詩曲がうたわれた。なお、「対談」の中村氏はこの年一二月二五日逝去、この日が公衆を前にしての最後の対話になった。
(49)一九九八(平成一〇)年六月九日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「’98日本の詩祭」開催。今回は「ガルシア・ロルカ生誕一〇〇年によせて」がテーマ。第四八回H氏賞は、貞久秀紀詩集『空気集め』。高橋渡選考委員長が選考経過報告をし、長谷川龍生会長が賞状と記念品目録を贈った。森原智子が受賞詩集についてスピーチ。第一六回現代詩人賞は、片岡文雄詩集『流れる家』。高良留美子選考委員長が選考経過報告、長谷川会長が賞を贈った。次いで、斎藤庸一が受賞者とその作品について語った。先達詩人は、鈴木亨、長島三芳の二氏で、長谷川会長から顕彰状と記念品目録を贈呈。鈴木氏について新川和江が、長島三芳について内山登美子が紹介のスピーチをした。第二部では、今回のテーマにもとづき、辻井喬がロルカの時代背景と、講師の紹介を行ない、逢坂剛が「スペインの風土とロルカ」と題して講演。つづいて、ロルカの採譜と伝えるスペイン民謡五曲を、谷めぐみが小川和隆のギター伴奏で歌った。
(50)一九九九(平成一一)年六月五日、一番町・ダイヤモンドホテルで、「’99日本の詩祭」開催。第四九回H氏賞は、鍋島幹夫詩集『七月の鏡』。岩成達也選考委員長が選考経過報告、長谷川龍生会長が賞状と記念品目録を贈った。受賞者紹介は高橋睦郎。第一八回現代詩人賞は、山本十四尾詩集『雷道』。秋谷豊選考委員長が選考経過報告、長谷川会長が賞状と記念品目録を贈り、今辻和典が受賞詩集について語った。先達詩人は、小林武雄、堀内幸枝の二氏で、長谷川会長から顕彰状と記念品目録が贈られた。小林氏について伊勢田史郎が、堀内幸枝について新川和江が紹介のスピーチをした。第二部は、大岡信・杉山平一・長谷川龍生による鼎談「二〇世紀の詩を語る」。参会者三五三名。
(51)二〇〇〇(平成一二)年は、会創立五〇年にあたるので、「日本の詩祭2000」も記念事業の一環として行なわれ、今回はとくに「前夜祭」をも催した。
「前夜祭」は、六月二日午後六時から、一番町・ダイヤモンドホテルのサファイアホールで行なわれた。テーマは「詩と朗読と音楽のハーモニー、そして出会い」。まず、「創立五〇年記念事業実行委員会」運営委員長の秋谷豊が挨拶、日本詩人クラブを代表しての石原武の祝辞、つづいて「日本現代詩人会と私」の「トーク」。元会長の新川和江、磯村英樹の二人に安宅夏夫が、会が若かった頃の秘話、珍話を披露した。次いで会員二〇名の「詩朗読」。とくに日高てる「水ヲクダサイ」は、松本碵之の書芸、福武京子の英訳朗読の三位一体より成る迫力あるもの。長島昇のギターによるオープニング演奏は「希望」。エンディングは「いい日旅立ち」。長島氏長女りささんのバイオリン演奏もあり、エンディングを全員合唱した。会場は気楽なティーパーティ風にしつらえられ、コーヒー、紅茶、サンドウィッチ、ビスケットなどを自由にとることができるスタイル。壁面には、千葉浩志撮影による先達詩人(金子光晴、村野四郎、草野心平、田中冬二、吉田一穂、壺井繁治、井上靖、近藤東、佐藤朔、安西均、高田敏子、犬塚堯)一二名の肖像写真が飾られ、また、「地球」「日本未来派」「火牛」などの主要同人誌三五誌の最近のバックナンバーも展示された。参会者一七二名。
「日本の詩祭2000」本祭は、六月三日、同じダイヤモンドホテルで開かれた。第五〇回H氏賞は、龍秀美詩集『TAIWAN』。以倉紘平選考委員長が選考経過報告。長谷川龍生会長より賞状と記念品目録を贈呈。柳生じゅん子が受賞者の人と作品について紹介。次に、台湾と日本の血をもつ受賞者が、その心情と詩との深い関わりを語った。第一八回現代詩人賞は、岩瀬正雄詩集『空』。水橋晋選考委員長が選考経過報告。長谷川会長から賞状と記念品目録を贈呈。次に受賞者挨拶。九二歳の岩瀬氏の衰えぬ烈々たる詩と愛についてのスピーチは胸に迫るものがあった。第二部は特別企画のシンポジウム「現代詩五五年の証言――日本の詩人が見えてくる」で、出演は秋谷豊、大岡信、長谷川龍生、中村稔、鎗田清太郎(司会)。それぞれの詩の出発から始まり、戦後の代表的詩人たちを俎上に、具体的かつ率直な議論が展開された(この全記録は本書に収載)。このシンポジウムの中間に、「劇団とらばとーる」メンバーによる代表的詩人たちの詩朗読があった。とりあげられた詩人は、西脇順三郎、金子光晴、丸山薫、北川冬彦、村野四郎、小野十三郎、草野心平、石原吉郎、鮎川信夫、田村隆一、吉岡実の一一名。入場者三二〇名。
なお、この年には、「創立五〇年記念 日本の詩祭2000大阪」も一〇月八日、九日の両日、東心斎橋・暫(しばらく)ホールで、開催が予定されていた。第一日は辻井喬の講演、および、「戦後詩五〇年のあゆみ」のテーマで、関西、北陸、中国、四国、九州、沖縄の地域別展望を行なう。第二日は、「各地交流・発信」、山本哲也の小講演、地域グループ別の朗読が行なわれる。
(52)二〇〇一(平成一三)年六月二日、東京・ダイヤモンドホテル・ダイヤホールで「日本の詩祭2001」を開催(実行委員長菊地貞三)。第五一回H氏賞は、森哲弥詩集『幻想思考理科室』。丸地守選考委員長が選考経過を報告、長谷川龍生会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて受賞者森哲弥の人と作品について藤野一雄が語り、受賞者森哲弥は受賞の言葉を熱っぽく語った。また第一九回現代詩人賞は、以倉紘平詩集『プシュパ・ブリシュティ』。原子朗選考委員長が選考経過を報告、長谷川会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて伊藤桂一が、受賞者の詩業の意味と重さについて語り、受賞者以倉紘平は、今日的問題意識について語り受賞のことばとした。先達詩人は、小山正孝、一丸章の二氏で、長谷川会長から顕彰状と記念品目録が贈られた。小山正孝氏については新川和江が、一丸章氏については柴田基孝が紹介のスピーチをした。その後小山正孝氏、一丸章氏から謝辞が述べられた。
第二部は、槇小奈帆さんによるミニ・コンサート。すべて自作の歌詞でうたう「生命のドラマ」は会場を魅了した。参会者は三四〇名であった。
(53)二〇〇二(平成一四)年六月一日、東京ダイヤモンドホテル・ダイヤホールで「日本の詩祭2002」を開催。(実行委員長比留間一成)第五二回H氏賞は、松尾真由美詩集『密約――オブリガート』。林立人選考委員長が選考経過を報告、木津川昭夫会長から賞状と記念品目録が贈られた。続いて受賞者松尾真由美の作品について野村喜和夫が語り、受賞者松尾真由美は「H氏賞の重みを胸にしっかりと受けとめる」と語った。また第二〇回現代詩人賞は、粒来哲蔵詩集『島幻記』。長谷川龍生選考委員長が選考経過を報告、木津川会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて粕谷栄市氏が幼少期からの友として人と作品について語り、粒来哲蔵氏の受賞のことばがあった。先達詩人は、日高てる、那珂太郎の二氏で、木津川会長から顕賞状と記念品目録が贈られた。日高てる氏については、辻井喬が、那珂太郎氏については高柳誠が、それぞれ詩人の特質と業績を語り、その後日高てる氏、那珂太郎氏から謝辞が述べられた。
第二部は、劇団民芸の入江杏子氏による受賞者の詩の朗読があり、詩の朗読の間奏、伴奏を尺八で、大嶋彰氏(滋賀大学教授)が演じた。つぎに「中国伝統曲と日本歌曲」と題してミニ・コンサートが催された。出演者は東京芸大講師でベルリンの交響楽団で活躍した二胡の名手姜建華氏、同じく芸大講師でラストエンペラーで独奏した中国琵琶の名手揚宝元氏、同じく芸大講師の青山恵子氏であった。参加者は二八二名であった。
(54)二〇〇三(平成一五)年六月七日、東京ダイヤモンドホテル・ダイヤホールで「日本の詩祭2003」を開催(実行委員長山本十四尾)。第五三回H氏賞は、河津聖恵詩集『アリア、この夜の裸体のために』。西岡光秋選考委員長が選考経過を報告、木津川昭夫会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて受賞者河津聖恵の人と作品について新井豊美より語られ、受賞者河津聖恵から受賞の言葉が述べられた。また第二一回現代詩人賞は、木村迪夫詩集『いろはにほへとちりぬるを』。鎗田清太郎選考委員長より選考経過を報告、木津川会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて高沢アキ氏が受賞者の人と作品を語り、受賞者の言葉があった。先達詩人は、相田謙三氏、秋谷豊氏で、木津川会長から先達詩人への敬意のことばと顕彰状、記念品目録が贈られた。続いて相田謙三氏については、菊地貞三が、秋谷豊氏については新川和江がそれぞれに、詩人の業績と詩について語られ、相田謙三氏、秋谷豊氏から謝辞が述べられた。
第二部は、H氏賞、現代詩人賞ともに受賞者自身が作品を朗読。相田謙三氏の作品を比留間一成が、秋谷豊氏の作品を鈴木豊志夫が朗読した。続いて、ミニコンサート「シャンソンをあなたに」が催された。出演者は中・四国の各地でシャンソン教室を主宰しながら各地でリサイタルを開催している日高摩梨氏で、九曲を熱唱し、最後にアンコールにこたえて「詩人の魂」を歌い拍手は鳴り止まなかった。参加者は三二二名であった。
(55)二〇〇四(平成一六)年五月二九日東京ダイヤモンドホテル・ダイヤホールで「日本の詩祭2004」を開催(実行委員長川島完)。第五四回H氏賞は、松岡政則『金田君の宝物』。斎藤正敏選考委員長が選考経過を報告、菊田守会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて受賞者松岡政則の人と作品について倉橋健一が「受賞はこの詩人にとって新たな展開への通過点である」と語られ、受賞者から受賞のことばが述べられた。また第二二回現代詩人賞は時里二郎『翅の伝記』。藤富保男選考委員長より選考経過を報告。菊田会長より賞状と記念品目録を贈呈。受賞詩集『翅の伝記』について高柳誠が「音楽的文体であることや次の課題など」について語り、続いて受賞者時里二郎より受賞の言葉が述べられた。先達詩人は、磯村英樹氏と清岡卓行氏で、菊田会長から先達詩人への敬意のことばと顕彰状、記念品目録が贈られた。(清岡氏は病気欠席のため理事が代理をつとめた)続いて磯村英樹氏については森田進が、清岡卓行氏については那珂太郎が、それぞれに、詩人の業績と詩について語られ、磯村英樹氏から謝辞が述べられた。
第二部は、H氏賞、現代詩人賞受賞詩集の朗読があり、続いて「ミニ・コンサートと朗読」では、JINMO氏の既存のカテゴリーでは分類できない無伴奏ギター独奏。それに佐岐えりぬ、鈴木東海子の朗読が加わり詩祭を盛り上げた。参加者は三三六名であった。
(56)二〇〇五(平成一七)年五月二八日ホテルラングウッド(日暮里駅前)で創立五五周年記念「日本の詩祭2005」を開催(実行委員長こたきこなみ)。第五五回H氏賞は、山本純子詩集『あまのがわ』。望月昶孝選考委員長が選考経過を報告、菊田守会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて受賞者山本純子の人と作品について小柳玲子が「子供ミュージカルの活動家でもあり、平易な言葉で詩に結晶させた」と語られ、受賞者から「身が引き締まるというより身が縮む思いがした」など受賞のことばが述べられた。また第二三回現代詩人賞は平林敏彦詩集『舟歌』。選考経過報告は欠席の安藤元雄委員長に代わって辻井喬が行った。菊田会長より賞状と記念品目録を贈呈。受賞詩集『舟歌』について野村喜和夫が「詩集には静謐な印象がある。死の影、死についての考えが書かれている」と語り、続いて受賞者平林敏彦より「受賞のあと死ぬ、か、死なせてもらえないということがある」などユーモアを混じえて受賞の言葉が述べられた。先達詩人は、黒田達也氏と宗左近氏で、菊田会長から先達詩人への敬意のことばと顕彰状、記念品目録が贈られた。続いて黒田達也氏について新井豊美が、宗氏については朝倉勇が、それぞれ詩人の業績について語られ、黒田氏は映画の魅力とそれらからの影響について語り、宗氏は会報98号に寄せた一文を朗々と朗読、謝辞を述べられた。
第二部は、井上ひさし氏の記念講演で、演題は「ことばの力」。井上氏が学生時代体調を崩して釜石の母親の元に帰り、図書館でアルバイトをしてた折り、黄表紙と出会う。黄表紙を読んでいるうちに夢中になってしまう。奇想天外な筋、機知とユーモアに満ちた表現に目からウロコの思いがした。と日本語の奥深さを語った。そのあと、H賞受賞者の山本純子、現代詩人賞受賞者の平林敏彦の詩の朗読があった。参会者は二九六名であった。
(57)二〇〇六(平成一八)年六月三日ホテルラングウッドで「日本の詩祭2006」を開催(実行委員長丸地守)。第五六回H氏賞は、相沢正一郎詩集『パルナッソスへの旅』。甲田四郎選考委員長が選考経過を報告、安藤元雄会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて受賞者相沢正一郎の人と作品について水野るり子が「この詩集はいろいろな読み方が可能な貴重な収獲」と語られ、受賞者から「詩は作者が一人で書くものではなく、読者との共同制作でもある」など受賞のことばが述べられた。また第二四回現代詩人賞は藤井貞和詩集『神の子犬』。選考経過報告は平林敏彦選考委員長。安藤会長より賞状と記念品目録を贈呈。受賞詩集『神の子犬』については鈴木志郎康氏が「できあがった詩は抜け殻であり、抜け殻は現場を見たい、本人に会いたいという気にさせる。藤井氏の詩はその好例である」などと語り、続いて受賞者藤井貞和より「古代アジアで書かれた詩のリズムと日本の歌謡のこと、自由詩であるゆえに不自由なことをやってみたり、実験をやってみたりした。困惑させるような厄介な詩集を暖かく迎えて下さった」などと受賞のことばを述べられた。先達詩人は、井上俊夫氏と鎗田清太郎氏で、安藤会長から先達詩人への敬意のことばと顕彰状、記念品目録が贈られた。続いて井上俊夫氏について長谷川龍生が、鎗田清太郎氏については辻井喬が、それぞれ詩人の業績について語られ、井上氏は「酔生夢死の人生だったが、これを励みとして計画中の仕事を完成させたい」と述べ、鎗田氏は「私の作品は少ない。『資料・現代の詩』(2001)出版の縁の下の役をやった。詩的とは非日常性にとどまらず、幻想性から日常を逆照射するもので、伝達性こそ重要である」と述べ、それぞれ謝辞を述べられた。
第二部は、上林真理さん(故上林猷夫氏の三女)のフルート独奏ではじまり、受賞者相沢正一郎、藤井貞和の詩の朗読。最後に記念講演は「地中海から」と題して、作家の小川国夫氏。かつて地中海を単車で走ったときの体験―「島でエトナ山が目前に現われたときは驚いた。その大景観とともに、エンペドクレスは忘れがたいものとなった。シュペルヴィエルはそこにつながり、彼の詩を勉強してきた。」作家らしい機知と感性に富んだ〝変身譚〞は盛んな拍手を浴びた。参会者は二九六名であった。
(58)二〇〇七(平成一九)年六月一〇日ホテルメトロポリタンエドモントで「日本の詩祭2007」を開催(実行委員長八木忠栄)。第五七回H氏賞は、野木京子詩集『ヒムル、割れた野原』。佐藤文夫選委員長が選考経過を報告、安藤元雄会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて受賞者野木京子の人と作品について吉田文憲氏が「生と死を繰返す連鎖の中に天体というものがあり、故郷があるといった啓示のように降りてくる詩人の声」と語られ、受賞者からは「不在の人の影や気配を身近に引き寄せ感じたくて詩を書いてきた」など受賞のことばが述べられた。また第二五回現代詩人賞は小長谷清実詩集『わが友、泥ん人』。選考経過報告は原子朗選考委員長。安藤会長より賞状と記念品目録を贈呈。受賞詩集『わが友、泥ん人』については八木幹夫が「実像と虚像とを確とみつめ、自らを虚数と位置づけ、逆にいまを生きている現実をみつめ、感じさせてくれる」などと語り、続いて受賞者小長谷清実は「一九七七年にH氏賞をいただいたとき〝途方に暮れた、幸運だった〞と呟いたが、今回も同じ気持。詩が私をつくってきた」と受賞のことばを述べられた。先達詩人は、斎田朋雄氏と島朝夫氏(上平紗恵子氏が代理)で、安藤会長から先達詩人への敬意のことばと顕彰状、記念品目録が贈られた。続いて斎田朋雄氏について川島完が、島朝夫氏について比留間一成がそれぞれ詩人の業績について語られ、斎田氏は「私は地方の詩人の一人でしかない。重く意味のある顕賞と受けとめている。九三歳だが、愚直に弱者の地点で活動したい」と述べられた。島氏の場合は代理の上平沙恵子さんが島朝夫氏のメッセージを代読された。
第二部は、「長講一席 小沢昭一的こころ」と題した小沢昭一氏の記念講演。話は軽妙洒脱、ユーモアといい、シンボライズするところといい示唆に富んでいて、終始爆笑の渦を巻き込み盛んな拍手を浴びた。懇親会では、H氏賞創設者平澤貞二郎氏のご子息(協栄産業㈱会長)平澤照雄氏が臨席され、ご挨拶の中で、H氏賞への今後のご協力、日本現代詩人会への影ながらのご援助、H氏賞関係資料の充実を期したいなど、有難いお言葉をいただいた。参会者二五六名。
(59)二〇〇八(平成二〇)年六月一五日ホテルメトロポリタンエドモントで「日本の詩祭2008」を開催(実行委員長八木幹夫)。第五八回H氏賞は、杉本真維子詩集『袖口の動物』。泉谷明選考委員長が選考経過を報告、大岡信会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて受賞者杉本真維子の人と作品について小池昌代は「主語のない胴体だけの詩である行がいくつかある。苦しみと予感の詩集で普遍的なものを書いている」と語られ、受賞者からは「人間として生きていくことと詩人として生きることとの折り合いの仕方について、低い位置から物をみること、愛に対して目をひらいておくこと」など、これからの抱負を述べられた。また第二六回現代詩人賞は、小柳玲子詩集『夜の小さな標』。選考経過報告は長谷川龍生選考委員長。大岡会長より賞状と記念品目録を贈呈。受賞詩集『夜の小さな標』については鶴岡善久が「現実世界とうまく折合いができない詩人の、一種の欠落感が詩に向かわせている」などと語り、続いて受賞者小柳玲子は「カレンダーに今日という日を大きく印をつけて迎えた」などと会場を笑わせつつ虚と実の世界との関係性という詩人のスタンスをさりげなく述べ受賞のことばとした。先達詩人は、内山登美子氏、難波律郎氏、そして原子朗氏で、大岡会長から先達詩人への敬意のことばと顕彰状、記念品目録が贈られた。続いて内山登美子氏について新川和江が、難波律郎氏について平林敏彦が、原子朗氏について葵生川玲がそれぞれ詩人の業績について語られ、内山氏は、「若い時代の詩友の戦死について触れ戦争の渦に投げ込まれた時代」を語った。また難波氏は、「昭和一八〜二三年の五年間、シベリヤに抑留され、復員後横浜の兄の会社に入りながら『今日』という詩雑誌を出し、ここに多くの詩を書いた」と語った。そして原子氏は「多くの秀れた先輩を戦争で喪った。一九六〇年代から未来が見えない。堪忍に堪忍を重ねた。旧約のヨブ記は堪えに堪えた世界、それが難儀の喜びに変わる世界を示している」とジョークを交えながら語った。
第二部は、赤坂憲雄氏による『文学と民俗学のあいだ』と題した記念講演。「近年は何でも国民国家論で片付けられた。村が終りつつある「限界集落」と名付けられた村の痛み、悲しみ、記憶というもの、――真のありのままの記憶はもはやない」と力説された。アトラクションは、吉川よしひろ氏による「一人チェロの世界」。参会者三三一名。
(60)二〇〇九(平成二一)年六月二八日ホテルメトロポリタンエドモントで「日本の詩祭2009」を開催(実行委員長麻生直子)。
第五九回H氏賞は、中島悦子詩集『マッチ売りの偽書』。前原正治選考委員長が選考経過報告、大岡信会長より賞状と記念品目録を贈呈。続いて受賞者中島悦子の人と作品について井坂洋子より「地道に積み上げてきたものがこの詩集に結晶した。そこで運も呼び込めた。今後の活躍が楽しみ」と語られ、受賞者からは「『社会混迷の時代、ポストモダン以降の現代詩がどうあらねばならないのか、いつもひっかかっていました。そこで自分の詩は今までの作品を含め粉々にして断片にしました。時代の荒みを引き受け、言葉の業火を燃やしながら生きる。その混合の形が、文体そのものとなっていきました」と語り、受賞のことばとした。また第二七回現代詩人賞は、辻井喬『自伝詩のためのエスキース』。選考経過報告は原子修選考委員長。大岡会長より賞状と記念品目録を贈呈。受賞詩集『自伝詩のためのエスキース』については粟津則雄氏が「〝柔軟で頑固である詩人〞〝まごまご読んでいると、我々みんなから影を奪い去ってしまうようなかたちで書いている詩集〞」と評された。また受賞者からは「まさか賞の対象になるとは思わなかった。同時代の男たちがたくさん死ななかった時代に生き、かつ国が敗れて滅びたのに生き残ったことからの罪障感からの解放があった」などと自己を振り返り謙虚に受賞のことばを語った。先達詩人は、中正敏氏、平林敏彦氏、御庄博美氏で、大岡会長より先達詩人への敬意のことばと顕彰状、記念品目録が贈られた。続いて、中正敏氏については原子朗が、平林敏彦氏については長谷川龍生が、御庄博美氏については長津功三良が、それぞれ詩人の業績について語られ、中氏は(南浜伊作氏が代理で)御礼の挨拶を読み上げ、つぎに闘病中で来られなかった御庄博実氏の代りに「お詫びと御礼の言葉」を長津功三良が読み上げた。また平林敏彦氏は「昨年、これが最後のつもりで書いた(『戦中戦後・詩的時代の証言』)の出版がきまった直後に、現代詩人会からのお知らせがあった。顧りみて恥ずかしい限りだ。同世代の詩人たちの多くがすでに他界している。それらの亡霊におまえは生き残って何をしたかと問われるのは辛い。先輩諸氏からの熱い励ましと心得て顕彰を受けることにした」と謝辞を述べた。
第二部は、受賞者の詩の朗読ではじまり、そのあとギタリスト兼古隆雄氏による「クラシックギターの贈りもの」と題して〝禁じられた遊び〞など六曲を演奏した。記念講演は北海道釧路市出身のチカップ美恵子氏による「経済社会と民俗文化」と題した伝承文化の継承と表現――を中心に、アイヌのことをやってきて、人は対等であるということをしっかりと思えるようになってきた――など、ご自身が白血病と闘いながらの心の叫びを力強く語られ、万場を熱くした。参会者は三一三名。
詩画展
「詩画展」の第一回は、一九五四(昭和二九)年八月、銀座・松屋デパートで開かれ、丸木位里、赤松俊子、高橋忠弥らの著名画家も協力出品、田中冬二、壺井繁治が即席色紙揮毫も行なった。第二回からは田村町・美松画廊で、毎年末に開催。第二回には、猪熊弦一郎、池田満寿夫、駒井哲郎、鶴岡政男らと詩人との共同制作品も展示された。第三回は、「モダン・フォト」の福田和彦、中村正也、大竹新助、中村立行、浜谷浩ら第一線写真家との共同制作品が展示された。この美松画廊での「現代詩画展」は第一五回(一九六八・一二・二三〜二八)をもって終り、第一六回からは、会場を新宿・紀伊國屋画廊に移した。この時(六九・一二・二七〜三〇)は、井上靖、尾崎喜八、金子光晴、丸山薫、山之口貘、田中冬二などの会員が、書のほかに絵画・陶器・彫刻などの多彩な作品を出品し、また石川達三、加藤楸邨、北原白秋、高村光太郎、高田博厚、中村草田男、丹羽文雄、町春草らが色紙を賛助出品したので、入場者三〇〇〇名を越える盛況を呈した。その後、年末の行事として第一九回(七二・一二・二四〜二八)まで続行した。しかし、マンネリ化の傾向も出てきたので、その後は記念行事などとして適時実施するようになった。
一九九一(平成三)年一月一四日から一九日まで、新橋・くらまえ画廊(蔵前工業会館二階)で開催の「’91現代詩画展」は、創立四〇周年記念三大行事の一つとして企画・実施された。出品は、作品(書・画・写真・造形等)六四点、肉筆詩稿四四点で、ほかに詩集、詩誌約二〇点であった。企画・運営は原子朗を運営委員長とし、一色真理、小柳玲子、藤富保男の三名を運営委員として行なわれた。入場者約五〇〇名。
二〇〇〇(平成一二)年五月二九日から六月四日まで、アート・ミュージアム・ギンザで、「創立五〇周年記念詩画展」が開催された。会場立地は東京の一等地、画廊は広大で、展示物にいっそうの光彩を添えた。会員一一一名からの出品があり、展示品目は、色紙、軸物、原稿をはじめ、油彩画、水彩画、パステル画、革絵、版画、板刻、写真と詩のパネル、コラージュ、陶芸品と多彩を極めた。また、とくに「物故詩人コーナー」を設け、天野忠、安西均、石原吉郎、犬塚堯、小野十三郎、草野心平、西条八十、佐川英三、高田敏子、田中冬二、西脇順三郎、平澤貞二郎、堀口大学、真壁仁、村野四郎、山本太郎ら一六物故詩人の遺墨を展示した。この詩画展は新川和江実行委員長、朝倉勇、岡島弘子、新藤凉子、鈴木ユリイカ、林立人らの実行委員の企画・準備・運営によって実施され、入場者一〇〇〇名を越える成功をおさめた。
会計・会報
本会の歴史を会計面から見ると、次のようになる。
現代詩人会としての第一回総会、一九五〇(昭和二五)年一二月一六日の時点では、会員数四三名、収入・支出額は一万五二〇〇円。その一〇年後、六〇(昭和三五)年度総会(六一年六月二五日)における決算報告では、会員二一九名、収支額五四万三一五一円であった。二〇年後にあたる七〇年(昭和四五)年度総会(七一年七月二八日)では、会員三八〇名、収支額一七〇万四一〇一円。八〇(昭和五五)年七月二六日の総会報告では、名誉会員五名、会員四九二名、収支額は八四〇万六二二八円。さらに四〇年後の九〇(平成二)年度総会(九一年七月八日)報告では、名誉会員六名、会員七二七名。収支額は、一般会計一九一三万二〇二七円、特別会計一〇〇四万一六八一円、計二九一七万三七〇八円であった。「特別会計」とは、「公益信託現代詩人賞澤野起美子基金」(一九八五年四月三〇日創設)の創設以前に澤野氏から寄せられていた寄付金を、別会計として手つかずにプールしておいた金額である。この特別会計は貸付信託、普通預金として信託銀行に預けられ、一五年にわたって温存されてきたが、創立五〇年記念事業の資金としてはじめて使用されるようになった。
最近の会計状況は、二〇〇九(平成二一)年八月二三日に行われた二〇〇九年度通常総会による二〇〇八年度決算報告に示されている。これによると、総会当日の現況として、名誉会員五名(この日の総会で名誉会員に決まった寺田弘を含む)、会員一、〇〇〇名。前年度よりの繰越金三三、二〇五、一〇三円。今年度入金一六、五六三、二五三円。今年度支出一四、一九六、一八九円。次年度への繰越三五、五七二、一六七円であり、特別会計(事務合理化及び記念事業積立金)一四、五七二、四九六円であった。
年会費は一九六〇(昭和三五)年より一〇〇〇円、六四(昭和三九)年より一二〇〇円、七一(昭和四六)年より二四〇〇円、七二(昭和四八)年より三〇〇〇円、七七(昭和五二)年より五〇〇〇円、八三(昭和五八)年より八〇〇〇円、九七(平成九)年より一万円となり、現在にいたっている。また、九七年より「維持会費」を創設した。これは年会費のほかに「会員の自由意志による」寄付金を求めるとした規定(第一二条)で、一口一万円以上とした。これによる納入状況は予想以上に良好で、会の財政改善に大きく寄与している。
「会報」は、現代詩人会発足当初は、北川冬彦幹事長自らペンをとり、謄写版刷りで発行されていたが、やがてタイプ打ちの謄写印刷となり、一九七一(昭和四六)年度よりは、活版印刷による葉書会報となった。この葉書会報は年間一〇号出されたこともあり、速報性にはすぐれていた。しかし、会員の増加にともない会の情報量も大きくふえたので、一九七七年、「昭和五二年九月一〇日発行」を「新1」とするB5判コート紙四〜八頁を基本とする会報を発行するようになった。この発行に踏み切ったのは、小野十三郎会長、上林猷夫理事長による理事会である。この「新」会報は二〇年間「新68」までつづいたが、九七(平成九)年八月発足の理事会によって、「新」の字を削除された。すなわち、長谷川龍生会長、菊田守理事長、葵生川玲会報担当理事の時に、題字を色刷りとした現行タイプになった。現時点での最新号は二〇〇九(平成二一)年七月二〇日発行№「一一五」で第59回H氏賞中島悦子詩集『マッチ売りの偽書』、第27回現代詩人賞辻井喬詩集『自伝詩のためのエスキース』の受賞関係記事。及び先達詩人中正敏、平林敏彦、御庄博実三氏の顕彰記事等の掲載で、一二頁建てとなっている。
現在毎年末に発行している『会員名簿』も、おおむね「会報」と同じような変化、つまり謄写―タイプ―活版―電算植字。ペラ紙―半紙綴じ―小冊子へと変ってきた。
現在のようなB6横判形式になったのは、一九六三(昭三八)年一二月発行のものからである。
結語
日本現代詩人会(一九五〇年発足当時は「現代詩人会」と称す)は、二〇一〇年一月を以って創立六十年を迎える。
創立当初のことは、本書「現代詩人会の創立と歴史」に詳細に述べられているので改めて触れないが、四三名の錚錚たるメンバーによって立ち上げられ、当初会則第五条の「本会の会員は創立の際に参加した四三名を基幹とする」といった極めて厳正な姿勢を堅持されてきたことを、今日の会員である私達は、改めて心の衷に銘記すべきであると考える。
それからH氏賞は、会の創立満一年を経て、平澤貞二郎氏の積極的な好意と支援によって設立され今日に至っている。そして受賞者は六四名に及んでいる。このことが、何を意味するかは、もはや語るべくもなく偉大なことであり、平澤氏に対する敬意を改めて申し添えたいと思う。
さて、現在の会員数は、一、〇〇五名(二〇〇九年八月総会時)に達した。年々、多少の変動はあるものの、物故者あるいは退会者と新入会員の数がほぼ近似して推移していくものと考えられる。従って収支についても、年々余剰金を加算しているのであるが、これは一〇年ごとの記念事業である「詩祭」及び『資料・現代の詩』の刊行、そして〝事務合理化への道〞への予算に組み入れられ、健全な事業運営の礎となるものと考える。
活動に於いては、年一回の会員総会を中心に、「日本の詩祭」、「東日本ゼミナール」(年間二回)、「西日本ゼミナール」(年間二回)、地域詩人団体主催のゼミナールに対しての講師派遣、ささやかながらも援助金交付を行っている。「国際交流」も遂次行っている。「会報」の発行は、年四回が定着したばかりでなく、頁数も12頁乃至は16頁になって、各催事の内容を深く盛り込むように発展してきた。さらにまた、「H氏賞」「現代詩人賞」「先達詩人の顕彰については、これまで嵯峨信之氏が主宰する「詩学」にその内容を特集していただいていたが、詩学社の都合によって、会が独自で特集冊子をつくり発行した。「二〇〇二」「二〇〇三」がそれであり、その後四年間、また「詩学」がその特集を行ったが、再び「詩学」廃刊により、『現代詩二〇〇八』『現代詩二〇〇九」を日本現代詩人会の事業の一つとして発行することに至ったのである。この四冊は、理事会の決定により、奇しくも丸地が編集責任者として携わることとなった。
総じて、この六〇年間、先人たちが作品活動を中心に歩んできた足跡を顧りみるとき、その歴史と実績は、重く私たちに引き継がれており、感慨深いものがある。そして、一〇年前、鎗田清太郎氏が『資料・現代の詩2001』で長期に亘って全力を傾注したこと、さらに遡って、当時の理事会が、創立三〇年時に、これを企画し、発行したことに対し、その並々ならぬ労筆に深く感謝の意を表したい。
ここに、微力ゆえに多少の気掛りを残しつつも、この稿を終えたいと思う。