日本現代詩人会 詩投稿作品 第1期(2016年4〜6月)選評
【選考結果】
野村選:
川津望「傾倒灯」
山田明「逆立する日差し」
樽井将太「無題」
鎌田伸弘「希望の蟹」
高貝選:
あぶく「口笛を吹きながら」
神栖蓮「Maternal Transport」
浅海芽森「真空パック」
横山黒鍵「いぶき」
頬月玲「紐のある夜」
村田麻衣子「君の名前」
峯澤選:
萩野なつみ「舟と歌」
横山黒鍵「いぶき」
美薗ユウリ「散文的に生存している」
村田麻衣子「君の名前」
日本現代詩人会HP詩投稿欄 第1期入選作2016.4-6月
川津望
傾倒灯
傾倒灯を消してきたんです
暗がりでうねる襞という襞から
露出する水の音
欲望なんですねえ
うのーとさのーのいびつさ
池袋駅北口
PRONTでは忘れ物のないように
階段をのぼるそばから
ひそめられた息遣いは感染する
高熱を唇でうばいあい
酒臭くラアラア歌って
ふっと虫みたいに絶句した
同じボディソープを塗りたくる肉体
げんじつにもゆめにも
あったものしか付着していないのだから
調節のきかないシャワーより遅れて
接近する失語の虫食いに慣れ始める頃
思い出すのは真夜中
バスのロータリーで
長い手をくねらせてあのこが踊ったこと
月はブルーだった
……だから乞わなきゃいけない
もっと内側まで洗ってほしいと
これなに
(えふでぃーわん)
答えるかわりに
痩せ犬同然無理して時間をうんだ
論理に飲まれて話すよりも
手触りだけの浴室
収縮するそんざいの
聴こえ方まで演じてしまう媚態
「昨日は今日より地獄に近いんだ」
すき
ありがとう
ようやく発せられた声もかすれて
まだ汗が引かないのね
筋の張った首筋に絡みつける
傾倒灯をひっぱる手つき
――仕事で戻る
あのこの所へ戻る、も
動詞が一緒であれば嘘にならない
少なくてもわたしのせかいでは
あなたはインフルエンザだった――
山田明
逆立する日差し
二十九歳の僕の瞼
こんな剃刀はもう並べ飽きた
人間の柘榴
素晴らしきかな
ここは誰で
僕は今で
何が十六匹のスーパーボール
三十三回目の息抜き
だめだ
静かにしてくれ
西に五十歩
南に九十二歩進むと
現れる
ピラミッド
そこは二十三歳の僕だ
頭の奥で心臓が搔き乱れる
ここはどこで何が悪くて
山
やま
山々やまやみゃまやま
何もかもが
未完結の維持
九十九本の中身のない闇
そこで僕は
何を
喋ったのだろうか
わからないがそんなことより
何もかもがウジのような気持ちに
ビニール袋
隔離
寒い
におい
誰の誰の誰の誰の誰の
いまだ
樽井 将太
無題
桃 しし 肉
桃も熟れ熟れ
肉も熟れ熟れ
しし、しっ走してゆく路地みはるかす
凪いだ眼の中
桃 しし 肉
セリー状眼、凪いで
不識
擲つ石のようなあなたの眼つき
肉付きの良いわたしがまるまる蹲ると
愛らしい小動物たちがあつまり
みんな啄む、
、啄む、
みんな、みんな、
桃 しし 肉
もしもし、
ししはみますか
桃 しし 肉
しし、しっ走してゆく非常階段みはるかす
セリー状眼、凪いで、
膨張して、
臨界して、
熟れ熟れしいしし
桃 肉 核
熟成核かさね
熟成核くりくりくり ぬいて
口腔でほおばり、ねぶり、
吐き出す
何か、胞衣のような、
垂れて、
どるんどるん
と、
どるんどるん
と、
喉元に垂れ下がり
肉の木の下
小動物わたし集まるなにか小動物のような
しっ走してゆくししの肉不識
なにか漂う(桃
なにか揺ら(肉
残像を
セリー状眼にのこして
もしもし、
ししはみますか
どるんどるん
と、
どるんどるん
と、
胞衣はみますか
鎌田伸弘
希望の蟹
あたしは
エレベーターガール
来る日も来る日も
せまい箱のなかに
閉じ込められて
上から下へ
下から上へと
行ったり来たり
下から上へ
上から下へと
行きつ戻りつ
上ヘマイリマース
下ヘマイリマース
ああ
もう参りました
縦社会
パンドラの匣
いっそ
登れるところまで昇りたい
でなければ
降りられるところまで堕ちてみたい
ときには
後ろ髪だって引かれたいし
横紙破りにだってなれるんだから
でもだめ
この函から
抜け出ることなんてできやしない
ああ縦社会
ああパンドラ
いっそ縦横無尽
ん?
蟹?
カニ?
カニカニカニカニカニカニカニカニカニカニカニカニ
ん?
横歩き?
ヨコ?
ヨコヨコヨコヨコヨコヨコヨコヨコヨコヨコヨコヨコ
蟹だけが残った
この箱のなかに
あぶく
口笛を吹きながら
人間の漬け物を見たことはあるかい
彼らは甕の中で育てられるんだ
頭だけ出して
体は甕の中に閉じ込めて
萎びながら熟成させられるんだ
それは手脚と胴の区別も不確かで
うねりの彫刻をほどこした小さな肉の塊だ
いびつに発達したひとつの足だけが
この肉の漬け物が人間なのだと囁いている
ベトナムのうだる日射しの下
ささくれた茣蓙に転がり
睫毛にとまった蝿をまばたきで追い払う青年は
路上を行き交う人々の足音と
頭元に投げられる小銭の音と
天上で打ち鳴らされる無限律のシンバルを
しとやかな羊の面持ちで聞いている
父さん今日はもうかりましたか
ぼくはお腹がぺこぺこです
こうやって帰りみち父さんに抱かれてみる夕日がぼくはなにより好きですよ
神さまに向かってすすんでいるような気がします
しずかなしずかな時間です
ぼくがどこから来てどこへ行くのかわかるような気がします
なにもかもが過ぎていくようです
父さんぼくは誰のものですか
ねえ父さん、もっとぼくを抱きしめてください
千億の夜に人々は夢をみる
ひかれていく羊の黒い瞳とふるえる尻尾に憐れみの旋律があふれだす
しかし振りかえりながらも人々は
惜別の口笛を吹きながら雑踏へと消えていくのだ
神栖 蓮
Maternal Transport
ふゆぞらの狩人の
みぎかたをてらした一等星は
もうここに存在しないとしても
ぼくたちは
いつもどおり
水つたうこえ
すくってきて
口ずさむおとの匂いに
ゆびよりもすこしひろいいろの
すんだやみを梳かし
待ってて
そっとおもい悩むから
みず破れて
そこにきっと街があり
そこにおそらくまなざしがうまれる
だから
あるひとは
閉鎖式ほいく器を
あたためたり
ふらせる
あめのおおきさを
いいつたえから割り出したりして
それから
またあるひとは
人工呼吸器の配管をつないで
たてにひらくかみと
よこににげるちとのあいだに
かえそうって
へいきでまがおで
みんなのうそをついたり
それさえも
きみとよぶことになる
ひとへの
あしあとへひらきますよう
なづけけられる前になすべきことを
きまりごとのように書きとめ
ぼくは今日も
きえたかたとそのさきのない腕で
すこしばかり
うんざりした
きもちを抱えて
あさやけとよるのそらとを
二十四ゲージのほそい針で
きっと厳しく別つのだろう
浅海 芽森
真空パック
つぶれたままの階段を一歩一歩のぼっている
いつもガランドウだった、窓枠の中は、
閉じこもっていたから湿気が多くて、白く濁っていた。
いい加減な冷凍を施したあと、わたしはそれを絞って
また遠いところへ追いやってしまう。
それなら結局、いくつあっても足りないじゃないか。
ただちに報いなさい。そう命令されたあと
どうしても置いていくわけにいかない荷物だけ持とうと思った。
急に到着したので、まだ名前はない。
はぐらかされたまま、行列に並んだ。
たちまち、煙のふいている方向に、皆が向いた。
これなら、猫より、相手するのが楽だと思う。
保温されているまま、さっきから右足が、穴に邪魔されて、
うまく進めない。でもすべて計算通り、
時計も合っている。彼女の言っていたように、
やっぱり前から、教えてもらった通りだ。
たたまれた衣類は、分厚過ぎて、
届くこともない。このまま、名前のないまま歩きつづける。
横山黒鍵
いぶき
眠るように呼吸をして。ちっていくのですか。わたしは右手に包まれた風の子を放ちます。
たかく、飛んで、いけ
屋根の上を歩くのです。沢山の小さな足たちが、瓦屋根の出っ張りに足を取られながらも、懸命な足取りで、いっていのリズムで
わたしは放ちます、たかくたかく、庭石の影や、ちいさな池のほとりから、いっせいに
滑らかで、とても危険に素直に伸びていくみどりはうるおっていくようにふるえて
小さなきいろをつけたままで
通り雨が音を残していきます、どんなにつよくても、吹き飛ばすほうがつよいのですから
胞子のようにまるまった風がいっせいに芽吹くように
そう
めずらしく花がさいたのでした、それをわすれていたのでした
わすれて、わすれて、めずらしくひらいたままになった呼吸は、大きな口のなかでわだかまるのです。
声を絞るように、ゆっくりと開いていくのでした、朝、まだ寝ている間に
あまい、といわれるもので押し流す、のどにはきっと寂しさが棲みついて、ほそやかな緑色のあしを水平に凪ます
みずのなかにも、風のこたちはちいさなあわとなって立ち昇り、ゼラチン状の息吹をまつのです、
くろい脚がはえ、ぐるぐるとちょうがまき、
ふえてゆくかなしみを、足並みをそろえることでしかわたれなかった、屋根屋根にそびえたつ古い背骨にふるい落とされて、華奢な夢物語ではありますが、たわませ、それから
あなたの、背骨は、とびたつための道具でしたか、血に近づくほどに実った頭をたれて、
杖つきながら自分の影に潜り込もうとする、ゲンゴロウや、タガメのように、ちうちうと吸っていくのですか、鳴き声が遠く近く迫ってくる風の
動くように呼吸して、随分と高くなった空はまだ夏の始まり、雲が形を変えていきものそのものの白さで、
それをわたしは見ている
ちっていくのです。偏在するリンゴを剥くように、あるいは干したシーツの影で、パジャマの裏で、枕カバーには夢のよだれ痕が染み付いて、添い寝する乳房が不自然な岩のようによじれて、弾み
憐れむように呼吸する、あなたは苔むした岩でした。こどものころからみなれた、よつあしのかけ出す前の姿勢で、おなじく、空を包み込むようにてのひらをわたしにむけて、髪を撫ぜ
こぼさぬように蓄えられた朝露です、ツユクサの花弁のあまりにも弱い青に、膝小僧を染めて、
建物の暗がりに咲いた鷺草が羽ばたくように、いっせいに
はなつのです、そらへ、
眠るように、呼吸して。
頬月玲
紐のある夜
天井から
紐が
ぶら下がっている
半分固まった
水のりみたいな光が
僕の目を
優しく撫でている
薄っぺらな布団が
懸命に
背中を温めている反対側で
臍は寒い
僕が背負っている
布団の向こうには
もうひとつの天井があって
紐がぶら下がっている
もしかすると
むかし
ケータイにぶら下げていたストラップも
ぶら下がっているのかもしれない
そうではない僕の
天井の
水のりの根っこの向こうには
もうひとつの床があって
僕と同じように
誰かが横たえられていて
隣には
僕とは違う
誰かが横たえられているのかもしれない
彼女は女子大生かもしれないし
女医かもしれないし
ひょっとすると女優かもしれない
彼かもしれない
僕のつむじの上には
壁一面の窓があって
よくサイレンが鳴る
僕の足裏には本棚があって
バラードや
ハクスリーや
スタージョンがはみ出ている
斜めにある冷蔵庫には
角を窪ませた缶ビールが一本だけ生温い
天井の紐がぶら下がって
揺らめいている
もう
じゅうぶんな夜なのに
明るいなんていたずらだ
僕は逆立って
寒い臍いっぱいに力を込め
おおきな欠伸をして
紐をつまみスイッチを切る
接着されている
光の
根元で
優しい
蚊が一匹死んでいる
村田麻衣子
君の名前
切り立ってから しまったと思った 前髪の形 この世に
わたしのような姿を晒してしまうことが 驚きであった
コンナ姿ニ産マレ 景観ヲ壊シテシマウヨウデ 悲シカッタ。
ダカラ ワタシヤ ソノ他ノ誰ノ事モ 責メナイデ ドウカ
はく離した血管から 光をむき出してはうすくうすーく伸びていく
瞼にあたった 毛先がくすぐったい 皮下組織までを透かしてしま
うから
この血液より先にある からだのなかの先端 を想像するよりも
先に、目に当たる光よ。まぶしくてたまらない
病が現れ、あらあらしく吐息を染め 蝶が舞う それがわたしたち
の 門出だったのだ。
この数センチの視界の開き方は、なんてなんてシンボリックで わ
かりやすくてなんと単純にわたしを現してしまうんだ スーパーで
駄々をこねた子供の頃の姿のように愚かでいとおしい。この前髪の
ことは、ずっとそう後悔しているんだよ。
虫眼鏡を使わなくたって おおくのことが、ひとめでわかる。考え
ていることが、おおまかにでもわかる わかってほしいとかそうで
なくただ「そう 思っているんだよ。」くらいでいいよファッショ
ン。
たとえば、体の中にある喜びや驚きなどを細胞のように描き 昨日
喉の奥に覚えた希釈される前の くやしさをなぞったかのような、
それが、かの アナグラムで。あらわしたような外の空気 触れた
いような景色を。描き出しているんだよ。
君の名前を、
髪を 風にさらして ああ、あの日も雨だった ってさっき 気づ
いたんだよ
ひとつづきの希望は、蝶がつがいになって舞うものだからと
わかってさ ちぎれた三角定規が よみがえる角度を、誰かに向か
い続ける非対称に。それから対称に。交わることのないように
氾濫した青と反対色の手紙よ 空へ。
君の名前、ああそうだった豪風雨のあとに光る水たまりの中に映っ
ていたんだよって
君と誰かの姿を、言い残して やけに鮮やかな反射光に。素肌の
わたしを添えたくなるような
萩野 なつみ
舟と歌
きざし、おまえの虹彩の
ゴンドラはすでに発ち
花野へ
みみずくの羽角に
しののめのかぜ
いとすぎのゆれて
ゆれて、無為の
名になるまえの
名、
ふみしだいて
ねがう、まさごの
積もれば
ふる花の
めぐりの呼気の
あればふるえて
寄り添うみちの
はたての窓、とだえ
ひかりのしおり
ゆだねて、静脈へ
後ろ手にかざす
ゆめ、
なおくらく
みちて、ことづての
背をぬらす葉ずれ
もどらず
のぼるゴンドラの
しじま、あわだち
おまえがじっと
かたむいてあびるうた
ふる花の、
ふる花の
きららかな
めぐりの呼気の。
美薗ユウリ
散文的に生存している
欅の木、その激しい繁茂からひときわ
高く突き出した裸の枝に
鳥がやってくる
夏雲の経帷子が飛んできて
引っかかるように重なる
M氏は死んだ。死はいつでも不可解で
理不尽だと鳥は考えている
僕はその考えをトレースする
手にシャベルを持った少年がただ一人で
歩いてくる。幼児だ、彼ははぐれ
歩行に目的はない
「死ぬよ」と彼は言ったようであり
「死ねよ」と彼は言ったようであり
それはただ僕が鳥の餌のために
腰をかがめて拾い上げただけの
言葉かもしれなかった
仮面よ
紅き死の仮面よ
割れている木製の仮面よ
時間が捩れると死者はまだ死んでいない
鳥は卵の中で薄気味悪い幼体である
僕は僕でなく
ものの一切に名前は付いていないのに
文字は確信に満ちて文字であり
とりあえず夥しい数の
店の看板や住居表示やポスターや注意書に
とまっている
町は文字の止まり木である、と
誰もそんなことは言っていない
鳥が僕の、僕が鳥の
理不尽な世界観を
あらかじめトレースしているに過ぎない
M氏は死んだ
後退した時間の中では
まだ死ぬ自分に気がつかないまま
生きている
余命は大変短いが、よく笑いよく飯を食う
鳥は「余命」という言葉と
暴れる蚯蚓とを呑む。呑み込む
呑んで不可解である
今はもう日暮れて
雲の上着が雨のネクタイを締めている
「少年は合唱団に加わるだろう
性の青い部分が喉元で締め上げられるのだ」
僕はセンチメンタルなインクで
低気圧の目にそう書き付け
投稿する
【選評】
野村喜和夫
川津望「傾倒灯」
山田明「逆立する日差し」
樽井将太「無題」
鎌田伸弘「希望の蟹」
全体的にハイレベルな感じで、選考には大いに迷いました。ままよという感じで以下の4篇(受付番号順)をピックアップしましたが、あすはまたちがう作品を選んでしまうかもしれません。選に漏れた人にはあしからず、です。
なお、萩野なつみさんの「船と歌」と横山黒鍵さんの「いぶき」もすぐれた作品ですが、ふたりともすでに投稿実績(萩野さんは現代詩手帖新人作品欄、横山さんは詩歌トライアスロン)があり、私のなかで未知の新人という域を超えています。ひとつ上のステージにすすんでほしいという思いから、除外させていただきました。
川津望さんの「傾倒灯」。私/他者の関係性が、自由度の高い言葉の結びつきによって、それ自体生きて動くある種官能的なあわいに変容してゆくような、不思議な魅力にみちた作品。「調節のきかないシャワーより遅れて/接近する失語の虫食いに慣れ始める頃/思い出すのは真夜中/バスのロータリーで/長い手をくねらせてあのこが踊ったこと/月はブルーだった/……だから乞わなきゃいけない/もっと内側まで洗ってほしいと」。ただ、まだ生硬なところがあり、とくに最終連がすこし弱いですね。
山田明さんの「逆立する日差し」。言葉の意味よりもその意味のずれに、つまり言葉の力や速度に信を置いているような、本質的に詩的な作品。「二十九歳の僕の瞼/こんな剃刀はもう並べ飽きた/人間の柘榴/素晴らしきかな/ここは誰で/僕は今で/何が十六匹のスーパーボール/三十三回目の息抜き」──これらの言葉の連なりは容易にパレフレーズできませんが、それだけに言い知れぬインパクトが伝わってくるかのよう。この一篇だけでは何とも言えませんが、今後が大いに楽しみです。
樽井将太さんの「無題」。作者は素材つまり言葉のシニフィアン面の感受にたけた人なのでしょう、言葉が生き生きと自律しています。しかも、そういう言語遊戯の空間から、おぞましくも蠱惑的な何かが立ち上がる気配も感じられます。「肉の木の下/小動物わたし集まるなにか小動物のような/しっ走してゆくししの肉不識/なにか漂う(桃/なにか揺ら(肉/残像を/セリー状眼にのこして)。今後はこの方向をもっと探求してほしいですね。詩に「無題」はあまりいただけません。
鎌田伸弘さんの「希望の蟹」。ユーモラスな社会風刺の詩で、この時代の閉塞感をシンプルかつグロテスクに形象化していますが、あるいは形象化しすぎているかもしれません。書く主体が状況にもっと積極的に干渉して、いわく言いがたい何かがそこから滲み出てくるというような面が出れば、もっと面白くなるかも。ともあれ、主題を運ぶ言葉のリズムがすばらしく、作者は基本的にものを書ける人ではあるのでしょう。
高貝弘也
あぶく「口笛を吹きながら」
神栖蓮「Maternal Transport」
浅海芽森「真空パック」
横山黒鍵「いぶき」
頬月玲「紐のある夜」
村田麻衣子「君の名前」
選ぶ、というのではなく、言葉にはしにくいところへ届こうとしている幾篇かについて、この場で取り上げていけたらと思う。
あぶく「口笛を吹きながら」。奇怪ながら、リアルな第一連。崇高な第三連。生きていると感じさせる、帰りみち。
神栖蓮「Maternal Transport」。母に連れられてくる、名もないものたち、子。言葉ははかなく、届かないのか。
浅海芽森「真空パック」。まだ名前はない、はぐらされたまま。このまま、名前のないまま……。
横山黒鍵「いぶき」。散っていく、小さないのち。ふるえている。呼ぶ、吸う。繊細なイメージが舞う。
頬月玲「紐のある夜」。見慣れた自分の部屋も、そのさきのことはわからない。最終行はとても切ない。
村田麻衣子「君の名前」。前髪と三角定規。やはり君も、名前がないのだろうか。散らばった前髪のように繋がらない言葉。
峯澤典子
萩野なつみさん「舟と歌」
横山黒鍵さん「いぶき」
美薗ユウリさん「散文的に生存している」
村田麻衣子さん「君の名前」
何をどう書いてもいい。そんな詩作の喜びを感じさせる多様な作品が集まり、なかには再読したくなる佳品も含まれていた。その一方で、着想の面白さや書こうとする勢いは認められるものの、同じようなイメージと修辞の繰り返しや、整理されてない思考の流れ、あるいは唐突な中断が目につく作品も多く、それらは推敲すればより魅力的になると思われた。
これは詩なのかどうか判断してほしい、と読み手に投げる前に、いま、こうして書き付けた言葉は、自身の内側から湧きあがる主題を追うのにふさわしい一語なのか、と立ち止まる。今回入選とした作品は、そのように深められた思考と沈黙の葛藤のすえに生まれたそれぞれの方法と内容なのではないだろうか。
萩野なつみ「舟と歌」。
舟、風、花、そして歌といった虚空をめぐり流れる生命の運動が、目にも耳にも柔らかく言語化された優雅な作品。例えば、一連における平仮名と漢字の絶妙な書き分けや、五音、七音を潜ませた緩やかなリズム、そしてイメージを局所的に限定しない控えめな修辞、読解にふくらみを与える雅語的表現の使用。そうした表記することへの細やかな配慮のおかげで、「ふる花の/めぐりの呼気」の触感が鮮やかに現れる。一見古風な書法かもしれないが、数多ある日常の素朴なスケッチとは異なる、独自の文体を作ろうとする意識の高さは貴重だ。
横山黒鍵「いぶき」。
投稿された三篇それぞれが印象に残ったが、「風の子」という透明な息吹の幻がしだいに熱を帯び、生々しい身体の具体性を獲得してゆくこの作品を選んだ。詩のなかには、儚いものを語ろうとする言葉への信憑と疑いが混在し、描かれる対象の美醜がふいに反転する面白さがある。「風の子」が放たれ、あわとなって立ち昇るまでの描写はやや長いが、イメージの丁寧な展開とも捉えた。言葉の慎重な選択を重く感じさせない、のびやかな語り口も魅力だ。
美薗ユウリ「散文的に生存している」。
生死についての時間感覚の不可解さが、人の思惑を超えて存在し続ける文字や言葉に対する問いへと変わり、鳥の考えが僕の考えになる。そうした焦点の移動が自然に、しかし新鮮な飛躍とともに行われている。「町は文字の止まり木である、と/誰もそんなことは言っていない/鳥が僕の、僕が鳥の/理不尽な世界観を/あらかじめトレースしているに過ぎない」という、感傷から離れた場所から発せられる爽やかな論理。一連一連が独立した短詩としても読めるくらいに、行と行の関係をきっちりと作ってゆく書き方にも好感が持てる。
村田麻衣子「君の名前」。
切られた前髪への違和感から始まる身体の細部の感覚が、気負いなく流れる話し声のリズムで外の世界に浸透し、拡がってゆく。身体感覚とはいっても、この詩の場合は、古臭い性愛や痛覚のイメージにとらわれてはいない。例えば血管や血液、皮下組織といった、生物の暗部や傷口を連想させる単語を用いるときですらそこに重々しい淀みはない。外界のひかりを感受し、まばゆさのなかへ拡散するための身体の言葉は、それ自体が空の一部であるかのように軽やかだ。「君の名前を、」と告げたあとの、視線の解放が心地よい。
また、選外とはしたが、触れておきたい作品がいくつかある。
末国正志「往来(ゆきき)するもの」は、幼い子との触れ合いからもたらされた温かい「何か」を、読むひとが共感しやすい平明な言葉と速度で綴ってゆく。急がない書き方には説得力があるが、説明にならないようにしたい(例えば二連目の7〜9行目はなくても、「往来するもの」は十分に伝わるのではないか)。
西原真奈美「見えない同心円」。「盲いて描いていた/見えない同心円」という最終行に行き着くまでの日常の場面の切り取り方や、円の像を大切に運ぶ詩行の流れにセンスを感じた。
吉田友信「匂い」。匂いから喚起されるある家の記憶と四季の情景を、五感を意識的に盛り込みながら丁寧に描いている。同じ動詞の繰り返しや静かな語りの統一感は、読むひとによってはやや単調に映るかもしれない。
堺俊明「夏の落葉」。「世界中の/指輪が一斉に/指から離れたような/陽射しの中で」という最終連の、一気にひかりが放たれたような比喩の強さ。この比喩の明るい広がりのおかげで、それまでの、落葉という自然の変容をめぐる静かな瞑想が際立つ。
ほかにも、頬月玲「紐のある夜」、神栖蓮「Maternal Transport」、岩間ゆきな「乱反射の夜」、采目つるぎ「六花少年」、内山憲一「ペレグリナシオン」、梁川梨里「シャングリラ」が印象に残った。