会員のアンソロジー12・新保啓氏〜
新保 啓 シンボ ケイ
①1930(昭和5)3・9②新潟③直江津農工学校商業科卒④「詩彩」⑤『つまらない自販機』書肆とい、『丸ちゃん』詩学社、『あちらの部屋』花神社。
杉木立
喉越しの小さな風 細く金属性の音を立て
生きてること 主張してる
昨夜から今朝にかけ 三度起きたこと
忘れてる
一夜のうちに 何度も朝を迎えるなんて
喉越しの小さな風 三度目の朝を吹いている
細く金属性の音立てて流れてる
キィーン キィーンと聞こえる
小鳥が鳴いている 山の中で
風が集まって騒いでる
家人たち
ベッドの脇の杉木立となっている
神保 武子 ジンボ タケコ
①1940(昭和15)2・8②群馬③前橋女子高校卒④「裳」⑤『父の旅』砂子屋書房、『一対の器』裳の会。
六月の食卓
新井さんの朝もぎの胡瓜は
薄くきざんで胡麻和えにして
清水さんの手造り豆腐は
そぼろあんかけにして鉢に盛る
ヘルパーの大山さんが
それに分葱のみじん切りを散らして
何年かまえの 六月の食卓は
さわやかな香りに満らて
口をすぼめておいしい と微笑む人がいた
今朝 新井さんの退院の朗報といっしょに
朝もぎの野菜がとどいた
出来すぎた胡瓜は塩もみにして
とうもろこしと隠元はそのまま茹でるだけ
清水さんちのトマトを輪切りにして
シンプルなひとりの食卓
色鮮やかな野菜たちに つつましく一礼して
大口をあけて かぶりつく
たくさんの恵みの真ん中で
生きている わたし
末田 重幸 スエダ シゲユキ
①1926(大正15)3・2②広島③広島高師社会科卒④「火皿」⑤『かいつぶり』書肆季節社、『柿本人麻呂――無冠の恋歌』『秘められた挽歌』講談社。
人麻呂懐古
石上布留の里
ひろがる稲田のほとりに君は佇む
春霞たなびく水田に仮庵を付け
赤裳泥塗ちて田植する妻の姿を見た
粗末な小屋に「破れ薦」を敷いて
秋田刈るまで過ごす仮庵の日々があった
七〇二年十月だったろうか
鶴が鳴く田園に庵りして
仮庵に宿る妻を見たい
明日からは旅だと妻に告げたい
早稲を刈る時は過ぎたが
妻は来ないつもりらしい と
石上布留の里
いつの年だったか ほのかな郷愁に惹かれて
ぶらり 明日香にやって来た
見るべきも定めず 宿もなく
辿り着いた町が其所守もり部べの里だったのを
杉谷 昭人 スギタニ アキト
①1935(昭和10)1・13②朝鮮半島③宮崎大学学芸学部英語科卒⑤『日之影』思潮社、『宮埼の地名』『人間の生活――続宮崎の地名』『霊山』鉱脈社。
道路掃除
頭の上に張り出した枝を数本切り落としたら
道路の小石がとつぜん光りはじめた
村の日の出にはまだ早かったが
空に反射するものはもう届いていたのだ
捨てられるはずの椎の若葉にも
切られた痛みはまだ芽生えていないのだろう
樹であることをあくまで主張するように
道の真中で一直線に枝を伸ばしている
この道はどこまでもまっすぐつづいていると
そう信じた時代がたしかにあった
ムラのためにここに大きな橋をかけるのだと
この曲がりくねりを直そうとした日々が
工事が途切れたままのコンクリートの橋脚が
鉄筋の赤錆を谷の底に曝している
朝の光はそこにもすでに当たりはじめている
わたしたちはただ黙って椎の枝を払いつづける
杉本 知政 スギモト トモマサ
①1932(昭7)12・24②岡山③金川高校卒④「黄薔薇」⑤『風の声』手帖社、『土の口伝』土の口伝刊行会、『時と歩んで』矢野デザイン事務所。
語りかけて
菜園は何時も囁きに満ちている
小さないのちたちの
ぽつぽつと訪ずれる雨の音の
時折り立ち止る風の音の
土の幼児たちは祈り続ける天使
季節の呼声に目を覚し
赤や黄や緑に熟れた思いを手渡してくれる
今はトマトやナスが
花びらを振わせ燕と語り合っている
夏空は紅く落ち始めていた
夢の形を結んでは解いている雲の峯
苦しみに少し楽しさを混ぜた縒糸にもたれ
語りかけている総ての声を聴きたいと思う
肌を透し心の扉を叩く響きを
燕の囀りの少し向う
誰にも届かない言葉を抱え
ひっそりと立っている影が気になっている
杉本 真維子 スギモト マイコ
①1973(昭和48)1・10②長野③学習院大学文学部哲学科卒④「COW」⑤『点火期』『袖口の動物』思潮社。
笑う
白蛇のように流れた
くらやみの包帯について
かち鳴らす銀色の箆へらのような
うすく、清潔な悪いこころ
乱されるように均されて
手首からひらたく黙る
そのまま、いまは誰もなにも
わたしに映りこむな
雨のしずくに閉じこめた
逆さの文字だけを読みすすみ
いつか、出口のように割れてみせる
破片は朝のひかりに
なぜにんげんのくずのように掃かれるか
黒い背がいっしんに屈み
ばらばらの顔を丁寧に並べていくと笑う
杉本 深由起 スギモト ミユキ
①1960(昭和35)4・18②大阪④「季」「とらいあんぐる」⑤『キュッキュッ クックック』編集工房ノア、『トマトのきぶん』銀の鈴社、『ふうわりと』編集工房ノア、『いつだって スタートライン』理論社。
こころに つぼみが
だれかに やさしくされたら
だれかに
やさしくしたくなる
こころに つぼみが
ふくらんで
パッと 花がひらく
たんぽぽみたいね
「ありがとう」
って 咲いた花は
綿毛になり
また
だれかのこころに
とんでいく
わたしとだれかの
こころ ころころ
春にして
杉山 平一 スギヤマ ヘイイチ
①1914(大正3)11・2②福島③東京帝国大学文学部美学科卒④「四季」⑤『夜学生』第一藝文社、『声を限りに』思潮社、『ぜぴゅろす』潮流社、『杉山平一全詩集上下』編集工房ノア、『詩のこころ美のかたち』講談社。
わからない
お父さんは
お母さんに怒鳴りました
こんなことわからんのか
お母さんは兄さんを叱りました
どうしてわからないの
お兄さんは妹につっかかりました
お前はバカだな
妹は犬の頭をなでて
よしよしといいました
犬の名はジョンといいます
杉山 滿夫 スギヤマ ミツオ
①1932(昭和7)10・1②茨城③下妻一高卒④「龍」⑤『夜の流域』不死鳥社、『終りは始め』龍詩社、『杉山滿夫詩集』芸風書院、『蝙蝠が飛ぶ』書肆青樹社。
敗戰六十三年
戦爭は遠くに去っても
米軍の基地は残っている
各都市を爆撃した米空軍の司令官には
航空自衛隊の発展に貢献したと
敗戰後に勲章が贈られた
無防備都市のまま放置された地方都市は
無数の燒夷弾や二発の原子爆弾で
人も建物も燃えてしまつた
防衛する兵器も手段もなく
軍隊は地方都市を国民を護れなかった
鹿島灘の丘陵地帯に横穴を掘って
本土決戰の準備をしたのは十三歳のときだ
敵の飛行機は編隊を組んで上空を飛んでいた
ぼくの友人は夜の防空壕で死んだ
ぼくは何時まで生きるのだろう
平和が確立するために
図子 英雄 ズシ ヒデオ
①1933(昭和8)3・21②愛媛③大分大学経済学部卒④「原点」⑤『地中の滝』花神社、『阿蘇夢幻』創風社出版、『静臥の枕』青葉図書。
仲秋の蟬
晩夏の昼さがり 墓地を歩いていると
背後から頭上にひとそよぎの微風を刷いて
熊蟬が手前の小径に落ちた
わたしは駆け寄って
仰向けにもがくいのちを掌に掬った
蟬は身を翻そうと
必死に翅をばたつかせ
もがきつつ 息絶えた
大地でない 怖ろしい掌の中
六本のちいさな肢をきちんと畳んで……
庭土ふかく葬ってやらねば、と思いつつ
わたしの机上で仲秋を迎えた蟬は
原形をくずさず
腐臭もなく
網目の乾いた天上的な美しい翅を透き徹らせ
窓ごしに 祈るかたちで
しずかに名月を仰いでいる
鈴木 賀恵 スズキ カエ
①1932(昭和7)4・29②大阪③京都造形芸術大学芸術学在学中④兵庫詩人協会⑤『瑠璃色の魚』石川書房、『夢のはざま』『青の花』編集工房ノア。
覚書
アナトリー・ラブルク
ロシア人、
「黒い未亡人」地雷発明者
足を吹き飛ばして生かしておく
コストがかかる
国の弱体化
ガイ・スローナー
武器製造会社 エンジニア
「クレイモア」M18
製造者
私は忠実な米国エンジニアです
殺人は好きではないが、
やらなければならないことはやる。
ベトナムで100万個使用
枯葉剤を撒いた面積、東京ドーム×58
広島・長崎
原子爆弾
欧州には決して落ちなかった
アパルトヘイト
鈴木 薫 スズキ カオル
①1959(昭和34)1・4②福岡③西南学院大学文学部英文学科卒④「パルナシウス」「現代詩ハテナの会」⑤『海よ』詩画集、『水を渉る』本多企画。
はじまりについて
かっこつけずに歩いて行くと
意志を越えて開けていく道が在る
不明を不明のままにするような
やりきれないやさしさは
勢いよくどこかに捨てることだ
今この一瞬に
死ぬものと生きるものがたえずあることを
自明のように受容しているのなら
地の重さを自らの身体に
まっすぐに受け入れねばならない
今日の死装束がなお
明日の産着となることを
断固として主張しなければならない
自らの意志を踏み越えて歩く
がらんどうの自分を通り抜け
意志を越えた大きな意志へと進むこと
見えるもののはるか先を見据え
見えないものの確かな予兆を感じること
そこからしか
もう地球の一歩は始まらない
鈴木 孝 スズキ コウ
①1937(昭和12)1・26②愛知③南山大学仏語仏文科卒④「宇宙詩人」⑤『まつわり』燔書房、『nadaの乳房』書肆ユリイカ、『あるのうた』青土社、『泥の光』思潮社。
もうこれまでと
もうこれまでと
陽に焦げ水を吐き終え
背と腹をさらし転がり
独り空虚を彷徨う季節は
去っていく
消滅していくものの徴笑み
それだけか
みつめ合いうなずき合う季節たちは
朝支え枝にまといつき
五番目の季節は
風がゆれる昼
孤独な坩堝に舞い上がり
夕闇が喰う
沈んでいく陽を追いかけ
季節が無色に去っていく
記憶の中の街々をかき集め
忘却の中に人々を押し込め
もうこれまでと
鈴木 茂夫 スズキ シゲオ
①1953(昭和28)12・4②茨城③千代田学園放送技術科卒④「潮流詩派」⑤『南向きの地図』『戦後の学校』詩論集『主題と方法』潮流出版社。
進化の歴史
十秒ほどに圧縮された人類の
進化の歴史
四つん這いの姿勢から
猛獣の形相で筋肉を躍らせ
上体を立てていく
二足立ちまでの一〇〇メートルの
時間を競う
まっすぐに立ったときは
すでに勝負がついている
本当は
九秒六九からが
歴史の始まりなのに
いっせいに走るのをやめ
ヒトの顔になる
鈴木 俊 スズキ シュン
①1931(昭和6)8・1②東京③東京大学教育学部教育学科卒業④「火片」「花」⑤『青大将』青孔社、『ベアト・ブレヒビュール詩集』翻訳 土曜美術社出版販売。
おでこの効用
おでことはどこからどこまでをいうのだろう
辞書には額のこと
眉毛上方から頭髪の生え際までとあっても
その生え際が面倒なことに移動するのだ
僕の場合はまっ白になった頭髪が薄くなり
段々疎らになってピンクの地肌が透けて見え
るようになってはいるが
かろうじておでことの境界線は変わらない
しかしながら僕のような例ばかりではない
知合いの或る大学教授は僕より若いのに
会う度に彼のおでこは面積を拡大している
知識人である彼は広大なおでこを光らせ
毎日講義に講演に東奔西走
家に帰ると早速風呂に飛びこんで
おでこに冷たいタオルを載せるのだろうか
もしも彼が頭髪の最後の一本を喪失したら
どこからどこまでがおでこで
どこから先が頭部といえるか
それは誰にもわからない
そのわからない部分の拡大が
彼の知名度を繋ぎ留めているように思われる
鈴木 東海子 スズキ ショウコ
①1945(昭和20)11・18②神奈川③埼玉大学教育学部美術科卒④「櫻尺」「歴程」⑤『補助なし自転車のペダル』詩学社、『日本だち』『野の足音』『詩の声 朗読の記録』『詩の尺度』思潮社。
夕窓
北の小窓のなかは夕闇でするりとのびるのだ
が。ひとふきの流れが重く漂うのだが。
窓は闇をとおる風を押してくるばかりで明か
りのひとすじをしぼりこみ日をむらさきにし
ぼるようなしみ方なのであった。
眼のとどまるあたりに。
葉のかたちにうずもれるように訪ねてくる。
窓のかたちにうずもれるように訪ねてくる。
室内の明かりにふちどられる頃になると
小枝がひるのつづきに夕風をのせてたわむよ
うに夏のはじから葉のかたちにとどまる。
〈左羽が少し短いね。〉
影の葉の濃さで羽の色に重なってあるのだっ
た。眼のとどまるあたりに。
うずもれているかたちから見えているのだろ
うか。青菜を刻む手にしめす明かりの輪がこ
こにあって。黒い羽が風の音をしずめて葉の
ふるえを伝えている。声のようなふるえよ。
小窓のなかの眼のとどまるあたりに呼ばれて
いるのであった。
背がはばたきたいのであった。そこまでへ。
鈴木 哲雄 スズキ テツオ
①1935(昭和10)3・19②愛知③旭丘高校卒④「青い花」「同時代」「環」⑤『蟬の松明』環の会、『やさしさ依存症』『途中橋』書肆青樹社、『神様だって』樹海社。
学習
人はみな泣きながら生まれてくる ……
私もまた大きな泣き声をあげて生まれて来た
と母に聞いた
心地よい母の海から旅立つことに怯えたのか
それともどの方向をめざしても
すべての道が死に向かっているその虚しさに
思わず声をあげたのか
覚えがない
でも はるかな歳月の山坂を越えてきて
いまは神のささやかな心遣いなのだと
素直に思う
悲しみのシミも 苦しみのシミも
泣けば涙が洗い流してくれるという
神はそんな涙を旅立つ私たちにそっと手渡し
泣きの学習をさせて送り出してくれるのだと
*シェークスピア「リヤ王」から
鈴木 豊志夫 スズキ トシオ
①1943(昭和18)1・13②千葉③中央大学法学部法律学科卒④「地球」「光芒」⑤『噂の耳』芸風書院、『美麗島紀行』詩人世界社、『鈴木豊志夫詩集』近文社。
前橋にて
四月の山は近かった
一枝のヤブデマリの花
左が三国 正面が谷川 右が……武尊かな
ことしは雪が多かったからね
とわたしを誘ってくれた前橋の友人
あれはブッダガヤへの途中
ニューデリーからプトラへの機内
淡水真珠の首飾りのような
ヒマラヤの山が左手の窓にあった
粗朶木を背に急斜面を駆け下りていく少年
背負梯子の肩帯が食い込み
親指の飛び出た靴を見つめ
上り坂を喘いだふるさとの山
ここでは遠い日が見えるようだ
ふいとガラス越しに散る白い花影を感じた
母入院の知らせが入った
雪山からわたしは急遽帰還しなければならなかった
鈴木 漠 スズキ バク
①1936(昭和11)10・12②徳島③池田高校卒④「海市の会」⑤『鈴木漠詩集』思潮社、『言葉は柱』連句集『ぜぴゅろす抄』編集工房ノア。
遊戯
遊びをせんとや生れけむ(梁塵秘抄)
円陣を組み
歌い囃す子供たちの
かごめかごめの輪の中で
目隠ししてしゃがむ子は
籠に囚われた小鳥
月の光が
あまねく降り注ぎ
愛らしい群像に
柔らかな影も生まれている
然しながら
この平穏な月夜そのものが
透明な硝子に囲われた
巨大な檻だと言えなくもない
見えない檻の中で
われわれは皆
永遠に遊戯しているらしい
鈴木 比佐雄 スズキ ヒサオ
①1954(昭和29)7・9②東京③法政大学文学部哲学科卒④「COALSACK」(石炭袋)⑤『日の跡』本多企画、『詩の降り注ぐ場所』コールサック社。
日の跡
日の跡を見つめる
日の光と影のはざまに
ぼくは引きずり込まれる
1
苦灰石
古代シルル紀
四億数千万年前
カナダのバーリントン
ナイアガラ渓谷で
ウミユリ類が生きた日があった
その肢体が岩石となって
今は板橋の公園の片隅にある
前を通るたびに
ぼくは、ふいに
ウニやナマコの祖先を想い
時間酔いにめまいする
鈴木 文子 スズキ フミコ
①1941(昭和16)9・24②千葉③野田市立第一中学校卒④「詩人会議」「炎樹」「海風」「野田文学」⑤『女にさよなら』オリジン出版センター、『鳳仙花』詩人会議出版、『電車道』コールサック社。
よくぞ健在で
おやかたあぁ おやかたあぁ
ぎょっ。がき大将の釣ざき?
つんざく声がマンションの壁面をなめ
わたしの窓に ちょいと立ち寄り
超音速旅客機を追って行った
祭ばやしの笛 太鼓
御神酒あびた威勢の良さに
脳のへどろが刺激され
籠から飛び出るキングコブラのように
体内の老廃物も踊り出た
むかし 樽屋の細工場で
木っ端と青竹の匂いを絡め
トンカラトンと躍動していた職人言葉
よくぞまぁ お元気で。
おやかたあぁ おやかたあぁ
うーい いっぷくだぁ
鈴木 正樹 スズキ マサキ
①1948(昭和23)9・16②東京③国学院大学文学部史学科卒④「地球」「葡萄」⑤『闇に向く』詩学社、『川に沿って』思潮社。
回廊
砂漠を貫く 大河のほとり
の 神殿 の 廃墟 の 奥
の 回廊
崩れかかってはいるが 背丈を超す石組み
の ポケットのような
寝室に向かって 僕は歩いた
肩幅よりは広いが 通り抜けるだけの幅
体格に違いがあっても 鎧を纏っても
人は 中央を歩くしかない
だとしたら アレクサンドロス
僕と 彼の
占めた空間 踏みしめた場所
は 二千数百年を隔て
重なっている
紙 の 裏表
時間 の 金太郎飴 の
ブツ切り の ように
鈴木 美枝子 スズキ ミエコ
①1949(昭和24)11・8②北海道③北海道教育大学函館校卒④「日本未来派」⑤『肉体の領域』『夏の肉体』ラフォルグ訳詩集『嘆き節』『地球のすすり泣き』北海詩人社。
触媒
胸のつまる服を着たみたい
「いろいろありますねぇ――人生みたい」
一枚の映像にタッチすると 明滅する
スクランブル交差点を通っていく感じ?
昔出会った少女に また出会えたね
その庭には ちきゅうの中の
小さな生きものがいっぱい
宇宙を持ち上げて 小さな生きものよ
生きもののノドの奥には小さいけれど
大きな宇宙が あるの
疑問符は 心の角度を変える
とうとつに言えば
海のノドの奥の奥には宇宙があり
透明なこのガラスの色へと つながっていて
しぶきの飛び散る この実験室の
廊下のつきあたり 夜もまた
月明りの中 しぶきがあがり
深い宇宙を映し出す
時代の片偶で見失ったものたちよ
見失ったものたちよ
鈴木 満 スズキ ミツル
①1926(大正15)3・3②東京③中央大学経済学部卒④「白亜紀」⑤『翅』『月山』国文社、『鈴木満詩集』「新・日本現代詩文庫47・土曜美術社出版販売。
ひぐらし
むかし 戦争がありました
おおぜい 人が死にました
死にそこなった若者と
ひとりの娘が会ったのです
小松林にふたり 腰をおろすと
時間がそろりと流れました
山百合の花が匂って
ひぐらしが鳴いていました
ひきあう何かがあったのです
でも 娘はお嫁にいきました
いまでも 山百合の花が咲くと
ひぐらしのカナカナが胸に響くのです
かの里のかの人如何に百合匂ふ
鳳子
*俳誌「かいつぶり」主宰 齋田鳳子
鈴木 八重子 スズキ ヤエコ
①1935(昭和10)3・25②岐阜③大垣北高校卒⑤「舟」⑥『長い廊下』レアリテの会、『種子がまだ埋もれているような』土曜美術社出版販売。
夏の駅
「さようなら」「おさきに」。枝線といわれる
美濃赤坂線の終点、無人になったあの駅の板
壁に書かれていた文字はまだ残っているだろ
うか。とおい目をしていると――。駅前通り
のどしゃ降りのような陽ざしをわけて、白い
シャツや夏帽子のひとたちがあらわれる。や
がて四輌連結のガソリンカーが発車する。特
別講習を受けにいく高校生のわたしも乗って
いる。わたしの頭のなかはまた鬼ゆりに領さ
れている。戦時中、母を埋葬した土まんじゅ
うのまんなかに自生した鬼ゆり。車輌から車
輌へ車掌さんが移動していく。切符を切るハ
サミを鳴らしながら。左前方に小学校がみえ
てくる。校庭のはずれにあるプールの水面が
キラキラしている。野道でこどもが手をふっ
ている。福田の川の鉄橋を渡るときは少し音
がかわる。乗車してから下車するまで、みん
ないっしょにゆられている。それぞれにはじ
めての年齢を生きながらどこかへいく途中の
時間を。まだ間があるのに終点の無人駅には、
もうつぎの上りを待つひとがいる。
鈴木 有美子 スズキ ユミコ
①1961(昭和36)3・30②茨城③東京女子大学文理学部哲学科卒④「白亜紀」⑤『Indian summer』詩学社、『細胞律』『水の地図』思潮社。
私の犬
私は犬を飼っている
賢い犬と醜い犬 或いは
貧しい犬とよく泣く犬の 二匹の犬を
賢い犬は私によくなつく けれど彼は貧しい
ので
ときおり指を咬んでくる
それを見て醜い犬が笑い出す
笑うたび孤独になることにも気付かずに
二匹の犬は私を憎む
私は彼らを憎まない
私は 世界が彼らの憎しみのため
どうにか息づいているのを知っている
もしも彼らがいなければ
世界など
気付かずに見過ごしてしまった風景のようだ
私は犬を飼っている
二匹はひどく痩せているので
私は 彼らを打ち
そして彼らを抱きしめる
鈴木 ユリイカ スズキ ユリイカ
①1941(昭和16)10・30②岐阜③明治大学文学部仏文科卒④「something」⑤『MOBILE・愛』『海のヴァイオリンがきこえる』『ビルディングを運ぶ女たち』思潮社。
君へ Ⅱ
もし君が誰かに死ね、死ね、死ねと
言われても絶対に死んではいけない
もし君が体じゅう痛くなる病気になっても
絶対に死んではいけない 君は心のカーテン
を開き 今日も朝の花 モリハズク
パンダの白い赤ちゃんみたいに無邪気に
幸わせに生きるのだ
もし君が心も風景も寂しい苦しい時を
過ごしていたら一枚の切符を買い電車に乗り
渋谷駅の岡本太郎の絵を見に行くといい
一人の男が太陽のように
燃えているのが見えるだろう
一瞬君は君のことを忘れるだろう
君は君以外のことを考えて体じゅうが
カッと熱くなるだろう あれは何か?
君は大人になったら いじめも自殺も子供の
殺し合いもナイフ事件もみんなあそこから
やってきた 原爆はまだ終っていないのだ
とわたしに話して欲しい
ゆっくり わたしは理解するだろうから
君の生きることのすべてがすばらしいのだよ
鈴木 理子 スズキ リコ
①1932(昭和7)1・28②東京③お茶の水女子大学理学部生物学科卒④「沈黙」⑤「三つの秋のうた』『真昼の旅』『夕暮の鏡』『系統樹』現代詩研究所。
最後のことば
生まれつきの左利きだから
いつも左手に頼り切っている
こどもの頃きびしく直されたから
箸を使うのと文字を記すのは右手の仕事
それでも鋏と庖丁は絶対に左の手の役目
凶器を握れない右の手で詩をそっと書く
だからときどき大きな嘘も書いてしまう
それが私の精一杯の不在証明
もう幾年も左手でしっかりと暖めてきたのに
まだ孵化できない私の「なぜ」
卵のままの球形の「なぜ」が
美しい緑色のガラス玉に昇華すれば
それは私の最後のことば
ある朝どうしても孵化できない「なぜ」を
左手で握りしめたまま旅立つのだろうか
それとも「なぜ」は緑色の尾を曳いて
独り真っすぐに天へ帰っていくのだろうか
「なぜ」に答えなかったあの
男のいる天のどこかに
鈴切 幸子 スズキリ サチコ
①1937(昭和12)2・3②静岡③三島北高校卒④「山脈」「花」⑤『流砂の渇き』。
晩秋
寒くなったね
心が寒いと余計寒く感じるわ
そのあとは黙って歩いた
まえになったり うしろになったり
うしろにいて見てしまったもの
まえになったとき
私はどう見られていたのだろう
いつしかその人は消えて 影だけになり
影は地面に長くのびていた
風が生まれ
風の渦 身にまとう
もやすもののなくなった心は
ただ さむざむと
枯葉になってゆれている
進 一男 ススム カズオ
①1926(大正15)3・27②鹿児島③明治大学文学部英文科卒④「柵」(詩画工房)⑤『指の別れ』本多企画、『美しい人その他』詩画工房、『香しい島々』沖積舎。
川は流れない
川は流れると言いたいのだが川は流れない
私の幼馴染みの川は今は干乾びてしまった
かつての洪水で流されてきた岩も群がり
完全に子供たちの遊ぶ姿もそこにはない
川沿いの小路には赤木の大木の並木が続き
この辺りは旧面影を残す少ない場所であるが
川の流れが無いばかりに風景も滅びた感じ
滅びた風景の中を私は月に一度は必ず通る
ある大雨の後の日に私は川を見に行った
溢れる程の水量ではなく被害もなかったが
少し茶色に濁った水が音を立てて流れていた
それも何日か経てばまた干乾びたもとの川だ
鈴村 和成 スズムラ カズナリ
①1944(昭和19)3・22②愛知③東京大学フランス文学科修士課程修了④「歴程」⑤『青い睡り』永井出版企画、『微分せよ、秒速で』書肆山田、『ケルビンの誘惑者』思潮社、『黒い破線、廃市の愛』書肆山田。
double
くちびるに粗いレースをあてがい
荒れた体をひらいて
つがいになり 離れたりして
水景に黒点が欠けてゆくのを見送っていた
散乱して粒立ちがちなきみの笑い――
「それゆえ」と音叉が心拍を越えていった
前線は騒いでいた 片かなはさびしい
それは水温だろうか いまもわたしは
やつれた人のふところに忍ばせた
冷感を記憶しているのだ
「それいゆ」と
ほどけている仮縫いのかたちに
フィルムを透かして あおじろく
喪心して そうして
くずれているのがいい 斑らなのがいい
さびれてる手術台があるよ
《エフェメラってことね
《まるでトルソだわ 二声になって
白い罫線を引いていった
周田 幹雄 スダ ミキオ
①1932(昭和7)9・27②愛知③早稲田大学第一法学部卒④「驅動」⑤『照準』宝文館、『視力表』土曜美術社出版販売、『老人施設日録』関西看護出版、『愛する素振り』土曜美術社出版販売。
痛点
膵臓から分泌するインスリンが枯渇したので
腹に 自分でインスリンの注射を打つ
血液中の血糖値が 食直後に急上昇するので
食事の直前と就寝前に打つ
臍の間近に 神経が集中しているので
数センチ離れたところに針を刺してみるが
極端に痛いことがある
そこに針を刺すと 内出血を起こすので
針を引き抜いて 別のところを探す
皮膚の痛点の分布は かなり密集している
魚の鱗には 痛点が少ない
魚は 痛覚も鈍いといわれている
痛くないからといって
簡単に食われていい という理屈はない
命を脅かされるのだから
より大きな魚に銜えられれば
その目は 恐怖で引き攣っている
何処を刺されても 殆ど痛みがなかったら
人間は もっと簡単に命を落として
人間は 人間になっていたかどうか
砂川 公子 スナカワ キミコ
①1946(昭和21)10・10②石川③金沢女子短期大学卒④「笛」⑤『生まれない街』能登印刷出版部、『もうひとつの空から』思潮社、『櫂の音』能登印刷出版部。
火宅
おいで ひらいた腕のように
うしろに正面があった
振り向けばしかし そこに正面はない
東風 彼岸西風 南風 吹く前の
あるいは野分 吹いてからの
風であったよ 同じ和音の
萩 芒 箒草の 咲いたあとの 草の線
とくとくと 立ち枯れの祖を伝い
くっくっと いのちの匂い芳しく
たよりなくやさしくしなやかな そこに
初しぐれ 鰯雲 雪もよい
西高東低の どこでもない
そこは 名付けられる前の
頰をさえつたうところではなかったよ
金色の雲を浮かべた空へ
顎を突きだし 目隠し後ろ手に
ずっと昔にそのように
たしかに抱かれたことがある
なつかしい人さらい うしろの正面
すみ さちこ スミ サチコ
①1938(昭和13)3・7②長野③上田染谷丘高校卒④「山脈」⑤『桜神』待望社、『イソップばなし』山脈文庫、『卵料理』『透きてくずれず』ワニ・プロダクション、『火を見つめる時間』野火叢書。
桜神
花の終りを
凄まじい雷鳴で締めくくり
ああ あなたはやはりいらしていた
咲き倦んで もう散るだけの吉野は
薄く埃りじみ 色褪せてもおりましたのに
花という花の 芯のくれないビクンと立ち
山ひとつを総毛だたせたのち
やわらかな雨が輪郭を際立たせて過ぎる
受けくちで紅をさしてもらう
あどけないほどの幼い恋を
ゆく春が巨きな腕で
ことしも素早く捲き取ってゆく
さくら さくら
弥生の空は
酷薄なほど移り気で
花衣を選び迷っているうちに
もう うしろ姿
墨岡 孝 スミオカ タカシ
①1947(昭和22)5・20②静岡③慶応義塾大学医学部卒④「歴程」⑤『時代の選者への解答』『頌歌考』詩学社、『見果てぬ夢の地平を透視するものへ』詩の世界社。
時代
時代に追われるようにして
私達の旅は 始った
あれは いつの日の夢だったろう
風にゆれる 萩の花 そして
霧のように ひとすじの
はるかな 価値を 囁くのは誰だ
背後には 流れていく夜があって
世界を流れていく夜があって
闇のなかに
せつない眠りの数々がつぎこまれていく
だから
多くの価値が 集積し
信じ得る人間の誠実と魂がみちあふれ
絶望を希望へと変え
無念を愛へと手渡せる意志を
私達は 持ち続けると言える
ああ 風にゆれる 萩の花 ひとすじの霧
住吉 千代美 スミヨシ チヨミ
①1932(昭和7)10・23②兵庫③神戸大学教育学部(二年課程)卒④「花筏」「別嬢」⑤『夏の日の午後』書肆青樹社、『午前零時』潮流社。
おおたか
望遠レンズを据えつけ 男たちは待っている
六甲山から飛来してきた大鷹が
池の向こう岸
くろぐろとした木立のどこかに
身を潜めているという
餌付けされ 飼い馴らされた
まがもや かるがもの群れが近寄ってくるが
男たちの目は遠く木立に注がれたまま……
人を避け 決して近づくことのない
一羽の猛禽の
舞い上がる一瞬にすべてがかけられている
「五時間待ったのだからもうそろそろ……」
男の一人がボソリとつぶやく声を背に
私は歩き始める
かつて
私にも
あのように熱く待ち続けるものがあった
スヤマ ユージ スヤマ ユウジ
①1932(昭和7)12・24②山口③広島大学卒④「らくだ」「珊瑚樹」⑤『オジャマサン デス』『タオ』『テンジョーウラ』『アンチャン』らくだ詩社。
タケノ ハナ
ヒトタビ ダケノ
ハナオ ヒラカセル タメニ
ナガイ トシツキ イキルノカ
ドレホドモ イキナイ ウチニ
ナカマノ ツクッタ バクダンデ
フキトバサレル イキモノモ イル
ナガイ トシツキ イキテ キテ
ジブンヲ アラワス コトバノ カタチガ
マダ ミツカラナイ ワタシモ イル
コノ メデワ
ミル コトモ デキナイ ハナガ
シンダ ノチニ
ヒラクノカ
関口 隆雄 セキグチ タカオ
①1952(昭和27)4・7②東京③明治大学商学部商学科卒④「地球」⑤『冥王星ロッキー』書肆山田、『貘さんのバク』土曜美術社出版販売。
砂丘
暗い灰色の空の下 ラクダ色の砂丘がどこま
でも広がっていた 砂丘をゆっくりと歩いて
いる人の後ろ姿が見えた 八十歳を越えた父
のようだった 「とうさん!」と大きな声で
呼んだ 父はふりむいて笑顔を見せた 青ざ
めていたがいい顔だった 父は背をむけて再
び歩き出した 私は父を追いかけたが 砂丘
に足がのめりこんでなかなか前にすすまない
父の姿はどんどん小さくなっていった 衰え
ていく体をいたわりながら 父は覚悟を決め
ていたのだ 父を誰も止めることはできない
父は砂丘の果ての はるかな世界へ 一人で
帰っていく
関野 宏子 セキノ ヒロコ
①1933(昭和8)5・5②東京③日本女子大学文学部国文学科卒④「木々」「燦」⑤『花筏』野火の会、『翡翠』『夢に来ませ』花神社。
蔦の家
坂の上に その家はある
蔦の蔓が伸び 壁を伝い 窓を隠し
枝分かれした蔦は家を廻り
葉が覆いかぶさって鬱の状況だ
風が吹けば
葉群れが一斉に揺れ 震えが止まらない
雨が降れば
葉から葉へ落ち 止めどなく流れ 滂沱の涙
ある晴れた日
艶やかな葉の隙間から
白い蝶がひらひら出入りしている
窓辺に赤い花が
内側から窓が開けられたのだ
夜 葉群れの間から
橙色の家の灯が漏れていた
回復期を迎えたと見上げている
瀬崎 祐 セザキ ユウ
①1947(昭和22)7・4②岡山③京都大学医学部卒④「風都市」「ERA」「どぅるかまら」⑤『雨降り舞踏団』『風を待つ人々』思潮社。
叛乱船
十月の夜が更けてから嵐になると、傾きなが
ら航海を続ける船が、はるか沖合にあらわれ
る。その船には十二人の片耳のおとこたちと、
十二人の片目のおんなたちが乗っている。左
手からの風を受けると、片目の視線は左に残
したまま、おんなたちはいっせいに右手を高
く上げて体を右に傾ける。そのたびに船は傾
きを強くする。おんなたちの歌声とともに、
それから船は反対側に揺れもどる。こうして
船はしだいに左右への傾きを大きくしていく
のだが、おとこたちは下品な話をしながら
笑って酒を飲んでいるばかりだ。それという
のも、おとこたちの片耳にはおんなたちの歌
声がとどかないからだ。海水からもちあがっ
た船体の部分には夜光虫が取り付いており、
左右に傾くたびに海面からせり出る船体がき
らきらと光る。一年がたち、ふたたび嵐の季
節になった。次の嵐の夜には、その船から聞
こえるおんなたちの歌声を君も聞くだろう。
いったい君の片耳はいつなくなるのだろうか。
瀬戸口 宣司 セトグチ ノブシ
①1945(昭和20)8・11②長崎③国学院大学文学部文学科卒④「焰」「日本未来派」⑤『シャガールの眼』ワグナー出版、『桜に逝く父』『表現者の廻廊――井上靖残影』アーツアンドクラフツ。
一日の終りには
ぼくの一日がはじまるとき
深い森の樹々も目覚める
輝きの音や喜びのささやきとともに
少年のときに知った
潮騒のときめきをもともなって
ぼくのこころも歌いはじめる
ぼくのからだはもう老年であるが
自分を照らす光は失っていないし
まだ妻にだって恋をしている
人は生きることの真実を探して
まいにち新しい血を愛している
眠りについたあとの鼓動を抑え
こころの底に生まれる希みを捉えるため
ぼくはいつも両掌を広げている
ぼくはあと何年生きるんだろう
朝がくるたびに恭しい気持ちになる
運命はどうなのか知らないけれど
一日の終りには小鳥の鳴き声を聞きたい
瀬野 とし セノ トシ
①1943(昭和18)8・1②中国東北部③京都大学文学部卒④「詩人会議」「炎樹」⑤『おはなし』青磁社、『なみだみち』柁の会、『線』東銀座出版社。
歩いていく
腰をひもでくくられた女の一団の 後を
日本軍の兵隊が歩いたという
中国戦線で
女たちは地雷ふみ
地雷ふみ
地雷ふみ
地雷ふみは
今も あると思う
地雷ふみの 女たち
地雷ふみの 子どもたち
地雷ふみの 別の人種のひとびと
歩いていく わたしたち
わたしたちは 地雷をふむ方か
地雷を ふませる方か
それとも 歩いていけるだろうか
違った歩き方で
瀬谷 耕作 セヤ コウサク
①1923(大正13)12・8②福島③小学校高等科卒④「龍」⑤『奥州浅川騒動』黒詩社。
無所得のゆえに
一切の現象は 発生も消滅もしない
ならば 日ごとに重たく感じるこの腰も
ふらつくあの空も
またたくこの瞬間も
ほんとは無いのかもしれない
目にもこころにも みえない
みほとけのおんふところのなかに
この西洋梨みたいな肥満体も かげも
とけこませていただくときが もしかして
今日なのかもしれない
ですからこの垢光る戸でも せめて
しわくちゃの指で ぬぐうまねすることを
させていただこうかとおもいます
センナ ヨオコ センナ ヨオコ
①1948(昭和23)3・28②大阪③帝塚山学院大学文学部卒④「coto 」⑤『無菌地帯』『変奏律』他人の街社、『喪われた時間』海とユリ社、『踊り女』花神社。
雨
静かにお読みなさい
窓のそとは
やわらかく雨がふる 六月なのに
雪、雪がふっている
と あなたは言う
六月なのよ、雪はふらない
あなたにはこの国の六月がまだわからない
街は 地下室にぶらさがった燻製のような匂
いを発し 沈んでいる
もう、帰りたいから
片方だけになったリボンのついたハイヒール
が忘れられなくて
運河のようになった河を裸足でわたる
ふと顔をあげ 頁から目をうつすと
応えようとする言葉のはじまりから
又 あなたの問いがはじまっている
宗 美津子 ソウ ミツコ
①1938(昭和13)1・10②北海道④「山脈」「新現代詩」⑤『浜辺の馬』土曜美術社出版販売、『良い子に育ちましたね』『草色の轍』山脈文庫。
もんぺ
母のもんぺの中でも
傷が一番深いのは樺太(サハリン)でのもの
二十代の母の上敷香(レオニードボ)の夏の
効果のほどもあやしい竹槍訓練やバケツリ
レー
北緯五十度からのソビエトの侵攻で
豊原(ユジノサハリンスク)への逃避行
爆撃大火被災敗戦引き揚げ……
困難や恐怖の染み込んだもんぺ
反骨と共に片時も身から外せなかったもの
戦後の食量難は更に汗と泥を塗り付けた
それでも風に燿られても足首をしっかり締め
ジャガイモ畑の大地に立った
さあお洗濯お掃除押し入れ整理
年老いて都会の団地に住むようになっても
キリリともんぺは体に馴染んで歳月を包んだ
大正昭和平成と時代の泪を染み込ませ
膨らんだ思いのまま母は駆け抜けて行った
いま私の心の中でじっとりと重いもんぺ
戦争の臭いの染みた
日本中のお母さんたちのもんぺ
いまはどこにあるでしょう
蒼 わたる ソウ ワタル
①1937(昭和12)10・10②秋田③東北大学大学院修了④「どうるかまら」「四土の会」⑤『黄山を抱く』『天空は蒼いのに』『ふりかえり――ゆめ・うつつ』和光出版。
雲
鰯雲が蒼空のかなたに少々あらわれた
毎日 毎日増えていき 入道雲を食べ始めた
やっと 秋が来たのかと ほっとする
これほど暑い夏はこれまで無かったが
積乱雲または積雲の俗称 入道雲が
わがもの顔に蒼空に盛り上がり
日本列島を覆い尽くし続けた
世界中に水不足の地域が発生したり
日照りで穀物が全滅してしまったり
雨雲は恐ろしいほどの雨量を運んできたり
夕焼け雲を見るとイラクの戦火を想い
飛行機雲を蒼空の中に見ると美しいと思うが
沖縄のさまざまな問題が心に暗雲をもたらす
鯖雲 鱗雲 斑雲それらを見ていて
暑さの消えるのを安堵しているとは
日本の未来に暗雲のない日々を望めるか
空は鰯雲で白く塗りつぶされ始めている
曽根 ヨシ ソネ ヨシ
①1934(昭和9)10・18②群馬③高崎女子高校卒④「青猫」「罌粟」「犀」を経て現在「裳」⑤『野の腕』思潮社、『少年・オルガン』紫陽社、『母の提げた水』煥乎堂、『花びら降る』土曜美術社出版販売、『伐られる樹』花神社。
陽のあるうちに
芝生の上まで来ると
急に歩行がゆるやかになる
桜の梢の影がしきりに枯芝をたたいている
梢の影には蕾があって
一瞬のためらいが後ずさりさせる
陽のあるうちに家に帰ろう
梢の影の蕾を踏んで
陽のあるうちに家に入れば
かすかに人の気配がする
陽の光の匂い 声の消えた笑顔
そんな夕暮には
あらあらしくカーテンを引いたあとで
しずかにカーテンを引き直す音がする
それはかがやいた月日のなかから
差しのべられた手が
もう一度カーテンを引いてくれるのだ
返田 満 ソリタ ミツル
①1928(昭和3)8・17②山梨③石和高校(定時制)卒④「詩人会議」「民主文学」⑤『返田満詩集』宝文館、『木の実の音』山梨詩人会議、『盆地の空』『釜無川原疎林』詩人会議出版。
瑞牆山で
岩肌に浮く
石英の花びら模様を指でなでて
桃太郎岩の脇から
アズマシャクナゲの咲く岩場へ入る
妻の頰は汗ばんで紅潮し
クサリにつかまる瑞牆山をゆっくりのぼる
いまは去っていった懐かしい人々
(耳に残るさまざまな声よ)
星は宇宙のみちにあって
星同士分かれるとき
また会うときも決まっているという
花に埋もれて妻を呼べば
心にあつく流れるものがある
妻よ
人は
なぜ消える
臺 洋子 ダイ ヨウコ
①1963(昭和38)4・22②東京③立川高等保育学院卒④「馬車」「孔雀船」⑤『たましい市』『Time Over』土曜美術社出版販売。
おじぎ草
ふいに 触れられて
かたくなに
閉ざし
うなだれてしまった
めぐる水の
動揺が
はげしかったので
じっと
ひっそり
しずまりを 待ち
ふたたび
おずおずと
きゃしゃな緑をほぐしはじめる
その緑に触れた指先をもつ人へ
高井 泉 タカイ イズミ
①1935(昭和10)9・29②岐阜③名古屋大学文学部文学科卒④「宇宙詩人」⑤『百合い香――純詩への長族』ほおずき書籍、『技芸天』昭森社、『泉いずむ―錬金詩篇』土曜美術社出版販売。
夜顔る
今お前が顔って来る
艶の無い単色の黒衣を被い
ぼくの許につとやって来て
ぼくに優しく添い寝する
闇は段だんと黯さを増し
ぼくをその漆黒の奥深く
無限暗夜の中に包み籠む
さあ 坊や安心して 眠れ
お前は夜顔
この地獄世の救済の花
昼間の老残の身を海中深く沈め
死体を再生させ魂に火を入れる
抱くのはぼくかお前か
無量の静謐を共有しながら
ぼくらは伸び広がり永遠と合一する
今は闇 夜顔る
(『泉む―錬金詩篇』より)
高岡 修 タカオカ オサム
①1948(昭和23)9・17②愛媛③鹿児島高専電気工学科中退④「歴程」⑤『高岡修全詩集』ジャプラン、『犀』『屍姦の都市論』『蛇』『現代詩文庫・高岡修詩集』思潮社。
天網の蛇
火にも
凍点がある
むしろ火は
凍点の周囲に
思念の肉を燃えさせる
蛇たちの冷血の
それゆえの情念の火
永劫に眼を閉じられぬ奈落の
それゆえの悦楽の火
天網が巻き取られてゆくと
ひかりの歯が
空を
嚙んでいる
そこから蛇が墜ちてくる
邪悪な虹にもなれず
死を打ちしだく一本の
強靭なる鞭にもなれなかった蛇たちの
遠い
父祖の蛇の群れである
高貝 弘也 タカガイ ヒロヤ
①1961(昭和36)8・30②東京③京都大学文学部仏文学科卒④「歴程」「COW」⑤『子葉声韻』『縁の実の歌』思潮社、『半世記』『白秋』書肆山田。
いのち――平和に祈りをこめて
あなたの忘れた 喜びを
空の星に 変えてきた
あなたの残した 魂は
いまも胸に 響いている
こころの奥の 夢の音
木の実ふるわせて谺する
生きてることに、ありがとう
あなたの忘れた 悲しみが
空の雲に 融けてゆく
あなたの残した 子供たち
いまもどこかで 笑ってる
こころの奥の 夢の声
子鳥の嘴から溢あふれ出す
愛することに、ありがとう
高垣 憲正 タカガキ ノリマサ
①1931(昭和6)9・2②広島③広島大学三原分校修了④「蘭」⑤『物』時間社、『座』流域発行所、『人工天体』TBデザイン研究所、『異界探査』書肆季節社、『高垣憲正詩集』土曜美術社出版販売。
伏兵
冬ざれの郊外を歩いている。ちぎれそうな
落日は遠い横雲に引っかかり、浅葱色の天空
ばかりがやけに広い。点在する工場や倉庫の
間を行くと、こじんまりした常緑樹の林に出
た。
ウバメガシや熊笹の錯綜する暗い繁みの奥
に、ふと、一点の赤い色が透けて見えている。
寒椿でも咲いているのかと思っていると、い
きなりそれが燃えるような深紅に輝いた。や
がて二つ、三つと間隔をおいて次々に、真っ
赤な目玉がぎらりと光って見えてきた。狐火
なんてものじゃない。「それが目は赤加賀知
なして」とは『古事記』にあるオロチの描写
だが、今、まのあたりにしている妖しの饗宴
は、全体いかなる現象なんだ。
不意打ちを食らったまま林の裏に回ってみ
る。駐車場に車が数台、くすんだ赤い尻の先
を並べてうずくまっていた。すでに相手はマ
ウンドを下りて、微妙な角度で繁みに向けて
斜陽を打ち返すよしもない。
『古事記』注 赤加賀知と謂へるは、今の酸漿也。
高木 秋尾 タカギ アキオ
①1947(昭和22)8・8②岩手③釜石北高校中退④「吐魔吐」「文芸東北」「二行詩」⑤『けもの水』幽血詩社、『繁植する雨』QH企画、『多魔三郎』『綾瀬界隈蝦蟇事情』ワニ・プロダクション。
龍生だるま
群馬の詩人久保木さんから高崎産の達磨を頂
いた
よくよく見ると昨日名古屋の朗読会でお逢い
した
長谷川龍生さんによく似ている
龍生だるまと名づけてパソコンの傍らに置い
て
ときどき眺めることにした
黒猫の「墨花」がひょいと机に飛び乗ると
あろうことか龍生だるまに猫ぱんちを喰らわ
した
龍生だるまはひっくり返ったものの
(中略)
連打はなおも続く
龍生だるまは猫の悋気に
おあいそでゆらゆらゆれてはみせたが
負けない龍生だるまは何度でも起ちあがる
みごとなほど起ちあがる
なおも連打と名古屋鳴きがみゃーと続く
続く 続く 続く 連打が続く
たかぎ たかよし タカギ タカヨシ
①1933(昭和8)1・14②兵庫③神戸大学教育学部卒④「乾河」「座」⑤『夜に触わる』『見跡記』『四時――夜をつたう』編集工房ノア、『天涯と地平――「なにとなく」(中世歌語)に辿る詩への断章』霧工房。
枝先の光
枝先から目が離せない
そこにだけ日が当たっている
辺りはただの暗がり
もはや木は梅でも桃でも桜でもない
晩年とはこんな明るさの日々のことだ
蕊が匂う
媾合に怯えないで 終いの花よ
もともと 咲いているとは
逃げ去る闇の残夢
ひとり息切らせるばかりの枕辺にも空は白む
散りぎわにこう言おうか
どうか心だけになって
なお隠されて濡れた根に光の舌を絡ませてと
月が出て やはり枝先は呼ばれたように
あちらへ尖っていて
高木 護 タカキ マモル
①1927(昭和2)1・25②熊本③山鹿実業学校卒⑥『高木護詩集』五月書房、『人間の罪』新評論、『ガシガシガシ』ダニエル社。
違い
一生と
一升の違いは
その人の一生や一升にありそうである
わたしは一生よりも
一升のほうを大事にしてしまい
とうとう一生を棒に振ってしまったようである
小さな声
バンザイが好きで
仕事にあぶれて
収入なしになってしまい
降参とバンザイをしていたら
バンザイついでに
天皇陛下バンザイをしたくなってきた
高草 陽夫 タカクサ アキオ
①1927(昭和2)6・6②福島③東京高師文科二部(国語・国文)卒④「龍」⑤『夜明けの径で』「黒」詩社、『影絵の森』書肆青樹社。
地球岬
地球を包んでいる大気圏 その外側に
たましい圏というのがあるのではないか
この岬から たましいたちが浮遊していって
たましい圏に到達するには
どのくらいの時間がかかるのだろう
スペースシャトルでさえ
あっというまに大気圏を抜けるのだから
まして たましいの時間では
もっと速いのかもしれない
あるいは逆に
たのしみながら浮遊していって
地上にいる人々が忘れてしまったころに
たましい圏にたどりつくのだろうか
その先は想像もつかなかった
墓参りのあとということもあって
そんなことを考えていたのだ
逃げているのだなと
自分でもそう思った
髙澤 喜一 タカザワ キイチ
①1924(大正13)6・12②宮城③旧制東北学院高等商業部卒④「方」⑤『冬の呪文』『風の絆』青磁社、『朝の手紙』書肆青樹社。
占い
突然の停電
コンピューターもとまった
文明は地獄の顔となる
文字は書かれてたまるか
指先たちのジャズダンス
明日を占う影絵かも
祭りで買ったお守りをふところに
蛸焼が口のなかを泳いでいる
コーヒーにも茶柱は立つものか
目覚めの儀式で背のびをする
洗面のとび散る水音も
とりあえず活断層のうえでの話である
花冷えのラッシュアワー
電車の銅像 うごめく人の群
停電は文明である
高沢 マキ タカサワ マキ
①1945(昭和20)1・26②山形③宮城学院女子大学卒⑤『文法』『おくの、ほそ道』紫陽社、『教室』『蛇行切符』書肆山田。
骨バス
視界に競りあがるのっぺりとした無機物
あやつりに
嵌め込まれていく日々
わたしはいま、忘れ物を手渡された気分で
湯治場に向かっている
山道を行く乗り合いバス
濃い緑の谷あい
客たちの笑い声に包まれながら
体内二〇〇個の骨たちが
自在に揺れて気持ちよさそうだ
いつも顔をのぞかせていた、弱さ
あるかなきかの真実
心拍を整えながら
数知れぬ企みに抗した維持機能を
いまならこうしていとおしむことができる
何かがあるようで何ひとつなかった
喧騒の鈍い光線を
湯けむりで覆うことだってできそうだ
前のめりになったり反り返ったり
エンジン音がやけにおおきいバスの
色あせたシートに身を任せている
高階 杞一 タカシナ キイチ
①1951(昭和26)9・20②大阪③大阪府立大学農学部卒④「ガーネット」⑤『キリンの洗濯』あざみ書房、『早く家うちへ帰りたい』偕成社、『空への質問』大日本図書、『桃の花』砂子屋書房、『雲の映る道』澪標。
電球
忘れ物をした電球が
犬を連れて帰ってくる
「何を忘れたか 忘れてしまった」
ぼうぜんと
門前でしおれている
とうぜん 明りもつかない
家は暗いまま
夜へ
傾いていく
妻は台所で包丁を研ぎ
犬は庭で
走り回っている
明りがなくても
進んでいく時がある
高島 清子 タカシマ キヨコ
①1945(昭和20)7・5②栃木③佐伯栄養学校卒④「孔雀船」「こだま」「ノア」⑤『風の駅』七月堂、『ベチベル草の谷間』砂子屋書房、『ノスタルジア』東京新聞出版局。
琥珀売り
この季節には
鉱物探査器とルーペ
ダウジングの金鎖をじゃら付かせて
紅玉の谷へと降りてゆく私である
その市場で
両手いっぱいの琥珀を買ったのは
ピスタチオグリーンの瞳の
琥珀売りの少女のせいだが
その瞳に恋しない男が
いるものだろうか
騒めくジュラ紀の
大樹のエーテルが満ちてきて冷える時
甲虫や羽虫を巻き込んで凝固した
この黄金のうつろ舟
真夜中のデスクで琥珀入りの皮袋を空けると
朝焼け色のなめなめとした世界が掌に乗る
あの琥珀売りの少女の親分ボスは
金色のカイゼルひげの大男
遥かにアルタイ山脈を越えて行ったか
高田 太郎 タカダ タロウ
①1937(昭和12)2・25②栃木③宇都宮大学学芸学部英語科卒④「コウホネ」「花」⑤『水の坂』国文社、『どぶ魚』砂子屋書房、『高田太郎詩集』土曜美術社出版販売、『風の道標』砂子屋書房、『詩人の行方』コウホネの会。
幻日
〈英霊に対し敬礼!〉
ルソン島サラクサク峠の慰霊碑の前で
陸軍一等兵軍服姿のY氏が絶叫した
碑の頭に止まっていた羽虫が
一瞬たじろぎ身をふるわせた
ナパームで焼きつくされた山肌は
米軍三千、我軍四千余の戦死者を糧にして
深い緑をたたえている
その緑の裾野から
子供と犬が動き出した
やがて
色とりどりの供物をねだる小さな手に
手が生えるはげしさ
中にやせこけた一本の老骨があったが
天空に
桜色の暈を残して
すぐ消えた
髙田 千尋 タカタ チヒロ
①1948(昭和23)3・15②岡山③立命館大学文学部日本史科卒④「黄薔薇」⑤『夕映えの川』手帖舎、『お母さんは二人』書肆青樹社。
蛇のしっぽ
お宮の石垣に蛇の子が三匹
頭を仲良く並べていたよ
指さして教えてくれたのは
お母さんに手を引かれた二歳の男の子
私も見た
と近所のおばあさん
お宮に住むのは〝ねずみ捕り?
つぶれたような頭をした長い蛇
お宮の守り神になっている
急いで駆けて行くと石垣には
こぶし大の穴があるばかり
ぐるっと大きな空
光の膜の中に蛇の尻尾
いったい どこに隠れたの
高市 順一郎 タカチ ジュンイチロウ
①1939(昭和14)3・7②徳島③広島大学大学院修了・筑波大論文博士(文学)⑤『宇宙鏡』編著評論『シルヴィア・プラス――愛と名声の神話』思潮社。
エロスの柱
トスカーナの丘のふもと
ティツィアーノの描く絵
「ノリ・メ・タンゲーレ」で
マグダラのマリアは 甦ったキリスト
に慕い寄る
そのマグダラに イエスは言う
「われに触れるな」
マグダラは跪き イエスの脚
ほとんど股間に手を伸ばそうとしている
あの幾度か自分を刺しつらぬいて
くれた 生命の柱に――
絵はすべてがアレゴリーである
カルネ(肉)が好きなイタリア人
ティツィアーノにはすべてが愛の形象だった
キリストの「われに触れるな」は
マグダラとの肉の関係が終ったことを
告げている
聖人でないわたしも 時に言いたくなる
女よ われに触れるな
わたしにはもう愛の季節は終わり
聖なる世界が始まろうとしているのだ
髙塚 かず子 タカツカ カズコ
①1946(昭和21)年2月6日②島根③活水女子短期大学英文科卒④「海」⑤『存在以前』私家版、『生きる水』『天の水』思潮社。
大村湾
ヒトはわたしを大村湾と呼ぶ
だけど私は湖だった盆地だった 大陸だった
どろどろの熱い混沌だったマグマだった
―――世界のはじまりのそのひと雫だった
ほんの四十六億年前には
わたしのなかを 泳いでいるスナメリ
大気も水も土もひとつに溶けていた昔
同じ混沌のひとつらなりのいのちだった
魂のように跳ねる魚も
ほほえみのようにひらく花も
心のようにはばたく鳥も
祈りのようにうまれる赤ん坊も
痛く核を抱いている真珠貝も
おびただしく浮遊しているプランクトンも
この地球も ひとつの生命体いのち
どこから来て どこへ行くのか
あ いま 太陽がわたしに溶ける
さざ波をくまなく染めて
たかとう 匡子 タカトウ マサコ
①1939(昭和14)2・16②兵庫③武庫川女子大学文学部国文学科卒④「火牛」⑤『学校』『水よ一緒に暮らしましょう』思潮社、『神戸ノート』『竹内浩三をめぐる旅』編集工房ノア。
紅葉を踏んで
紅葉を踏んで
火祭りへいそぐ一群が中空を渡る
痛むわき腹を押さえながら
飛び出していた
傾斜をかけのぼると
頭からつま先まであかい色まみれ
色彩のむこう側になんとかして抜け出せない
かなあ
と思っていたら祭りの広場へ転がり落ちた
燃えあがる炎
木の枝を編み
木と草を編み
編んだかたちのなかに詰め込まれたままの
焼け焦げたむくろひとつ
晩秋の
生け贄の行事はもう終ったようよ
千年先まで歩いてお行き
中空に地図をひろげて
抜け道を探す
鷹取 美保子 タカトリ ミホコ
①1951(昭和26)12・25②福岡④「花」「あん」⑤『冬の柘榴』『千年の家』本多企画。
天空の耳
父が逝き 空を見あげる日がふえた
母が逝き 雲のあわいに大きな耳朶がみえた
地の騒がしさと
天の沈黙の交差点で
ちち よ はは よ と呼びかける
私の声の胞子は 短い祈りとともに風に乗り
あの耳に広がっているだろう
光が地にとどくほどにもまっすぐに
空は地の哀しみを引きあげる
先に往った者達と 礼儀正しく挨拶をかわし
私が空へ引越す日まで
豊かな耳を見あげていよう
早春の昼さがり
天空の耳に語りかける
よい日和だ
高橋 英司 タカハシ エイジ
①1951(昭和26)1・22②山形③山形大学人文学部卒④「山形詩人」「WHO,S」⑤「出発」詩学社、「生存ほか」砂子屋書房。
朝
陽の光が木々の緑を照り返して
何とさわやかな朝だ
一日のはじまりがこんなふうに
心を晴れやかにするなら
生命の永遠を信じることができる
昨夜思いつめていた死への衝動が
溶けていく霜のように消え去り
生きる力が日差しと共に立ち上がってくる
胸いっぱいに空気を吸い込み
そして
一日の終わりに再び
美しく輝く明日を思い描くことができるなら
怖れることはない
満たされずとも
悔いることなく
今夜を眠ることができる
高橋 和彦 タカハシ カズヒコ
①1952(昭和27)7・20②北海道③秋田大学教育学部卒④「ゆりかもめ」「異郷」⑤『深夜に笑う』『母語を削る』潮流出版社、『アリアは漂う』冬花社。
続く
滞る日の 三日日の
先っぽに腰掛けて
見つめている
納棺師は
無駄ひとつなく
言葉もなく
遺体に向かう
やがて
火葬場の夜明けだ
噴出する高温バーナーに
白っぽいカラカラの塊りとなり
海へ飛ばせと
風を待つ
待てば「父」は
私の父は
「私」の中に
静かに
棲み始めている
航海は続く
後悔も続く