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会員のアンソロジー

会員のアンソロジー14・滝いく子氏~

  滝 いく子 タキ イクコ
①1934(昭和9)6・16生。②岡山③青山学院大学卒。④「炎樹」⑤『娘よ おまえの友だちが』青磁社、『あなたがおおきくなったとき』『金色の蝶』『今日という日は』『あの夏の日に』。

 希望――中学生になる ももかへ

気づかなくても
やわらかな胸に 小さな種がやどる
少しずつ 色や形を変えながら
ときどき そっと問いかけてくる
わたしが見える?
いつかきっと つかまえてね!

柔らかな胸には 喜びばかりではなく
辛さや口惜しさも積もっていく
けれどそれはよく見ると
良質の石炭のように黒く光っていて
あなたの熱情と努力で
美しいエネルギーになるでしょう

けがれない若い胸に宿る希望は
ながい人生を照らしつづけ
あなたが求めて誠実に歩むかぎり
あなたを見捨てはしない

あなたが求めて 歩むかぎり

 田口 三舩 タグチ ミフネ

①1930(昭和5)8・11②群馬④「東国」⑤『まだ見ないもの』あさを社、『予兆』紙鳶社。

 花屋の店先で

変わった花が入ったぜと
花屋のオヤジが花の間から顔を出した
アフリカのそれも砂漠のど真ん中で
三年に一回しか咲かない花だという

そんな花売れるのかいと訊いたら
それがけっこう売れるのよ
日本人ばなれした妖怪のような花だけど
そんなところが魅力なのかなあとオヤジ

すると来年と再来年は花なしだなと言うと
そこまでは分かんねえけど
三年に一回はアフリカの砂漠に行った気分に
  なれるって誰かが言ってたぜ

続いて花屋の店先では
オヤジが相手にしたという世界あっちこっち
  の
妖怪談義が始まりそうな気配だったので
じゃあまたなと言ってそこをはなれた

 田口 よう子 タグチ ヨウコ

①1948(昭和23)3・11②福岡③高校卒⑤『靴を脱ぐ木』けやき社。

不在

スズキさんが夏の終わりに雨戸を閉めた
まだまだ暑い昼過ぎだった

それから雨戸は
三十九日間も閉まったままだ

スズキさんの家は外側から硬直していく
むくれたり
焼魚の煙をはきだしたりしていた家が
固まっていく とは

季節は移っているのに
唇を一文字に結んだ家は
もう うす眼さえひらかない

郵便配達員が訪れて
公文書と 私文書と ダイレクトメールを
ときどき食糧のように 差し込んでいく

スズキさんの家の影が濃くなった
影のところにセキレイが一羽 いる

 竹内 敏喜 タケウチ トシキ

①1972(昭和47)2・8②京都③大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒④「repureル ・ピュール 」⑤『十六夜のように』ミッドナイト・プレス、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』『任閑録』水仁舎。

 認知

目のまえのベッドの老女を指さし
おおきな声で話す祖母

――そこのばあさんの鼾がうるさくて
  夜も、ゆっくりねむられへん

ころんで足の骨を折って入院して
出される食事を残さず食べていたら
以前よりも、肌の艶はよくなったものの
なにも興味がないと
リハビリをかねた散歩に一度として行かず

――友だちが来て、米をくれたんやけど

睡眠中に見たもの、目覚めてのち見たもの
その区別のできなくなった命の九〇年が
さっきから遠くを覗きこんでいる

その姿に詩人のイメージを見てしまう
おのれの、三六年の無残さよ

 竹内 正企 タケウチ マサキ

①1928(昭和3)10・11②兵庫③小高卒④「近江詩人会」⑤『定本牛』文童社、『満天星』、詩画集『薔薇の妖精』詩画工房。

 怍裂

東京の地下工事現場から
戦時中にB29が投下した一トン爆弾の
不発弾が出現したという

それにしても
炸裂もせず 
63年も地下深く眠っていたのは
単なる偶然か
それとも 神の思召か

殺戮の愚かさについて
じっと 考え込んでいたのだ

核の炸裂はこの世の終焉だ
と いうことも

 竹内 美智代 タケウチ ミチヨ

①1947(昭和22)4・2②鹿児島③日本女子経済短期大学卒④「ERA」「花筏」⑤『自画像』花神社、『裏庭』『呼び塩』書肆青樹社、『切通し』花神社。

 

沈黙に満ちたホスピスの窓
真っ青な暖冬の空に筏が浮いている

戦でとうの昔に視力を失ったベッドの男は
見えない目を大きく見開いてよく笑っていた
今は意識もなく静かに横たわっているが
人間なんて沈むほうが多い でも時々は浮き
  上がる
一度沈めば二度目は怖くない
そう言って何事にも向かっていった

男がかつて戦った戦地中国の大きな川で
わたしは木材をくくった筏に乗る漁師を見た
人を宇宙へ送り出すほどの技術をもつ国で
まだあの頃と変わりなく
捕れた魚を女たちが天秤棒でかつぎ売り歩く
その貧しい足元を
ゆっくり穏やかな時間が流れていた

どうやらヤマは越えました と医師の声
いつの間にか筏は流れて行った
まだ眠り続けている男を乗せず に

 武子 和幸 タケシ カズユキ

①1938(昭和13)6・6②東京③茨城大学教育学部卒④「白亜紀」⑤『ブリューゲルの取税人』『アイソポスの蛙』思潮社、『イェイツの影の下で』国文社。

 スサノオ

冬至になる
八拳須心前やつかひげむなさきを震わせ
て啼きしきるあれはあなたの声か 姿こそ見
えぬが スサノオよ 妣の國になむなむ
と 青山をことごとく泣き枯らし 狭霧の神
の 逆巻く白髪を吹き散らし 黄泉比良坂よもつひらさか
ら望む根の堅洲かたす國の 先祖おおおや臥所ふしどの 蛆もた
からぬ骨骨に乾いた音を 発止 発止 と 
あなたの漂泊のこころに火花まで散らし 勇
躍 炎の拳となって 姿こそ見えぬが ひた
すらなむなむと 國土皆 スサノオ
よ 天の岩戸を スサノオよ 再び燃え上が
らせよ 干からびた心臓を 凍結した宇宙を
 枯野のように

*古事記 上つ巻

 武田 健 タケダ ケン

①1932(昭和7)2・14②北海道③関西大学第二商学部卒④「日本未来派」「光芒」⑤『星を撃つ』『超える』『傘』草原舍、『漂着』文芸社。

 未練は奇跡である

あれから未練は 何処に行ったのだろう
風のかたちをして海を渡る
海を渡って庭に戻る

みなれない 風のかたちをした 庭の夏
雑草が生い茂る 海
それは不機嫌な奇跡の未練だ

ねえねえ
おまえの生は明日で終わりだ
だから だから未練は全てがおしまい
夢を見るのも 今日でおしまい
海を渡るのも 庭で夢を見るのも
老いが進行するのも 今日でおしまい

未練は 生まれたときから始まっている
奇跡は
未練の始まりである
明日
それが終わってしまうのも奇跡だ

 竹田 朔歩 タケダ サクホ
⑤『軽業師のように直角に覚めて』思潮社、『サム・フランシスの
にんま
』書肆山田。

恁麼にんま(このように)

もう そこまで来ているよ
追いつ 追われつ
火蓋が切られ
転がって ころがって 八倒する
輪が広がって
内へ うちへと  行脚する
百戦錬磨の
つづき
もの
蛙を   見入っている
捕らわれものの
起死回生
肢をひろげ 跳躍し
うちから外へ 這い出そうと
もがき もがき  遁れようとする
いっこうに なんの  変わったこともない
    五里霧中の面構え
底深く棲みつく岩石も
川瀬の六六魚りくりくぎよ
寝耳に水の
狂いもの しっ  しっ

 竹田 日出夫 タケダ ヒデオ

①1935(昭和10)1・1②東京③早稲田大大学院日本文学研究科⑤『渇仰と復活の挿画』双文社出版、『詩集 地中海から』ラビィ、『現代世界の暴力と詩人』武蔵野大学。

 地球

月の大地を
ハイビジョン・カメラが
 とらえていた
やがてその地平のはてから

燦然さんぜんと輝く青い球体が
ボレロの曲に乗って
ゆっくり昇ってきた

すべては過ぎ去り
  飽きられ
   壊れる
 (ダカラ創造スル!)

運行する青い球体を
 凝視していると
 「愛と哀しみのボレロ」の群舞
モーリス・ベジャールの言葉が
唐突に切なくよみがえってきた

 武田 弘子 タケダ ヒロコ

①1933(昭和8)4・18②高知③文化学院英文科卒④「青い花」「舟」⑤『陸橋』書房ふたば、『木との話』『そらに近い場所』書肆青樹社。

 ブリキの金魚

晩秋の空は
あおく晴れていた
ヒロシマ資料館の中は若い男女が多かった
外国の人も混じっていた

夜 友人と二人
広島の町を探し歩いて
やっと見つけた喫茶店でコーヒーを飲んだ
わたしたちは向き合って
詩の話ばかりした

店を出ると 夜の街に
車のテールランプが
流星群のように尾を引いて流れて行った

美しいものはかなしい
かたちあるものはかなしい

夜の空に
昼間見た焦げたブリキの金魚が
いつ迄も消えずに浮いていた

 武西 良和 タケニシ ヨシカズ

①1947(昭和22)11・30②和歌山③和歌山大学教育学部英語科卒④「新現代詩」「ぽとり」⑤『わが村 高畑』土曜美術社出版販売、『子ども・学校』日本文学館、『きのかわ』土曜美術社出版販売。

 井戸

深く暗く
真上から深さが測れない
底の見えない井戸のなかに
ひもをつけた桶を下ろし水を汲み上げる

どこまで桶は下りたのか
音が水をとらえている
ひもが水をひっぱっている

汲み上げられた水は冷たく澄んでいた
新鮮な桶の波立ち
暗闇も汲み取ったはずなのに上へと上がる
桶のなかで水の透明に追い払われ
水の冷たさに落とされ
底へと戻っている

旅立つ子どもを
戸口までしか見送れない
母は井戸端で水が
飲めない

 武部 治代 タケベ ハルヨ

①1933(昭和8)7・23②和歌山③和歌山大学卒④「近江詩人会」「乾河」「ふーが」⑤『くり船カオス』『ふりむこうとしない鹿』砂子屋書房、『犀の角』編集工房ノア。

 ふた声

ホゥホゥ と
くうに穴を穿ち
あおばずく啼く夜
月は
水甕に落ちて
めだかは底に動きを止める
石州瓦は満月の夜を反照し
甍のうねりに光る

このさきの
鳥居のある長い石段の
上方の森で
ホゥホゥ ホゥホゥ ホゥホゥ
二声ずつ時空をいて
深 深
二十五時へ沁みていく夜
螢光を帯びた時計の
文字盤が発光する刻
光年を駆け抜け
ふたたび会いたい
話したい
彼の人と

 田島 安江 タジマ ヤスエ

①1945(昭和20)9・23②大分③福岡女子大学家政学部卒④「侃侃」⑤『トカゲの人』『水の家』書肆侃侃房。

 たまねぎ

わたしのなかで
ながい時間をかけて育てたたまねぎは
かんたんには収穫しない
あしたを忘れさせる満月の夜とか
雲間にただよう飛行機の音が聞えたときとか

新しいたまねぎは芯まで真っ白
時間がたつと少しずつ緑の色を浮かばせる
台所の隅で誰にも気づかれないところで
たまねぎの芯は緑に犯されていく
緑の色はいつか白い色を抜き去る

やがて白は食いつぶされて
見る影もなくなるだろう
たまねぎの白は精神を崩壊させるだろうか

まろやかな白の楕円が緑に刺しぬかれる
ひょろりと伸びた緑いろは
もう たまねぎではない

 田代 田 タシロ デン

①1941(昭和16)6・22②東京③国府高等学校卒④「孑孑(ぼうふら)」⑤『口笛吹くな』思潮社、『静かな動物』雪月社。

 みんな置いてけ

騙されていた
台車片手の泳子さんである
ややこしく名をつけた子供たちが三人いる
花音 一湖 斗湖 斗湖は生後五ヶ月である
吹っきれたのであろうさほど
深刻な顔はしていない
六十万かかるのよ
離婚は調停にもってくようだ
元サーファーのご亭主はチャラチャラしてて
好きになれなかった
目がいつも泳いでいたのだ
タシロさんは何故ひとりなのアタシは
出来ちゃった婚
こんな会話をしたのは去年である
せっせと家財を台車で運んでいる
共有したであろう家財を?がしている
みんな持ってけ
あの時アタクシはそう願った
みんな置いてけ
元サーファーのチャラチャラしたご亭主は
カネも出さないそうである

 田代 芙美子 タシロ フミコ

①1922(大正11)9・1②新潟③実践女子大学(旧実踐女子専門学校家政科)卒④「泉―Pring」「りんごの木」⑤『バダクシャンの泉』書肆とい、『海と砂時計』思潮社、『イスアの石』アートランド社。

 夜の箱

その箱はテーブルの上に
それとも
暗い空間に横たわっているのだろうか
白く塗られた表面のかすり傷には
夜が滲み出ている

淋しいという言葉さえも失われて
ただ一つの存在の証しが
かぼそい稜線に刻まれ
その線の確かさだけが
痛みに耐えている

暁は記憶のはてに埋もれ
テーブルの側面の朱の色だけが
打ち捨てられた希望の殘渣でもあろうか
箱の中には
黒曜石の夜が失われた言葉の代わりに
かたく目を開けているにちがいなく

註「夜の箱」と題する猪爪彦一氏の銅版画から,/small>

 只松 千恵子 タダマツ チエコ

①1926(大正15)12・5②茨城③社会教育協会附属東京家庭学園本科研究科卒(現白梅学園大学)④「大宮詩集」「第四紀の会」⑤『赤い紐でしばられ』土曜美術社出版販売。

 岡倉天心と四人の弟子たち

波濤砕ける五浦いづら海岸
ここを晩年の生活の舞台ときめた岡倉天心
前年私生活の乱れをあばかれ
教育法を誹謗する怪文書が匿名で撤かれ
彼は東京美術学校々長の職を追われた

日本美術院の衰微とも相俟って
心を切り刻まれた天心の逃避先が
人影まばらなこの五浦海岸だった
世間は天心一派の都落ちと言って嘲笑した

恩師を慕い家族ともども五浦にやってきた
横山大観 下村観山 菱田春草 木村武山
画材の他なにもない部屋で
白装束を身にまとい 一列に正座し
制作に励む四人の弟子たち

天心の指導のもとに花開いた日本画
第一回文展に出品した四人の作品は
高い評価と感動を生み
天心五浦派の汚名返上の好機となった

 橘 しのぶ タチバナ シノブ

①1960(昭和35)4・15②広島③広島女学院大学文学部卒⑤『万華鏡』土曜美術社出版販売、『しなやかな暗殺者』梓書院。

 啓蟄

ももいろの侏儒がいくたりも
空から吊るされたロープをのぼってゆく
区役所の裏の公園には
重たいくらい花粉が充満していた
何かを待ち焦がれているように
ベンチに腰かけぽかんと空を見上げた
婚姻届を提出した帰りだった
出生届を提出した帰りもだった
離婚届を提出した帰り
いつものベンチに腰かけ
いつもの空を見上げた
信じてさえいれば待つことは怖くなかったが
ももいろの侏儒を見たのは
実はそれが初めてだった
最後まできっちり見届けたかったのに
いつのまにかロープは巻き上げられ
空の駅を今、縄電車が出発するところである
わたしも乗客の一人になって身を乗り出して
誰かに手を振っている
満員御礼の垂れ幕が
空につるんとかかっている

 館 路子 タテ ミチコ

①1947(昭和22)10・1②新潟③三条商業高校卒④「北方文学」「野の草」⑤『眠り流しの眷族』私家版、『螢、探して』書肆山田。

 桜の一樹へ、弔辞

桜の大樹がむごくも伐られて
堤防の斜面に、どうっと倒れ
びっしり繁った葉の翳りもろともに
樹冠が転がる
首のような、なまなましさ
血の滲み出る気配さえあり、痛々しい
(さくら、と呼びかける)
芽吹きの頃の物狂いそれよりも
四月には放埒に花、纒い
枝は川風が遊ぶまま
ただ散り急ぐためにだけ、そらへ祈禱した
あの束の間の豪奢が、いとおしい
地を摑んでいる根が盛土で埋まる瞬時は
人の指のように痙攣が這う、だろう
夢ともつかぬ夢を言えば鱗を帯びる蛇になり
遡行して川のうまれる場所へ辿りつくこと
又、数千年の月光や一閃の稲妻に濡れそぼち
老幹が化石に変わるまでここに身が残ること
憶えている
川の氾濫した日は稀有にして無疵(だった)
きょう河川改修の人柱の身代わりに、逝く

 舘内尚子 タテノウチ ヒサコ

①1928(昭和3)9・2②群馬③桐生高女卒④「詩洋」「幻竜」⑤『刻む』東京出版センター、『藍ひとしお』花神社、『時のかけら』書肆青樹社。

 桜花炎上

死んだひとは
死んではいない
いつも いつも いつも
摑 むことができない
指をぬけて
空気をぬけて
腕は からっぽ

死後三十年 いまだに
あなたはわたしに納まってくれない
  

これは戦慄の歓喜
 逆説の呪縛

この夢も あの夢も
桜ふぶきに炎上する塑像
斬る―― 白刃の閃光

言葉なんていらない
衣なんていらない
あなたの全裸心がほしい

 館林 明子 タテバヤシ アキコ

①1943(昭和18)3・29②神奈川③松戸高校卒④「1/2」⑤『海 夕ぐれて』青磁社。

 夢のちから

大きな夢 小さな夢
夢の数だけ かがやいて

消えてゆく夢 消されてゆく夢
忘れられた夢 捨て去られた夢

悲しみの涙とともに
にび色の空に放つとき

ちからがないって哀しいね
力がなければたどりつけない

昨日の夢 明日の夢
夢のかずだけ 涙があふれて

内にひかりを抱えてゆく 夢
とおい日 のために

 田中 郁子 タナカ イクコ

①1937(昭和12)10・2②岡山③短期大学国文科卒④「緑」「すてむ」⑤『桑の実の記憶』詩学社、『晩秋の夕卓』思潮社、『紫紺のまつり』緑詩社、『ナナカマドの歌』思潮社。

 おそれ

白いベッドの上に
よわよわしく息づいていた時
ほんとうの悲しみを知り涙を知る
苦しみと訣別を強いられた時
見えなかったものが見えてくる
老いたる人の愛
無口な人の愛
小さき者の素朴な愛
生き難くも尚生かされている愛
傲慢と偽善の中では見えなかったものが
素直に目をさます
白いベッドの上のサクラメント
あなたの計画
今 そのおそれを知る

 田中 勲 タナカ イサオ

①1938(昭和13)10・26②富山③中央大学商学部中退④ 「ネット21
」「えきまえ」⑤『夏! 墜ちる』矢立出版、『ひかりの群盗』映爽社、『ひとつの生の郊外で』『夜の蜃気楼』思潮社、『砂をめぐる声の肖像』あざみ書房。

 朝の雫

溶ける魚や
溶ける馬と書いて
日常の意味からそれとなく外れていく
ゆめの輪郭ではないが
旧いノートの上から滑り落ちていくもの
煮凝りのように
溶けるまでと、溶けてからのいのちの
時間は、記憶を引受ける擦れた活字の
曖昧さに救われたわけではない
魚には魚の日常があり
馬には馬の空想があるから、それぞれの
時間は、それぞれ違った時間を溶けながら
ふと、見開いてみる
旧いノートの上で、すんなりと
溶けきれない紙魚の孤独に襲われていた
春一番の突風が
魚の鱗や
馬の和毛の、空想に耽り
なみだの輪郭に沿う旧い苦しみに耐えて
未だ青い静脈の先でこごえる

 田中 国男 タナカ クニオ

①1943(昭和18)②京都③立命館大学文学部卒④「はだしの街」⑤『野辺送り』七月堂、『野の扉』矢立出版、『村』白地社、『お母ん』行路社、詩論集『詩の原初風景』白地社、詩人論集『燎原の対話』。

 夢見る女

夢は追いかけるほど遠くへ逃げてゆく
だから追いかけるのよ、そう言い続けた女は
病室で無表情にただ眠りつづける
一体、何を追いかけてきたのだろう
目が見えなくなるまで
この小さな手鏡を手放さなかった女は
毎朝髪を梳き、眉を引き、
時にはうっすらと紅をつけ、
野良と薄暗い台所にうずくまって生きてきた
一体、なにを守り続けてきたのだろう
家のためか、あのねばねばした村の因習をか
ぬったり女を困らせてきた家族のためか
ふっくらとしろい女の匂う、ああ懐かしい、
あったかいぼくの記憶の中の女のからだ、
一体、なにを犠牲にしてきたのだろう

いま、濁世の夢の残滓を洗い落とすように
からだじゅうから尿導管を下って流れゆく
かなしいものか、女よ、流れよ、流れ尽きよ
ぼくにはそれが、今度こそ自由に夢見る女に
生まれ変わってゆく流れだと、思いたくて

 田中 圭介 タナカ ケイスケ

①1943(昭和18)3・23②福岡③福岡大学経済学科卒④「異神」「九州文学」⑤『草芒々海芒々』西日本印刷。

 孤島

あの島
誰のものだって?
この焼酎の味だって
酵母をそーっと
ドロボーしたんだそうですから
人間のものってどこにもないのです
つもりとつもり
島は無関心に波に洗われています
ここにいて
思いの遠くに島影があればいいのです

どこに行ってもここなんです
足をここから離すことはできません
朝掘りの芋が日を経て
いまは限りなく透きとおっています
一合一勺の世界にも夕暮れです
空の下のここにいるしかないし
自分のものってなにもないと思うと
なんだかぽかぽかした気持ちです
皿には畑の大根がキムチです

 田中 作子 タナカ サクコ

①1927(昭和2)3・27②茨城③佐原高女卒④「舟」⑤『形のまま』『奈良の寺』詩学社、
『空を見上げて』水仁舎。

 路地

限られた日照しかない狭い路地
日影の植物が
ゆっくりと息づく

千両や萬両 萬年青おもと
オリズルラン 紫蘭 君子蘭
しゃが 擬宝珠
道幅だけの縦に長い空
多くを望まないあざやかな緑

環境に合った植物を選び
鉢や箱に植える
路地に住む人の姿は見えないが
ゆたかな心の季節を持っているのだろう
つゆの晴れ間のあじさいのうすいブルー

暫らくの時を佇む
狹い路地
私のプロムナード。

 田中 順三 タナカ ジュンゾウ

①1931(昭和6)7・25②埼玉③巣鴨高校卒④「高麗峠」⑤『あかねぞら・土匂う』。

 休日

蝶がふたつ
見えたりかくれたりしている
あれはかくれんぼをしているのだと
孫の彩香はいう

垣根のところで南天の花がゆれている
こちらではあじさいの花が動いてる
風が鬼ごっこをしていると彩香はいう

草は茂るにまかせているので
庭いっぱいに名も知らぬ山野草が
さまざまな花を咲かせている

――今日は少しこってるね
彩香は肩をもむのが上手だ

通りすぎてゆく休日のひととき
私は眠気にさそわれながら
動いているとも思えない
雲の行方を追っていた

 田中 清光 タナカ セイコウ

①1931(昭和6)3・19②長野③上田中学卒⑤『黒の詩集』書肆ユリイカ、『岸辺にて』『風景は絶頂をむかえ』思潮社、『立原道造の生涯と作品』書肆ユリイカ、『詩人八木重吉』梦書房、『大正詩展望』筑摩書房。

 バッハ

バッハは古い石甃いしだたみを踏んで通る
平均律というおそろしい正確な歩みで
ヒトビトのあたまを
らくらくと越えていってしまう
生誕がすぐにでも終末につづく
不思議な時間を滑って
どこへ?

いま夏空は拔けてしまうまっ青な青
幾種類もの蝶や蛾が銀の粉のように
きらめきながらけし飛ぶ

その先ではフーガが
バッハの鍵盤のあくのを待っている

 田中 詮三 タナカ センゾウ

①1932(昭和7)7・17②熊本③熊本短期大学商科卒④「遍歴」⑤『白い猟苑』詩と真実社、『果実』思潮社、『モンバサのマグロ』鉱脈社、『旋律』本多企画。

 ひむかまろか記 最終章 –ミミツの泣き砂–

 

研ぎ汁で身を削るように身を洗い
ゆっくり言葉をかけあおうとしたのに
いそいそと出ていったひとよ

あとに残されたものはみな
残った野や山や川や海とともに
うちひしがれ言葉もない

とらえどころのない悲しみがひろがり
潮の満ち干にまかせ
浜の真砂になっている

ヤマトを目ざして七ッバエの瀬
勇んで漕ぎ進んだひとよ
月影に照らされて早く帰ってきておくれ

虫すだく夜に語り明かした
あらそいのない世のなかのことを
身を揉んで待つひとびとは忘れない

*七ッバエの瀬戸……御船出の瀬戸とも云う

 田中 武 タナカ タケシ

①1934(昭和9)2・19②新潟④「空の引力」⑤『旅程にない場所』『驟雨の食卓』紙鳶社。

 風倒木

障子の半歩手前で
つっと立ち止まる
どうも勝手が違う
へんな湿地が敷居の向こうで
ぷちぷちはじけていて
薬臭い溜まりに漬かった風倒木が
王様の振りをして
息をしているらしい
ぐらぐらする黄き金んの踏み板に
乗っかっているようで
しきりに羞かしい
こんな時臣下はどうすればいいか
王が王でなかったら
自分は何者だろう
うかうかすると正体が露見する
障子の陰で息を詰めていると
声がかかった

オイオイ
ソコニ居ルノハ
誰ダエ

(「王の日々」異稿)

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