各地のイベントから(2017年3月20日受付まで)
各地のイベントから(2017年3月20日受付まで)
八木忠栄さんが「詩のこころ・雪のこころ」を語る
――福島県現代詩人会「詩祭」開催
平成28年10月2日(日)、第55回福島県芸術祭「第39回詩祭講演と朗読のつどい」が福島市の福島県立図書館講堂で開催された。午前の福島県現代詩人会各地区会員による「朗読のつどい」と午後の「講演会」から成るこの「詩祭」には約80名が参加、福島県と日本の詩の現在と行方とを探り合った。
斎藤久夫理事長による懇切な講師紹介を受けて登壇した八木忠栄さんは、まず大震災原発事故による放射能汚染により古里を追われた人々への思いを語ったあと、「今まで自分の詩について話したことはない」という思いがけない告白から本題に入った。そして、新潟県見附市での雪のくらしを懐かしみながらも、雪はいやなものだったという。しかし詩作には「雪」が、「新潟の冬の暮らし」が出てくる。それを求めてしまう自分がいるのだ、と。
「冬と雪は、捨てられないものとして自分の中にあるんですね。一種の業のような、うれしいことでありかなしいことでもある、そういう厄介なものとつきあっていく中から詩は生まれてくる。」
「雪は土地と読みかえてもいい。詩の土地。雪は自分の土地を持つことのよろこびであり、かなしみなんですね。人間の一生とは、そういうものとたたかっていくこと。――今若い人は、憎む土地も愛する土地もない詩のデラシネ状態になって、レトリックに走って詩のようなものを書いている気がする。そういう詩には人を動かす力がない。しかし土地を持っていれば違う。たとえ福島の人が福島べったりの詩を書いたとしても、新潟の人も鹿児島の人も読める。それぞれの土地をもって理解することができる詩になる。
詩を養うのは各人自身で土地ではないと思いますが、そういう土地を持たないと痩せていってしまうのではと思っています。」
そして「厄介なものも喜ばしいものもある古里と抱き合って生きてきた人を尊敬したいという思いがある」と語り、詩集『雪、おんおん』と句集『雪やまず』の作品の朗読を交えながら、「雪のこころ」「詩のこころ」を自問するように語り続けた。
八木さんは最後に「一人作業でゴールのない詩は苦しい。でも、それは詩の業なんです。皆さん、ゴールなんて絶対作っちゃダメですよ。必死で書いて死んでいくしかない。ぼくは詩と俳句をやっているけど、勝負は詩でしたいと思っています。」と覚悟のエールで約1時間半の講演を閉じられた。
(福島県現代詩人会 渡辺孝行)
田中眞由美氏の講演
「吉野弘の詩に描かれる世界」
栃木県現代詩人会事務局長 齊藤新一
平成二十八年十二月四日(日)午後二時より宇都宮市ホテル丸治にて栃木県現代詩人会主催の研究会が盛大に開催されました。栃木県現代詩人会発足以来、はじめての日本現代詩人会、日本詩人クラブ後援とあって、緊張のなかにも大きな期待を抱かせる講演会となりました。
事務局長齊藤新一氏の司会により副会長草薙定氏の開会の辞で開会されました。会長野澤俊雄氏の挨拶及び講師紹介の後、直ちに詩人・田中眞由美氏の講話に入りました。
講演のタイトルは「吉野弘の詩に描かれる世界」でありましたが約90分間、聴きごたえのある重厚な内容で参加者全員が熱心に拝聴し実りある研究会になりました。吉野弘と宿命的な出会いを果たした詩人・田中眞由美氏の卓越した話術によって吉野弘を、その作品をあまねく、かつ鋭く分析され、とても勉強になりました。傍聴者は、やさしく、かつ温和な語り口で吉野弘の魅力をいかんなく解き明かす田中眞由美講師の講話に引き込まれるように固唾をのんで聴き入り、会場は大きな感動に包まれました。師走に入って外は厳寒だというのに一つかみのあたたかい風が、会場を吹き渡っていました。吉野弘によって紡がれる言葉のしずく、という希少な宝石は、田中講師のコメントによって、ますます輝きをましたのです。
敗戦と病気を経験しているからこそ社会的矛盾への視線はいつも厳しく、と同時に受難者には限りなく優しい。「吉野弘の優しさとは、傷ついたもの、痛ましいものにこそ触れずにいかずにはいられない彼の心の傾きそのものの謂いである」という大岡信氏の言葉通り、田中講師の独特の感性による絶妙な解説によって次第に浮き彫りになってくる吉野弘の深くて広い観察力と人間的な優しさに大きな力をもらい、感銘させられた非常に意義深い研究会でありました。田中講師からほとばしり出る詩に関する熱意は、話の冒頭から聴衆の心をとらえ最後までそれをつかんで放さなかったのです。
どんなに辛いことがあっても、その苦難や悲しみと折り合いをつけて生きていかねばならないのが人間ですが、そんな時必ずや詩が大きな力になります。特に吉野弘の詩は、と確信もした研究会でもありました。
詩人・吉野弘の研究の第一人者である田中さんの講話の中、吉野弘について強くひかれたことがあります。それは、自分の詩ができると必ず妻にみせて感想を聞いていたというくだりです。詩を書くことによってややもすれば家族の中で孤立しがちな詩人の皆様、よくお聞きください。私たち詩人は、もう少し謙虚に家族で話し合える、わかりやすい詩作を心がけることも必要なのではないかと猛省したしだいです。願わくば、吉野弘のように詩の楽しさを共有できる家庭でありたいと思います。「何かを得たら、何かを失う。」これは私の敬愛する作家・開高健の言葉です。物書きや詩人なら何が何でも捏ね上げて何かを表現しなければならないのですが芸術であるゆえの宿命で、詩の昇華に熱中するあまり、家族の和を失ってしまったら取り返しのつかないことになります。
「言葉は、意識や物事の内容をまるごと伝えることのできない不完全な符号で、だからこそ新しい表現を無限に可能にする」というように、あくまで吉野弘の詩の根底に流れているのは、言葉への愛です。とにかく難解であるといわれる現代詩の潮流のなかにあって詩はいかにあるべきか、というのが私たち詩人の常に直面する課題です。が、それに対してお手本になるのが、絶えず言葉の性質をみなおした吉野弘の詩です。吉野弘の分厚い詩全集増補新版を絶えず手元に置き、時にはそれを枕にしたりして、その詩精神を吸収することに余念がない私自身も含めて、その深い詩に対する真摯な精神の神髄にえらく触発され、さらに今回の研究会で吉野弘の詩人としての偉大さもさることながら人間としての偉大さを改めて再認識させられました。
私の大好きな吉野弘の祝婚歌には、「二人が睦まじくいるためには、立派すぎないことがいい」とあります。これは、何も人間に限ったことではなく、詩と人間の関係についてもいえることではないでしょうか。大上段に構えて偉ぶって詩作するよりは、少し控えめにするほうが、詩とのつきあいも、家族とのつきあいも上手くいくのではないでしょうか。全国の詩人の皆さん、いつか詩作の壁にぶつかった時には、ぜひ田中さん一押しの吉野弘の詩をひもといて、謙虚に詩の原点に返ってみませんか。
その後、午後四時十五分より懇親会となり、貝塚津音魚理事の司会進行により、わかりやすく、どこまでも奥の深い吉野弘の詩作品に関しての研究会講師への質問なども交え、緊張のなかにも打ち解けた雰囲気のなかで盛会のうちに閉会になりました。講師の田中眞由美先生、新座市からの遠路はるばるのご講演、まことにお疲れさまでした。そして、講師の一言一言が参加者全員の心にしみわたった、生涯忘れることのできない貴重なご講演、ありがとうございました。