日本現代詩人会 詩投稿作品 第28期(2023年1月―3月)
厳正なる選考の結果、入選作は以下のように決定いたしました。
■北原千代選
【入選】
石川順一「反省点」
鯖詰缶太郎「スコップ」
嵩高爽樹「憧憬」
田中綾乃「影」
園イオ「迷いびとの丘」
【佳作】
遠野一彦「冬の日」
鈴木日出家「いさお」
南久子「とてもゆるやかな河」
nostalghia 「知っている。」
小蔀県「歩行」
■根本正午選
【入選】
詩色 蒼「レシピの無いお菓子」
遠野一彦「冬の日」
齋藤こもれび「旅立ちの音」
林黄色「ぼうや」
【佳作】
メンデルソン三保「せなか」
河本瞳「最後の抵抗」
角朋美「炎のにおい」
泉水雄矢「禍福」
田中綾乃「祈りの家」
■渡辺めぐみ選
【入選】
芦川和樹「落下する鳥」
堀江春日「夜」
竹井紫乙「ホリさんがいる」
藁科佑輝「神様は疲れてしまった」
加町遥輝「シーラカンス」
【佳作】
唯六兎「夜行」
角 朋美「爆ぜる」
高橋克知「あとしまつ」
吉岡幸一「回転転回」
篠井雄一朗「球形の祈り」
*竹井紫乙さんの作品入選につきましては、
投稿欄新人が決定する以前の投稿なので、掲載といたしました。
投稿数429 投稿者249
神の恩寵が私には無いのか
悪夢が私に囁く
人差し指がずきずきして居た
あの村へと指向する
私の心は停滞して
天使の臭素が私を誘惑して
この買い物を終わらせなくては
と言う事に集中した
買い物を終わらせれば公園へ行く
犬を散歩させて居る人が通り過ぎた
犬を飼う事に何の意義が
有るのかと思う私の心に
遠方の珊瑚の瞳が
私に反省を促して居る様だった
ドリンクホルダーに
カップラーメンが
うまくおさまらない
それはただの焦燥感です
現場まで
鋳薔薇を踏みながら
二トンダンプは
走っていく
土嚢袋には
淡い
殺意の匂いが
充満している
薄暗い朝だ
私は煙草に火をつける
その火に
唇をよせず
ありとあらゆる角度で
神経質に
舐めるように
目視する
情熱が
色、あせていくのを
確認してから
噛み合わない
弟のように捨てた
呑舟は空に絵を開いた
焦がれる日差しを浴びたいと、漂う白を吸いたいと。
けれども呑舟はあの世界を知らない。見えているのに、見ていることしかできない。
呑舟は恋い焦がれた。自分の知っている知らない世界。
あの鳥のように羽ばたいて、あの人のように駆け出して、
嗅いで、感じて、触れて、委ねて、私はあの絵が欲しいのだ。
焦がれて、拗れた、呑舟の深海すら及ばぬ羨望は、いつしか涙が雨となって、濁流が激情を押し流して、全ては呑舟の腹の中。
満たされない呑舟はそれでもなお恋い焦がれたあの絵を空に開いた。
たのしいことの何があろう
光の中に何があろう
わたしたちの まずしい目は
空の果てまで見通した
そこに
何にも心おどれずに
横たわるわたしを見るのだ
雨を 涙と呼んだ
涙を 悲しみと呼んだ
わたちたちは呼び尽くした
日の出る度に つきまとう影を
青い星の外側を
歩きつづけて何があろう
歩きつかれてたおれれば
はじめて 子供が笑うだろう
べとつく鉛色の霧が出た
途方にくれて湿原にしゃがみ込む
さくさく音をたてて
うしろから男がやってくる
二メートルはあろうかというほどの大男
ヘッドライトの豆電球の光は淡く
作業着の袖は擦り切れ
黄銅色の巻き毛がぶ厚く茂る首筋にまで
泥がこびりついている
いくら覗きこんでも顔が見えない
かすかに麝香のにおいがした
汚れた丸い爪が並ぶ指をひろげ
私の二の腕をつかんで
ぬかるみから引っこ抜く
大きな手なのに痛くもなく
ほんのり温かい
深い水たまりも番いのかげろうのように
点々と水輪を残しながら
飛ぶ 飛ぶ
顔に当たって胸から腹へ
どくどくと流れ込む霧の玉が生ぬるい
赤い実をつけたさんざしの木の下で
ふいに手が離れた
一本道の先に宿の灯りが見える
サーチライトの長い長い円錐が
湿原に吸い込まれていく
秋の霧が出ると現れるその男
炭鉱に近いこの丘陵地帯に迷い込み
死体も見つからなかった恋人を探す魂が
迷いびとを見つけ出しては
さいごに口づけを交わした
その木の下まで送り届けるという
Ⅰ レモンドロップ
お水にお砂糖を溶かして
ぐつぐつ ぐつぐつ
かき混ぜながら文句も
ぶつぶつ ぶつぶつ
煮立ってきたら
金属バットに
どろどろと
液体を流し込むの
レモン汁をじゅわっと加えて
ぱっと光が散るみたいに
香りは飛び散るの
ドロップ レモンドロップ
涙の形は まあるくきれい
ドロップ レモンドロップ
雫の中に 閉じ込めたのは
なぁんて
作れもしないものを
眺め透かしながら
ひょいと口に入れるのです
ドロップ レモンドロップ
涙の味は 酸っぱくて甘い
ドロップ レモンドロップ
雫の中に 閉じ込めたのは
お水に お砂糖
それからレモン
きっと しあわせ
Ⅱ 寝れないケーキ
寝れない夜はケーキを作ろう
パタリ 扉を開けて
探すのさ
あれま
メリケン粉がないや
仕方ないな
もやりもやりと
夢の中
寝れない夜はケーキを作ろう
パタリ 扉を開けて
探すのさ
あれま
クリームチーズがないや
仕方ないな
そろりそろりと
夢の中
眠れない夜はケーキを作ろう
パタリ 扉を開けて
探すのさ
あれま
レモン汁がないや
仕方ないな
チリリチリリと
目覚まし時計
ごちそうさまでした
Ⅲ ドーナツの歌
ホットケーキミックスに
卵とお砂糖、溶かしバター
思い描くのは あの味
寂しい時も
苦しい時も
慰めてくれる あの味
生地に八つ当たりしながら
混ぜて 捏ねて 伸ばして
思い描くのは あの穴
幸せな時も
嬉しい時も
変わらず空虚な あの穴
揚げたての子達に
粉糖とレモン汁の
お化粧をして
さぁ召し上がれ
ぽっかり穴の空いた
レモンドーナツ
冬の日
冬の朝の 天のうえでは
針さきのような 無数の鈴が ひしめいて
りんりんと
りんりんと
鳴っているのです
けっして人間には聞こえない
ものすごい響きで 世界をふるわせて
鳴っているのです
なにしろ むこうは
いつでも白夜なのですから
終わりというものが
ないのです
その空のした
冬の午後ともなれば
われわれの棲む地上では
ひだまりに
時の翼が影をおとして
いき倒れた 人々に
やさしい終末をなげかけています
けれど あの空は
われわれのものではないのです
落ちていく夕陽の勾配に
射られたものたちは
もう 帰るところがありません
ついに
夕陽が地上を焼きつくしても
あの空は
遠いむこうで 鳴り響いているのです
ああ 冬の夜
わたしのなかの暗闇に
焦げた 一本のはだかの木が
あの空にむかって
立っている
あなたは言いましたね
「私かあの人を選んで」
選べませんでした
選んだらどちらも傷つけてしまう気がしたのです
選択させるという暴力
それを全身に浴びたわたしは
どうしようもなく、うずくまってしまいました
「まだここから離れられないから、先に行っていてよ
あとから追いかけるから」
そうやってわたしはあなたを、間接的に拒絶しました
傷づいたでしょうか?
わたしがあなたをすぐ追いかけなかったこと、
怒っていますか?
妹たちを連れて出ていくあなたを、ぼうっと見ていました
扉が閉まれば元の家族に戻れないことを予感しつつ
玄関の扉がガチャリと音を立てるのを聞いていました
旅立ちの音は、祝福の音だと思っていたのに
あれ以来、玄関が音を立てるたび
父を捨て、わたしに選ばれなかったあなたの旅立ちを思い出します
お母さん、
なぜわたしに選ばせたのですか
わたしのこころはまだ、うずくまったままです
きみの寝息を確認してから、またイヤホンをつけた
新曲の歌詞の意味なんてまったく捉え切れないまま
音階とリズムがみみを、あたまを流れ落ちてゆく
胸の辺りが冬の夜の冷えた空気を孕んでふくらんで
きみの中で温められて、暗闇にやさしく吐き出されたのを確認して
ようやくわたしもすこし微睡んできた
本能的な危機意識のまま床についてもう何年だ
きみはもう足が19センチ、体重は20キロなった
きみは革新的な絵を描く芸術家であり
毎日欠かさず最新ゲームに勤しむ勉強家であり
見たこともない動きで皆を虜にするダンサーであり
斬新ななぞなぞを開発する発明家でもある
そんなきみに言わせればわたしは 忘れんぼうで心配な人間 らしく
どうやら今度の遠足の持ち物と集合時間を記したらしい
ひらがなもカタカナもごちゃ混ぜのメモを唐突に渡された
そしてきみは可愛げなく、わたしとは結婚しないと言ってのける
理由は怒ると怖いからだと言ってのける
そのくせ猫のようにすり寄って、褒めると嬉しそうにわらって
いまだってわたしの横でふくふくねむっている
朝になったらいつものように
早起きのきみは、寝ぼすけなわたしの頭を撫でて抱きしめてくれるだろう
午前四時
なんだか知らないがここ数年、毎日一度は目が覚める
右のイヤホンは未だ新曲をリピート再生し続けているが
片方は床に転がって、また今日もシリコン部分がなくなっている
きみのおでこを撫でる、汗はかいてない
布団をかけ直す、こうも毎朝、寒くないのだろうか?
相変わらず歌詞を捉える気すらなく
右のイヤホンを取ってそのへんに置いた
ゆったりと長い呼吸音
わたしの眠気を誘う、やわらかで、いとおしい音
ゆる、ゆる、ゆら、とまた思考速度が落ちてゆく
「キャハハハハハ!」
突然の笑い声に飛び起きる
たのしそうに笑った顔、閉じたままのまぶた
まだなにか言ってるが聞き取れず
わたしはまた、すこし冷えた右のイヤホンに手を伸ばした
アキレス腱が笑っていると鳥が落下して机に横たわる。
(三滴、蛇口から水がでます)
ホットドッグは驚いて花壇)パンジーを守ろうとからだを目一杯膨らませる。花壇は怯えて縮まる。
(風邪がすこし移動する)
変な星が、焦げる。箒の柄を逃げる市民。電話が鳴る。天秤に、石と、包帯、放物線。完成しない都市)温泉。
(暗闇のなかで瞬きする、光が揺れます)
しんしんと、もぐらたちは思います。このまま壊れてしまうのだろうか。びりじあんの呼び声が瓦礫の底で跳ね回る。電気を着込んでいるのがみえます。
(すぐに落ち葉を拾い集めてください)
田んぼにかかとで、模様をかいていきます。魚たち)協力してください。空気がほつれたところにつまずかないように。コッペパンをくわえながら。
(信号が黄色、電車が通過します)
走って間に合うものか、ただそれでも走る以外方法がないので、蟹たちは走ります。それにつづいて、錨、苗、そばかす、チュロス。ここに残ってはいけません。
(シクラメン、三つ葉、入場)
(魚をみて、涙を流す)
トーマスはあたまの回転が速い。もう答えを知っている。そこで停止してしまったトーマスと、それでも動くトーマス)北極のうたを口ずさむ。
…
寒さは、普及
…
掠める雨、あめ、いば、化石
…
化石、うつくしい、槍
…
反復する、うしろがわが
…
答えて、焦げ、答えて
…
天井みたいに
…
落ちてはこないか
…
深い、不快
…
道端に、砂利のすみか
…
確かめておいで
…
雪じゃないから
…
燐寸(まっち)、燐寸
…
雪はこれさ
…
(静まった街に三度、破裂)
(爆発、黒い山羊があらわれる)
(大きなあくび)
(大きなあくび)
横たわった鳥のまわりを四角く、机を切り取る。ぐにゃりとねじ曲げ、四隅を束ね、ほどけないように縛る。鳥は机につつまれる。黒い山羊はそれを角に引っ掛けると、じょじょに透き通り)すがたを消す。
夜の汽笛のようだった
遠のく音の余韻が
微かに、確かな感触で胸を突く
あらゆることは早々に過ぎてゆく
誰にも捉えられることのないまま
忘却は連なり
空になったグラスに
使い古した宇宙服を放る
地獄を経由した魚は
超高速で空を飛ぶ天使に食べられ
ガラスのふちに歪むクジラが月に恋をする
水に弾かれるたびに影は大きく
やがて月は呑み込まれてしまった
チューニングの狂った頭では
世界はいつも傾いている
存在感だけが立ち昇る夜には
一艘の船を漕いで熊の月拾いを助ける
毒に支えられてこそ際立つ美しさは本当で
嘘をつくのが苦手だ
言葉の集積所の隣には
火葬場がひとつ
煙に包まれて空へ調和してゆく死んだ言葉の数々
ある時には誰かの眼差しの先に
ある時には恋をしたクジラのお腹の中に
ある時には頑固な孤独の漂白剤に
ある時にはあらゆる気持ちの終着点に
地下鉄の通路で闇が歩いていた
闇は、闇のくせに、白い皮ジャンを着ていた
闇は、闇のくせに、金髪だった
背が高い闇は肩をいからせて闇を振り落とす
とたんに通路は真っ暗闇になり
おかげで出口がわからなくなった
スマホの光りを頼りに出口を探そうと
沢山のひとが一斉に電源を入れるから
変に眩しい世界が現れた
横を見るとホリさんがいる
十年以上も前に亡くなったはずのホリさんが
とっとっとっと歩いている
私を追い抜いて脇目もふらずに
待ってよホリさん
ホリさんに追いついたらば
昔のわたしに会えるかもしれない
その頃に住んでいたアパートに戻ってみたい
黄色のカーテンにグレーの冷蔵庫本棚ソファ
あの時の雷や陽だまりやくじけたサボテンにも
会える気がする
必死でホリさんを追いかけながら地上に出ると
ホリさんが自転車で遠くの方へ去ってゆく後ろ姿が見えた
地上は雪で
わたしは寒さが怖いだけなのかもしれないと思った
それからもホリさんは時々現れる
会社の廊下や会社の帰り道で
歩いていたり自転車をこいでいたりする
ホリさんはこちらを見向きもしない
だからもう追いかけたりはしないけれど
ホリさんを見かける度に
あの頃のカーテンが揺れるのが見えて
本当はいつだってあのアパートに帰ることができるような
都合の良い錯覚をおこすのだけれど
あれ以来、闇には遭遇しないままだ
神様は疲れてしまった
喫煙所の中で
配電盤の裏で
神様はくたびれてしまった
活断層の中で
バス停道路前で
六法全書捨てて
雑踏、一を抜けて
片道切符で往け
堕天使いつか夜道
この先きっと出口
神様は疲れてしまった
月光照らす橋で
ファッション雑誌まみれ
神様はくたびれてしまった
太陽薔薇透かして
愛なんて裏切って
そんなんで心/ハート
閉ざすようなはずもなくて
冗談の爪先で
感情は裏切って
憲兵に逆らって
閃光は飛び立って
台風が連れ去って
羅針盤、次、目指して
運命が導いて
東方の沖は凪いで
潮騒が泡めいて
トランジスタ・ラジオ鳴って
遠く遠く音が鳴って
遠く遠く音が鳴って
遠くから聞こえている
懐かしい声いたくて
なつかしいこえいたくて
だってだってあいたくって
だってだってあいたくって
ず.っ.と.ず.っ.と.あ.い.た.く.っ.て…
シーラカンスは夜の香りに包まれた
いつから眠っていただろう
海は幾分か大きくなり
世界は広がり
尖ったようだ
自らの皮膚に体温を感じる
ぼやける視界に
気怠そうなサカナを見つけて飲み込んだ
鋭いガラス片が
体内に沈殿する感覚
内臓が動き出す
呼吸もいくらか楽になった
シーラカンスは一度だけ
大きなあくびをした
音波が放散する
地面が揺れる
海底の砂が巻き上がる
人々は気が付かない
シーラカンスは陸上を覗いた
銀色に光る長方形
内部には温度があって
生命体が蠢いている
一瞬の瞬きであった
それはシーラカンスを見ていて
シーラカンスもまたそれを見ていた
朝陽は悠々と昇った
シーラカンスは光から隠れた
それでも光は文明とともに追ってきた
文明とは
シーラカンスの知らないものだ
シーラカンスは空へと翔んだ
空から見下ろす文明は
銀色の熱を纏っていて
平穏であることを求める
多くのエネルギーがあった
シーラカンスは
暗くて冷たい静寂に到達した
そこはシーラカンスが
生まれた場所に似ていた
シーラカンスは
初めて触った砂の感触を思い出した
シーラカンスは眠った
シーラカンスは大いなる愛を思った
文明は遠くで瞬いている
■北原千代選評
【入選】
石川順一「反省点」
心のなかの動きを、独自の言葉で読者にひろげて見せています。「この買い物」とは、もう拘わらないでおこうと思いながら断ち切れない習性のようなものでしょうか。飼い犬を散歩させている人を愚かしいと思う心を、「遠方の珊瑚の瞳」にやさしく諫められているのですね。この「珊瑚の瞳」の登場に、非凡な言葉の動きを感じました。これという事件もなく、切実な訴えもないのですが、「あの村」とはいったいどこにあるのだろうと、ふしぎな引力で作中に引き込まれます。ところでこの珊瑚は渇いていますか、それとも濡れていますか?
鯖詰缶太郎「スコップ」
「嚙み合わない/弟のように捨てた」のは、血を分けた弟のように「私」のなかに存在する情熱でしょうか。煙草の火を見つめる「私」の、その薄暗い朝の行動が、「カップラーメン」「二トンダンプ」「鋳薔薇」「土嚢袋」の映像や匂いと共に、ありありとみえてきます。タイトルの「スコップ」は、葬るべきなにかのために穴を掘る道具でしょうか。読解できなくて申し訳ないのですが(もしかしたら別のタイトルを考える余地があるかもしれません)、短い詩行に展開される心象風景、とりわけ鮮やかな終わりの2行に、どうしても忘れがたいものがあります。
嵩高爽樹「憧憬」
なんというひたむきな、純粋な憧れでしょう。この呑舟の魚には教訓的な匂いがなく、美しく、また厳しくもある詩行には、憧れの対象に向かう悲願が込められているようです。呑舟は「漂う白を吸いたいと」願ったのですね。憧れとは空に開かれてあるもの、いくら恋焦がれても掌中にできず、落胆して苦い涙をのむことがあってもなお、呑舟は憧れの絵を「空に開いた」。憧れはいつも高みにあり、いくら願っても到達しがたい憧れにむかってこうべをあげる…その姿勢が気高く描かれていると思います。
田中綾乃「影」
地球上のどこにも救いがない、行き所のない虚無感を、歌曲のようにうたいあげています。文字からというより、耳から入って言葉がこだまします。繰り返される「何があろう」の声は痛ましさを超えて、いっそおおらかにも聞こえます。金子みすゞの「このみち」の寂寥は抒情的ですが、この歌は前衛の響きをもち、「はじめて 子供が笑うだろう」は、説明なく読者に渡される謎です。自らが荒廃させた地球で行き倒れる大人、その時代の子供は、どんな声で、表情で笑うのでしょう。つめたく怖ろしいものが血管を走ります。歌い尽くせない歌を、さらにお聴きしたいです。
園イオ「迷いびとの丘」
ゴシックロマンのような童話のような、これを詩と呼んでよいのか少し迷いがありました。けれども、描かれたばかりの油絵の、まだ濡れている画布を突きつけるみたいな表現には、五感を妖しく揺さぶる毒の要素があり、こういう濡れた毒を含ませるのはやはり、他でもない詩の仕事のような気がします。
【佳作】
遠野一彦「冬の日」
一連目がたいへん印象的です。冬を描いた秀作が何篇かありましたが、この詩は冒頭から冬のきっぱり張りつめた空気を連れてきて、最後まで読み手を離しませんでした。「わたしのなかの暗闇に/焦げた 一本のはだかの木」が立っていて、それを外からみている話者という構図が、しずかな諦観を際立たせています。叶わなかった夢、閉ざされたかなしみを想起しました。
鈴木日出家「いさお」
とてもよく練られた、非の打ちどころがない完成度の高い作品だと思いました。その子ならではの個性のかがやきに目を留めず、成長の芽を無自覚に摘み取ってしまいがちな教師の、あるいは周りの大人たちの、きびしい自戒の詩です。「今も団地に家族と住んでいる」かつての教え子が果たして幸せかどうかは、たぶん本人にしかわからないのでしょうが、教育とはなにかと、まっすぐ問いかける姿勢に打たれました。謎かけのようではなく、問いも答えもすべて表出して、読者に価値観を問いかけるメッセージ性の高い作品です。
南久子「とてもゆるやかな河」
詩のなかに日常があり、日常のなかに詩があるようです。のびやかな表現に確かな力量を感じました。とりわけ、カイツブリに見立てた「わたし」の姿を描いた二連目と、「白を忘れた雪の粒で濡れた草の葉を摘んで/息のつづきを吐き出して」の三連目は、問題解決の糸口を探して試行錯誤する人間の営みが詩的に描かれ、その直後の現実への着地も見事です。別の2作もそれぞれ意欲作でしたが、この詩がもっとも読者に向けて開かれていると思いました。
nostalghia 「知っている。」
言葉が律動しています。ほんとうはなにひとつ知っていないのですよ、あなたもわたしも…そのように語りかけられます。いくつかの鮮やかな行が、たとえば「兄は ひとりでに、座標をさらにずらし」「やさしいものがあふれているということが、/ひとびとに、ひらたく、つたわる」などの言葉が、音楽のなかから浮きあがってきます。つい音楽と言ってしまいましたが、いったん覚えたフレーズがいつまでも耳に残って消えない、意味ではなく言葉そのものに語られている、そういう作品だと思います。
小蔀県「歩行」
歩行の速度が感じられ、品格のある詩行です。冬の呼気と湿度が繊細に表現され、「生命の輪廻」を信じる人もそうでない人も、「指折りをもういちど始めたい」としずかに思うでしょう。酷寒のなかで春を待ちわびるような、生命への信頼と希望を感じました。大声を出したり、乱暴に扱ったりしたら壊れてしまいそうな、とても繊細で謙虚な息づかいの作品を貴重なものと感じました。
■根本正午選評
聞くところによれば人工知能が生成する文章は膨大なテキストデータをもとに、平均的なことばの連なりを出力し、あたかも人間らしく喋っているように見せかけるものだそうです。とすると、詩にしかできないことは、この世界にいまだ存在しないもの(均された中心から遠ざかろうとするもの)を書くことではないでしょうか。もちろん、書かれてしまったものは、すぐに誤解の海へと投げこまれ、第三者によって無作為に利用されてしまうかもしれないことを覚悟した上で、ですが。
【入選】
詩色 蒼「レシピの無いお菓子」
レシピが無いのにつくられるお菓子、材料が手元にないのにつくられるお菓子。一読するとレモンドロップの鮮烈な香りが鼻腔を刺激しますが、レモンドロップは最初からつくられておらず、他のお菓子も詩の中で二重、三重にその存在が否定されていて、だからこそ印象が強まっています。詩の最後にドーナツが置かれているのは、穴=欠落を表現するためには、ドーナツとしてのことばでその周りを埋める必要があるのだという作者の気づきがあると読みました。
遠野一彦「冬の日」
詩を特定の世界情勢と一方的に重ね合わせて読んでしまうのはダメな読者だと思います。そんな誤読をなるべく遠くに追いやりながら、静謐な終末の光景に酔いしれる読みをしました。滅びや死が救いであるとどこか感じられる一方で、死んだものたちは帰るところすら奪われ、残っているのは誰のものでもない空だけです。焦げたはだかの木は、なにかを成そうとした途上の、死後硬直で固まった指を思わせます。同じ作者の「眼の夜」も印象に残りました。
齋藤こもれび「旅立ちの音」
旅立ちの音は、子供を残して家を出ていく母親が玄関の扉を閉める音でもあり、また詩がはじまってしまった音でもあると読みました。私たちの人生においては様々な選択が強いられますが、選ぶということはなにかを選ばないということでもあり、この詩が見抜いている通り、多くの場合それは隠微な暴力の形態のひとつにほかならないでしょう。「うずくまる」こと、うまく答えられないこと、に詩の誠実さを見ます。祝福と呪い、旅立ちと放棄、選ぶことと捨てること……同じ貌をした矛盾にかたちが与えられていました。
林黄色「ぼうや」
五六歳の男児と思われる子育て中の一光景。親の側に常に「危機意識」があるのは無呼吸症候群など心配すべきことがたくさんあるからで、イヤホンが片耳だけなのは片方の耳は子供の寝息を監視していないといけないから……などと子育て中のことを思い起こしながら読みましたが、同じ布団の中で眠っている親子の情景が自然に浮かんできます。左右に別れてしまったイヤフォン、聴きながら聴いていない歌詞と音楽、親と子の間にある微妙なズレなど、ほんの少しの(だが確かな)距離感の捉え方が絶妙です。
【佳作】
メンデルソン三保「せなか」
ひとは自分の顔を知ることはできない。そんな見えないものが自分をかたちづくっている。この詩ではそれが「せなか」と名づけられているという読みをしました。ただ、自分からは見えないものも、他のひとからは容易に見えるのであって、それが社会のなかでの立ち位置に反映されてしまったり、第三者から判断される基準になってしまったりする。社会から好き勝手に評価されてしまったりもする。こうであってほしいが、そうはなってくれないむずかしさ。それは見えない「せなか」を守ろうとするからだという気付きについての詩と読みました。
河本瞳「最後の抵抗」
この詩の「抵抗」が、名づけられることに対して書かれていることに着目しました。ライオンはライオンと名づけられるまでは爪と牙をもった恐ろしい怪物でしたが、名づけられてしまったことでただの動物に成り下がってしまったと、どこかの詩人が書いていたことを思い出します。社会、制度、外部からの名づけに抵抗すればそこには痛みが伴う。乾いた銃弾で撃たれるようなその痛みについて自覚しつつ、芽の出る(かもしれない)可能性の種について書かねばならない、ということでしょうか。私も「そんな名前は要らぬ」とうそぶいてみたい気がしています。
角朋美「炎のにおい」
この詩では子供時代の火事の記憶がえがかれているのですが、その一方、燃えた(いまも燃えている)のは昔ながらの昭和的な商店街であり、記憶であり、その廃虚を置換するように「高いビル」が立ち並ぶ現代社会の風景があらわれる構造になっていると思います。私が着目したのは燃えたのが自宅ではなく、「壁一枚」を隔てた隣の商店街であることで、時代のどうにもならぬ変化というものは、疎外された当事者としてしか把握できないのだということが書かれているという読みをしました。
泉水雄矢「禍福」
かふく、と題名を音読して、そこに「家族」がひそんでいることに気が付きましたが、この詩ではどこか足りない家族がえがかれています。六人席のテーブルに五人家族は一人少なく、あるいはそれぞれバラバラの無関係なひとびとが巨大なガラスの前でまるで家族のように演技して振る舞っているとも読めますね。落ちて割れるガラスのコップは、ただ割れるのではなく、一度元に戻ったあと(逆再生)、さらにもう一度砕かれたことが示唆されています。砕かれているのは、ひととひととが家族として繋がることができる可能性でしょうか。最終連、それでも家族として出発する水銀灯の照らす先にほのかな希望を読みたい気持ちです。
田中綾乃「祈りの家」
折ると祈るの二つの漢字の外見上の類似性から、祈りとは途中で手折られてしまうもののためにあるのだという読みが創られています。詩の「美しい正しさ」が、この国で具体的に指し示しているものについて考えつつ、結局のところ剣も銃も置くことができない私たちのありようについて思いを馳せます。「祈りが/ひとりぶんの傷さえ/ふさげなかったとしても」は痛切な行で、祈りがはてしなく困難であることについて自覚的です。その壊れ果てた場から立ち上がることばはあるのか。よみがえる家の明かりはどこかにあるのか。詩は答を出していません。詩も祈りも、答など得られない所作なのでしょう。
■渡辺めぐみ選評
【入選】
芦川和樹「落下する鳥」
豊富な語彙力と独特なリズムで展開され、詩でしかつかみとれないものをつかみとろうとしている。「変な星が、焦げる。箒の柄を逃げる市民。電話が鳴る。天秤に、石と、包帯、放物線。完成しない都市)温泉。」意味が攪拌され、はぐらかされる心地良さ。生活圏の喧騒と明るい不穏さが同居している。「変な星が、焦げる」とは地球のどこかでテロや戦争が起こっているということだろうか。世界的な危機をよそに目前の出来事に翻弄され快楽に走る人間の危うさを垣間見させられるようなところもある。
堀江春日「夜」
圧倒的な詩情のある作品だ。「地獄を経由した魚は/超高速で空を飛ぶ天使に食べられ/ガラスのふちに歪むクジラが月に恋をする」活気がありメルヘンチックだが、後半の「言葉の集積所の隣には/火葬場がひとつ/煙に包まれて空へ調和してゆく死んだ言葉の数々/ある時には誰かの眼差しの先に~」部分の哀切な詩行を読むと、歴史の重みを背負ってあえぐ社会や死に向かう生を営む人の一生に注がれた確かな視線が感じられ、詩語の沈潜が心に残る。
竹井紫乙「ホリさんがいる」
幻視と現実がからみ合い、十年前に亡くなった「ホリさん」という人物をリアルに蘇らせている。冒頭の「地下鉄の通路で闇が歩いていた/闇は、闇のくせに、白い皮ジャンを着ていた/闇は、闇のくせに、金髪だった/背が高い闇は肩をいからせて闇を振り落とす」といった通行人から想起される擬人化された闇の記述が秀抜だ。「ホリさんを見かける度に/あの頃のカーテンが揺れるのが見えて」いつだって昔住んでいたアパートに帰ることができるような錯覚を起こす「私」。「ホリさん」への好意が幻影を生み生と死の往還を果たすのだろう。
藁科佑輝「神様は疲れてしまった」
「神様は疲れてしまった/喫煙所の中で/配電盤の裏で」全知全能の神様が輝かしい玉座のようなところに存在するのではない。なくてはならないが目立たないところにいる神様がいとおしくなって来る詩だ。第2連の「神様はくたびれてしまった/活断層の中で/バス停道路前で/六法全書捨てて/雑踏、一を抜けて/片道切符で往け/堕天使いつか夜道/この先きっと出口」という詩行には不条理な厳しい現実と必死に諍いながら前向きに生きようとする人間の思いが切実感を伴ってスパークしている。最後のほうへゆくとリフレインに逃げていて作品の密度が落ちているが、トランジスタラジオの声に反応する「懐かしい声いたくて」、「あいたくって」という感情表現が人間に対する信頼を捨てない証として響く。
加町遥輝「シーラカンス」
シーラカンスが目覚めゆっくりと世界を認識してゆく過程が環境ビデオを見るように静かな語り口で描かれている。そのスローモーションのような進行速度にヒーリング感覚がある。「海は幾分か大きくなり/世界は広がり/尖ったようだ」また、「シーラカンスは空へと翔んだ/空から見下ろす文明は/銀色の熱を纏っていて/平穏であることを求める/エネルギーがあった」、「シーラカンスは眠った/シーラカンスは大いなる愛を思った」などの詩行に壮大なスケールで平和思想が畳まれている。
【佳作】
唯六兎「夜行」
短い詩行の中に夜の街の息吹が映像的におさめられており、「夜の恐怖は仕舞われて」という最終行による何かが始まりそうなスリリングな感覚に惹きつけられる。「街は今/丸くなって/頑なになって/一つの意志となって/一匹の巨大な生物になる」という冒頭部分の街の擬人化は、善悪の入り混じった人間の営みを細胞のように内包する街のしたたかな威力を感じさせて魅力的だ。
角 朋美「爆ぜる」
男女の言い争いを女性の側からナイーブな感性で受け止め巧みに表現している。「話したい心は 尖って散らばり/ふたりの頬に傷をつけたが/血は流れなかった」ののち、「彼が煙草に火をつける/わたしの燃え殻がひとつ/遠い月の裏側で火花を散らす」という日常の一コマから月に発想が飛躍する詩行に冴えがある。「寂しさは繰り返し 繰り返し/爆ぜ続ける」という終わり部分も、自己主張しながら生きてゆかざるをえない人間の、生きること自体にまつわる実存的な孤独が伝わって来る。
高橋克知「あとしまつ」
新型コロナウィルスの感染防止のための隔離対策に死の恐怖の中で明け暮れた施設で、それが現在解除されてゆく様子を活写した作品だ。「あとしまつが終わったらみんな/さっさと忘れてしまうのだろうか」という二行は、喉元過ぎれば熱さを忘れる人類の愚かさを差し出す一方で、最終連では人と人とが連携し支え合うことの意義を思い起こさせる。応答し合う巡回報告の会話がまだ完全には終わっていないコロナ禍の緊迫感の余韻を醸し出している。
吉岡幸一「回転転回」
規則正しく回転するアンティークの柱時計の針に取り付けられている若草色の三角帽子を被った小さな男の人形をみつめるうちに、その男の声を聴き、男がやがて息絶え、「私」が男に同化させられ息絶えてゆくという筋立て自体の発想の妙と作品全体を流れる異様な時間の流れに引き込まれる。「助けてください」「救ってください」とほほ笑みながら男も「私」も言うのだが、例えば管理下でコマネズミのように働き、それがやがて自己陶酔に発展していきかねない日本人気質の寓意と受け止めることもできるが、作品としての独立性を重んじ、ただ得体の知れない不気味さを味わえばいいのではないか。
篠井雄一朗「球形の祈り」
投稿コメントに「3.11に祈りを込めて。」とあるが、津波や原発事故などを直接的に扱った詩ではない。しかし、共に生きる大切な家族を失い自炊生活をする人の電気釜のご飯の焚けるのを待つ何気ない時間にも、喪失の痛みに耐える者の日々の悲しみがしみじみと溢れ出す作品である。「侵攻という題で展開するニュース/祈る少女の瞳を浮かべ/残像が寄せる/わたしは/さらに祈りをかさねる」とさりげなく挿入される詩行には、ロシアのウクライナへの軍事侵攻という多くの人命が一時に失われる過酷な事態への身内を失った者からの警鐘が孕まれている。端正な筆致で人の尊厳のありかたを提示した真摯な姿勢に心打たれた。