詩投稿作品 第18期(2020年7月-9月)入選作・佳作・選評発表‼
日本現代詩人会 詩投稿作品 第18期(2020年7-9月)
厳正なる選考の結果、入選作・佳作は以下のように決定しました。
【選考結果】
■松尾真由美選
【入選】
岡崎よしゆき「モネの庭」
松尾如華「あしもと」
東浜実乃梨「アマビエ要らずのおばあ算」
【佳作】
池田伊万里「音楽」
大石瑶子「鎖」
小田凉子「編む」
村口宣史「問2」
林大輔「さざなみ」
■柴田三吉選
【入選】
加勢健一「磨崖仏」
岡崎よしゆき「アコースティックフィリア」
山羊アキミチ「浅煎りの夜」
東浜実乃梨「アマビエ要らずのおばあ算」
松尾 如華「竹」
【佳作】
サトウアツコ「おかえりなさい」
吉岡幸一「電話ボックス」
末国正志「年輪」
高橋次郎「こころ此処にあらねば」
■浜田 優選
【入選】
藤園瑠衣(フジソノルイ)「夏の詩」
松尾如華(マツオコトハ)「竹」
絡新婦(ジョロウグモ)「ネガティヴ」
東浜実乃梨(アリハマミノリ)「アマビエ要らずのおばあ算」
重成邦広(シゲナリクニヒロ)「コスモス」
【佳作】
風街今日(カザマチキョウ)「吟醸スケッチ」
柴崎達裕(シバサキタツヒロ)「草の上で」
岡崎よしゆき(オカザキヨシユキ)「アコースティックフィリア」
中山祐子(ナカヤマユウコ)「宿題は丸めて捨てた」
青山誠(アオヤママコト)「瓶詰め入りの夜が欲しいのだ」
<投稿者:257 投稿数:405>
岡崎よしゆき「モネの庭」
わたしは今日
ぬくもりをもたない。
風がいどうするばしょと
雲のいききが
交差するあおさをてのひらのなかで
ゆらしていると
ミツドリがやってきて
ついばもうと
する、
ここは
モネの庭とよばれているけれど
フランスの
ジヴェルニーじゃあなくて
山んなかで
くらくらと空がゆれゆくような夏の
山んなかで
四しゅるいのいのちが
みどりいろのひかりになっていたりも
する、そんなところの
ひらかれたばしょで
だれかを呼ぶための
声が
おそらくは空そのものに
なってしまう
こんな日、
睡蓮の描かれた
絵葉書のいちまいを紙ひこうきにして
とばしてみたい
どこまでも飛んで
みえなくなって
とおい
土佐沖のスカイラインに
すいこまれてしまうすがたをおもいえがいていると
わたしの
たいおんはきっとマイナスになる
汗が
昨日より一℃だけ
つめたい
いつのまにか遠くなった
柔らかい土の
草の匂い
足底の響き
望まれている気がして
靴を履いた
忘れてしまえと
友は啼いた
柔らかな草の
土の匂い
足底の響き
靴を履き
固いアスファルトに立つ
この道をゆけと
背中を押され
友の声は遠くなった
ただ前に向かって
ただ道に沿って
靴を履いて歩き続けた
息苦しさに足を止めると
友の声を微かに聴いた
靴を脱ぎ捨てこの道を進んだ
灼熱のアスファルト
包まれることのない
剥き出しの感情
忘れてしまえと
母は泣いた
ただ前に向かって
ただ道に沿って
押されるように走った
息苦しさに足を止めると
母の声を微かに聴いた
靴のサイズは止まった
裸足のまま足を止めた
氷結のアスファルト
包まれることのない
剥き出しの感情
忘れたものは
何もない
しゃがみ込むと
膝に滲む
紅蓮の痛み
わたしは
はじめて
声をあげて泣いた
剥がされたひとが倒れています
天空の岸辺 脱げた島草履(しまじょうり)
彷徨うマブイを呼び戻すために
龍は何頭必要でしょう
祈りなさい(空手でも可)
なんのとんちね うぐゎんぶすくさ
口説(くどぅち)が幾重に流れる日暮れ
なかゆくいする積雲の下
きみも呼ばれたか、こころ逸る雲
風を味方に(かこへかこへかこへ)
きたか為朝(かこえかこえかこえ)
一歩たりとも島には あげん
あれは伝説の おもろの神女
島の大事に 片降(かたぶ)いの壁
わさわさするさ ちむどんどんさ
(ご先祖様も休めんさ)
辺りに漂う いにしえの祈り
不織布も折れる重い うむいの香
頭の傷にひりり煙草の葉
余所のおばあの懐かしい仕置き
あんたにもわかるさ(いまにわかるさ)
マブイ落として 何処に向かうね
正しい顔した時代の仮面よ
何と引き換えに影を踏んだね
耳朶に響くは、懐かしいリズム
暗雲蹴散らすおばあ算のうた
年寄り 祈り 無観客の島
どこに消えたね(まじむんは誰ね)
借りたからだに 借りた言の葉
和がれるこころが留まる 夕凪(ゆうどぅり)
島は暮れるさ また夜の側さ
明日は来るさ 今日がいないだけ
夕映えの空 ぽつぽつ 灯る眼
浮島に降りた無数のマブイ
いつの世にも影に試される島で
吹き抜ける風 問いだけ置いて
今日も年寄りが倒れています
捲れた空にぶらさがる じょうり
漂う島を呼び戻すために
龍は何頭必要でしょう
初夏の鎌倉へマガイブツを探しに行った
朝比奈の切り通しは八百年の岩肌を晒し
ペロポネソスの小高い丘から
苔むす庚申塚が現代を見おろしていた
無精髭の武者風情が崖を降りてきて
なめり川のせせらぎに太刀を清め始めた
タチアライと呼ばれる流れは
たちまち血の濃さに染まった
戦いはいまだ終わらざるものを
武者は呟きついでに
汝の世の棟梁は何者ぞ
と問うてきた
いまの世は遥か海の向こうのアメリカが支配するが、そろそろ世界を投げ出そうとしている
と答えると
アメリカなる国は蒙古をも凌ぐ強さなりや
と訊くので
蒙古より神風のほうが強い、アメリカよりコロナウイルスのほうが強い
とだけ返しておいた
後の世にも嘆きの種の多きことよ
嘆息する武者はおもむろに
岩陰に花開くイワタバコを掴み取り寄越した
これらを汝の世の病窟に植えよ
八百年の後にふたたび花咲かん
そう言い置いて
ケンタウルスを引き連れて立ち去った
イワタバコの葉はつるつると涙に濡れ
花は小さな薄紫色
よく見ればそれはほとけさまの
見開いた両眼の無数のまなざしだった
そして切り通しの岩肌は
すなわち憂え顔の輪郭であり
ひいては鎌倉の地そのものが
一枚岩から削り出したおおいなる磨崖仏であった
まもなくイワタバコの花はことごとくすぼみ
ほとけさまはまぶたを閉じ八百年の入眠に就いた
その貴いいびきは
世に安寧をとどろかすとこしえの鐘の
低いひくい息継ぎのようだった
記憶のおりかえしをめくると
みずがあふれてくる
沈
下
橋
で風やみどりにおおわれた日々を
ヤドリギのように胸のなかでそだてて
みた
けれど
さらさらとしたなみだちは
碧さをますばかり
ゆるい浅瀬にざわざわとうちよせつづけ
アコースティックフィリア
ゆるやかな音階は
あなたのあしもとでゆっくりとひれふして
踝をなめながら
とほうもない
空の
いただきをめざしてみる、そこでいわゆる
入道雲(ということ)
くるしんで
飛ぶカワセミのはばたきをくるくると
緊縛するあなたの声が
夏至のむこうにきこえるような
きがするけど
「耳をすませて」もまったくきこえない
山のむこうを
オスプレイが飛んでゆく(こんな
四国のいなかの空に)
できうればここで
ワルキューレの騎行をききたいところだが
ラディオからは
別れの曲
すこしちがうきもするけど
みずいろに死んでゆくむすうの季節には
あっているのかもしれない
トリエステからきた絵葉書を焼くと
あなたの使っていたコロンの
においがした
風は
まるでふかない
西の瞳が閉じかけてきている
今日がまた何も言わずに終わるのだね
茜の森へと帰る鳥の群れ
何もしゃべらずあなたを待っています
透かした栞がふいの風になびいたのは鍵穴の位置を教えたいから
帰宅途中の人たちは傘もささずに歩いている
シャッターの下りた花屋の前にぽつんと佇む鉢植えがひとつ
誰にも見向きもされない
靴を脱いで芝を踏んでみた
冷たい水の音 私の好きな音がする
そうか やっぱり私だけに雨が降っている
星の海流に乗り損ねた夜にだけ鳴く鳥
私の肩にいらっしゃい
私があなたを仲間のもとへ連れていってあげる
星屑の石炭をすくい投げ惑星軌道の蒸気機関は発車の汽笛を鳴らす
空と宇宙の境界線を三日月のチョークで引いてみる
ほうき星楽団の音合わせが終わると白髪の指揮者が時を押し殺した
満月の水溜りの波紋は世界のあらゆる音を吸い込む
半月に分かれたシンバルが常闇の静寂に終止符を打った
ここは私がはじめて一人だけで眠ったベッドの上
私は君が青い空をくるりと旋廻する夢を見ていたよ
狭い籠の残骸を蹴散らして自由を謳歌する君
風を切り雲の波に乗り高らかに歌っていた
見上げる私は眩しくて眩しくて
とてもじゃないけれど追いかけられなくて…目を細め…
涙の冷たさで目が覚めた
ここは深煎りの真っ只中の列車の簡易ベッドの上
これからフィナーレに突入することを私は知っていた
アールグレイの紅茶が東の空に注がれる
穏やかな波が水平線を金色に染める
朝焼けを浴びて浅煎りの珈琲を口にする
冷え切ったこの体に温かい血が激流の如く巡る
車窓に飛びつき目の前に広がっていたのはまほろばの住人の世界
薄い月の裏っかわに回り込む鳥の群れの最後尾を見逃さなかった
肩の鳥に教えなければと顔を向けた時にはもうその姿はなかった
夜にしか鳴かない君の声を私は知らないまま
窓に両手を押し付けたままの私の肩に白い風がまとわりつく
君の精一杯の優しさだったろうか
私は私に帰るためにゆっくりと息を吐いた
まっすぐな竹が
木漏れ日をまっすぐに割って
きらきらと眩しかった
心に迷いがあるときは
まっすぐなものが羨ましくなるものだと
風は囁いて
わたしたちを揺らした
わたしは
あなたが羨ましかったのでしょうか
いいえ
風の囁きに
気がついただけなのです
あなたの枯れ落ちた葉が
あしもとを包み込み
わたしとして伸ばしていたことを
わたしの枯れ落ちた葉が
ねもとを包み込み
あなたとして伸ばしていたことも
木漏れ日の揺れる地面に
気がついただけなのです
まっすぐに曲がったあなたのすがたに
まっすぐに曲がっているわたしのすがたに
風はあたまを撫でて
わたしたちを揺らして行った
もし私の血液が
夏の午後七時の空の
深い水の色をしていたなら
私はそれを瓶に溜めて
万年筆のペン先を浸けて
原稿用紙に詩を書いて
それを誰にも見せないまま
丸めて捨てることができたのに
傷口に絆創膏を貼って眠る
豆電球からべたべたした
オレンジの光が漏れている部屋で
ゴミ箱から青い文字が浮かぶ
羽虫のように光に群がって
音を立てて焼け死んでいく
起きたら忘れてしまうように
言葉はまた生まれ変わって
私の心を巣食っていく
血液を吸った絆創膏を捨てる
ただの青だ
原稿用紙は白紙に戻る
何もかもが可哀想だと思う
私自身すらも
カーテンの向こう側に夏が立っている
私はいくつ空を知っているのだろう
夏が窓をノックする
またペンを握る
希死念慮と書いてきしねんりょと読む。
自殺念慮とは違うぞ。
希望の希にdeathと仏教用語が合わさっているところが好きだ。読んでも楽しい。
きょうは犬が急にブサイクに見えた。皮膚が何に当たっても不快だ。時が経つのが耐えられない。あれだけ好きだったじゃがりこがもう美味しくない。
頭はぼんやりとしているが深層心理ははっきりしている。まるでずっと傍にいたイマジナリーフレンドが実態化したような不可解な安堵を覚えている。
文字を書くのがやっとだ。部屋が歪んでる。
私は酸素を吸って二酸化炭素を吐くことに疑いを持ちだした辺りでスマホを一旦置いた。
わからない。
何を吸って何を吐いているのだろう。
石灰水が白く濁るまで二酸化炭素だとは信じきれないぞ、私は。
心の中のわだかまりは高い牛肉と一緒にすきやきにでもすれば舌の上でとろけてくれるだろうか。
脳みその信じたくない部分はゴミの日に出してしまおう。
ポジティブとネガティブがわからないまま新しい概念を生み出す、それでいいのだ。
ああ、今日のチワワはほんとうにかわいくないな。
コスモスが歌ういい加減なアンサンブルについて
話すでもなくて
バスでは
私たちはいつにも増して無口だった
いつの間に消えて
いつの間に近づいて
かならず隣に
肩がある
美術館では
何を感受していてもそれは自由だ
岸田画伯の
おおきな美しいふたつとない絵画を
一流の
バックグラウンドミュージックに回して
数基の風車が海岸に立ち並び
誰もいなくて
唸る音がムカシトンボみたいで
スウィングするブレードにしがみついてみたい
あなたは呟いて
風に恭順したのだ
川面に木々が写る
割れて無数に散った生の行方は?
たった3センチメートル未来の黒い瞳
たった10グラム軽いあなたの指先
よく見ろよ葉脈を
あんなに烈しい生の里程を
◆松尾真由美選評
【入選】
岡崎よしゆき「モネの庭」
綺麗な作品だと思います。モネの絵と北川村にあるモネの庭。読者の想起するものと現実の場との交差が作者の柔らかな筆致によって、成就する感触があります。ミツドリも土佐沖のスカイラインも見えるようで、そうした説得力も作品の力となっています。「だれかを呼ぶための」という言葉が人を求める心を感じさせ、モネの風景の中での寂寥感が浮き上がる。眺め感じることの孤独が高知という地の魅力を引き出しているようです。
松尾如華「あしもと」
短いセンテンスが余分なものを排し、そこに切迫感が生まれています。松尾さんは他の作品で広島の原爆についての詩もあり、被害者の胸に秘める想いに寄り添おうとしていて、この作品もその延長上にある詩とも読めますが、そうでなくても読めるところに普遍性を獲得している。「忘れてしまえと/母は泣いた」。胸に響くフレーズです。感情をただ吐露するのではなく、歩くという場面設定があり、その展開から最終連で作者が泣くことをできた。詩の受容を感じさせます。
東浜実乃梨「アマビエ要らずのおばあ算」
「おもろの神女」という歌に着想を得た作品ですが、タイトルに「アマビエ」がついていることで、現代のコロナ禍と大和の軍勢が攻めてきたという禍の歴史が交わっています。その奥深さを意識しないような沖縄の言葉のリズムの良さが作品の良さとつながっています。「正しい顔した時代の仮面よ/なんと引き換えに影を踏んだね」。答えられないような問いが突きつけられる。けれど、主体が誰をも責めないことで詩全体は柔らかく憂鬱さがなく、読者を迎え入れてくれるような作品でもある。
【佳作】
池田伊万里「音楽」
視覚的に詩を構成する場合、言葉の表現もそれに見合う強さが必要とされますが、この作品は成功しています。「それぞれ」の反復もつぶという粒子的なもの散乱があることで違和感なく、作品中、両義性を多様な形で表していることも多数性につながっている。「スプーン一杯の寒気とは」や「掻く粒吸う粒」などの表現は緩いので直すこと。タイトルの「音楽」も内容と差がありすぎるので直してみて下さい。
大石瑶子「鎖」
無駄な言葉がなく、その凝縮性ゆえに作者の視線がそのまま読者の視線になりえているので、鎖が出てくることも唐突に感じません。鎖も天も抽象的ですが、この二つを対峙させることで言い難いものの象徴性を獲得しています。
小田凉子「編む」
母親への愛情が滲んでくる作品です。洋裁や和裁や編み物などを器用にこなす母の手や指に焦点をあてることで、昔の日本の女性の生き方が透けてみえる。苦難を乗り越え、長生きをした逞しい母も感じさせます。
村口宣史「問2」
着眼点が面白いです。コンパスから展開して図形問題の問2が出てくるまでのテンポの良さの中に、出現と消滅が行われる。少年が問題を解けないこともわかる気がします。ただ「コンパスの針が有限で在るかぎり」で終わってしまうと読者は消化不良になってしまう。針か何かのイメージを足すなどして、作品全体のバランスを考えてみて下さい。
林大輔「さざなみ」
描写が丁寧で湖面の傍に立つ作者が見えるようです。さざなみと渡り鳥と私との時間の共有が静かで美しい。でも、あっさりと作品が終わってしまっている。「無くなるのを確認し」たあとの自己の内面を抽出してみると作品に深みが出ます。
◆柴田三吉選評
毎日届く作品から、優れた内容と思うものをファイルに移動しています。1期3ヵ月で40編ほど。締め切り後にそれを繰り返し読み、入選、佳作、選外佳作を選んでいます。ここに採った作品はすぐに内容を思い出せるものばかりで、作者の思考と表現(ポエジー)が読み手に届いているということです。選に入らなかった方々は、個を超えて、他者と共有できる世界を目指していただければ。読者はその繋がりを待っています。
【入選作】
加勢健一「磨崖仏」
鎌倉の磨崖仏を探しに行ったら武者の霊が降りてきた、という設定で、ここからどんな話に発展するのかと、初めは首を傾げましたが、その後の展開に引き込まれました。武者と「私」の問答が現在の世界を衝いており、ユーモアさえ感じさせます(ペロポネソスの丘、ケンタウルスが効いています)。ラストの仏さま、「その貴いいびきは/世に安寧をとどろかすとこしえの鐘の/低いひくい息継ぎのようだった」は余韻が残る終わり方です。
岡崎よしゆき「アコースティックフィリア」
冒頭、抒情的な2行が素晴らしく、たちまち引き込まれました。アコースティックフィリア(声や音楽への愛、あるいは偏愛)。前半に流れるかすかな音階、その滑らかさを言葉で掬い取っていて秀逸です。後半の「山のむこうを/オスプレイが飛んでゆく(こんな/四国のいなかの空に)」で強い転調が訪れ、現実に引き戻されますが、こちらは破壊的な音楽です。その対比が詩を深くしました。
山羊アキミチ「浅煎りの夜」
寂寥感に満ちた夜の描写に惹かれました。「私だけに雨が降っている」から、「星屑の石炭をすくい投げ惑星軌道の蒸気機関は発車の汽笛を鳴らす」への展開は、「銀河鉄道の夜」を思わせて面白いです。ほかにも「三日月のチョーク」など、喩の巧みさがあります。孤独を、孤独感とせず、乾いた視線で描いています。そうして「私」に帰る朝を迎えました。
東浜実乃梨「アマビエ要らずのおばあ算」
島言葉を多用しているからではなく、作者の言語感覚には不思議な魅力があります。新型コロナでマブイ(魂)を落とした人々への鎮魂と思いますが、それが沖縄の歴史に無理なく重ねられていきます。「島は暮れるさ また夜の側さ/明日は来るさ 今日がいないだけ」は痛切です。「コメント欄」に島言葉の説明がありますが、これを詩の中で分かるようにすると、なおいいです。
松尾如華「竹」
「まっすぐな竹が/木漏れ日をまっすぐに割って/きらきらと眩しかった」。この作品も冒頭の3行で引き込まれました。いい詩はそのように真っ直ぐ入ってきます。竹は喩としての「あなた」、愛の詩でしょう。擬人化が効果を上げています。「まっすぐ曲がった」という言葉に形容矛盾を感じないのも、竹のしなりが目に浮かぶからです。ラストの2行には幸福感が漂っています。
【佳作】
サトウアツコ「おかえりなさい」
古家が解体されて、今まであった暮らし、物の気配も消え、新しい空間が生じる。郷愁に傾きがちなテーマですが、作者はその後を描いていて新鮮です。次に住む人の家が建てられていく様子に、世の習い、移り変わりがある。「削りとられた部分を/新しい光の道筋が/真っ直ぐに突き進み」といった描写がいいです。
吉岡幸一「電話ボックス」
人から忘れ去られた電話ボックス。確かにあります。何のために立っているのか、電話ボックスさえ忘れているような。その姿を描写しながら、それが別な何かを比喩しているように思わせるところ(具体は読み手に任される)がいいです。ラストで、腰の曲がった老婆が入ってきて、小銭を使うところに惹かれました。
末国正志「年輪」
傷を負うのが青春。だれもが、若き日の日記を読み返したなら頬を火照らすでしょう。そこから樹木の成長に視点を移した展開がいいです。「どの枝先も年輪の疵(きず)の記憶とつながっている」、木は自身の来歴そのままに立っている。そしてそれは人の姿に重なっている。ただ、ラストの「人生が撓いにくく」には違和が残りました。
高橋次郎「こころ此処にあらねば」
前半、3度重ねられる「こころ此処にあらねば」のリフレインが効果的です。心はどこにあらねばならないか、という問い。「生きるとは、/反復の中の微かな差異に/気がつくことだから」に肯きます。ラストで「こころの重力を/みつけるだろう」と書き、ここにあらねばならない心の在処を示しています。
【選外佳作】
成島朔「compound」
雪柳あうこ「ほどける」
長谷川航「盲目の彼方から」
小田凉子「編む」
山﨑天樹「糸」
◆浜田 優選評
【入選】
藤園瑠衣「夏の詩」
夏の宵に一人の部屋で感じる、どうしようもない倦怠と喪失。このだれにでも身に覚えのあるアドレッセンスの痛みを、無駄のない端正な言葉で描く。藍色の空は私の血の色で、詩は血で書く。そして存在の哀しみに触れる。
松尾如華「竹」
竹とわたしと木漏れ日と風。竹がわたしを立たせ、わたしが竹を立たせている。その不意の気づきを、清らかな韻律で綴る。思わず“佳人の”と言いたくなる、気品のある詩。
絡新婦(ジョロウグモ)「ネガティヴ」
この筆名と出だしで一瞬たじろいだが、胸のすく思いで読んだ。啖呵の切り方と批評のバランスが見事だ。「新しい概念を生み出す」ことが、詩と哲学の交わる要諦だろう。たのもしい。ぜひ書きつづけてください。
東浜実乃梨「アマビエ要らずのおばあ算」
アマビエとおばあの棲まう南島から、精霊と祈りが失われていく時代への鎮魂歌。島ことばの発音で朗読を聞いてみたい。
重成邦広「コスモス」
1行目がとてもいい。海辺の美術館。風力発電のプロペラ。恋人との二人旅か。最終連で急に切迫した調子になるが、脈絡がわからずもどかしい。もどかしいけれど読み返したくなる。
【佳作】
風街今日「吟醸スケッチ」
情況の推移をぎりぎりで追えるかどうかの、行の運び。「最終バス」、「軽トラ」、「カーブミラー」と、ゆふぐれの街道で行き暮れている僕の焦慮はたしかに伝わってくるが、もう少し写実的で腑に落ちる言葉遣いが欲しい。
柴崎達裕「草の上で」
夏の夕陽の下で草むらに寝そべる私。孤独と忘却。「出来ることならいつまでも/あの茫洋を走るイルカの背びれにつかまっていたい」気持ちはわかるが、暗示でもいい、その先を書いてほしい。いつまでも草むらに寝そべっているわけにはいかない。
岡崎よしゆき「アコースティックフィリア」
ひらがな主体の韻律がうつくしい。たしかにアコースティックな響きがある。ただ「トリエステからきた絵葉書を焼くと/あなたの使っていたコロンの/においがした」はいただけない。「ほんとかよ」とツッコミを入れたくなる。
中山祐子「宿題は丸めて捨てた」
沖縄戦の記憶。それは激しい波の描き方、白い馬が走ってくる夢。最後の2行が痛切に響く。「不都合な真実からは/目をそらしながら」生きてきたのが、戦後の私たちなのだから。
青山誠「瓶詰め入りの夜が欲しいのだ」
あお、赤、群青、紫、リン、金と、色の移りゆきが一人の夜の静謐な蠢きをうまく伝えている。ただし最後の2行がよくない。「存在しない時間」=「永遠」だから、何も言っていないに等しい。