井坂洋子氏 講演『新しい詩』
井坂洋子氏 講演『新しい詩』
私は中原中也賞の選考委員を長年担当していたのですが、それも去年で終了し、今年からユリイカの投稿詩選者を担当。演題の「新しい詩」の概念は難しいので、新しい書き手の詩を五篇取り上げて私目線で新しい詩に触れたいと思います。
講演資料にある五篇中、最初の二篇は、ユリイカの入選作です。
⑴作品「日々を泳ぐ」 赤澤玉
この詩について、私は選評でこう書きました。
「水温が飛び込み競技の美しさを描いた気持ちは、飛び込んだ後の水中の静けさと天気雨や霧雨に傘をさして歩く静けさを二重写しにしている。」
このタイトルは、分かりやすいタイプでつまらないと思ったのですが、日々を泳ぐこと、つまり 日々を繰り返すことを飛び込みを繰り返すことになぞらえる二重写しになっている。選評で天気雨と霧雨に傘をさして歩く静けさと飛び込んだ後の静けさを二重写しにしていると書きましたが、そこに日々を繰り返すっていうことになると三重写しになる複雑な詩です。投稿詩を見て良いと思う詩は複雑な構造を持っています。主体や視点の移動とか入れ子構造になっていたり、三重写しになっていたりです。この詩は最初の二行が嗅覚から書いていて感覚や生理から入っていくので詩の中心にスッと入り、理屈っぽくならないのです。
二連目は飛び込む人の内側から描いていますが、村野四郎さんの体操詩集の飛び込みを思い出してみますと焦点のあて方に違いを感じます。
三連目では人生みたいなところに詩が入っていて、ちょっと難しい言葉が出てきますが、「たくさんの指跡でなぞらえた体」も、どういうことか考えてしまう。
「多くの人がそうやって雨の日に霧を食し/明日に対して遠視だった」と、これも難しい二行。この遠視というのは見えないのではなく、明日までは見え、その先はどうなのかを書いてない。赤沢さんは、そういうこと書いているのでしょう。一日、一日の最後に目を向けて、「日暮れになると睫を伏せる」というフレーズも綺麗で慎ましやかで美しい。
飛び込みを日々を過ごしていくことになぞらえた詩の良さというのは、高いところから水中に潜るという、その落差という深々としたところがある。作者は一日一日は、冒険だという意味で書いたのかな、と思いました。
⑵作品「表」 栫伸太郎
この詩は面白く、一行目の「短い航路には短い眠りしか入らない」と書いています。普通だったら短い航路では少ししか眠れない。あるいは 短い眠りってフレーズを使いたいならば、短い航路には短い眠りしか得られない、ですよね。「入らない」という独特な言い方は、ある情報を表すような言い方ですね。とにかく 主人公は三階建てフェリーに乗り、青い椅子に腰掛けています。大きな島が近づき、フェリーは影にすっぽり包まれる。
一連目に難しい言葉はありません。けれども、あれっと思ったのは顔の筋肉、顔の皮膚を少し縮めて目を開くという表現。目を開けるのに顔の皮膚を少し縮めてなんて言い方を普通はしません。詩的でもないし、おかしな言い方です。でも、それがこの詩人の特徴なんですね。自分という生物に感知される環境の要因に目を凝らしています。また、自分自身も外観によってどういうふうに変化するか、そこに目を凝らしています。こういう書き方はあまりなく、すごく現代的です。
でも、この表という詩は割と真っ当な詩でして、二連目も対岸ははっきり見えますが、陸地は海によって切り分けられて、向こうから続いている時間は船の上にいたことによって切り分けられている。切り分けられているという言い方が意外に正確な言い方じゃないかなと思います。そして「船はまわるように往復する/まわることは自らを追うこと」というアフォリズムめいた行もなるほどと思いますが、この詩人にしては珍しいタッチです。アフォリズムが詩だといった詩人もいます。やっぱり何か自分で発見するっていうか、何かを掴んだと思った時にそれを短い言葉で書く詩人も多いと思います。私もそういうことしますが、それをした途端に詩は理屈っぽくなります。だから、本当はアフォリズムじゃなく 掴んだことをぐるっとまわって書いた方がいいんじゃないかなと思う。でも、そういうアフォリズムは詩の柱にもなるから、その書き手が掴んだ発見がすごくいい場合は、その二行なり三行が起ってきます。それが詩を支えます。だから、アフォリズムが詩だというのは言い過ぎと思いますが、アフォリズムめいたこと、自分が掴んだことを詩の中に書くっていうのはそれで有りです。永瀬清子さんは、まず自分が掴んだことを一行目から書けといっています。二行目も掴んだことを書けという。詩以外に自分の発見みたいな「短章集」として残してらっしゃるんですけど、私は今でもそれを読んでみたりします。
⑶作品「今のいどころ」高橋千尋
高橋千尋さんは絵描きであり、言葉の人でもあり、十年位前の詩画集からの詩です。千尋さんに「ナクチャ」の意味を聞きますと、〝これは勉強しなくちゃとか 学校に行かなくちゃのなくちゃです〟という。だから下敷きになってしばらくここにいる。しばらくここにいるってことはつまり、それが生きていることで全然いるということですけれども、なくちゃって、なくなっても困るんですよね。投稿詩にも短い詩が多いですが、思いつきで書いたものは面白くない。短いなかにも情景が広がる、あるいはなるほどすごいことを言うなという心理が書かれているものに釘付けとなるのですが、そんな詩は少ないです。短い詩で有名なのは「蝶々が一匹 韃靼海峡を渡っていった」という安西冬衛さんの「春」という綺麗なイメージの詩や北川冬彦さんの有名な「馬」、最近ではまどみちおさんの「するめ」がとても好きな詩です。
⑷作品「シーラカンスのような」猪狩初子
私は二十年間、中原中也賞の選考委員をしていて、受賞した詩集というのは、①時代と交錯しているところが必ずある②詩のお化けみたいなものに輪郭をちゃんと描いている③新鮮な詩が起っているものです。しかし私自身の心に落ちる詩は別です。猪狩初子さんの「理髪店の憂鬱」は、中也賞の候補作ですが、すごく好きで自分の詩の基礎みたいなものにしています。
人物象の色付けが上手で、床屋さんの孤独感を書いているのですが、そこに主人公の横顔や華やかなものを断つ軽みみたいなものと、その自然体が表している深さみたいなものが絶妙に混じり合っている詩になっています。私自身は割と暗い詩が多く、やっぱり軽みは、とても上質なものです。若い時はゴリゴリに暗く書けば、詩に重みがでるんじゃないかという野暮な考えだったんですが やっぱり軽みみたいなものは絶対必要です。
作品「シーラカンスのような」は詩集「理髪店の憂鬱」にある詩。湿った砂です。語り口調で多分私が私に語っているんでしょうが、そう解釈するとつまらない。やっぱり語りって謎めいた存在です。これは砂浜に立っている自分だって塔みたいなもの。だから、もしかして自分を気づきたかったのかもしれない。それでぱっと下を見ると偏平足の足に繫がっている。これは、多分 「扁平足の足と繋がっている私が」っていうことなんでしょう。私がパレットナイフで塔を削るということは、そういうことだと思うのですが、この扁平足がこの詩を動かしていると思います。こういう身近な言葉、感覚的な言葉は詩にリアリティをだす要素で、この詩は扁平足がないとつまらないものになる。
⑸作品「狙撃者の灰色」水下暢也
詩集『忘失について』からの一篇で、水下さんは映画通の詩人でH氏賞受賞詩人です。
この詩人は一行が濃密で、がっちり書くのが特徴です。無駄な言葉がなく、構文の確かさがあり、立体的に浮かび上がってくる。空を見上げると向こう側に煙突があって、人間が垂れ下がり、ゆらゆら揺れている謎を描いている。
猟銃を構えた時、子供が登場し、怖さで半歩ずつ後ずさり、手袋を握っていない方の手で威嚇の構えをする。多分 ピストルの形をしたのだと思う。
これは子供を出してきたところが面白い。その子供のピストルの構えと、本人の猟銃の構えは二重写しになっているのです。
しかし、遊びじゃない。主人公はお腹が痛いぐらい空腹なので盗みに入ったわけですから、危険人物でもあるわけです。ギリギリで生きているチンピラめいたことを描きたかったのかな と思って、かっこいい詩だなと思った。
丁度、終演時間になったようですので、予定した新しい詩五篇の紹介を終わります。
●講 演 資 料(抜粋)
日々を泳ぐ 赤澤玉
ここに来るまでに薄く
塩素の匂いがした
足下に水が生温く
飛び込み台が跳ねると
できるだけ波を立てないように
爪の先から侵入する
花を挿す手つきと
まっすぐな弾丸
あとには晴れの日に降る雨が
傘を跳ねるときの音が広がって
波紋がうすく伸びていった
静謐
ひとりきりの時間が、静かに満ちて
沈む体を水紋が柔く受け止める
霧を包んだ雨傘に
露がおちると遠くが見える
たくさんの指跡でなぞられた体が
透明に形をなくして
骨だけを残していた
多くの人がそうやって雨の日に霧を食し
明日に対して遠視だった(後略)
麦 栫伸太郎
みじかい航路にはみじかい睡りしか入らない
ふかくおだやかな湾内のうえ
三階建のフェリーのオープンデッキの
青い椅子の
まぶたの向こうで島がおおきくなる
ひかりが島にさえぎられて、それがわかる
床も暗くなり
接岸するちいさな音、しかたなく
顔の皮膚をすこしちぢめて
目をひらく
見下ろす、
港の白いコンクリートが
指先のようにひかっている
たかい場所から
降りてゆく
陸に立つためには
目をさましていなければならない
(後略)
今のいどころ 髙橋千尋
牛のナクチャの
下じきになる。
どいてくれるまで、
もうしばらく
ここにいます。
シーラカンスのような 井狩初子
しめった砂ですね
きのうも
旅人のような顔をしてここに来ましたね
砂浜にある
たった一つの塔をパレットナイフでけずり落として
偏平足の足とつながっている
遠近法に誠実になるって
窓になる事ですね(後略)
狙撃者の灰色 水下暢也
空腹が痛みだした
はじめて空き巣に入った
数分の内は何を盗るわけでもなく
間取りを確かめるみたいに歩き廻った
唾液をためて吐き気をやり過ごした
寝台の傍らに立てかけてあった
古い猟銃を頂戴することにした
扱いが分からず装弾の有無は確かめ
なかった
上がり框に来て襟足をさすった
雨まじりの風が強くなってきた
胸の前で抱きしめていた
猟銃を外套の下にたくし込み
古工場の庇で風雨を凌ごうとした
空模様を確かめようと目を上げ
煙突を見つけた
命綱と思しいものの端に
五体を弛緩させた人間が垂れ下がっ
ていた
試しに猟銃を構えてみた(後略)