会員のアンソロジー23・松本 建彦氏~
松本 建彦 マツモト タケヒコ
①1935(昭和10)9・19②埼玉③中央大学大学院修士④「時間」「風」「セコイア」「竜骨」⑤『性』時間社、『伏流』永田書房、『玩物綺譚』セコイア社。
素手
どうだろう あの水の あったかそうなこと
ほかほかと まるで
湯気でも 立ち昇りそうだ
見わたすかぎりの
ぼってりと ふり積ったばかりの
できたての 雪っ原だ
雪のほか もののみごとに何もない
そこの真ん中を一本
せせらぎが通っていて
その生まれたての水
ばかにあったかそうにみえる
手をつっこむと
地の熱が じかに伝わってくる
しんとした そのだだっ広い中に
一人だけ居て
せせらぎだけが 活きている
素手のような白さだ。
松本 知沙 マツモト チサ
①1928(昭和3)1・2②長崎③九州女子専門学校卒④「木々」⑤『音高く流れぬ』草土詩社、『八重桜』本多企画。
銀杏
見上げる程大きな銀杏の樹が
いくらか小さい銀杏の樹を従えて
燦然と立っていた
ある限りの葉が 見事な黄に染まって――
散るまぎわの 悲しみを秘めた
豊潤な 美の饗宴――
空は真紅に燃え 樹は燦然と輝き
地上のものゝ深い溜息が
そこはかとない靄と昇り
日没の後の美しい紫藍の空に
淡い卵色の雲の漂よい行く頃
金色の葉は 降るように散りつづけた
ひたすらに生き抜いて 燃え尽きる終
美の かくあれかしと
私は胸迫り 佇ちつくした
銀杏よ
お前が葉を散りつくして 裸樹となっても
私の胸に
その燦然たる終焉の美は 輝きつづける
松山 妙子 マツヤマ タエコ
①1940(昭和15)4・26②大連③華頂短期大学社会福祉学科卒④「日本未来派」⑤『風の見舞』『北京の太陽』待望社、『橋を渡る』『この坂』土曜美術社出版販売。
秋霖
落葉を掃くと落葉をふとんにして
蟬の亡骸が眠っている
風化しつつある
暑い夏のあの日の出来事を忘れさせまいと
語り部のように鳴きつづけた?が
いま泣きつかれて眠っている
散り落ちた葉は朽ちて土にかえり
やがてあたらしい芽や根の滋養になるのだろう
この自然の織りなす輪廻
落葉をふとんにして眠る?よ
深く眠れ 土深く眠れ
目覚めるその時がきたら
落葉色のその体で
いのちについて考えることの鈍い人々に
いつまでも語り継いでおくれ
それまで秋の雨よ
しずかにほそく
ほそくながく降れ
間中 春枝 マナカ ハルエ
①1933(昭和8)3・31②東京③豊島岡高校卒⑤『メディアの裔』詩学社、『石の声』七月堂。
深夜
外は闇
その外側に
さらに大きな闇がある
庭の木々は
黒い大きな固まりとなって
レースのカーテンの綱目に
促えられている
一面に咲いていた昼の花は
今は死に絶え
鳥は鳴かず
あかりを点ける
帰って来たあかりは
もう
もとのあかりではない
闇をくぐり
人の心の闇に研がれ
私を夜の網目に捉えて離さない
黛 元男 マユズミ モトオ
①1929(昭和4)8・27②三重③三重農林専門学校(現三重大学生物資源学部)卒④「三重詩人」⑤『ぼくらの地方』『沖縄の貝』三重詩話会、『骨の来歴』書肆青樹社。
空港にて
那覇空港
一九・〇〇発ANA三〇八便の
搭乗口の探知機がわたしのからだを捕捉する
硬貨をさし出しても
金属ライターをとり出しても
まだまだ反応する
スニーカーを脱いで靴下になってもだめなのだ
なにがあるのか
わたしのからだの中には
内ポケットをさわるとそれはあった
糸満山城 ひめゆり隊の壕のちかくでそっと
拾ってきた
炎に灼けたような
小石がひとつ。
圓子 哲雄 マルコ テツオ
①1930(昭和5)11・20②埼玉③弘前大学文理学部卒④「朔」⑤『受胎告知』思潮社、詩集三部作『父の庭・母の径・庭の道』編著書『村 次郎先生のお話(文学篇)…評論集』朔社。
年輪
昨日が流れて行き
さらさらと日暦をめくる音
夜になると朝を歌い
朝になると夜を歌い
また区切り行く今日がきた
明けて行く時間の中で
新雪を汚し
人間達の饒舌が流れて行く
ああ 今日と 無窮の空を
明日は何処に行くと言うのだ
丸地 守 マルチ マモル
①1931(昭和6)10・24②愛知③中央大学法学部法律科卒④「青い花」「同時代」「龍」⑤『火祭り』書肆ユリイカ、『幻魚』青い花社、『死者たちの海の祭り』すばる書房、『深夜の牛』『痛位』『系譜』書肆青樹社。
行方
ひとりの少年の行方を追っている
不意の衝撃で異形の落日を飲みこんでしまっ
た少年だ
黒焦げの半袖のシャツや
擦過音に切られた耳が
見上げる空にいくつも浮かんでいるというの
に
正真の 彼の姿はみつからない
桑の実で唇を紫色にしていた少年
ささくれた木片を小鳥に見立てて
空を心としていた少年
いま 無国籍の草原を
ひしゃげた麦藁帽子のように
失意と飢えにまみれて 歩いているか
それとも 総てを受容し 死者の列に加わり
ひたすら浄土へと歩いているか
探し当てるのに あと千年はかかるだろうか
丸山 勝久 マルヤマ カツヒサ
①1931(昭和6)5・25②東京③早稲田大学文学部英文学科卒④「花」「地平線」「青稲」⑤『沼の記憶』木犀書房、『薔薇の処刑』『ユスリ蚊ぐもり』芸風書院、『冷夏』『雪明かり』土曜美術社出版販売。
蜃気楼
狩猟の夜明け
ウル うる みんな うる ウル
くらやみ から 噴きだす
生きものを殺す
ひとを殺す
故郷を奪い 追い払う
ウル うる みんな うる ウル
ヒーロー ではない ヒーロー
オオ ジョー*
オオ マーイ
ヒーコ ゾー
厚 顔
謙 譲
卑 下
自 尊
なんという 純粋な がめつさ
遠くで
進軍喇叭
*城米彦造
丸山 眞由美 マルヤマ マユミ
①1928(昭和3)11・10②熊本③熊本女子専門学校卒④「アリゼ」⑤『ぬすびとはぎ』湯川書房。
出征
義兄がすぐ家の近くを通って行くというの
だ 二時間しかなかった めしば炊けえ 父
の号令一下家中が色めきたった 二升釜の薪
は爆ぜごうとうなり声をあげた 蒸らし時間
ももどかしく大しゃもじでほぐされる 湯気
がもうもうと広がる 女中のみよさんはやけ
どの用心に手のひらを布巾でぐるぐる巻きに
した 体格がよく色白の頬はいっそう上気し
てうす赤く染っていた わたしが飯茶碗に
盛ったごはんを 母 姉 みよさんは手のひ
らにうけ あちあちちと ほいほいうかしな
がら 握りかためていた わたしも一つだけ
握った あつくてあつくて すぐ手桶の中へ
じゅうと突込んだ 饅頭屋から分けても
らってきた経木に 二個当て包む 竹の皮を
裂いた紐で括る
皮、馬糞のにおい 汗 土埃り
ぐわっす
ぐわっす
行進は止まらなかった
丸山 由美子 マルヤマ ユミコ
①1943(昭和18)1・13②熊本③熊本大学法文学部国語国文学科卒④「潮流詩派」⑤『歩く女』潮流出版社、『思い出せない犬』書肆青樹社、『生き残った少年』『上田幸法論』潮流出版社。
地球の歯
相当におそろしがっている私の口を
ひき裂けるほど開けさせられて
削られ 埋められ かぶせられ
おまけに歯ぐきまでもが
やけに尖った金属器具でかきまわされる
工事と治療のあい間に 三白眼で
八月の窓のガラスを見上げたら
カンカン日の照るやはり猛暑日
廃墟のように重すぎる本日の頭をねじれば
道むかいの二階の窓辺をはみ出している
白いレースのカーテンが
空のフライパンをこすっている
モグモグモグ 私は思う
どこからが風で どこまでがカーテンで
あるいは地方の虫歯の痛みなのかと
モグモグモグラよどこへ行く
毎年農家の欠けていく
あのあたりにはもうそろそろの話だが
総入歯風のビルが聳え立つそうな
みえのふみあき ミエノフミアキ
①1937(昭和12)2・15②大分③大分工業高校工業化学科卒④「乾河」⑤『少女キキ』思潮社、『虹』昭森社、『方法』レアリテの会、『雨だれ』本多企画、『春2004』『白鯨・赤道の詩人たち』鉱脈社。
淵にて
淵はただ沈むためにある
方位を失ったエーテルの闇
ぼくの沈降に逆らって
浮上する無数の小さな気泡
ぼくは水着を忘れたことを思いだし
大急ぎで故郷の家まで帰った
門口から亡くなって久しい兄が顔をだし
紙袋をふたつ手渡してくれた
深くえぐりとった母の乳房だ
食べてもいいよと笑った
( Occurrence 10)
みくも 年子 ミクモ トシコ
①1941(昭和16)1・1②兵庫③中卒④「地球」⑤『ふるさとふたつ』ポエトリーセンター、『抱きつきスリ』詩学社、『実の種の――』詩画集『血温』坂田明道・みくも年子共著、土曜美術社出版販売。
実の種の――
かぼそい光明さしこむほのぐらい朝
不整脈の鼓動は〝生ある証?
腕をかざし血のゆくえすかし見る
青白い掌の背になお青白く 血の筋の――
閉め忘れた窓のへり・欠けた小さなひと粒の
枇杷
逆光線・果肉・断面・空洞化
生と死のあわい……
奥深くしずむ種・
〝と〟
黒黒・・ぬめりたちあがらせ
早生の蠢きをあられもなくあらわにする
乱飛翔落下・嘴の受傷・血の亀裂
死に内包する〝生〟みつめあう
無透明なぬめる闇にやわらかな羽毛
でおおわれた皮膜のような
人肌色の肉のふちどり
ふいに透明な果汁したたる
三島 久美子 ミシマ クミコ
①1947(昭和22)4・11②宮崎③阪南高校卒④元「アルメ」⑤『片耳の春』大阪ポエトリーセンター、『日本現代女流詩人叢書・愛の器』芸風書院、『らんじょう』、エッセー集『風の婚約者』鉱脈社。
流星のあと
大気圏を越え
全速力で会いにきた
短時を尽くして注ぎきり天空は からっぽ
なんという至福の そしてまた
草地にいて私にはやるせない からっぽ
寒い毛布のふるえる肩を照らしたもの
遠い窓辺の苦悩の机上を照らしたもの
地上の石にまいおりたもの
私たちは 石の内部で遭遇する
光と言葉が たがいを 無化する
そこから生まれた沈黙が
石を 内から きりひらいてゆく
再生される ひとり ひとりの 夜空
呼ばれたことに気付きつづけたおもいが
回癒の星となり いつかは またたく
夜空
御庄 博実 ミショウ ヒロミ
①1925(大正14)3・5②山口③岡山大学医学部卒④「火皿」⑤『岩国組曲』文芸旬報社、『御庄博実詩集』『御庄博実第二詩集』『原郷』『ふるさと―岩国』思潮社、『ぼくは小さな灰になって』西田書店・石川逸子と合同詩集。
一本の樹に
一本の樹が生えている
僕の心の奥に
六十三年前の閃光
街を燒き 家を焼き 人を焼いた
一人の韓国人が炎をくぐり抜け
追われるように 独立した祖国へ帰り
広島への望郷を夢見た樹だ
一本の樹が育っている
韓国のなかのヒロシマと呼ばれる
日本の植民地三十八年
土地を取り上げられた人たちが
ヒロシマに働きに来た
一本の樹がある
平和公園の韓国人慰霊碑 その南に
三本の「どんぐり」の母樹がある
秋深くに 落葉のうえに実を撒く
被爆者・
己のふるさと「
水口 洋治 ミズグチ ヨウジ
①1948(昭和23)4・21②大阪③大阪市立大学卒④PO⑤『僕自身について』『ルナール変歴譚』『金色の翼に乗って』『詩経「国風」の楽しみ』竹林館。
希望
秋の深まりとともに
おまえたちはやってくる
夏の轟きに癒えぬ僕のところに
おまえたちはやってくる
僕はいつも川を見ている
おまえたちの去った川を
いくつもの川を探している
川面に休むおまえたちの姿を
街路樹が色づき
銀杏が黄色くなると
灰色の翼で舞い降りてくる
待っていた 僕の胸ははためき
心を紅潮させる群舞を始めると
僕はユリカモメに 心を乗せる
水こし 町子 ミズコシ マチコ
①1944(昭和19)2・3②愛知④「現代詩神戸」⑤『宝物と私の話』市民詩集の会、『花のうえに地球がのる』方向感覚出版、『水の中で』砂子屋書房、『水こし町子詩集』方向感覚出版、『種子になる』砂子屋書房。
行方
須磨海岸の波うちぎわで小さな男の子が
ビニールの袋に海水を入れて
すこし離れた所に掘った砂の穴に運んでいる
何回も何回も海水を穴の中に入れのぞく
海水は砂にしみこみ溜まらない
海水がいっぱいになったらどうするのだろう
くり返しくり返しあてもなく昔
いっぱいになるはずのない穴を
いくつも掘って忘れてしまった夏がある
昨日砂漠の国で砂の穴を自分で掘り
後から撃たれた兵士
アリスのように穴は深く続き
本当は弾ははずれ
死んだふりをして逃げられれば
絵本をくり返しくり返し
不思議な国はどこにある
水の溜まるのを待つのではなく
砂に消えていく行方が
男の子は知りたかったのかもしれない
一人で
まだ海水を入れて運んでいる
水崎 野里子 ミズサキ ノリコ
①1949(昭和24)12・3②東京③早稲田大学文学部大学院④「潮流詩派」「光芒」⑤『アジアの風』土曜美術社出版販売、『原爆詩集一八一人集』英語版翻訳参加・『多元文化の実践詩考』コールサック社。
影
まぼろしの 影
現実の 影
幾年月 刻まれた
悲しみの 慟哭の 影
石に照射された 現実
ヒロシマ 八月六日 昭和二十年
確かに生きていた
笑った 悲しんだ
朝起きて 夜眠った
わたしたちと同じように
でも あの一瞬の時を永遠にとどめた
かつては人だった その筈だった
影の輪郭
影さえもなく
消え去った人々もいる
水島 美津江 ミズシマ ミツエ
①1947(昭和22)②栃木③池袋商業卒④「日本未来派」「波」⑤『蒼ざめた海』花書房、『ブラウバッハの花火祭』地球社、『白い針ねずみ』『冬の七夕』土曜美術社出版販売。
ランニング マシーン
逆撫でる街の風が巻きスカートに絡み付き
なかなか進めない 薄暗い路地を曲がると
シャッター通り シャッターが断絶する世界
は敗北した戦場跡 妙に静まりかえっている
数字を追いかけ 数字に繋がれていた関係
あの人たちは もう
私に向かってはやってこないだろう
会社に浪費した長い歳月の間に 古い家の壁
は徐々に腐食してちょっと指で触れただけで
ぼろり と崩れ落ちた
戦場にいったきりの人 抱きしめる者もいな
い 自分の顔さえ見あたらない
修復できない時間の淵……
狂った時は完全に終わった
けれども 私は出発しなければならない
パタン と
ランニングマシーンを降りたところから
水谷 なりこ ミズタニ ナリコ
①1927(昭和2)7・27②広島③奈良女高師数学科卒④「ガイア」⑤『筬のひびき』 思潮社、『遠い川』『それでも太田川は美しい』『きたじょういっちょうめ』編集工房ノア。
一粒の葡萄
おとうとがやってくる
面会時間に合わせ 空を飛んで
大阪の循環器病センターへやってくる
大動脈弁狭窄症で
心臓を手術する私のことが心配なのか
夏の日盛りの中を
弟は やってくる
幼少のころ
広島の原爆で 母を奪い取られ
「母さんがよくくれた葡萄が欲しいんじゃけ
ん」 ポツリと弟は言う
故郷の味が忘れられないのだろうか
かつての日
通いつめた大阪万博あとの
〈太陽の塔〉を八階の窓から眺めながら
母が最後に食べたという
一粒の葡萄におとうとは口を寄せる
水野 信政 ミズノ ノブマサ
①1940(昭和15)5・10②愛知⑤『折り紙』撃竹社、『待ち針のよう』げんげ草社。
なにげないけしきのなかで
ぷっくりと
はちきれそうなおなかをした
すずめたちが
たかわらいをしながら
いっぽんあしのかかしの
くすんだむぎわらぼうしのうえで
おしくらまんじゅうをしている
もう
なまりのたまでころすひともいないし
かすみあみでいちどにひゃっぱも
とるひともいない
アスファルトでかためられ
しらぬまに
ちじょうへでられなくなってしまった
せみのようちゅうのような
かおをし
かかしはじーっと たちとおしていた
水野 ひかる ミズノ ヒカル
①1944(昭和19)10・4②香川③京都女子大学国文科卒④「日本未来派」⑤『シンケンシラハ』土曜美術社出版販売、『抱卵期』書肆青樹社、エッセイ集『恋の前方後円墳』詩画工房、歌集『車輪の影』短歌新聞社。
音色
目覚めると
虫時雨のなかにいた
草叢に目を閉じていると
耳底からひびいてくる虫の声
いまはもう
?がぴたりと声を潜め
いっぱいの秋の虫たちの
草色の音楽
やわらかく か細く 子守唄のように
眠りを揺らす 音色のゆりかご
十五夜の月が昇るのを眺めた
中天から届く ひかりの音色
月は六歳のときも六十歳になったいまも
変わらない 銀色の旋律
人生は短く
十年をあと何度重ねられるのか……
音色は 色のついた音
優しく 癒すように
わたしは音色を残したい
水野 るり子 ミズノ ルリコ
①1932(昭和7)2・25②東京③東京大学文学部仏文科卒④「ひょうたん」⑤『ヘンゼルとグレーテルの島』現代企画室、『ラプンツェルの馬』思潮社、『はしばみ色の目のいもうと』現代企画室。
えだまめ
えだまめのさやを
ひとさやずつ 摘みながら
鍋のなかに落としていくとき
わたしの手から
無心にこぼれおちていく
もうひとつの
かたちのないさやたち……
さやたちの影の時間は
しんかんと手からすべり落ちつづけ
ふとなにかの気配に
ふりむいてみても
そこには一種の永遠に似た
しずけさがあるだけ
わたしはもう どこにもいない
素性のわからないままに
こうして過ぎていく
わたしのいちにちを
追いかけるものもいない
深い鍋の底に
あわあわと落ちつづける
えだまめのうすみどりの影だけ
溝口 章 ミゾグチ アキラ
①1933(昭和8)②静岡③法政大学文学部日本文学科卒④「PF」「青い花」⑤『伊東静雄――詠唱の詩碑』『流転/独一――一遍上人絵伝攷』土曜美術社出版販売。
秋風が吹いた
秋風が吹いた
さわやかにはじめての
それはからっぽになった
(私)の体のなかを擦り抜けると
陽の注ぐ竹の葉群を掻きわけて
清々と音立てて揺らせていた
浅葱にけぶる空の青がどこまでも広がっていく
のびやかな この軽さは
いったいどうしたことだろう
軽すぎるのだ 世界までが
ちぎれ雲が 列をなし
陽に染まって踊っている
それが天上の季節なのか
地上は暑熱に焙られて
野草たちは萎えしぼみ
踏む足もとからほこりが立つ
白い道(私)は道の辺の草となり
称名を開いている
(詩集『流転/独一』より)
三田 洋 ミタ ヨウ
①1934(昭和9)9・9②山口③早稲田大学文学部卒④「地球」⑤『回漕船』思潮社、『一行の宵』詩学社、『デジタルの少年』思潮社、詩論集『抒情の世紀』土曜美術社出版販売。
シュート
ボールはゴールポストにあたり
きわどく外れる
そのわずか数センチ
蹴ればそのようにボールはとぶ
そこには一点のくもりもない
たとえば
戦死しあるいは生きて還る
そのはじめから
幾世紀となくくりかえされる
その数センチの煉獄
そこをミリ単位に検証しても
数の並列には怨念も闇もみえない
鮮やかな芝生もニュートンも
すべて沈黙させられたまま
きょうもボールは
そのように放たれる
三井 喬子 ミツイ タカコ
①1941(昭16)10・11②愛知③愛知大学国文学専攻科卒④「部分」「イリプス」⑤『牛ノ川湿地帯』『紅の小箱』思潮社。
冬至には
雪雲の穴
青空が照り
おんどりが飛び出す アハ
雪雲の穴
一面に黒くなり
おんどりの首から 黒い血がしたたる アハ
けたたましく
一羽 また一羽
おんどりが現れる ハ
羽根が逆立ちトサカが千切れ
約束が破れて
ハ 落ちてくる
今夜はしっかり積もるだろう
狂気の女が白足袋をはき
座敷牢の鍵は地中深くに埋められる
咳き込んだ番人はキセルを捨て
鍋を火にかける
(肉と卵と葱とコンニャク) アハ