詩投稿欄

詩投稿作品 第24期(2022年1月―3月)入選作・佳作・選評発表!!

詩投稿作品 第24期(2022年1月―3月)入選作・佳作・選評発表!!

 

厳正なる選考の結果、入選作は以下のように決定いたしました。

 

【選考結果】

■山田隆昭選

【入選】

中山祐子「フランスパン」

鈴木歯車「せいとん」

渡部嘉子「白い世界」

田畑邦夫「彼」

湯本なて「夜の陽」

 

【佳作】

吉岡幸一「線路沿いの蕎麦屋」

村田活彦「井戸」

三好由美子「笑う転校生」

矢代レイ「水のあやとり」

竹井紫乙「ワンピースの空」

 

■塚本敏雄選

【入選】

山川さち子「コノヨノハテ」

柊央仁「娘・祖母」

樋渡茉佑子「岸の灯り」

渡部嘉子「白い世界」

野ばら「しいたげられた者へ やさしい雨がふる」

 

【佳作】

有門萌子「火葬場にて」

吉岡幸一「鰻髪」

鈴也空白「跡」

中嶋蒼太「天国の世界」

こり「ねがい」

神谷初衣「夜景」

 

■草間小鳥子選

【入選】

佐名田纓「いやいや映画に出かけている」

岩佐 聡「原色の幼なじみ」

鳥井雪「れんがを積む」

佐藤友昭「陽光」

 

【佳作】

吉岡幸一「線路沿いの蕎麦屋」

崔孝碩「時雨どき」

山川さち子「天窓」

甘稀躰「コロッケ」

梶原 綴「遊離」

*佐名田纓さんの作品入選につきましては、
 投稿欄新人が決定する以前の投稿なので、掲載といたしました。

 <投稿数425 投稿者258

 

中山祐子「フランスパン」


おばあちゃんはバゲットのことを
フランスパンと呼んでいた
差し歯が折れるほどかたいけど
フランスパンはおいしいね
たしかにおいしいね

もらったオルゴールは
遠い国の音楽
おしゃれな男女がくるくる踊るけど
ふたりの顔は
てきとうに不細工だった

かたいふらんすぱんで
なぐりあえばいいのよ
ひとをじゅうでうったり
ばくだんをおとしたりせずにね
そうしてさいごに
まーがりんをたくさんぬって
まーまれいどもたくさんぬって
みんなでたべて
おしまいにすればいいのよ

そうだねおばあちゃん
フランスパンですべてを解決できたら
踊る男女の顔はんぶんも
溶けずにすんだね
そっとねじをまけば
優しい和音に目を閉じて
男女は回り続けることができたはずだ

かじりついた
現実とパンをのみくだせば
記憶のおばあちゃんは
フランスパンで武装して
台所にしのびこんだテンを追い払ってる
おいしいおいしいパンのままで

 

 

鈴木歯車「せいとん」


昼下がり
えんじの花の香りが
雲を突き抜け
だれかに通うとき
そのときぼくは
死んだと思ってください
永遠に生える
みずいろの並木道の途中で
きっとあなたはぼくを
うそつきだと言い
光の帯のなかであざやかに
ひとを裏切る
だって
そんな花はどこにもないのだから

ぼくの名前は
世界で一番みじかい
歌にして
取り出せないうみの
深くにしずめてください
言葉は
人間だけがかかる
気だるい春の病です

 

 

渡部嘉子「白い世界」


知的障害のある娘が
おさんぽいってきます

真冬なのにサンダルつっかけて
玄関を出て行く

世の中の常識から
親の干渉から

飛び立つように
白い自由な世界

 

 

田畑邦夫「彼」


「さぁ、君」
と、は言った

いつのことだったろう

僕達は、午後の明るい街並を歩いていた

西へ傾きかけた太陽は
街々に静かに光と影を投げかけていた

は、立ち止まって言った

「さぁ、一言で言って、世界とは、今何だ。」

僕は返答に窮した、「そんなことは、不可能です、」

「いや、可能不可能は、ここでは問題ではないのだ。そんなことにかかわりなく、
端的に言って、今世界とはどんなものか、その言葉とともに一切はお前に到来し、
そしてとにかく、片付いてゆくのだ。さぁ答えるんだ。」

(僕は、やむを得ず久し振りで見るように、とまどいながら周りを見渡していた。
静かな光に満ちた街影に、窓ガラスが反射しているのが見えたが、
僕にはその窓ガラスが世界だと答える勇気もなかったのだった。
或いは、世界とは貴方だといえば、は、会心の微笑を僕に向けただろうか。
そして、何故かわからないと答えることは、許されていないように感じられたのだった。)

しばらく、曖昧に見渡してから、僕は答えた
「・・・とにかく、世界とは、今、僕にとって自明ではない何かです。」

は、落胆したように、(或いは、怒っていたのかもしれない)
「それは、答えではあり得ない。」
そう言って、一人で街並のどこかへ消えていった

―そんな風にして、僕と世界との出会いは始まった

 

 

湯本なて「夜の陽」


誰のせいでもな
眠れ
頭の中でだけホットミルクを淹れる
たんぱく質の膜が
ずるり表層を滑る
大火傷した口の中みたいに

いるか起きいるか分からず
今日明日は刻一刻曖昧に
夜と朝、日の境
そんなものすら分からいのに
過去未来ど存在するわけもな

足の先の方から
冷たい気持ちだけが這い寄り舐める
部屋をどれだけ暖めても
そこに意味は
優しくされたっ
優しくいのおんじように

体だけが眠り
頭は常に喋くっいる

脳内再生

感情が緩まり
自分外界の境界次第に解ける
二度調和の
私の安寧

 

 

山川さち子「コノヨノハテ」


コノヨノハテ

大小のプラスチックゴミが漂う河川と大海
マイクロプラスチックゴミを食べた
冷凍の魚が料理され
彼女は美味しい美味しいと食べる
あんた、知らないの?
世間には幸せな人がたくさんいるんだよ
満足している人がたくさんいるんだよ
と、彼女は言った

コノヨノハテコノヨノハテコノヨノハテ

精神病院のエアコンの室外機の風に吹かれて
タバコをもう一服したら
病室に帰ろうと思った
待っているのはオシャベリと孤独

けれども
他の病棟よりはマシだって
ほら君が
最後の自殺未遂の後にぶちこまれて
私がお見舞いに行った
鍵付きの扉の内側さ
髪をバリカンで刈られて
財布さえ奪われて
君がどんなに苦しんだか
キスした時にわかった
陰のように覇気のない人達が
あたかも壊れたロボットさながら
「コンニチハ、コンニチハ」と
繰り返しながら通り過ぎた

コノヨノハテコノヨノハテコノヨノハテ

あれから幾歳月
アパートのエアコンの室外機の前に出ると
火傷しそうに暑い
もうタバコは吸わない
君は世界からoutputされて
宇宙の塵になった
私はぐらつきながら
コノヨノハテにしがみついて
砂漠地帯の夜明けを待つ











コノヨノハテコノヨノハテコノヨノハテ

精神病院のエアコンの室外機の風に吹かれて、タバコをもう一服したら、病室に帰ろうと思った。待っているのはオシャベリと孤独。

けれども、他の病棟よりはマシだって。
ほら。君が、最後の自殺未遂の後にぶちこまれた、私がお見舞いに行った、あの鍵つきの扉の内側さ。
髪をバリカンで刈られて財布さえ奪われて、君がどんなにか苦しんだか。
キスをしてわかった。
陰のように生気のない人達が、私の前を、あたかも壊れたロボットのように、コンニチハ、コンニチハと繰り返しながら、通り過ぎた。

コノヨノハテコノヨノハテコノヨノハテ

あれから幾年月。
アパートのエアコンの室外機の外側に出ると、火傷しそうに暑い。
もうタバコは吸えない。
君は世界からoutputされて、宇宙の塵になった。
私はぐらつきながら、コノヨにしがみついて、砂漠地帯の夜明けを待つ。

 

 

柊央仁「娘・祖母」


畳が鈍く擦れる音がして
籐椅子に腰かけた祖母に近寄る
深い皺が刻まれた祖母
私のを愛でる
山から流れ出る川と海とが繋がる
まさにその地形のすぐ横にある祖母の家
まだ幼かった
祖母は私のの名を優しく呼ぶ
それは偶然にも
祖母がかつて亡くした我が子の名だった
祖母は何度も何度も呼び掛ける 

祖母の家からの帰り道
錆びついた街灯が暗闇と静寂を繰り返し示した
私は遠い記憶の断片を拾い集める
砂場と小さなすべり台
祖母から褒められた優しい記憶
祖母の手作りのうどんと団子
もう味わうことのできない幸福

やがて祖母
一人で生活することが難しくなり
老人ホームに入った

祖母は部屋の中で少し黒ずんだ蜜柑の皮をむく
それを私のと分け合い食べる
陽だまり
二人の笑い声

やがて祖母
老衰で静かに息を引き取った
四歳だった
細くて小さいその肩を妻が抱く


祖母の死後から数年経った今でも
夜空に星を見つけては
祖母の名を呼ぶ
七夕の短冊に「会いたい」と書き
形見の赤いリュックを背負い遠足へ行く


私は心から
家族を愛せているだろうか
心の底から家族となれているだろうか
この世にいない家族を想い日々を生きる
は今日も汗だくになって遊びまわる
横顔に赤子の面影を残す愛しい我が子よ
私はの心に残り得る人間だろうか

日常は容赦なく押し寄せる
今日も仕事を終えて
ハンドルを握る
傾いた陽は街を染め
私は家族への愛しさを募らせる
ともに過ごせる時間はそう多くない
今夜と星を見よう
ただ一緒に手を繋いで

 

 

樋渡茉佑子>「岸の灯り」


が見える 灯りがひとつ
いつから漂い辿り着いた
あれは誰の家だったか
ひどく懐かしい気もする
夢のように昔のことで

を離れる 船がひとつ
またどこか知らない遠くへ
小さくなって消えていく
灯りは冷たく温かい
また近づく日も手を振って

 

 

野ばら「しいたげられた者へ やさしい雨がふる」


しいたげられた者へ
やさしい雨がふる
打ちひしがた者へ
否定され続けた者へ
やさしい雨がふる

ははしたりはない
もちろん希望を語っりも
大変だっねとか
悪いのはあいつらじゃないかなんて
言っりはない

霧のようなやわらかさで
繻子のような軽さで
無垢なは包んでくれる

まるで朝というものを
初めて知っかのような朝
いつふりはじめかもわからないほど
ひそやかに
はやさく洗い流てくれる

 

佐名田纓>「いやいや映画に出かけている」


何か重大な出来事出くわし
それから過去の文章を読み返すとき
ついさっき得たはずの学びより、ずっと進んだ話を
過去の自分が繰り広げていること驚くことがある

それは過去の自分が既何かを知っいたわけではなく
何も知らないの、まるで何かを知っているかのよう
文章は容易く書かれ、読まれるということを意味しているようみえた

は浪費癖がある
財布のなか金をいれおくとすぐ使っしまうから
出来る限り金を入れないようている
今日だっ図書館から帰りながら
もう六冊も借りきたの、書店で二冊も買っしまった
五千円札が二百円なっ、その二百円で電車乗った
子供のころ欲しい物が買えなかった反動だと思っきた
でもよく考えると、子供のころの自分はすで
浪費取り憑かれいたんだ

恋をするのは簡単だ
人は誰もが恋をするの躊躇わない
人は恋しやすいの、愛対しはいつでも逃げ腰だ
愛とは、苦しみや億劫さから始まる関係のこと
恋は、自分を愛さないため生まれるけれど
愛は、自分を愛するため生まれる
自分を愛さないことはたやすい
自分を愛することは難しい

人生は長い
まるで生きるためとは違った何かのため、時間が用意されているみたい
あるいは、同じことを何度も繰り返すより他、生きるための方法が見つからないみたい

誰かが ベンチ寝転んでいる姿
目を覚ました 朝の白い光の艷やかさ
この世は価値で満ちている
誰もそれを拾いあげようとしない
いよいよ僕が拾い上げようとしたとき
僕は無力さというものを知ったのだ
それを拾いあげることができない
僕のというよりも
誰もの無力さを

今僕は、いやいや映画に出かけている
どうしもその映画を見ようと思っいた、過去の自分を救済するため
だから上映終了するギリギリの日付なるまで待っ
その日が来しまったから いやいや出かけているのだ
その映画は七時間十八分もある
僕は寝不足で電車揺られながら 少しの吐き気さえ覚えている
僕は今
今というものを見ている
僕は今
僕は今ここにいる
ということを見ている

ちょうど六年前の今日、大地震があった日
僕はある歌手の歌を聴き行った

その歌手は
ちょうど四年前の今日、大地震があった
という歌を歌っくれた

 

 

岩佐聡>「原色の幼なじみ」


そうして古い図書室には、開けたら閉まらない窓があり、鍵がかかる戸棚にしまわれた手記には、今はくすんでいる人称代名詞がおかれている。その窓しか知らない風は、一人が心地よい幼なじみの耳に触れることがあった。ふとわたし自身が、同じ場所に居ること自体、ある一定の暴力かもしれないと思ってしまう。卵一個分ほどの大きさの心地よさが、わたしにあるはずがなかったから。

幼なじみが、小さな生物を解剖するのをみたことがある。原色を、ゆるめていくという意思に通じていた。かつてわたしたちは、車に入り込んだ蝶を、別の遠くの海辺で放したことがあった。蝶は、一刻も早くという具合に体を投げ出して、まるで他人の羽のようにぎこちなく羽ばたきだす。故郷よりも、早くに降りだす、雪をすでに感覚しながら。夕方にならぶ、悪意のない風の疑問符。停留所の、休日だけ異なる時刻表は、糊が剥がれ捲れていて、昨日のバスが来る時間までの、りんご、から始まるしりとりが何気ない。

鼓笛隊に選ばれた幼なじみが制服を、洗濯した日を憶えている。その干された襟もとに、たくさんの幼児を残していたし、胸の刺繍にはこれからいっぱいに吸い込むであろう酸素の色を染み込ませていたから。皆、薄荷の飴をカラい、と言った過去がある。いつかの水曜日にした放尿が、体の芯から暖かった。そして尿はあまりに勢いがあり、寂しくてたまらなくなるから、幼なじみには私の傍らから離れないでほしかった。たしかな二人称になって流れる尿。ほんの一時のあいだあらわれる水たまり。そこに唾をはくか迷いながら、ふいに地図の詳細を歩幅でもたしかめたくなって、余白を越えてでも想像の色彩をたどりたいと思ったそのとき、幼なじみからは同じ緯度での共通の尿意、もう感じてくれることはないだろうとわかってしまう。

目が退化した深海魚のように幼なじみは、わたしを面影だけの空白として、心の部分に据えようとしていた。熟した果実に入り込んで、手を繋げる人を探したらそこは、左利きのわたしで溢れてしまう。ト音記号をはじめて書けたときの記憶がない。幼なじみは笛を、斜めにして溜まった唾液を逃がそうとしていた。息継ぎを小さくしながら、それはとても律儀な行為にみえた。楽器の練習は、どこまでいっても連続する倒置法なのかもしれない。幼なじみは、目が悪い人の気持ちがわからない、という純粋な精神に守られていた。

絵日記にもならない言葉が浮遊する放課後、柚子を枝ごともらって、ともに帰ったことがある。果実と枝を掴む手の距離をはかりながら、いつからか幼なじみの口許から放たれた私語と、わたし自身との交わらない時間が丁寧に計られていく。まだきっと二人、おなじく乳歯が抜け落ちる感覚を引き連れている、と思っていた。構図に入りこんだわたし自身の、何色かを省こうとする写生大会の絵。そんな水彩画の描かれ方を間近にすると、まだ新しいと思えた色彩の修飾語が、わたしのなかから一つ消えようとしていた。

 

 

鳥井雪>「れんがを積む」


れんが積む
わたしと男とこどものためにれんが積む
焦りにふるえる手でれんが積む
これで
ほんとうにおおかみはこな

はじめは男のためだった
つか優し日々の果て どちらかがなくなる夜にも
雨から男の眠りを守る屋根がほしかった

扉は善ものにだけ開かれるように、鍵をつけた
「何か買う物ありますか」と 言葉を送り合ってたら
こどもは足元に二つ転がり出た

毎日、男とともにれんがを一つずつ積んで

間に合うか、間に合うか、
やわらか子が鋭爪に持ってかれることはな
不安にふるえて朝を待つ夜
木々が風にしなる音はおそろしかった

それでも、朝が来ればひとつ、れんがを積んで

だけど みろ 窓の外を
ほんとうの おおかみがくる

おおかみは毛の生えた手をもってる(おしろをはたて白
  爪はなまり色で
    歌う歌は美し物語
      その息は生臭く温かく湿って

こどもが夜にしがみつてくる
「かぎはかけた?」 ときてくる
わたしはひそめた声でなだめる
  …大丈夫…鍵はちゃーんと掛けたから…ここはれんがの家だから…
小さほうのこどもは
こわことなど何も知らずに眠ってる まる頬で

わたしは知って

扉に意味はな

おおかみは れんがなんて一瞬で溶かす まばゆ光で

朝が来て
わたしと男はまた一つれんがを手に取る
よく焼き締まった硬いれんがを選ぶ、その 意味は なに?

わたしはたまらず立ち上がる
木々の向こうに見え隠れするおおかみの影に れんがを振りかぶる
こちらに気づたらきっと おおかみは向かってくるだろう
その前に
殺せなか、おおかみを その無形の頭に血を流させて

男の乾た手が
れんがを掴んでふるえるわたしの手に重なる
力を失 だらりと垂れるわたしの腕が 蛇のように 重

そしてわたしたちは れんが積む 今日も

 

 

佐藤友昭>「陽光」


人はただ過ぎゆく時間の中で過ぎ行く人と会話をしているだけで、その中で深く落ちていくような関係性を築くことは難しい。昼下がりの陽光が木々の隙間から分かれ射すように人々の関係性もけして交わるものではないのだと思う。

父は私達の前から去る時、最後の朝食を食べながら自らの幸せを他人に強要することは誤りで、孤独な事を時には受け止める覚悟も必要なのだと言った。

理解することは出来なかったけど、母がその言葉を聞いて持っていたフォークを父に投げつけて発狂しているのを見て私は失った物が何かには気付いた。

母は水面に写る父を軽蔑し、揺れる蝋燭を守るように働いた。それは私の為ではなく、彼女の陽光を見失わぬように。

大地に照らした陽光はやがて陰を落とし、鉛筆の尖を削り落とすように母の背中をゆっくりと確実に硬くしていった。
 眩い木々の隙間から溢れる陽光は母を照らしていたのではなく、彼女もまた木陰から覗き見ていただけだった。そして私もまた母の陰から彼女を見ている傍観者に過ぎなかった。

 

 

山田隆昭選評

【入選】

「フランスパン」中山祐子(2月 №100

・「フランスパン」と呼んでいた、記憶の中のおばあちゃん。第三連のおばあちゃんの語りが心に沁み入ります。その言葉をひらがなで表記していること、生々しい戦禍をオルゴールの人形として表現していることが、この詩の静かな反戦の想いに相応しい。日常の営みの中での平和への願いは、おばあちゃんが獲得してきた智恵でしょう。その智恵は、声高に正当化する争いの理屈をも打ち砕く力があることを、この詩は示しています。

 

「せいとん」鈴木歯車(3月 №169

・〝言葉は/人間だけがかかる/気だるい春の病です〟この三行のためにこの詩はあります。〝えんじの花の香り〟がだれかに通うのは、花の香りではなく、えんじの花の香りという言葉それ自体です。そう語るとき〝ぼく〟の言葉はひとを傷つけ、裏切り、うそをついたことになります。そうしてぼくという実態が仮に死んだら、ぼくを指し示していた、究極の言葉である名前を葬ってほしいと願います。このように言葉のありようを読者に提示し、考えさせます。比較的短いのですが、飛躍や屈折に富んだ、濃密な詩といえます。

 

「白い世界」渡部嘉子(1月 №10

・知的障がい者(児)といわれる娘さんは純粋そのもので、人間が本来的に持つ自由な心の赴くままに行動しようとする様子に惹かれました。その娘さんを見るお母さんは、なぜそれを障がいと呼ぶのかと疑問を呈しているようにも思えます。また、いのちの輝きは、娘さんのそのような在りようにこそ潜んでいると強く思っていることでしょう。眼が曇っているのは、社会的な規範にがんじがらめになって生き、それをよしとしているわれわれ健常者かもしれないと考えさせられる詩です。

 

「彼」田畑邦夫(1月 №61

・〝彼〟とは、もう一人の自分ですね。〝一言で言って、世界とは、今何だ。〟〝世界とは、今、僕にとって自明ではない何かです。〟こうしたやり取りをとおして、世界と己の関係、つまり現実を受容せざるを得ない生き方が始まります。今在ることの曖昧さ。そもそもひとは根底に存在の曖昧さを抱えていて、ある時こうした問いにぶち当たり、立ち止まる一瞬が誰にもあります。重いテーマは、暗い閉塞的な状況下に設定したくなりますが、この詩では強い陽光と影が際立つ夕刻に、このような問いが発せられていることが印象的です。光に照らされて、曖昧な存在である己が剝き出しにされてしまったかのようです。

 

「夜の陽」湯本なて(2月 №56

・逢魔が時をやり過ごして、いよいよ本当の魔が襲いかかる深更となります。眠ってしまえば楽になるのに、なかなか寝付かれない。そんな夜は、まず妄想に頼ってみることは、私も体験済みです。今夜はホットミルクを飲んでみるのですね。するとかえって苦い記憶がよみがえる。時間も日も曖昧な中、頭寒足熱と逆の状態にあれば、頭だけが冴えかえります。しかしそのうちいつしか眠りに落ちています。不眠などと片付けてはいけない夜の、体と心の不統合の感覚をよく表しています。

 

【佳作】 

「線路沿いの蕎麦屋」吉岡幸一(2月 №72

・午前0時から午前三時の間のみ開店する、不思議な蕎麦屋は、いまは列車の走らない鉄路の脇にあるようです。全篇にわたり、場の設定や人物描写などが確かなイメージで描かれています。列車が走らないということは、時間が止まっているということでもあります。この詩全体が黄色に支配されています。三角屋根、てんぷら、菜の花、カレー、月。この黄色い物たちを配置することで、セピア色を連想させ、全てが過去の出来事であることを表そうとしているのですね。いわば幻想の世界でしょうか。物語の要素を取り込んで、とても上手な展開を見せていると思いました。

 

「井戸」村田活彦(1月 №106

・何気ない日常の風景の中で、唐突に〝井戸のことを考える〟なぜ井戸なのか。眠られぬ夜に数えたという井戸。そのとき感じていたのは、己があることの謎を抱え込むことと、それによる精神的な渇きでしょう。現実の埒外にある己を意識し探ろうとするとき、底の見えない井戸に下りてゆきます。降りても降りても真実は見えてこない。渇きは癒されません。それは涸れ井戸のようです。そのような問いにはまると、どこまでも際限なく深みに落ちてゆくその感覚を的確に表現しています。こちらも徐々に渇きを覚えるような。覗きたいような覗きたくないような世界は確かにあり、共感を覚えます。

 

「笑う転校生」三好由美子(3月 №138

・一人の転校生が、平穏(と思われる)学校に、恐怖をまき散らしてゆきます。それは徐々に重く悪質なものとなってゆきます。じわじわと迫りくる恐怖は、心理的な打撃を与えます。そんななかとうとう死者が出、〝わたし〟を仲間に引き入れようとし、ついには校舎にまで被害が及び、恐怖は頂点に達したかに見えます。その後どうなったのか、読者は放り出されてしまいますが、果てのない不気味な想像の世界に連れていかれます。物語性の強い詩であり、小説の核を読むような面白さと怖さを味わいました。

 

「水のあやとり」矢代レイ(3月 №87

・〝水のあやとり〟タイトルがとてもよいと思いました。何だろうと思わせます。水はいろいろな表情を見せますね。チラチラと燃えて見えたり、綾織りに見えたり、見ていて飽きません。この詩には噴水と十二歳の男の子と三歳のその妹が登場します。男の子は、詳細は明かされていませんが、いびつな家庭環境にあるらしいのです。公園に来て噴水と水を渡る風に触れることで、いっとき傷を癒されます。根本的に解決するには、幼すぎるのです。そこに現れる屈託のない三歳の妹との交流が、未来を明るいものにしてくれます。この詩も限られた時間・空間の設定のなかで、来し方と将来を、いろいろと想像できるものとなっています。

 

「ワンピースの空」竹井紫乙(1月 №42

・ワンピースを空に見立てて、想像を膨らまします。本来、服は体を覆い、いわば世界と隔絶する役割を持ちますが、この詩においては、逆に肉体や精神を開放するものとしてとらえています。お金を使っても雨が降っても、その自由を手に入れられればよい。暗い世相にあって、明るさは失いたくないものです。身近にある生きがいを見つけたいものです。劇場に行くというあたりまえの生活が、今やとても貴重に思えます。

 

選外佳作

「日々に遅れて」長光祐三(1月 №31

「1ペニーの雨」逢坂由委子(2月)№22

「日曜症候群」鯨(3月 №57

「その朝」柳坪幸佳(3月 №147

 

 

塚本敏雄選評

届けられた全ての作品を一生懸命読みました。様々な心の声を聞きました。様々な声の形を目にしました。それら全てがかけがえのないものだと思います。その中から、10篇ほどの作品を選び出す作業はとても難しいものだと感じました。

まず自分の中に一人の読者を作って下さい。いきなり多くの人に届けようなどと思わないで、まずその最初の読者を喜ばせることを考えて下さい。それができてこそ、結果的に多くの人に届く言葉を紡ぐことができると思うからです。また、読者としてのあなたと作者としてのあなたが切磋琢磨することで、作品の質は自然と高まっていくことでしょう。

詩を書くことが皆さんの心の支えとなり、皆さんを救ってくれるものとなることを心から願っています。私も詩があったから、人生を豊かにすることができたと思っています。

25期もたくさんの投稿をお待ちしております。

 

【入選】

「コノヨノハテ」(山川さち子)

情景と心情の描き方のバランスがよいと思いました。また感覚が若々しく、素晴らしい。

「娘・祖母」(柊央仁)

衒うことなく素直に書いている感じに好感が持てました。七連目がちょっと甘くなりすぎているように感じましたが、最終連の終わり方も良いと思いました。

「岸の灯り」(樋渡茉佑子)

短い詩でシンプルですが、言葉が端正であり、かつ柔らかい感覚がとても好きです。

「白い世界」(渡部嘉子)

これも短い詩。二連目がとても良いと思います。一連目の「サンダル」という具体的な描写からの展開が鮮やかだと感じます。

「しいたげられた者へ やさしい雨がふる」(野ばら)

まさしく優しい詩。特に二連目が良いと感じます。第四連の「まるで朝というものを/初めて知ったかのような朝」という二行も良いと思いました。

 

【佳作】

「火葬場にて」(有門萌子)

たんたんとお祖母さんの死を描いていて、素直に読めました。「この断片の寄せあつめが/いつの間にか/生きていることを忘れて 生きている」という表現もとても良いと思いました。

「鰻髪」(吉岡幸一)

物語的。何と言っても読ませます。力量があることは明白です。展開が変移していくところが面白い。

「跡」(鈴也空白)

最後に「気づき」があります。気づきがあるということは感動的です。多くの物語を見て下さい。気づきを生み出すことで物語に感動を与えるタイプの小説や映画が多いことに気付くでしょう。

「天国の世界」(中嶋蒼太)

一連目が素晴らしい。「一週間が長い」とは、大人もしばしば言う言葉ですね。でも、「それは良いこと」。「早かったらあっという間に/99才で/死んでしまうよ」思わず、本当だよねと叫んでしまいました。

「ねがい」(こり)

優しい詩です。第一連の「ヒカリのおみちがいくすじも/ふってくるのが見えたから」はきれいなイメージですね。また、最後の「つぎにわたしが/めをあけるなら/明るいいい日がいいなぁ/明るいいい日がいいなぁ」はとても好きな表現です。

「夜景」(神谷初衣)

イメージが鮮やかで、良いと思います。句読点の使い方や行の切り方も鮮やかです。「資本主義」という言葉は使わない方がよかったかもしれません。ちょっと浮いた感じになってしまっていると思うからです。でも、最後の「それは上から見たい、/街明かり。」の俯瞰的な感じも良い終わり方だったと思い、豊かな可能性を感じる詩だと感じました。

 

草間小鳥子選評

 はじめに、詩を書き、送ってくださった全ての方へ敬意を表したい。生きることさえおぼつかないこの時世に、詩を書き続けることで文化を繋ぎ絶やさんとする皆様の努力と試みに、日々大いに励まされた。

 全体の印象として、現在の個人的な痛みや辛さを謳いあげる作品が多かったように思う。自己の感情を深堀し、感情の起点を探ることは試作において欠かせないし、また自身のケアにもなるのだろう。それをただひたすらに投げ出すだけでなく、解決策とまではいかないものの、ある種の着地点を提案するまでが作者の仕事ではないかと感じる。より重層的な視座から語ると良いのではないだろうか。読者として、無理に第三者を想定しなくても良い。例えば、現在の自分から、過去や未来の自分へ手紙を書くような気持ちで書き、また読み返してみてはどうだろう。

 

【入選】

佐名田纓「いやいや映画に出かけている」

良質な翻訳短編を読み終えたような爽快感が忘れられず、何度も読み返した作品。端的な言葉で朴訥と語られる作者の哲学は、一見唐突で一貫性がないようにも思われるが、そもそも人生に一貫性などないことに気付かされる。詩中で愛を語ると陳腐になりがちだが、本作は陳腐ささえもエッセンスに変え、行く宛のないロードムービーを展開する。

 

岩佐 聡「原色の幼なじみ」

今期の投稿では、隠喩を多用した作品が散見された。要素が過多で視点が散り散りになる作品が多いなか、本作は作者の意図と単語を選ぶ基準、構築した作品世界とが一致しており、隠喩が単なる奇抜な主張ではなく作品を深める効果として発現している。具体的な色の描写に依らず、幼年期の眩しいほどに不安定な風景から読者に原色を想起させる手法は見事。「まだきっと二人、おなじく乳歯が抜け落ちる感覚を引き連れている」の一文には驚く。

 

鳥井雪「れんがを積む」

「三匹の子ぶた」または「七匹の子ヤギ」か。普段どんなに用心していても、ふと気の緩んだ瞬間を狙って不幸はやってくる。気の緩みに関係なく、目の前で通り魔が刃物を振り上げたらどうしようもないし、高速で車が突っ込んできたら避けられない。れんがを積むことは、日常の祈りにも似た行為だ。積み上げてきたものは時に一瞬で崩れ去ることを了解しながら、でも生きてゆくしかない張り詰めた緊張感、ところが最後、一転脅威へ一矢報いる方向へ傾くところが、この作品を独創的なものに仕上げている。

 

佐藤友昭「陽光」

長くない作品だが、冒頭二行で作者の構想した作品のパーパスが鋭く刻まれる。「豊かな孤独」と「暴力的な孤独」について論じた東畑開人の寄稿記事を思い出した。個であらねばならぬ人々の、見えない部分へ降り注ぐ柔らかな光にわずかな救いを感じさせる。三連目を洗練させるとなお良い。

 

【佳作】

吉岡幸一「線路沿いの蕎麦屋」

作者は物語を構築する才に長けており、ディテイルの緻密さ、筋の通った言葉選び、場面構成の妙が光る。ただ、この作品は詩ではなく掌編小説にした方が活きるのではないだろうか。それでもあえて詩という手段を選ぶのであれば、主語を絞り、より「書き切らない」ことをおすすめしたい。

 

崔孝碩「時雨どき」

「朝着た服が/一日中の外出の/跡もなく/甲斐もなく/キリッとハンガーに戻るとき

ズボンのしわ/二三度くらいポンポンと/払うだけ/たたむだけ/シャキッと棚に収まるとき

ああ僕の一日に/僕はいなかったみたいだ」

この冒頭三連が素晴らしかった。ハワイのくだりも良い。終盤やや冗長になり、「秒速5センチメートルの桜吹雪」の部分、最後の一行が勿体ない。最後まで言葉を疑い、完成されたものをぜひまた読みたい。

 

山川さち子「天窓」

言葉に過不足がなく、はっとさせられる部分も多い。ただ、「天使」というモチーフの既成概念が強すぎるからか、詩全体の印象が「天窓」ではなく「天使」に持っていかれていまうのが惜しい。また、最後の一行はない方が良いかもしれない。

 

甘稀躰「コロッケ」

戦禍の詩か。出来事の描写、その羅列に不穏な予感が漂う。生者も死者も、実在も非在もないまぜに同じ時空で展開させるのは、詩でなければできない表現。しかしなぜ「コロッケ」なのか、その必然性を読み取ることができなかった。余談だが、リアルタイムで戦争を知ることができる今、現在進行形の戦争をどう詩へ昇華するのか、或いはしないのか、詩人は葛藤を余儀なくされるだろう。

 

梶原 綴「遊離」

recording in progress≫≪recording ends≫といったオンラインで馴染み深いメタ要素を効果的に配置することで、フィクションと現実の逆転に成功している。前半やや耽美的な描写が多く単調だが、最終連が良い。この緊張感で書き通してほしい。

「旧い貨車のストーブの錆には わたしの追憶が描いてある 火は檻の中に揺れている 揺籃のようにもそれは見える (いのちそのものをわたしは見ている) 逝くあなたに ただ届けるのだと まだ未分化のわたしだったものが しずかに憤り 抱えていた 夕陽のような花 かなしみ その温度」

 

 

上記のほか、美野傑「不乱衆」、守谷 秋冬「ゴミの行方」、南田偵一「目に映るもの」、あさとよしや「僕のおじさん」、伊渓路加「くたびれて」、絶ッッッッ句「オーロラのまち」、小蔀 県「ヴァナトリー・フェルディナンテス」、中山 祐子「フランスパン」、有門萌子「火葬場にて」、松波=和泉 翔「待機」、篠井 雄一朗「路線図」、柊 央仁「レスポール(碧)」、村田活彦「井戸」などにも惹かれた。

 

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