国際交流 2024国際交流ゼミナール報告
国際交流
2024国際交流ゼミナール報告
国際交流担当理事 野村喜和夫
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アンバー・アダムズ氏
2024年度の日本現代詩人会国際交流ゼミナールは、10月19日土曜日、早稲田奉仕園内リバティホールにおいて、アメリカの詩人を迎えて行われた。アンバーさん(と以下では呼ぶ)はコロラド州在住の女性詩人。アメリカ現代詩の若手の有望株として、京都文学レジデンシーに招かれて来日中であった。またコーディネーター役には、日本現代詩の最前線を担う詩人の一人で、アメリカ現代詩にも詳しい佐峰存氏にお願いし、快諾を得ていた。
ゼミナールはまず、アンバーさんの講演から始まった。驚くべきは、彼女には軍隊経験があり、戦争でトラウマを負った兵士たちのセラピーからその詩歴を出発させたということだ。それはあたかも、医学生アンドレ・ブルトンの野戦病院での経験がのちのシュルレアリスムを用意したこととも、遠くつながっているかのように思われた。そうして、喪失とそのケア、悲しみの受け入れ方、神話を新しく書き継ぐ方法、他文化を転用する際のポイントなど、いかにも今日的な問題と詩の接点とが語られ、きわめて興味深く、また示唆に富んだ講演内容であった。
ついで、アンバーさんと佐峰氏による対話が行われ、それぞれの詩作の動機について、日米での詩をめぐる状況の共通点と相違についてなどが話し合われた。
休憩のあと、後半はいよいよポエトリー・リーディングに移った。まずアンバーさんの自作詩朗読。「Yamabiko 山彦」「Yuki-Onna 雪女」など数篇を朗読したが、とりわけ「山彦」が素晴らしかった。冒頭部分だけ引用しよう。
二ヶ月にわたって、兄は山彦といっしょに暮していた。当初の救難捜索活動が失敗した時点で、山彦には分かったのだった。天候が回復するまで、雪に埋もれた兄は、自分の山の客人となるのだろうと。一方兄はといえば、まだ死んだばかりで、この平べったい耳をした毛むくじゃらの生き物に面食らっていた。ふたりが初めて出会ったとき、山彦は兄のジャケットのポケットに手を突っこんで、プラスチックのスキーパスの束を素早く捲り、気に入らない何枚かを投げ捨てた。彼は疑問形でしか喋らなかった。それも脈絡のない質問だ。すると虚ろな声が応えるのだった。その声は時に間近に、山彦自身から放たれたかのように聞こえることもあったが、時にか細く、はるかな遠くで風に鳴る木々から届いてくるようだった。
問:記憶とは何か?
答:日食の時に現れる三日月形の影。
問:虚構と現実の違いとは?
答:梅の花の模様が印刷された壁紙。
問:運命とは?
答:こっちを見つめるクジャクの羽根の眼。
(四元康祐訳)
近親の遭難死という痛恨の出来事を伝承スタイルで伝えるナラティヴ部分と、ポエジーが横溢する問答部分とのコントラストがなんと言っても印象的である。
そしてアンバーさんに返礼する形で、われわれ日本現代詩人会側からも、佐峰氏、および国際交流担当理事の私野村と杉本真維子氏とがそれぞれ自作詩を朗読した。
こうしてゼミナールは成功裡に終了した。特筆すべきは、参加した者(約30名)がこぞってアンバーさんの講演と自作詩朗読に感動していたことである。それはケアという今日的な問題の提示、万葉集の挽歌にも通じる喪の主題のインパクトの強さ、日本の神話・伝承がここまで海外文学に生かされていること(ラフカディオ・ハーン以来?)への驚きと喜び、などによるものであろう。
最後に、京都文学レジデンシーの運営者で今回の日本現代詩人会との連携を快諾していただいた京都大学教授吉田恭子氏、見事な日本語訳を提供していただいた詩人四元康祐氏、通訳者の手配に奔走していただいた会計担当理事根本正午氏、そしてコーディナーター役の佐峰存氏に、この場を借りて改めて深謝申し上げたい。