各地のイベントから(会報177号より)
各地のイベントから
いわて詩祭2024
岩手県詩人クラブ会長 照井良平
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講演する菊池唯子氏
「魂をふるわせる。生まれ出ずる詩のために!」をテーマに本年度の「いわて詩祭」も2024年10月19日に無事開催することができた。
詩祭の第1部では岩手県詩人クラブ副会長で日本現代詩人会の会員でもある菊池唯子氏の「まっすぐに詩を語ろう」と題しての講演がなされた。
その内容は、暫くぶりの学生時代の友人に詩とは何か、一言でと問われ、そんな単純なモノじゃないよと思ったことが機となり、改めて詩を考えてみることにしたという講演であった。
具体的には、前段として俳句や短歌は5・7・5…のリズムで詠い、特にテレビのプレパド解説を例にあげ、詩があるとかイメージを感じる等「詩を感じる」とはを多方面から述べ、では現代詩を書き読んでいる我々はどのように詩に向きあい、捉えればよいか。
例として谷川俊太郎の詩集、二十億光年の孤独に収録されている作品「かなしみ」、宮沢賢治の題名のない詩を取りあげ、詩の読み方として「設定」という講師独自の手法を介し、つまり「いつ・どこで・だれが」を検証し、詩の持つ世界・空間を味わいながら隠喩、構成、擬人化などなどを読み解いていけば、読み手としての理解も深く見えてくるのではないか。と説いている。と同時に、書き手としての書法も見えてくるのではという講演は、聴き手の参加者に質問したりの、教師経験を活かした聴衆参加型の共に学び合う手法を取り入れた講演で、参加者もよく理解できたのではと思うところである。 このように実際の創作に役立ててもらう講演で実践向きの内容であった。
第2部ではアンソロジー詩集「いわての詩2023」版に収録されている自作品の朗読会に、希望者全員の参加が得られた。それにしても、個性があるものだなあ、と刺激受けた朗読であり、本年も有意義な詩祭となった。
九州詩人祭熊本大会
深町秋乃
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講演する広瀬大志氏
2024年11月16日。深まる秋、言葉と一緒に熊本に帰省した広瀬氏は、阿蘇をみた瞬間「言語は風土にひもづいている」と実感。やはり、生地は聖地。言葉はいかにして詩になってゆくか。初めて詩を書いた今日まで、導かれるように詩を求めた。基礎となる旋律(メロディ)、律動(リズム)、調和(ハーモニー)。テーマ、文体、配列、比喩(メタファ)の重要性から、詩の生まれゆく過程を詩的論理に従って解説(実際には順不同、書きながら気づくことも多い)。いつ、どこで詩を発見するかは神秘に包まれている。わたしたちは詩のどこに感動するのか。他者に伝えるのは難しい。氏には、ふたつの映画のラストシーンが浮かぶ。レマルクの「西部戦線異状なし」。塹壕のなか、兵士の見上げる青空に舞い降りる一匹の蝶。手を差しのべた瞬間に兵士は被弾して死ぬ。もう一つはマンの「ヴェニスに死す」。老作家と美少年。疫病(コレラ)の町。殺伐とした海辺。少年に手をのばした瞬間、作家は息絶える。彼らがその指のかなたに見たもの。美か、悪魔か、ポエジーか。「不思議なものだけが、常に美しい」(アンドレ・ブルトン)。一生に一度、いや二度、そんな神秘の瞬間をわたしたちは体験するだろうか。日常に潜む不穏、異和が詩の鍵。詩人は幻視する。差しのべる手のかなたに在る何かが詩人を捕らえて離さない。詩の魔力である。
第二部の若手詩人によるパネルディスカッション(平川綾真智氏、清水らくは氏)では、自分にとって詩とは何か、詩を書き始めたきっかけやAI時代における詩の創作についてカジュアルに語り合った。第一部、第二部ともに質疑応答ではさまざまな意見が寄せられ盛況に終わった。なお、講演会の模様はYouTubeのライブ配信でも届けられた(現在も閲覧可能)。
講演会後の懇親会では、各県の近況報告と各県代表者による朗読が行われ、多様な表現で見る者を惹きつける朗読ばかりであった。翌日は数名で霧雨の阿蘇に行き、連詩を楽しんだ。講演会には、九州各県だけでなく関東や関西、さらには飛び入りで詩人が集まり、参加者は約80名に及んだ。さらに地元誌の取材も受け、翌日の文化面で紹介された。今回の講演会をきっかけに、詩がより身近な文学になることを切に願う。
「いばらき詩祭 2024in下妻レポート」 生駒正朗
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対談する武井隆志氏と高山利三郎氏
「いばらき詩祭」が、今年は県西地区の下妻市で開催された。十一月二十三日(土)、会場は下妻市立ふるさと博物館。
最初の対談「こども詩集と詩の普及活動」では、武井隆志氏と高山利三郎氏の対談を通して「わらべうた・あそびランド」の活動が紹介された。この会は下妻市で三十四年にわたって子どもたちの情操教育のため歌や踊りを楽しむイベント、野外遊び、農業体験などを催している。なかでも、親や保育者が幼児と向き合う中でそのつぶやきを記録し、口頭詩として残す運動や、市内の小中学生が詩の創作を通して自分と向き合うことを主導してきた。
この対談の後、会発行の詩集『くさぶえ61集』に作品が収録された地元の上妻小学校児童二人による自作詩朗読があり、会場が盛り上がった。
講演1は、横瀬夜雨記念会の横瀬哲彦氏により「筑波根詩人 横瀬夜雨」という演題で、夜雨の生涯と功績、さらには、「夜雨会」から「横瀬夜雨記念会」に至る夜雨研究会の沿革が紹介された。現在の下妻市に生まれた夜雨は幼くして難病を患い、そのことで差別を受け、学校に行かなくなったのが詩を目指すきっかけになった。苦悩の人生の中で夜雨の作品を評価し、支援する理解者たちがいたことで、夜雨はたくましく生き抜くことができた。
「夜雨記念会」は、散逸した夜雨に関する資料を収集、整理し、夜雨作品の研究と顕彰に努めている。講演の後、関和代氏による夜雨作品「お才」の朗読、さらに、八重樫克羅氏の夜雨へのオマージュ「蓑蟲」の朗読があった。
講演2は、下妻にゆかりの詩人中久喜輝夫氏による講演「詩と郷土」。横瀬夜雨作品、長塚節作品を中心に詩人と郷土とのつながりを論じた。また、下妻市近郊の鬼怒川流域で育った中久喜氏の自作と郷土について、現在お住いの三島市の話、自作詩の朗読なども交えながら語った。
最後は会員等による詩の朗読。宮澤新樹氏「墳丘の月影」、大久保まり子氏「あんずの花」「名前」、井上和之氏「初詣」の朗読があった。
群馬詩人クラブ 「第37回秋の詩祭」 代表幹事 伊藤信一
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講演する新井啓子氏
2024年11月23日(土・祝)、前橋市の前橋商工会議所会館にて、群馬詩人クラブ総会と「第37回秋の詩祭」が開催された。
「秋の詩祭」では、日本現代詩人会及び群馬詩人クラブ会員の新井啓子氏による、「『さざえ尻まで』、サザエジリカラ」と題された講演が行われた。
新井啓子氏は島根県松江市の出身。講演の前半では、第24回小野十三郎賞を受賞した詩集『さざえ尻まで』に収められた作品の、背景にあった故郷松江について話された。
宍道湖が広がり、松江城を抱く、古く入り組んだ街並みの城下町では、一年の大半がどんよりとした日本海側の気候の下、人々が心の中で魂や霊といったものを信じている雰囲気があり、ものに宿る、形のない、人事を超えた不可視な存在が身近であるという。新井氏が現在住む前橋は、冬も乾いた晴天の日が続く点で対照的な土地柄だ。
入沢康夫氏は小学校中学校高校の先輩にあたり、『わが出雲・わが鎮魂』は新井氏の「現代詩の原点」となったそうだ。また、井川博年氏の実家と新井氏の実家は近く、田村のり子氏のお宅もそう遠くないところから、詩を書く上で三人の詩人から大きな影響を受けたという。風土と詩、風土と詩人ということを考えさせられた。
前橋と松江は、電車、飛行機、車を乗り継ぎ最短八時間。父母の看病、介護、看取り、そして家じまいをした歳月が、詩集『さざえ尻まで』に込められていることが聴衆の心に響いた。
後半は、詩の推敲の話題であった。朗読を交え、聴衆とやり取りする形で進行し、作品を切り詰めて詩集掲載の形にしていった過程が具体的に示された。
会場の群馬詩人クラブ会員の誰もが、詩を書き発表する際に参考になる話で講演が締めくくられ、大きな拍手とともに「秋の詩祭」は幕を閉じた。