日本現代詩人会 詩投稿作品 第13期(2019年4-6月)
厳正なる選考の結果、入選作は以下のように決定致しました。
【選考結果】
廿楽順治選
【入選】
大川原弘樹「箸はある」
加勢健一「穴もたず」
天王谷一「蟻」
【佳作】
紅育「ベンチ」
麻婆豆腐「要塞跡にて」
中川達矢「展示」
おおくら弓「二つ目のしびれ」
楠睦夫「ちいさな夢」
石村利勝「秘法(第一巻)」
村口宜史「真昼の夢」
伊藤浩子選
【入選】
おおくら弓「その人をしらない」
石村利勝「秘宝(第一巻)」
渡部栄太「硯海」
草内ともえ「軽快に宙空」
小林真代「枇杷の木」
【佳作】
帆場蔵人「葉桜の季節」
たけし「翳りゆく部屋」
小蔀県「年齢」
珠望「靴擦れ」
光冨郁埜選
【入選】
澁澤赤「名前」
風 守「URN(骨壺)」
渡部栄太「硯海」
【佳作】
林黄色「記憶」
天王谷 一「蟻」
豊原 健「ソメワケササクレヤモリ」
帆場 蔵人「葉桜の季節」
大石 瑶子「黒い棺」
投稿数277 投稿者211
大川原弘樹――箸はある
ひと雨きそうな
風の出始めた昼げどき
いつも人通りの少ない
外車ディーラーの横道に入ると
あちこちで
死んだみみずが丸まっており
そばを通ってゆくと
そのいずれにも
蟻が群がっているのがわかる
月給取りの靴の踵にも
尖ったハイヒールの先にも
子供の自転車のタイヤにも
やられなかったみみずよ
だが
君らの死っていつも無惨だ
時には生きたまま釣りの餌にされたり━━
せっかくあたたかい弁当だ
冷めないうちに急ぐ
大丈夫だ 箸はうん
入っている
加勢健一――穴もたず
年の瀬のそれは冷え込んだ朝
頬のそげた黒い渇望が新雪の上をうごめいている
空腹をかかえクゥンクゥン犬のように鳴きながら
「あれは穴もたずじゃ」
しわがれ声の古老がつぶやく
「冬眠の寝床を決めあぐねた哀れなヒグマよ」
土気色に湿った鼻先が雪原に何物か探りあてる
それは脚をくじいたエゾシカ
まだ息があるらしい
獣は獲物を背に負い
森の笹やぶに向かってのっそり歩いていく
瞳はうらがなしい色のまま
まもなく森は雪に埋もれた
すべての営みを否定も肯定もせずに
雪解けの春先
笹やぶにはふた組のあばらと頭蓋と
並ぶようにしてあった
ひとつはエゾシカの あとはヒグマの
天王谷一――蟻
毎日 毎日
蟻が
一匹だけ
現れる
私に殺されるために
動体がひとつ
私を試すために
ゆっくりと這う
毎日 一匹ずつ
おおくら弓――その人をしらない
その人をわたしはしらない
影がある
その淵に
凹む
そして立ち上がる 尾根
つやめく
その光がある日だけは
また凹むその影に
溝が走る
皺という
溝に溜まる岩色をみる
その色を取り出して
顕微鏡でのぞく
穴が開いて 凹む
粘ついて
咲き
また粉になる
溝 溝 溝
色の落ちるための
光
顔を上げて
やはり
その人をわたしはしらない
石村利勝――秘法(第一巻)
Ⅰ
骰子蹴つて鍋に放り込む
万華鏡のアンチテーゼ
漆黒。
Ⅱ
ばら瑠璃(月夜のトランプ)
「ペルシャンブルーの砂漠がですね、
象の骨を磨いてゐたのですよ。」
キャラバン隊のポスターを剥がす少女の初恋。
Ⅲ
薄荷ラッパのせいで桟橋落ちたのには困つた。
そこで
幽玄。
(宝船を解体してからこの旅を終はらせませう)
ドビュッシーの蒔絵は未完成でしたが――気にしません、私。
Ⅳ
(クレーの帽子)
Ⅴ
虹の線形代数。
Ⅵ
蝶がプリズムの先端でゆれてゐる午後。
アテネの路傍では哲学の授業がつづいてゐます。
Ⅶ
(まだ歌つてゐますね!)
Einsatz!
それからクレタ島に行つてきます。
鳩を取り返しに。
Ⅷ
Ⅸ
Ⅹ
(ユピテル魔方陣でお別れします)
姉さんのリボンの裏に刺繍されてゐた秘法です。
「光あれ」と
二度と云つてはならない。
渡部栄太――硯海
髪飾りや
耳輪や
真珠の首飾りが、足元で死んでいた。
女や
男の
丘陵でいくつもくさって
くたびれてずるり墜ちて、
足音がはじめられる。
わたしはそれらをひろいあつめ、花を編むことにした。外套の
ポケットに死軆をたくわえて回ると、やがて
これ以上は入りきらぬほど
身持ちがふくれたので、
まんぞくな気持ちで港へむかった。
海沿いにつらなる
コンテナのまわりには、
花壇がととのえられていた。わたしがそこに
死軆を蒔くと、重油となって、
持ち込まれた腐葉土に吸われて、重々しく
染みていった。
翌朝
ようすを見にゆくと、硯のように黒光りする造花が
いくつも咲いていた。
潮風に鈴音を
鳴らしていた。
ところがそこに、あらくれの
沖仲仕らがおおぜいやってきて、
くさいし
うるさいからなんとかしろとわめく。
わたしはその
猛る罵声に堪えかね、
まぶしい曙光へむかって身をなげた。
するとわたしも
脳油となって
打ち寄せる波に
ずるり
とけていくのだった。
青い朝焼けが黒い海を蕭々と照らしている。
草内ともえ――軽快に宙空
風はないけれど彼女が歩いているために、白い髪が背後になびいて
いる。重力も小さいのでなかなか落ちて来ずに、どれくらいの長さ
か分からない。多分腰くらいまであると推察される。さらさらと、
擦れ合って音を立てている。
爪先で地面を蹴る時大して力を入れているわけでもないのに、体は
軽々浮き上がり、スローモーションビデオを見ているようだ。ふわ
ふわと熱のない砂漠上を飛んでいく彼女は、イヤホンで明るいフォ
ークソングを聞いている。昔遠いところで流行った曲、誰かが好き
だった曲で、彼女も気に入っている。
朝に飲んだ豆のスープがお腹の中で波立っている。簡易的な水たま
りになった自分のお腹が体を飛び出して自立したがっているのを、
彼女は分かっていた。それで両の手のひらで腹部をさすり、お腹を
なだめすかしながら歩く。でも気分は晴れ晴れさっぱりとして、気
付かぬうちにハミングしていたりするほどだ。
どこまでも行けるような気で目も冴え渡っていた彼女は、数歩先の
ところに丸いものが落ちているのを見つけた。
そばに着地すると、そっと掬い上げる。弾力のある球は、指に吸い
付く感触を与えつつ震えている。表面は柔らかく、彼女がつつくと
その部分が少しの間へこむ。匂いを嗅ぐ。砂漠の塩辛い匂いが染み
込んでいる。裏返してみる。弾ませてみる。甘噛みしてみる。おい
しくない。
彼女は思い付いて球を宙に放り投げると、落ちてきたところを両手
で勢いよく挟んだ。ぱちんっと音を立てて球が弾ける。中の水が飛
び散る。あ、と彼女が声を漏らした。彼女の足にもかかったのだ。
水の抜け殻をさりげなくジーンズのポケットに仕舞う。
裸足を濡らした水滴が皮膚に吸い込まれていくのを観察する。表皮
が無数の手を伸ばして、体内に水分を吸収していく。二秒と経たず
に肌は乾いた。
一方で、冷たい砂は水を吸わない。あちこちにできた指先サイズの
池は流れるでもなく地面で落ち着いている。丸めていた足先を開い
て、ニ、三粒に触れてみる。やはり砂からあっさり離れて肌の内へ
消える水。
吸い込まれた水は彼女のお腹に泳いでいって、逃げたくて仕方ない
たぷたぷに加勢する。奴らが細胞壁や骨なんかを気にせず傍若無人
な振る舞いをするのをコントロールできない。
手近な砂を掴むと、散らばった水滴に向かって投げつける。砂は一
切の摩擦を起こさず水中を通過すると、地表の砂漠へ合流する。彼
女は何度も砂をぶつける。何度したところで結果は同じだ。が、い
ずれ変わるものもある。
何かをきっかけにして、それぞれの小さな池の中で新しい生命が育
ち始めた。初めは点だったのがほどけて線になり、伸びる、膨張す
る、羊水を吸い尽くして外に出てくる。天空を目指して目覚ましい
スピードで生長するこの萌芽たちを、彼女は無言で見守っている。
重力が小さい分、上へ行きやすいのかもしれない。
何かになろうと必死な子供たちは彼女の奥から慈しみを引っ張り出
した。冷めた目で見ているつもりだったので、勝手に眦の下がる自
分に驚きを禁じ得ない。かがんでいる彼女の背をとうに追い抜いた
彼らのことを、砂を潜って自身とも繋がっているように錯覚したの
だ。
満たされた心地で、お腹も自由にしてあげてもいいかなと思って彼
女はのたうつ腹部から手を離す。皮膚の下から出て来た臓器は足を
生やし、ぴょんぴょん飛んでいく。全身で喜びを表現する自分のお
腹を、彼女は愛おしい気持ちで見送る。
終わっていたフォークソングをアルバムの最初から聞き直す。ます
ます軽くなった体は滞空時間が長い。砂漠にできたオアシスは遥か
後方に、彼女は散歩を続ける。
小林真代――枇杷の木
明るい時間にビールを飲んで
そろそろ帰ろうかということになって
明るい駅前の道を歩いているとき
どうしても根元にたどりつけない木があると
年上の女友達が言い出して
ちょっと見ていきますかと言うので見に行った
そこはわたしの帰り道の途中で
地下道を出てすぐの跨線橋の下
住宅が密集しているその中に
暗渠の途切れて水の見えるところがある
そのまわりにわずかに土のある場所が残っていて
枇杷の木はそこに根を張っているのだった
跨線橋の下にもぐるように立っている古いアパートの前の
短い私道から枇杷の木にいちばん近付ける
そこではわたしたちはすっかり日陰だ
それでもそこから幹まではまだ遠くて
根元まではもっと遠くて
梢はもっとずっと遠い
年上の女友達の病気の夫を支えてくれた
恩のある木なのだそうだ
お礼をしたくて根元まで行きたいのだが
どうしてもたどりつけないと
彼女はさも残念そうに言うのだった
細かく仕切られた私有地の隙間の
そこへ行くことはなかなか難しそうだった
このあたりの家の人にゆるしをもらってその家の敷地から
塀を越えて近付くよりほかになさそうだったが
仮にそうできたとしても
枇杷の木の根元は暗渠よりもさらに下にあり
そこはわたしたちが枇杷の木をつくづく眺めているここからは
ずいぶん低い場所のようだった
年上の女友達は手荒く枝を撓らせて引き寄せ
もっと若い葉のほうがいいんだけどと言って
大きくて丈夫そうな濃緑の葉をバサバサ言わせわしわし掴んだ
お城のお堀を埋めてつくった線路を
ゆっくりと電車が過ぎてゆくのが聞こえる
暗渠の水は眠ったように静かだ
考えてみてください
いい方法があったら教えてください
そう言って年上の女友達はひらひらと
踊るように地下道に消えていった
わたしは地下道へは戻らず坂をのぼって
枇杷の木の高さをぐんぐん越えて城山の家へ帰った
根元へゆくことも
根元を覗き込みにゆくこともしないが
それ以来通りかかれば挨拶を交わす
枇杷の木とはそういう仲になったのだが
通りすがりに容易に手の届くところには
枇杷の木は実をつけず
緑の葉が黒々と繁っているばかり
見上げれば空にはみ出して
オスでもメスでもないのどかさで
存分に枝葉をひろげ揺れている
今日は五月なのに夏のように暑い
じんわり膝の裏に汗をかきながら
駅まで
澁澤赤――名前
げらげらげらげら、と、笑う、彼がきた。
彼の魅力は彼の声。低く、野太い声は少し嗄
れて、また、新しい女の気を引く。
やがて死んで体が消えても声は残るだろう、
そう、思わせる程に印象的だ。そしてまた、
笑う。げらげらげらげら、と。
見た目は冷蔵庫に喩えられる。大きく、がっ
しりした体格だ。目は細く、髪は短い。彼が
酔っ払って歩道橋の階段から落ちた時はすご
い音がした。地面に叩きつけられても照れ臭
そうに笑いながら起き上がった。彼は不動だ。
それに皆んなが安心する。
今度また彼に出会った時は彼の名前を紹介し
よう、あなたに。卑屈で伏し目がちなあなた
に。いつも実のないことに悩み、悲観的なモ
ノの見方をするあなたに。彼の名前は彼を表
す。あなたの名前は何だっけ?もう一度、聞
かせて欲しい。
げらげらげらげら、と、また彼が笑っている。
風 守――URN(骨壺)
四十数年ぶり
電車に揺られ降り立った
田舎の小さな駅
父の生まれた故郷
父は納骨堂に眠っている
お寺の境内の敷地に
二階建ての納骨堂
入口に祭壇の配置図
社務所で聞いた
父の祭壇番号を確認し
建物内に入る
外界と隔てられた静かな堂内
そこには聖なる森の如くに
細長い祭壇の列が
木々のように並んでいる
父の番号のある祭壇の前に立つ
祭壇の扉を開くと自動点灯のお燈明が灯り
黄金色の世界が眼前に広がる
「久しぶりだね」
私は合掌し父にそっと語りかける
父は四十代の若さで病死
細かい骨片は小さな骨壺に入れられ
祭壇の下の棚に置かれている
「そちらはどう?」
冥界に住む父は何をしているのだろうか
趣味の絵でも描いているのか
「おまえこそどうなんだ?」
骨壺からくぐもった父の声が聞こえる
どう答えようか寸時迷う
「まあ、なんとか暮らしてる」
あいまいな返事
「そうか…」
続かない会話は生前と同じ
しばしの沈黙の後
「では帰るよ。また…」
その後の言葉が出てこない
私もいい年だ
今後遠方のこの地を訪れるかどうか分からない
再訪の代わりに言う
「また、会えてよかったよ」
合掌して
祭壇の扉を閉める
その時骨壺から
微かな声が聞こえる
「ありがとう、来てくれて」
納骨堂を出る
柔らかな風が境内に吹き
私を包みこむ
廿楽順治評
今回投稿のあった300篇近くの中で、最初の読みで気になった作品は44篇。これらを再読する中で、今期の入選作と佳作を決めた。佳作の選択は私個人の好みに拠る所もあるので、その他の40篇ほどとあまり差異はないかもしれない。自己紹介欄に書いたように、詩の読みは交通事故のようなものだが、今回最初にヒヤリ・ハットしたものから、事故物件を決めた。事故を起こすためには、言葉の運転の変則による危険がなければならない。そうでなければその言葉、詩行にヒヤリとしない。心に思ったことを言の葉にのせてみました、というような思いつきの詩がかなり多かったが、これらはよくある、きれい事の安全運転の言葉であって、そんなことでは事故は起こらない。言葉と真剣に対峙しない詩は、読み手に簡単によけられてしまう。歌のように、メロディとリズムに助けを求められない詩の言葉は、自らこれらに代わるものを創らなければならない。そのためにも言葉の前でもっとじたばたと苦しんでほしい。
【入選】
大川原弘樹「箸はある」
詩の事故を起こすためには、意味内容の過激さや乱暴さは特に必要でない。この詩のように、大きな事件や感傷もいらない。どこにでもある事を丹念に追うことでも、事故は起きる。どこでも見かけるみみずの死をたどることで、最後の「大丈夫だ 箸はうん/入っている」という単純な言葉が詩の事件になっている。ありふれた言葉だってこのようにハットしたものになる。
加勢健一「穴もたず」
この詩も表だって大きな事件は描いていない。むしろ、描かないことで、書かれていないものを際立たせる。書き慣れた人だと思う。最後の「ひとつはエゾシカの あとはヒグマの」と結ぶところがうまい。それらの自然の中の死を、事件の痕跡として語る、というのは、よくあるといえばよくある手法だが、ここでは成功しているように思う。
天王谷一「蟻」
饒舌に語ることの多い投稿詩の中で、こうした短詩は目立つ。途中で蟻を「動体」と言い換えるところに事故が起きている。この部分で詩はただの蟻の描写から別の次元に入る。「私を試すために」という行も詩を引き締めている。
【佳作】
紅育「ベンチ」
大河原弘樹の「箸はある」と同様、最後の「今日は/どのベンチまで/歩こうか」という何気ない言葉が際だってみえる。しかし、そこに至る過程が少し説明過多にみえるところが残念。父親の病気という事件こそが語り手にとって最も書きたかったことだと思うが、その部分をもう少し整理することで、逆に最後の連がさらに鮮明になるように思う。天王谷一の「蟻」のように、書きたいことを部分的に省略する方が、逆に読み手に強い印象を残す場合がある。
麻婆豆腐「要塞跡にて」
情景を丹念に追った詩で、不用意に自分の感傷を交えないところに好感を持った。「太陽に近い場所ほど/濃い影が出来るのを知っている/日陰に根付く人々の営みを/不幸と呼ばないことも」という詩行に詩の事故を感じた。美しいと思う。
中川達矢「展示」
これは博物館を見学する、というありふれた事件を詩にしたもの。うまいと思う。「ぼく/というものが/白い壁面を汚す/(ああ、退屈だった)が/国立科学博物館/に展示されている、ね」という最終連のまとめ方もよいと思う。この詩はややゆるい語調が魅力となっている。しかしそのゆるさの魅力と不要な饒舌が混在している印象があって、それが詩全体を弱くしている。ゆるさの魅力を鮮明にするためにも、無用な効果の部分は削った方がよい。
おおくら弓「二つ目のしびれ」
現実にあったことかどうかは分からないが、「ふくらはぎに蝶がとまる」という小さな事件を素に、詩を書き起こした点がおもしろい。こういう所に眼を付けるのが詩の事故の始まりだろう。
楠睦夫「ちいさな夢」
道具立ては詩にはよく出てくる「夢」や「闇」。ただ、安易に深さと結び付けられてしまう「闇」について、「闇は浅く薄っぺらである」と一貫してみている視点がおもしろい。
石村利勝「秘法(第一巻)」
モダニズム詩やシュールレアリスム詩でよく見かけるスタイルをうまく使いこなしている点で、ポエム系の素直な詩よりは、「現代詩人」には受けがいいと思う。でも、それは現代詩の教養のある者の、素直さを出ない。モダニズム詩を知っている人なら、そのモダニズム自体にもっと真剣に事故を仕掛けないといけないと思う。
村口宜史「真昼の夢」
この作品も現代詩のスタイルに通じたもので、詩としてはよくまとまっていると思う。ただ、ここでの春の夢が、たとえば土井晩翠の「荒城の月」のようなものと本質的にどう違うのか、私には見えてこない。この詩のスタイルをより生かすためにも、一般的な詩情とは違う、語り手独自の飛躍、つまりこの作者にしか書けない詩の事故がほしい。
伊藤浩子評
◯選評
詠嘆が目立った。作中に使うのではなく、読み手にこそなんらかの詠嘆をもたらすのが現代詩の必要条件だと思う。
選考作品にも散見されるかもしれないが、あまりにも大仰な表現のものも除外した。
まずは率直な言葉、書き手の心の中に自然に湧き出てきた言葉を、丁寧に掬い上げるような作品を期待している。
光冨郁埜評
今回はひとに作品を読ませる力、文体、世界観などで選んだ。入選と佳作の差も案外わずかなものに思えた。叙情性のあるものと、描写力のあるものと、生と死の不条理性を感じさせるものが印象に残った。
なお、選評はあくまで選者の見方の一つなので、参考程度に捉えていただいて結構だと思う。別の選者であれば別の作品を選んだり、違う指摘や評価をしたりすることもある。その位に思っていただいて、作者が良いと思う作品ができたら、投稿欄に投稿したり、だれかに読んでもらったりするとよいかもしれない。他者の指摘も、自分の作品を客観的に見る機会になるので、それを次の作品に生かすことができたら、なお良いのではなかろうか。
【入選】
「名前」澁澤赤
「げらげらげらげら、と、笑う、彼がきた。」というインパクトのある印象はあるが、名前が思い出せない。この得体の知れない不気味さと心地よさに、シュールなブラックユーモアを感じる。やや不条理で破調な感じ(理屈になっていない)がこの作品の魅力となっている。
「URN(骨壺)」風 守
ストーリー性がある。詩にはそのストーリー性は必ずしも必要であるわけでもないが、またそれ故に小説的・散文的要素がありはするが、骨壺のなかの父と、その息子の会話とその沈黙の時間が、リアルな親子の関係性のようで、その普遍性で選んだ。
「硯海」渡部栄太
視覚、臭覚、聴覚など五感に感じさせる作品世界であり、読ませるものがある。
「沖仲仕らがおおぜいやってきて、/くさいし/うるさいからなんとかしろとわめく。/わたしはその/猛る罵声に堪えかね、/まぶしい曙光へむかって身をなげた。/するとわたしも/脳油となって/打ち寄せる波に/ずるり/とけていくのだった。」(スラッシュは改行)の不条理な展開や描写は見事。
【佳作】
「記憶」林黄色
ストレートな恋愛詩で読ませるものがある。ラブレターの形式の詩で、それを読ませる難しさを一途な勢い(純粋性)で突破している。あえて難を言えば、冗長さが詩としては気になるか。
「蟻」天王谷 一
シンプルな短詩であるが、生と死の不条理を感じさせ、作品に強度があり、骨太い。ただ短詩なので、もう少し他の作品も読んでみないと、力量を測りかねるということで佳作とした。
「ソメワケササクレヤモリ」豊原 健
飼っていたのだろうヤモリの死、そのヤモリに喰われる小さな虫たち。そのヤモリを可愛がる自分は「不公平な奴だ」と話者は思う。作品後半では、焼却場で働くひとや煙突の黒煙、青空も出てきて小さな死は浄化・昇華されていく。よく出来ているが、あえて言うと小さくまとまっている感がある。破調や飛躍があるとなお良いのだが、それでもこれは佳い作である。
「葉桜の季節」帆場 蔵人
「忘れられない事を/確かめるためだけに/息継ぎを繰り返すのだろう」品の良い叙情性と、描写力がある。忘れられない事は何であるか、「灰に塗れ肺は汚れて骨肉はさらされ血の流れは遠く故郷のくすんだ川面のような在り方しか出来ない、」という凄みの部分もあるが、全体的には美しい描写と、繰り返させる「(葉桜は永遠に葉桜やったわ)の類いの詩句。これだけの詩の世界の魅力があるのだが、全体的におとなしい印象があり、損をしている気がする。
「黒い棺」大石 瑶子
黒い棺の存在感に惹かれるが、やや冗長にも感じられた。不要な部分を削る必要性があるとも、この作品に必要な詩句と長さなのか判断が分かれるように思う。削ることで文体を引き締めたい。もう一歩、突き抜ける素地がある。