各地のイベントから(6月受付まで)
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石川詩人会総会記念講演会
石川詩人会の総会を三月十一日、金沢の香林坊アトリオに於て実施した。高齢化に伴う対策としてこれからも若手の育成や詩の研鑽向上などを目指す四つの事業案を決定した。
一つは二年に一度になるアンソロジー「いしかわ詩人 第十一集」の刊行と合評会。秋には課題詩コンクールとして通算十四回目になる「かなざわ現代詩コンクール」の選考と入賞作品集の刊行。二月には会員の詩集を軸とした「詩の研究会」、そして会報46号47号の発行である。
記念講演会は、講師に詩誌「アリゼ」編集人の以倉紘平氏をお迎えし「私の現代詩作法」と題して講演を頂いた。氏は昨今の現代詩のあり方に対して抱いている危機感を、修辞的な状況から問題提起し、通史的にまた実例を揚げ、人は何に感動し何を詩とするのか、魂がふるえるような心からの詩の根幹を問いただした。
戦後詩が修辞的なこだわりだけになって、それを現実と同じ重さだとする錯覚がなぜ起こったか。生活の現実の場が意味を失うことは、我々の大切な人生が意味を失うのと同じことであり、父母、恋人、仕事、歴史、文化など詩という文学土壌に値するものが意味のないものに変わってしまう。
近年、これがますます深刻化している。ひとつに詩人達を牽引してきた商業誌の在り方、例えば、伝統詩と前衛詩、難解な詩とのバランスに欠く点もあったと指摘する。現代詩が豊かで愛すべき祖国や郷土やこれに根差す人生の愛と死の歌を歌えなくなってしまった傾向に対して、心と言葉(修辞)について考え直す必要がある。「万葉集」の心髄から「荒地」以降の形式や具体例を引用し解説された。あらためて詩とは行為によって生まれたものであることを認識させられるのであった。
当日は東日本大震災から七年目にあたり、震災発生時刻には全員で、亡くなられた方々へのご冥福と復興を祈って黙祷を捧げた。尚この企画は日本現代詩人会の後援賛助を賜りました。 (砂川公子)
岐阜県詩人会第六回総会
「吉野弘の詩の世界」 田中眞由美氏講演
平成三十年五月二十日(日)岐阜県詩人会第六回総会が、岐阜駅ハートフルスクエアGにおいて開催された。
総会に先立ち、第一回岐阜県詩人賞の受賞式が行われた。2013年5月から2017年12月末までに刊行された、岐阜県在住、在勤、在学者の詩集、22冊を対象に、平成三十年四月八日(日)、第一回岐阜県詩人賞選考委員会(選考委員長冨長覚梁、会長頼圭二郎、他三名)にて選考を行った。受賞詩集は、村瀬和子詩集「花かんざし」(2014年6月発行 思潮社)。村瀬和子氏には、頼会長より賞状と記念の盾が授与された。
続いて、前年度の事業、会計報告、今年度の事業計画、予算案および各役員の紹介、担当の報告を行った。会員から活発な質疑応答があり、承認を経て、総会は閉会した。
引き続き、田中眞由美氏をお迎えして、講演を頂いた。演題は「吉野弘の詩の世界」であった。
吉野弘は広く人口に膾炙した詩人ではあるが、詩を学び始めて日の浅い会員にとっては、遠い存在でもある。間近でその薫陶を受けられた田中眞由美氏の語られる生きた詩人の声、姿に、会員一同深く聞き入った。
新座市の公民館での出会いから、亡くなられるまでの数々のエピソードは、興味深く、吉野弘を育てた詩風土、戦争の経験など、来歴を読むだけでは得られない多くのことを学ぶことができた。
また、当日欠席予定の新会員も、この講演を聞くために急遽出席し、終了後も、講師に熱心に質問していたことが印象的であった。
田中氏が、会場の数名に「祝婚歌」などを朗読するように促されたのも、自ら声を出し参加することによって、より生きた講演となったように思う。最後に、会員から田中氏の作品を朗読して頂くよう要望があり、それに応えて頂いたことも印象的だった。終始、やわらかく和やかな雰囲気の中で講演を終えられた。
(岐阜県詩人会事務局長 井手ひとみ)
埼玉詩祭2018 「埼玉の詩の源流をたずねて」
主催 埼玉詩人会
後援 日本現代詩人会
平成三十年六月二日(土)に桶川の
さいたま文学館で八十五名の入場者を迎え、秋山公哉理事の司会で開催された。第一部は「埼玉詩人賞」の贈呈式。今年度は、梁瀬重雄氏の『野道の唄』(土曜美術社出版販売)が選ばれた。選考委員長本田和也氏が候補詩集の選考経過を説明、また菊田守氏がお祝いの言葉を述べられた。
第二部はテーマ「埼玉の詩の源流をたずねて」のもとに埼玉の先達詩人を探訪。昭和三十一年に埼玉詩人クラブとして発足して以来六十二年の歴史を遡り、当時の功労者の先達詩人のうち、今回は神保光太郎、蔵原伸二郎、宮澤章二の三名を選び、人物像やエピソードなどをゆかりの会員が披露した。詩の朗読を行ったあと、三人の先達詩人の埼玉との結びつきを中心に、北畑会長の司会でパネルディスカッションが行われた。また、他に会員が聞きたい当時の先達詩人が秋谷豊、大木実、土橋治重、槇晧志など多数おり、次の機会に取り上げたいと考えている。
第三部は会員による埼玉に関する自作詩の朗読を、武蔵野音大OBによるバイオリン、チェロの演奏をバックに実施。さらに新しい試みとして、将来に向けた若年層の取り込みと、現代詩の素晴らしさの理解を深めてもらう狙いで、県内の高校生、大学生に声を掛け、自作詩を朗読してもらうコーナーを企画した。県立伊奈学園総合高校、獨協大学の関係の九名の方々が自作詩を朗読した。当人たちはいい経験をした、今後も頑張って詩を書いていきたいと感想を述べた。閉会後の懇親会で参加者からこういう企画も良いと概ね好評の意見をいただいた。(埼玉詩人会理事長 林哲也)
ポエトリー・カフェみやぎ「詩の芽の立ち上がるところ」
野木京子氏 講演
宮城県詩人会は、詩的な会話の場「ポエトリー・カフェみやぎ」をあきはビルの会議室で毎月開催している。テーマは月ごとの担当者が決め、広く市民に参加を呼びかけている。
六月は一七日(日)、野木京子さんを講師にお招きして「詩の芽の立ち上がるところ」と題しお話をいただいた。
野木さんはテーマについて、詩はそれぞれで、掬い上げ方もその場所も違う。どこにも在って、どこにもなくてこれがその場所だとひとつを取ることはできないが、わたしにとってのそこはかつて住んだ広島であるかもしれない、と話し始める。
被爆した街広島で、平和記念資料館が発掘調査を行うなか、一般公開された日、野木さんはそこを訪ねる。眼にしたのは、焼け残ったレンガなど生活の痕跡や炭化した地層だった。七〇年もの時を止めたまま、触れられることもなく地下に在った光景を目の当たりに、わたしの近づくべき場所は低く、この地面の下なのではないか、と思ったという。中国新聞に連載したエッセイを示し、その時の衝撃を明かした。
更に、広島で被爆した詩人原民喜の「原爆被災時のノート」を紹介。原爆投下直後の様子が漢字とカタカナでリアルタイムに書かれたもので、もしかしたらカタカナとは非常時の言語かも知れない、と言う。
詩の芽の立ち上がるところというのは、目に見えない、たくさんの人が忘れているかもしれない世界なのだろう。わたしたちの存在は見えないものに、下から支えられているのかもしれない。地下、というのは人の心にも地下室というものがある。そのような場所へわたしは降りていくのだ、と続けた。
最後に自作の「七週間」という詩を朗読して講演を閉じた。
その後、秋亜綺羅実行委員長が参加者を紹介。意見交換を行った。
参加者は三十二名。山形から、柏倉千加志さん、いとう柚子さん、阿蘇豊さんが、花巻から照井良平さん、東京から原田道子さんが参加してくれたことを記しておきたい。 (佐藤洋子)