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詩は未知の世界の構築であり、そのことばはすべて隠喩でできている  野沢 啓

詩は未知の世界の構築であり、
 そのことばはすべて隠喩でできている
               野沢 啓

 コロナ禍で予定されていた日本現代詩人会の講演会が残念ながら中止になり、これがその代わりの原稿となる。話すことと書くことでは異なるわけで、しかもスペースも限られているから、予定の講演概要と同じわけにはいかないが、昨年七月に上梓した『言語隠喩論』(未來社)でわたしが主張しようとしたことを、その後に考えていることもあわせて整理しておきたい。
 詩人が詩を書くというとき、いったい何を手がかりにしているのか。詩はみずからの経験に裏打ちされたことばという導線がなければ、始動しない。詩はみずからの経験のなかからそのつど初めて見出され分節された言語によって呼び込まれるのである。詩はあらかじめ言語化され価値づけられている通念(イデオロギー)や考えかたをなぞるものではなく、自分が書くことによってこの世界に初めて出現する(はずの)言語の構築物であり、どんなにミニマムな感情や感覚の発見であっても、それはことばによって導き出された真正で新たな経験であり発見なのである。それはその詩を書くことにおいて初めて実現される意味であり価値だからである。そのことに詩人はもっと誇りをもっていい。
 言語はどこから発生したのか。多くの先人たちも言うように、人間が初めてことばを発した契機としては、世界に直面して、その何ものかに驚き、思わず声を出してしまうというところに求められなければならない。もちろんそうした史実的な証拠はあるはずもないが、原始人が新しい経験、たとえば雷光や海の広がりにたいしてことばらしきものを発したにちがいないことは想像できるだろう。そのとき、ことばとは何だろうか。何か知らないが、その驚きなり感動なりを声を発することによって、その経験なり発見を言語化することになる。そのとき言語は何ものかを初めて指し示すことになるのである。《詩人の精神には原始人が棲む》というのは、詩人がいつでもこうした世界との対面にたいして既成の観念とはちがうことばの精神をもちつづけることができるかぎりでのことである。
 ひとは生まれたときから言語の世界にとりまかれている。ことばはすでに意味づけられている。どんなことばを発しても、それは意味をもってしまうと思われている。言語学の世界では詩のことばを奇形なもの、二次的なものとして排斥しようとする傾向が強く、日常言語こそがその対象だと思い込んでいるひとがいる。しかし、これは言語の本質からすれば逆転しているのだ。言語は最初から詩や祭祀のことばとして発生しており、散文の言語や日常言語はその固定化したものにすぎない。
 始原の言語とは未知の世界にたいして対置された初めての現象のことである。それをひとはむかしから隠喩(メタファー)と呼んできた。ところが隠喩は何ものかの言い換え、代理にすぎないと思われがちで、散文の世界ではそうした解釈が一般的である。詩人のなかにもそうした固定観念にとらわれているひとがいるが、それは根本的な間違いである。詩は既知の経験や知識を模倣するのではなく、ことばの力によってありうべき未知の世界を生み出すものであるからだ。そのさいに言語の隠喩性は原初的な創造力として機能するべきものであって、詩人が依拠するべき唯一の手がかりなのである。
 わたしが『言語隠喩論』という本で書こうとしたことは、言語がそもそももっている創造的隠喩性という言語の本性の(再)確認であり、詩による新たな世界の構築こそが詩人に託された英知であって、それが詩を書くことにおいてとりわけ要請されていること、ほかの言語的世界においてはどうやっても得られない思考の営為である、ということを詩を書くひとたちにあらためて理解してほしいということである。どんなに使い古されたように見える言語(日本語)であっても、詩が切り開く領域は無限の可能性があるはずだ。わたしはいま、そのことを検証するべく、近代詩以降の日本語の詩の成果についてこの言語隠喩論の方法的立場から日本語の富をあらためて掘り起こしてみようと思っている。それは詩を書く人間としてことばの創造の視点から詩を把握し読み直すことである。

  略歴

野沢 啓(のざわ けい)
詩人、批評家。一九四九年、東京都生まれ。東京大学大学院フランス語フランス文学科博士課程中退、フランス文学専攻(マラルメ研究)。詩集に『大いなる帰還』、『影の威嚇』、『決意の人』、『発熱装置』。評論に『方法としての戦後詩』、『詩の時間、詩という自由』、『隠喩的思考』、『移動論』、『単独者鮎川信夫』(第二〇回日本詩人クラブ詩界賞)、『言語隠喩論』がある。個人詩誌「走都」(通巻二十七号)刊行中。日本現代詩人会会員。H氏賞選考委員、現代詩人賞選考委員、丸山豊賞選考委員など。

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