研究活動・親睦

東・西日本ゼミ、新年会

現代詩ゼミナール&新年会2019

詩の立ちあがる場
    賛歌ではなく批評を
      忘れられた抒情詩の本質
          (報告)現代詩ゼミナール&新年会

 去る一月一二日(土)14時30分より16時20分まで、恒例の新年の現代詩ゼミナールがアルカディア市ケ谷・五階大雪の間で盛会裏に開催され多数の方々(出席者別掲)が出席されました。以下当日の概要を報告いたします。
 現代詩ゼミナールの司会は理事の塚本敏雄、春木節子の両氏が担当。

ゼミナールの司会 塚本敏雄氏、春木節子氏

挨拶する 新藤会長

 新藤凉子日本現代詩人会会長より年賀のお言葉とともに「《平成》という年号の最後の新年会です。詩文学が時代を越えて存在するためにはまず詩人が自らの「生」を噛みしめ、しっかりと生きることだと思います。今年も詩とともに生きることを楽しみましょう。
 本日の現代詩ゼミナール講師は元会長の安藤元雄さんです。私から詩人にとって最も本質的な大切なところをお話しいただきたいとご講演をお願いしました。限られた時間ですがよろしくお願いします。」とご挨拶がありました。
 司会塚本敏雄氏より資料「詩人安藤元雄氏について」(野村喜和夫氏作成)に基づいて講師を紹介。安藤元雄氏より『詩が立ちあがる場』の演題で約一時間のご講演(主な要旨は別掲)をいただきました。
 休憩後続いて行われた「詩朗読とスピーチ」の朗読者と朗読作品名(スピーチ内容省略)は以下のとおりです。
岡島弘子「こごえた初恋」「洋裁師の声」
中本道代「接吻」「日付」「ノスタルジア」「ウミユリの形」
野田順子「物体M」「カッターナイフ」「夢」
浜田 優『哀歌とバラード』より「無題1」「無題2」「無題3」
森水陽一郎「末期の竹水」
野村喜和夫「思考の腐食について」「よぶと」「ひかりの中」「ひたひたと」
閉会の辞は麻生直子ゼミナール担当理事より。

朗読をする各氏 左から岡島弘子氏、中本道代氏、野田順子氏、浜田優氏、森永陽一郎氏、野村喜和夫氏

 新年会(交流懇親会)について
 新年会は16時30分より19時まで、同四階鳳凰の間で開催されました。司会は鈴木豊志夫と浜江順子の両理事。

新年会の司会 鈴木豊志夫氏、浜江順子氏

 開会挨拶は理事長より。出席、講演、朗読のお礼と会場変更の理由、さらに新年度の事業協力、特に七〇周年記念事業のアンソロジー参加を強くアピールされました。続いて乾杯の音頭を以倉紘平前会長にお願いする。氏は乾杯の音頭に先立って、本日の安藤元雄氏の該博なご講演にさらなる抒情詩の可能性を触発されたとご感想とお礼を述べられた後、創立七〇周年準備委員会(委員長新藤凉子)を代表して、特に事業の一環としてプレイベント「ふくい県詩祭in三国」を今年の一〇月二六日~二七日三国コミュニティーセンター(坂井市)で開催しますので「是非ご参加を」と開催地三国の文学的風土と背景を、さらに準備状況の報告がありました。
 また来る四月二一日~二二日石和温泉で開催される「現代詩ゼミナールin山梨」の内容とご参加の案内が同ゼミナール実行委員会事務局長を務めるこまつかん氏(南アルプス市)よりありました。祝辞を平林敏彦氏(名誉会員・静岡市)にお願いする。氏は安藤元雄氏と戦後詩人たちの活動の事跡と意義を情熱をこめて語られました。
 以下ご登壇・スピーチをされた方々は池田瑛子(射水市)、小島きみ子(左久市)、植木信子(長岡市)、瀬崎祐(倉敷市)、橋本由紀子(島田市)、若山紀子(名古屋市)他の皆さま。また新会員になられた方々が紹介されました。
 閉会の辞は山本博道副理事長より。昨年に比較し遠方からのご参加者も多く、三〇名増。感謝と今年度の活動へのご協力のお願いが述べられました。

左から、平林敏彦氏、秋理事長、こまつかん氏、以倉紘平氏


  現代詩ゼミナール講演
    「詩の立ちあがる場」
          安藤元雄氏講演


  賛歌ではなく批評を
 皆さんは日本現代詩人会の会員で詩を書かれているお立場です。いわば業界団体の会です。
 最近、詩の状況で心配なことが起こっています。「花椿賞」が無くなりますが企業にとって賞を出す意義が希薄になったということでしょう。詩の賞でスタンダードなものは多くはありません。社会的ステータスが得られなくなっていることは憂慮すべきことです。
 私は「批判の欠如」にあるのではと懸念しています。相互批評が欠けると広がらないものになる。「オマージュではなくクリティック」が必要です。
 私にとって学生時代からの六〇年余
の詩友入沢康夫の死(2018/10/15)はそこに規準があるような詩人を喪失したことになるのです。
  軽視された「うた」の精神
 立原道造の風信子忌で伊藤信吉さんが抒情小曲とそれに基づく感傷主義について話されたことが忘れられません。この系譜は明治・大正と続き北原白秋、室生犀星、萩原朔太郎に受け継がれま
すが昭和で消えたわけではありません。口語自由詩と昭和モダニズムを越えて中原中也や立原道造、堀内大学のコクトーの翻訳詩などに形を変えて生き残っていると言えるでしょう。
 抒情小曲は詩よりも少し低いものに思われていた節があります。しかし伝統的な短歌や今様(例・梁塵秘抄)などと詩を結ぶ大事な位置にあって芸術的価値が低いとは思えません。抒情詩の元はリリック、竪琴に合わせて歌うものでした。北原白秋の『思ひ出抒情小曲集』や芥川龍之介の『或阿呆の一生』で「彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の抒情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。」と七五調の詩を書くことによって免罪符にしています。
  抒情詩の本質へ
 抒情詩の美しいものが評価されない風潮に、それでは詩はどこにあるのか?と問いたいのです。渋沢孝輔(S5生)、入沢康夫(S6)、私(S9)たち昭和一桁世代、終戦が小学六年生。集団疎開です。(勝つために)無駄飯は食うなという自分の人間性を否定され、貨車に詰め込まれて帰ります。そこにはもっと酷い戦災孤児が沢山おりました。自己否定から立ち直り自己確認を何に求めたか。「うたうことで一種の自己確認ができる」ことです。
 短歌をよむ、俳句をよむと言えば「詠む=作る」ことを意味します。詩をよむとは読者が詩を読むということで作ることを意味しません。しかし詩には読者が読むことによってそこに「立ちあがってくるもの」があります。他者が感動をもってくれるか。詩を書くから詩人で、詩人がいて詩があるのではないことを噛みしめたいと思います。
 以上前半の講演要旨です。字数の関
係で以下割愛させていただきます。
小見出し設定は記録者(鈴木豊志夫)

◆東日本ゼミナール出席者
   (2019年1月12日・敬称略)
相沢正一郎、青木由弥子、秋亜綺羅、麻生直子、安藤元雄、以倉紘平、池田瑛子、石川厚志、井田三夫、一色真理、植木肖太郎、植木信子、海埜今日子、大木潤子、岡島弘子、岡本勝人、岡本晴彦、小倉由起子、小野ちとせ、尾世川正明、小山田弘子、柏木勇一、片岡伸、草野理恵子、久保木宗一、甲田四郎、小島きみ子、こたきこなみ、こまつかん、小林稔、斎藤菜穂子、佐峰存、沢村俊輔、清水博司、新藤凉子、杉野穎二、杉本真維子、鈴木東海子、鈴木豊志夫、鈴木正樹、鈴木比佐雄、関中子、瀬崎祐、高市順一郎、竹内美智代、太原千佳子、近岡礼、鎮西貴信、常木みや子、塚本敏雄、中井ひさ子、中田紀子、中本道代、新延拳、布川鴇、根本明、野田順子、野村喜和夫、橋本由紀子、浜江順子、浜田優、林田悠来、原かずみ、原島里枝、春木文子、春木節子、はんな、平林敏彦、昼間初美、広瀬弓、福田拓也、藤本敦子、古谷鏡子、堀江泰壽、真崎節、光冨郁埜、宮崎亨、向井千代子、森やすこ、森水陽一郎、やじままり、山田隆昭、山本博道、結城文、吉田隶平、若尾儀武、渡辺めぐみ

一般 ―― 石井真美、大江豊、鎌田伸弘、鎌田尚美、神品芳夫、斉藤瑤子、Shie、生野毅、富田康成

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