詩投稿欄

日本現代詩人会 詩投稿作品 第27期(2022年10月―12月)入選作・佳作・選評発表!!

日本現代詩人会 詩投稿作品 第27期(2022年10月―12月)

厳正なる選考の結果、入選作は以下のように決定いたしました。

■山田隆昭選
【入選】
遠野一彦「陰まつり」
永杉坂路「海」
岩佐聡「ある秋の重力」
齋藤美宣「かわたれ」
吉岡幸一「どこにいる」

【佳作】
竹井紫乙「みずくぐり」
守屋秋冬「老婆の自転車」
結城仁「独りぼっちで」
北川聖「恍惚たる瞬間」
サイトウマサオ「視力検査」

■塚本敏雄選
【入選】
守屋秋冬「時との対峙」
林黄色「椿」
田口登「愛のひと」
河上類「くちわな」
岩佐聡「羊歯植物記」

【佳作】
齋藤美宜「命育(めいく)」
葉山文雪「寄る辺なさ」
遠野一彦「陰まつり」
河本瞳「蝶のてのひら」
小田凉子「生きる」

■草間小鳥子選
【入選】
河上類「丘陵地帯」
守屋秋冬「時との対峙」
松波=和泉翔「登下校」
南久子「信号機の前で、振り子は」
岩佐聡「ある秋の重力」

【佳作】
宮本小路「帰り路」
吉田圭佑「つまらないパワー」
nostalghia「こんにちは。」
村口宜史「厠」
河本瞳「蝶のてのひら」
サイトウマサオ「いちょう並木」

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遠野一彦「陰まつり」

澄んだ秋の空から
葬列がやってくるのです
水平線のむこうから
ながい ながい
葬列がやってくるのです

剥げた朱色もあざやかに
色とりどりの 笛や 太鼓や 花々と 
にぎやかな音楽隊をひきつれて
音もたてずに
やってくるのです

先頭から ぞろぞろと
物乞いや 蒼ざめたおんなや 足のない猫
頭の逆さについたおとこに くいついた鳩
みんな みんな 楽しそうに
踊りながら やってくるのです

今日も また
海沿いの廃墟の街では
風に崩れた石段にすわって
少年が ひとり
白ちゃけた三日月を 噛んでいます
涙がぽろぽろと こぼれるたびに
ノオトブックのうえで 三日月に変わるので
死ぬことができないのです

ああ ごめんなさい ぼく
おじいさんの言いつけ 守れませんでした
ガラス張りの別荘には 時がたぎるから
半開きの扉は閉めておけって
言われたのに
半開きの扉には 魔がのぞくって
言われたのに

晩夏の海水のプールに
ひっくりかえった空は
本当に 本当に
青かったのです
おあかさん 
とうとう あの空を見つけたのですか
おかあさん 
なにもかも あの空のせいなんです

いま 音楽は天高くのぼり
半開きの扉は
きらめきながら
秋の海面にむかって
浮上していきます

そして
一冊の 美しいノオトブックが
ゆらゆらと
海底に 沈んでゆくのです

永杉坂路「海」

海はわらっていた
あの子どもの夏の
いとこたちの海は。
寄せては返して追うわたしをからかいながら
貝がら拾いの子どもたちの足を
絶えずくすぐる
 おいでよ…おいでよ…
この光る波がしらに騙されて
光の差さない海底に沈んでいった子どもら
仲間を求めて足をくすぐる
 おいでよ…おいでよ…
わたしは海に目を吸いこまれながら
耳はまだ砂浜を探っている
レジャーシートを広げる家族
耳の奥の三半規管そして
うずまき管までもが海に奪われかけたとき
母の呼び声がつかんで離さなかった
母は二畳半の網膜をつかんで
わたしを根こそぎ海から遠ざけた
波には永遠に触れることのできないレジャーシート
そこに座るわたしは波間に立つわたしとは違う
もしかしたらもう手遅れなのかもしれない
と思ったりもする
心は光る波がしらにさらわれて
海の子どもたちと遊んでいる
 おいでよ…おいでよ…
ような気がする
まばたいていとこを見る
いとこは海に奪われている
昔生きていた貝(うずまき管にそっくり)
がめりこんだ浜に立ち尽くして
足を波間の子どもたちにくすぐらせながら
その目が耳が何をとらえているのか
わたしは知っているような気がする

あの夏の日に
わらっていた、海。

岩佐聡「ある秋の重力」

手紙に手紙を書きたくなる
秋に癒着する水の
この温度では
わたしから脱皮した皮膚はとけない
汽水にすむ二枚貝は
明け方の亡骸を咥えて肥るというのに
吐息がまだ散文とはほど遠い時間
自分の身体もこの土の
重力につづいているのだろうか
葉のこすれる音がしなければ
静けさがどこから来たのかとすら
おもうことはなかった

林道をあるいた記憶を栞にして
野鳥が力尽きている様子が
物語の二連目から
書き出されることを想像しながら
水溜まりを跳ねてよけるのに半歩おくれる
鉤括弧で括るでもなく
そっと秋の厚さの紙を
差し入れるだけの歩み
栞という字の
線対称の特別さ
この世界の
どこに完全な植物園があるというのか

ある夜
皿を洗うための水が
この世からはみ出そうとしていて
この水の重力をつかまえようとすると
幼いころの
突き指におもい至った
その痛みには
重力の友人達がふかく腰掛けていて
地上の祈りを多く含ませていたが
いつか村中の次女逹が
包帯に、はじめて触れるとその感触に
つく予定だった嘘の
つじつまを忘れてしまうから
字余りになりそうな
いくつかの理由だけ掬いとって
身体にしみこんだ秋を
遠近法のずっと奥の
消失するところへ埋めようとすると
ようやく痛みがやわらぐのです

何かの責任を放棄するみたいに
口のなかで溶けきらない飴玉を
つい噛み砕いてしまう幼さをふくませて
田んぼの用水路に長靴を履いたまま
足を差し入れるとその冷ややかさの分
他人の足になる
この季節のおだやかな水は
植物よりも鬱蒼として
つま先の爪を切ってくれようと
そっとわたしの足を
自分の腹の方へ引き寄せて
感じさせてくれた秋の夜の
子宮のあたたかさまでも流してしまう

齋藤美宣「かわたれ」

朝をよく知らない

子供の頃は知っていたのに
今では遠い親戚のように
薄い記憶の底で
たしかこんな感じの人だよねと
もはや他人になっている

夏の朝の記憶
立ち篭る杉木立の香り
キジバトの鳴き声が響く
ラジオ体操第一第二
まだ暑くなる前の夏

冬の朝の記憶
自転車で坂を下る
冷気に脈打つ耳の存在感
耳ってあるんだな
まだ寒かった頃の冬

朝は変わっていないだろうか
眠りにつく朝に
起きる朝のことを思う

空が白むと憂鬱になる
できるだけ避けたい関係
親しくできないよそよそしさで
ずっと遠ざけ続けている
それでも朝はやって来る

夜明けに眠れる土日を祝う
朝は寝ている間に去っているけど
起き出した昼下がりの
昼食から始まる一日が
少しだけ空しいのはなぜだろう

夕方に目を覚ますとき
すでに終わった一日を
これから始めるような気がする
朝は遠くの親戚みたいに
胸の奥で思い出される

一日の始まりは朝なんて
誰かが勝手に決めたルールが
染み付いて落ちないカーテンが薄い

朝日がカーテンを貫いて
勝手に部屋に入り込む
布団に潜り抵抗する
爽やかな冷たい風
窓外の鳥の囀り

朝ってどんな顔だっけ
もはや他人の遠い親戚みたいで
思い出すことができない
記憶の底で霞んでいる
子供の頃は知っていたのに

朝をよく知らない

吉岡幸一「どこにいる」

どこにいるのでしょうか
目を閉じているわけではありません
目の前があまりに真っ暗なので
目を開いても 目を閉じていても同じなのです。

赤ん坊の泣き声が聞えてきます
母親を探しているのでしょうか
求めているのは乳でしょうか 愛でしょうか
耳を塞ぎたくなるのは何故でしょうか

子供が物を壊す音が聞えてきます
硝子が割られたのでしょうか
拳で割ったなら きっと血だらけでしょう
痛みがどれくらい救うのでしょうか

青年が演説する声が聞えてきます
正義を訴えているのでしょうか
信じる正しさが破れていくようです
迷いと信念が低い場所で渦を巻いていませんか

少女が野の花を摘む音が聞えてきます
野原から花瓶へ移すことに抵抗はありませんか
咲いた花が 萎み枯れていく 美しさを
醜さ と勘違いしているようです

男がパソコンに金額を打ち込む音が聞えてきます
電話は鳴り続け 男は謝り続けています
働くことが目的になっているようです
生きることがスーツから剥がれ落ちていきます

女が騒ぐ子供をいさめる声が聞えてきます
溢れる愛情が燃え上がって 消えそうにありません
対価を求めない想いが 狂気に包まれるほど
尊さの純度は増していき 悩みは深まるようです

老人が杖を折る音が聞えてきます
歩くために必要な杖を呪い 頼り 諦めようとしています
過去を振り返ってばかりの日々に
慰められようとして 未来に目を瞑っています

死人が拳で棺桶を叩く音が聞えてきます
金の彫刻を彫られた豪華な棺桶が軋んでいます
納棺されたその日に燃やされることを知りながら
未だに受入れられないまま 甦ろうとしています

どこにいるのでしょうか
あまりに眩しすぎて目が開けません
光に満ちた世界に放り出されたのでしょうか
目を開いても 目を閉じていても同じなのです。

どこに いる のでしょうか
どこにも いない のでしょうか
どこにも いる のでしょうか
どことは どこ でしょうか

存在を得ることと 失うことが響き合います
誕生と成長と老いと死が 居場所を探しています
救うことと救われることが 求め合っています
闇と光が 癒しを生みだそうと もがいています

守屋秋冬「時との対峙」

昨日も、明日を捕まえようと待ち構えていたのだが、寸でのところで逃げられてしまったのは、明日の速さを甘く見ていたからで、今日は両手を広げ、息を整えて身構えている。あと一分だ。相変わらず姿は見えないのだが、気配は感じているから、何とかなりそうな気がしている。あと十秒になり、息を殺す。

あっ

捕まえたと思ったら、するりとすり抜けた。手応えはあったのに。明日は今日になっている。僕も昨日から今日に移動したのだ。こうなったら、時間を止めるしかない。あるいは、昨日に戻って、今日を捕まえ直すか。

明日か明後日か

医師から宣告されたのは、一昨日だったか、昨日だったか。とにかく、明日を捕まえて、しばらく待ってくれるように頼むしかないのだ。医師は手を尽くしたらしいが、息子の僕は最期まで足掻く。

明日の捕まえ方
昨日への戻り方
今日の止め方

明日を捕まえた、という投稿を信じて二日やってみたが、かなり難しい。一か月繰り返せば、できる気もするが、そんな時間はないのだ。昨日への戻り方、今日の止め方に方向性を変えることにする。

病室の父はすやすやと眠っている。時と対峙する僕の背中に、もういいから手を握ってあげて、と母の声がする。僕は時と対峙するのをやめて父と対峙し、手を握る。

昨日も今日も明日もなく、大切なのは今なのだ。もう父も望んでいないような気がしたのは、手を強く握り返されたから。右手を母が、左手を僕が握り、その時を待つ。

林黄色「椿」

ボタリと椿が落ちている
汚れひとつない赤い花弁そのままに
褪せたコンクリートへ、ボタリと椿の首がもげている

あぁ 、 そうか

夫がパチンコのため生活費を持ち出したことも
臨月の私を家にひとり置いて閉店まで玉を打っていたことも
何度も嘘を重ねて、謝罪の一言もなく
「なぜこう何度も、こんなひどいことをするのだ」
「私たち家族は、今月をどう生きていけばいいのか」と
詰め寄る私の身体を丸め込むように抱いていたことも
全部、ぜんぶ
私は怒ってはいなかったし、とうに、許していた
私はただ、愛する男に愛されていなかった事実を認めたくなかったのだ

綺麗な椿が無機質な地面に咲いている
少し強い風でも吹いて、ころころ転がされたら
無抵抗に轢かれて、赤が混ぜこぜに、ぐちゃぐちゃに、汚されてしまうんだろうなと
来たこともない迎えに反射的に期待する心を抉るように自傷しながら
ずいぶん長い間、椿を見つめていた
朽ち果てるだけのうらやましく、うつくしい姿を

田口登「愛のひと」

その人は 私を愛してくれた
言葉の使い方が分からない私に 話しかけてくれた
家族でない私と家族になろうとしてくれた
人と人との繋がりとは何か 身を以て教えてくれた

その人は 私の言葉に耳を傾けた
一緒に山を登り 映画を観た
春ののどけさの中で幸せだったはずなのに
私はその時 何か不安で
この人は自分の本当の姿を見られないのだ
だから愛してくれるのだと思っていた

その人は私の部屋へ来たが
その気のない私を見て
ごちゃごちゃの台所を静かに片付けてくれた

今思えば それは
たしかに愛だった
あの時の私は
病に侵され ただただ不安で
自分の不安を 押し付けて
なにも見えては いなかった

一緒に和食を食べ 桜を見た
神社に行き レストランで喋った
今思えばそれは
たしかに愛だった

恋愛とは一時の幻惑だと 言う人もいる
だとしても この陽だまりのような思い出を消せる力を
その言葉は 持っていない

千尋さん 短い間だったけどありがとうございます
そう言って明日を 生きる糧にできるのだ

河上類「くちなわ」

月のやけに黄色い夜だった 冷蔵庫のうらに潜り込んだ 尾のない獣 緑の眼 それはくちなわではなかった 小刻みにふるえ 眼をしばたかせ おまえ この背骨を抜いてくれないか と言う 頼まれてわたしは おそらくは尾があったであろう地点から 背骨をゆっくり引き抜くと あいつはちょうど 脱皮のような格好で肩をよじらせて 細い涙をながし ときおり冷たい金属音をひきずって そしてあいつは 呼ばなくてもよいものを呼んだのだった

白い壁面に掛けられている絵画 それが徐々に傾いてゆくのは 時間の経過に伴って ではなく わたしたちの記憶の劣化に伴って である 仮に ほどかれた時間が くちなわの形をしていたとしても やはり第三頸椎を すみやかに組み換える必要があった 染色体のN番目をこちらへよこしてほしい そうだ それはヒストンか? ちがう その後ろ手でNを 慎重に押し倒して引き伸ばしていくときに 平均台の向こう側から半影を引きずって現れるのは くちなわではない それはくちなわではないのだが 徐々に膨らんでいく色調 破裂しない風洞 それはくちなわではないから 大丈夫 破裂しない 破裂しない

φ という単音のなかでいつまで眼を回しているのだ 過日からうっすらと狼煙が上がり それは蛋白質のするどい腐臭がしている 部屋の内側へ向かって 半開きになった扉の蝶番《テフツガイ》 それはいま この椅子から確認することはできないのだが 幾度も検算された量の火薬でもって 局所的に当該座標を破壊する算段なのだろう 想定された破断面が 斜め後方へ向かって長く眦を曳いている 床の暗いところでは 開放骨折のあとが光っているばかりで いまだ点火の合図は送られてこないのだ

厳冬の踊り場へつづく縄ばしごを 慎重に下ろしていくときに 網膜に流入してくる一連の映像 それが徐々に青みを増していくのは 視神経に何かが絡みついている証左だろうか いま思えば それはくちなわであったのかもしれないが (思い出して欲しい くちなわの典型的特徴を) しかしその正体を確かめることは もうできないのだ 引き出しの奥で息をひそめている上製本は いくつもの落丁を見落とされて 何年と開かれることはなく その横で 首筋にそっと手を当ててみるとやはり 頸椎の数がひとつ合わないのだ

岩佐聡「羊歯植物記」

兄妹
妹の、遺骨を目指していた。かつて戦争を望み追放された兄は朽ち果てたのち、純粋な精神にまで分解されながらも、羊歯植物をとおして、その茎を伸ばした。読書をする妹のための、指の骨を探しながら植物の、地下でもおこなわれる呼気。殺人を犯そうとするものの側でも食事をとり、無関心に喪失した主格で、死に続ける喜びを、生きたまま知ることができるかわからなかった。もはや、幻想の妹よ。妹が亡びていたとしても兄は、
信仰を示したくて跪こうと思います。妹とは、早い時期の雪なのかもしれません。架空の粥を啜っている妹の、髪の毛に吹きこまれている未完成を描きたいと思うと兄は、自分の後悔のつぶやきから少しずつ、唾液が失われていく思いがしたのでした。たとえば死語の腐乱を防ごうとして、妹のその手には、獰猛な稚魚が集まってくることでしょう。そうして透明な口約束から肺のような物語が、はじまる気配がすることでしょう。
誠実な労働
冬の、納屋の、手仕事のリズムだろうか、雪は折り畳むように降って来る。藁を編む盲目的な労働は、手首の静脈の何筋かの色の力によって時間そのもののような水面になり凪いでいく。妹の人知れずおこなわれる嘔吐を隠すために、兄は幾度もそこに雪を重ねて、何物かを殺した記憶がどうすれば薄らいでいくのか、という問いに想いを繋げていた。今年の種籾がまだ各家の納屋に残っているという村中あたたかな噂と、遠くからかすかに聞こえる薪の火が爆ぜる音。里山には、無数の窒息が、しなやかに到着しはじめる夕暮がある。
時間
以前の風には、鹿が含まれていました、と妹が口にしたとき、鹿の耳は、消去法であらわれる微かな音にさえ傾いていたと思う。斜面に繁る羊歯の葉下では、過去と未来が同時に訪れて、一昨日の銃声が聴こえながら、明日の鹿の跳躍が、目の前でおこなわれる。兄は葉下に、他の生物を正確な隠喩でおびき寄せて、雑談のように命が喪われていくことに執着すると、そこへ手のかじかんだ幼い妹を、雨宿りさせた記憶が薄らいでいく。
妹は、泥の奥の小さな白亜期に唾液を滴らせて、古代の胞子が受精するのをただ待っていたかっただけだ。ある時、真実の文庫本が、風のよわさで、捲られるのを見たことがあった。おそらくこの場所では星と風が同じ意味となり、活字が日に焼けたとしても、ことばは性をまたいだ不安な交尾を重ねていく。羊歯を揺らすときのこの風は、気のせいから続いているから、自分の体温を疑うことで、この植物は群れ始めるのだった。
祈り
声が、風にのる瞬間の葉の揺らめきをみたことがあり、それはとても暴力の可能性をひめてときに大きくめくれあがる。流動っていつも新しい孤独かもしれないわ、という妹の声が風の隠喩にかわる思春期。三半規管。羊歯植物は、ものがたりから降りだす雪の動悸だった。
兄はよく、想像の渡鳥のことを話してくれました。その世界のお話では、地下茎が白く伸びていく夏の終わりごろに、森林のなかであらゆる親鳥を探してはならないということでした。腐葉土が風に、陽の当たるところの植物のにおいを染み込ませて、親鳥の隠し子の噂を、揉み消そうとしているからです。少年の日々のようなこの鳥の鳴き声が、湿った森林の土壌へ浸み込むとき、すでに元素にまで分解された兄の、その精神までもが、地中を流動する羊歯植物の、孤独な茎へ続いていかないように、祈るばかりなのでした。

河上類「丘陵地帯」

あれはするどく研がれた氷柱だったのだろうか うすみどりの雨ばかりふる丘陵地帯へあなたが姿を変えてしまった朝 わたしたちは あなたの記憶をことごとく明け渡さねばならなかったし そのための準備をすすめなければならなかった すでに繰り返し焼かれたであろう涙腺を もう一度差し出して冷たい炉のなかであたためていくときに 素手の内部に生まれていく藍色の微熱 その輪郭を 眼窩の底のほうへ向かってゆっくりと やわらかな手つきで押し戻してゆけるならば わたしたちは あなたが見たであろう走馬灯の色彩を たしかめることができるという錯覚を いま一度つよく信ずることができた

夕照に削り取られてゆく日々だった 徐々になだらかになっていく丘陵地帯にあって そこを散策することをわたしたちはもう許されていないのだから あおく退色した林道を握りしめるしかない午後だったのだ その午後から見ることのできる窓は わたしたちの額を繰り返し訪れて 前頭葉に泥のような熱い雨をふらせるだろう 岸辺ばかりの道をさまよい歩いて やはりあなたは ここからもっともとおい地点へ行ってしまったのですね

くらい水底でひとり回転灯が回っているときに 刹那映し出される魚影の数々は 触覚を奪われた者たちにとって ある種の慰めとして機能するかもしれない そういうことをあなたと話していると 湖東の洞穴から冬鳥の声がして それは迷鳥ではないのだが しかしその方へ向かって歩いて行くことばかり やはり考えてしまうのだった(だからこそ季節は かたく門戸を閉ざしたままで わたしたちは波打ち際の方へ向かって 感情の穂先を揃える仕事ばかり 続けなければならないのだ)

林床をくまなく歩いて 陶器の破片をひろいあつめて それがいったい何になるというのか 四足動物が樹皮を剥ぐ その摂理の一端に触れたとして いったい何が変わるというのか 明け方 丘陵地帯を踏み越えてゆくための 旅程表に厳冬が影を差し かなしい測量法ばかり 相手にしなければならないとしたら もうこんなことはやめよう 心臓の辺縁にある疎林が 海食崖の半影へ尾を引いて もしそれに気づいたとしても もう何も言わないでおくれ 雪でも雨でもないものが降っていて その下で立ち尽くさねばならなかった かじかんだ手を陽光で焼いて ふたたび委ねなければならなかった だから代わりに言おう 代わりにわたしが 何もかもを言おう

松波=和泉翔「登下校」

転校したはずが、この学校もまた、山の上
字の通り、登校で登り、下校で下った、毎日
ちょっと息切れする、皮膚の表面がうっすらと
湿る、季節は、息の白さや新緑の輝き、ガードレール、
触ると、手が汚れるからやめときな、知ってる、
この虫、昨日もここにいた、蹴った石、
まだあそこにある、ほんとうに?だって、
覚えてる、まちがいなく、あれだった、そうか、
空から見たらきっと、こどもたちの列、蟻
でも、蟻って割と、一匹でうろうろして、何かを
探している、それがいい、私たちはまっしぐらだから、
なんだかかなしい、帰り道、靴の先っぽに指が当たり、
かかとの隙間、体の一部としておもしろい、
山を下ると私の住む町、消防署のある町だ
もうしばらくはここにいる、ことになる、次の町の
予感がする、私の知らないどこか、どこにいても、
きっと、すこしずつ不安、それをたのしむことが、
できるようになるための、学校に行っている

南久子「信号機の前から」

歩道橋を見上げると 人びとのさまざまな眼と合う とりわけ
騒がしく駆け上がる若者と 階段の多さに途方にくれる老人た
ちの重なりを避けるように 眼は前方に広がるいや後方のとに
かく空に向かった 夏の雲は充溢した青を求めて混乱したよう
に もう遠くにある 人の流れを二分する橋の途中に大きな柱
時計を背負った人がいる 幻覚としか思えないのだが その柱
時計にはっきりと振り子が見えた
嗅覚を失っても、ぼくの家の柱時計に染み付いた匂いは
今でも鮮明に思い起こせる。これは嗅覚の図式化という
のだろうか。居間の真ん中の柱に孤立するように掛けら
れており、ぼくが家を出るまでの二十数年間に一度だけ
動かなくなって修繕しなければならないときはあったが
弛んだゼンマイを巻いたり油を差す場合は大人の手によ
って厳かに食卓に水平に下ろされ、ぼくははじめて嗅ぐ
ことができた。しかし、人に伝えることはなくどこの家
の時計も同じ匂いなのか知らないまま大人になった。お
そらく今さら聞けない質問と同じで恥ずかしかったのだ
ろう。果物を多く食する家で育ち植物と食べ物以外の匂
いを嗅ぐことがない幼かったぼくは、この時計の匂いは
振り子から醸し出されていると直感した。手にとると修
復不能になるという呪文をかけ、触れることはなかった。
生や死を阻害するものではなく、言わば時を刻む道具特
有のものであると理解しようとした。この家の人でない
と嗅ぐことができないどこか内省的で誰にも教えられな
い、つまり図式化できないもののひとつとして。

他人の家の柱時計の振り子の匂いを嗅ぐチャンスを得て 浮き
足だって歩道橋の階段を降りてくるその人のあとをつけた 背
には確かに振り子の付いた柱時計がある 幻覚ではない 安堵
し 歩き続けた先の信号機の前で思い存分振り子の匂いを嗅い
だ 地下道からあふれ出た人びとの群れ いつの間にか見失っ
てしまう振り子 慣れない弾む音色を作って雑踏の中で瞬きも
せず 点滅する光の中を横切っていく


■山田隆昭選評
【入選】
遠野一彦「陰まつり」
生の熱気が横溢し混沌とした世界を抱える少年期は、それを失いつつ成長してゆくようです。この詩全体が祭りの後のような寂しさを感じさせる所以でしょうか。何もかもが見通せてしまうような青空は、どこかむなしいものでもあります。少年の想いが詰まったノートが、空と海のそれぞれの深さの中で、一方は昇り一方では沈んでゆきます。どちらも手の届かないところへと去ってゆく喪失感を伴います。半開きの扉とは、少年が覗いてはいけない世界への通路でもあり、成長の過程で通過しなければならない道でもあるでしょう。

永杉坂路「海」
夏の海の光と陰。海の底に沈んだいとこたちが〝わたし〟を呼びます。〝わたし〟と遊ぼうとします。〝貝がら拾いの子どもたちの足を/絶えずくすぐる〟波が足裏の砂を流してゆくのは、まさにくすぐるようです。いとこたちが遊ぼうと誘っているならば余計そのように感じるでしょう。〝おいでよ…おいでよ…〟というわたしを呼ぶ声は、あまやかに、蠱惑的に響いてきます。このリフレインが、いとことの思い出の深さをも表していて、効果的です。光り輝く波と海辺の一枚ベールを剥ぐと、このような世界が露わになってきそうです。

岩佐聡「ある秋の重力」
手紙に手紙を書きたくなる〟と書き起こす時、手紙の向こうにいるはずの主体がかき消えてしまいます。主体が消えたいくつもの秋は、筋書きの定まらない物語のように、あるいは形の定まらない水のように、あやふやなまま、ただ重力として〝わたし〟に押し寄せてきます。かつてわが身に起こったことがらが、水に投影されて思い出されます。言葉の意味を超えた秋の普遍的な感覚が、この詩を書かせていると思えます。

齋藤美宣「かわたれ」
〝朝をよく知らない〟と切り出していますが、知らないわけがないのですから、朝という時間を逆に意識しているように思えます。かつて体験した夏や冬の朝は身体が覚えています。冬の朝の冷気を千切れるほど寒かった耳が覚えています。かわたれ時をどうやってやり過ごすか。詩の語り手にとっては深刻な問題なのです。〝一日の始まりは朝なんて〟と言うことから、みんなが易々と従う秩序への抵抗が読み取れます。

吉岡幸一「どこにいる」
ひとは五官(五感)を使って世界を把握します。この詩の書き手は、そのうちの視覚を、失った訳ではありませんが、目くらましにあったように世界が見えなくなった時、聴覚が冴えます。すると実に雑多な音が押し寄せてきす。ひとが成長、変化してゆく様子と居場所を音によって捉えているのが興味深いですね。〝どこ〟というのは場所だけではなく、時間軸も指しています。〝どこ〟というのは、物理的な位置ではなく、ひとの存在感、在りようでしょう。

【佳作】
竹井紫乙「みずくぐり」
タイトルの〝みずくぐり〟って何だろう、と考えつつ詩の世界に入ってゆきました。一休寺納豆というかなり癖のある一粒を瞑目して口に含むたび、過去の自分がよみがえります。過去というより昔と言った方が相応しかも知れません。昔に戻るほど、かつてあこがれたことや純粋だった自分と、現在の自分の差異が際立ってきます。みずくぐりとは、一休寺納豆を食べることで、そうした時間を行き来するときの洗身(心)の意味合いがあることに気づきます。

守屋秋冬「老婆の自転車」
助ける側と助けられる側の、気持ちのすれ違い。それを見ていた〝ぼく〟もまた、その両者とも気持ちのずれが生じていそうな気配です。老婆は気丈に生きざるを得ない境遇か、元々の性格かなのでしょう。老婆につれない態度をされた助けた側の人たちは〝捨て置かれた〟と感じつつも、なかったことにすることが処世術と心得ています。日常どこにでもあることは、野菜の特売日目指してスーパーに急ぐ〝ぼく〟の態度で分かります。市井の人々のそれぞれの心の在りようがよく見えてきます。

結城仁「独りぼっちで」
世間はどう見るか分かりませんが、老齢になったことで己を卑下する必要はありません。しかし、それをしっかり自覚して堂々と生きることが大切なのでしょう。この詩はいわゆる加齢臭(嫌な言い方ですね)をこれでもかと、見せつけるように書いています。これは卑下ではなく、一種の抵抗でしょう。どうだ。という語り手の声が聞こえてきそうです。丸くなっていても周囲は四角。最後のやり取りは心までが角張って見えます。

北川聖「恍惚たる瞬間」
賛否が分かれる詩かも知れません。表現されている言葉は生々しく、目を背けたくなる内容かも知れません。ここでさかんに語られる〝死〟は、私たちが日常的に見、認識するものとは違うように思われます。文学が取り上げてきたテーマ「我々はどこからきて、どこへゆくのか」という問題。この詩でいう死は、そのようにどこかへゆくことでしょう。詩(文芸)は書かれた言葉の表層だけを読んではいけない、と考えさせられる詩です。

サイトウマサオ「視力検査」
視力検査はなぜか緊張します。試験ではないのに、指された記号や文字が読めないことが、何となく恥ずかしかった。そのような心理を、上手にすくい取っています。この詩の看護師もしくは眼科医師は、間違えたことを笑います。それから毎日遠くをぼんやり見ることをすすめます。忠実にそれを守る〝彼〟ですが、すぐに別の想像に心が写ってしまいます。近くを通る通勤電車。いつか見るものと見られるものは逆転します。


■山田隆昭選評
【入選】
遠野一彦「陰まつり」
生の熱気が横溢し混沌とした世界を抱える少年期は、それを失いつつ成長してゆくようです。この詩全体が祭りの後のような寂しさを感じさせる所以でしょうか。何もかもが見通せてしまうような青空は、どこかむなしいものでもあります。少年の想いが詰まったノートが、空と海のそれぞれの深さの中で、一方は昇り一方では沈んでゆきます。どちらも手の届かないところへと去ってゆく喪失感を伴います。半開きの扉とは、少年が覗いてはいけない世界への通路でもあり、成長の過程で通過しなければならない道でもあるでしょう。

永杉坂路「海」
夏の海の光と陰。海の底に沈んだいとこたちが〝わたし〟を呼びます。〝わたし〟と遊ぼうとします。〝貝がら拾いの子どもたちの足を/絶えずくすぐる〟波が足裏の砂を流してゆくのは、まさにくすぐるようです。いとこたちが遊ぼうと誘っているならば余計そのように感じるでしょう。〝おいでよ…おいでよ…〟というわたしを呼ぶ声は、あまやかに、蠱惑的に響いてきます。このリフレインが、いとことの思い出の深さをも表していて、効果的です。光り輝く波と海辺の一枚ベールを剥ぐと、このような世界が露わになってきそうです。

岩佐聡「ある秋の重力」
手紙に手紙を書きたくなる〟と書き起こす時、手紙の向こうにいるはずの主体がかき消えてしまいます。主体が消えたいくつもの秋は、筋書きの定まらない物語のように、あるいは形の定まらない水のように、あやふやなまま、ただ重力として〝わたし〟に押し寄せてきます。かつてわが身に起こったことがらが、水に投影されて思い出されます。言葉の意味を超えた秋の普遍的な感覚が、この詩を書かせていると思えます。

齋藤美宣「かわたれ」
〝朝をよく知らない〟と切り出していますが、知らないわけがないのですから、朝という時間を逆に意識しているように思えます。かつて体験した夏や冬の朝は身体が覚えています。冬の朝の冷気を千切れるほど寒かった耳が覚えています。かわたれ時をどうやってやり過ごすか。詩の語り手にとっては深刻な問題なのです。〝一日の始まりは朝なんて〟と言うことから、みんなが易々と従う秩序への抵抗が読み取れます。

吉岡幸一「どこにいる」
ひとは五官(五感)を使って世界を把握します。この詩の書き手は、そのうちの視覚を、失った訳ではありませんが、目くらましにあったように世界が見えなくなった時、聴覚が冴えます。すると実に雑多な音が押し寄せてきす。ひとが成長、変化してゆく様子と居場所を音によって捉えているのが興味深いですね。〝どこ〟というのは場所だけではなく、時間軸も指しています。〝どこ〟というのは、物理的な位置ではなく、ひとの存在感、在りようでしょう。

【佳作】
竹井紫乙「みずくぐり」
タイトルの〝みずくぐり〟って何だろう、と考えつつ詩の世界に入ってゆきました。一休寺納豆というかなり癖のある一粒を瞑目して口に含むたび、過去の自分がよみがえります。過去というより昔と言った方が相応しかも知れません。昔に戻るほど、かつてあこがれたことや純粋だった自分と、現在の自分の差異が際立ってきます。みずくぐりとは、一休寺納豆を食べることで、そうした時間を行き来するときの洗身(心)の意味合いがあることに気づきます。

守屋秋冬「老婆の自転車」
助ける側と助けられる側の、気持ちのすれ違い。それを見ていた〝ぼく〟もまた、その両者とも気持ちのずれが生じていそうな気配です。老婆は気丈に生きざるを得ない境遇か、元々の性格かなのでしょう。老婆につれない態度をされた助けた側の人たちは〝捨て置かれた〟と感じつつも、なかったことにすることが処世術と心得ています。日常どこにでもあることは、野菜の特売日目指してスーパーに急ぐ〝ぼく〟の態度で分かります。市井の人々のそれぞれの心の在りようがよく見えてきます。

結城仁「独りぼっちで」
世間はどう見るか分かりませんが、老齢になったことで己を卑下する必要はありません。しかし、それをしっかり自覚して堂々と生きることが大切なのでしょう。この詩はいわゆる加齢臭(嫌な言い方ですね)をこれでもかと、見せつけるように書いています。これは卑下ではなく、一種の抵抗でしょう。どうだ。という語り手の声が聞こえてきそうです。丸くなっていても周囲は四角。最後のやり取りは心までが角張って見えます。

北川聖「恍惚たる瞬間」
賛否が分かれる詩かも知れません。表現されている言葉は生々しく、目を背けたくなる内容かも知れません。ここでさかんに語られる〝死〟は、私たちが日常的に見、認識するものとは違うように思われます。文学が取り上げてきたテーマ「我々はどこからきて、どこへゆくのか」という問題。この詩でいう死は、そのようにどこかへゆくことでしょう。詩(文芸)は書かれた言葉の表層だけを読んではいけない、と考えさせられる詩です。

サイトウマサオ「視力検査」
視力検査はなぜか緊張します。試験ではないのに、指された記号や文字が読めないことが、何となく恥ずかしかった。そのような心理を、上手にすくい取っています。この詩の看護師もしくは眼科医師は、間違えたことを笑います。それから毎日遠くをぼんやり見ることをすすめます。忠実にそれを守る〝彼〟ですが、すぐに別の想像に心が写ってしまいます。近くを通る通勤電車。いつか見るものと見られるものは逆転します。


■塚本敏雄選評
第27期もたくさんの投稿、ありがとうございました。
改めて思うことは、詩って良いなということです。その気持ちを皆さんと共有できていることが、この上なく嬉しく思います。
今期は、たくさん良い詩があって、絞るのに大変苦労しました。選びたかった詩はたくさんありましたが、どうにか絞り込みました。これ以外にも、次点となる作品群があったということです。選べなくて残念でした。
1年間、ありがとうございました。

【入選】
守屋秋冬「時との対峙」
明日を捕まえようとして逃げられてしまう。それだけでも面白いのに、実はそれは、父の死期を医師から宣告されたという記述で、一気に、深刻な事態だと分かる。そして最後に、息子の足掻きに対し、母が告げる言葉、「もういいから手を握ってあげて」が穏やかな静けさへと導いていく展開。とても良い詩だと思います。

林黄色「椿」
夫とのことと、椿の描写がとても良いバランスで配置されていると思います。だいたい、椿という題材を選んだセンスに才能を感じます。「綺麗な椿が無機質な地面に咲いている」もちろん咲いているわけではなく、路面に落ちている情景なのですが、色彩がとても鮮やかです。ポトリと落ちる性質も不穏な感じとなって、詩の全体的な雰囲気を引き立てています。

田口登「愛のひと」
いまは関係の切れてしまった人との思い出を書いた詩。人と人との繋がりはか細くて、切ない。その切なさが良く出ていて、良い詩だと思います。ただ一点、タイトルはいかがでしょうか。単純に最終行から拾って、「生きる糧に」でも良かったかなと思います。

河上類「くちわな」
投稿された他の作品もレベルが高く、どれも良いと思いましたが、中でもこの作品が一番良いと思い選びました。物語性があるところがとても良いと思います。物語性と抽象性のバランスが良いと言えるでしょう。こういう詩には語感のエロティシズムが必要ですが、十分にその資質が備わっています。

岩佐聡「羊歯植物記」
4つのパートに分けたことが功を奏したのではないかと思います。全部を繋げていたら、読者は読んでいて、飽きてきてしまうのではないでしょうか。言葉の連なりを読んでいると、作者が力のある書き手であることはじゅうぶんに分かります。あとは、読者を引きつけるアトラクションをどう作っていくか、だけでしょう。

【佳作】
齋藤美宜「命育(めいく)」
叔父の死を描いた作品。野菜作りをする叔父。入院する叔父に代わって種を蒔く。とても上手に描いていると思う一方で、少し説明的過ぎるかなと思うところもあります。もっと削れます。それが推敲です。さらに、タイトルについても如何かと思います。単純に「育つ命」でも良かったのではないでしょうか。

葉山文雪「寄る辺なさ」
投稿された他の作品「それだけ」「秒針」も良い作品だと思いましたが、この作品が一番良いかなと思い、選びました。他の作品が坦々とした描写なのに対し、この作品は踏み込んで描いています。描いている世界は官能の世界。官能の世界を描くのは難しい。露骨さが前面に出てしまうと、読者が引いてしまう時もありますから。この詩に格調を与えているのは作者の力ゆえでしょう。

遠野一彦「陰まつり」
イメージが面白い。「澄んだ秋の空から/葬列がやってくるのです」最初から良いです。ただ、長すぎるかなと思う部分もあります。6連目あたりになるとダレてくる感じがあります。もう少しコンパクトにまとめた方が良かったなと思いました。

河本瞳「蝶のてのひら」
蝶が羽を摺り合わせる情景に、仏壇に向かい手を合わせている祖母の姿を思う。私がとても良いと思ったのは、「それが日常であるというように/あの日すっと立ち上がり/そのまま台所へと向かった祖母のように」という三行。羽ばたいていく蝶に重ね合わせる祖母の姿のディティール。この三行で詩になったと思います。

小田凉子「生きる」
病院の待合室で出会う人たち。中でも、亡父の着物を自分でリメイクしてコートとして着こなす八十歳とは会話を交わす仲。「長い待ち時間をじっと耐えている人たちは/コートにそっと身体の欠損を包み込んでいる」という詩行はとても良いと思います。タイトルはちょっと単純過ぎませんか。「身を包んで」としたら如何かと思いました。


■草間小鳥子選評
 力のこもった作品が多く甲乙つけ難かったが、選んだのは読後、世界を見つめる角度がほんのすこし変わるような驚きのある作品だった。しかし、自分の表現を信頼するとともに疑い続けることが必要なように、取るに足らない選者(わたしのこと)の感覚もまた疑っていただきたいと思う。全期を通して個人的な孤独をうたう作品が多数を占めたが、あなたやわたしの孤独やさびしさが、いつか遠い誰かを励まし共にあるものとなることを願っている。

【入選】
河上類「丘陵地帯」
みどりの気配の濃い丘陵地帯の情景を中心に静物的で美しい語句が整然と並び、全編を通して喪失感と淡い悔恨が漂う。声高ではないものの、切実な叫びにも似た最終連が見事。繰り返し読みたい。

守屋秋冬「時との対峙」
個人的な叙情を取り払うことで詩を普遍化し、読者の感情をいっそう喚起させる書き方が功を奏している。時を進めることにはなんの力も要らないのに、時を戻すことはどんな力も通用しないことのやりきれなさが切々と胸に迫る。

松波=和泉翔「登下校」
「私たちはまっしぐらだから、/なんだかかなしい」「かかとの隙間、体の一部としておもしろい」「もうしばらくはここにいる、ことになる、次の町の/予感がする、」「私の知らないどこか、どこにいても、/きっと、すこしずつ不安、」といった作者独自の世界の捉え方がおもしろい。読点で区切る手法も効いている。

南久子「信号機の前で、振り子は」
この作者の持つどこか不穏な世界の魅力が存分に引き出された作品。人生の時間を単に振り子時計に例えているのではなく、「臭覚の図式化」という新たな概念が加わる。卓越した想像力と書こうと思った世界がそのまま読者に伝わるよう構築できる確かな技量が羨ましい。

岩佐聡「ある秋の重力」
今期投稿してくださった作品の中で、最も力みが少なく言葉への負荷がないように思えた。「何かの責任を放棄するみたいに/口のなかで溶けきらない飴玉を/つい噛み砕いてしまう幼さをふくませて/田んぼの用水路に長靴を履いたまま/足を差し入れるとその冷ややかさの分/他人の足になる」この詩行が秀逸。意欲的に言葉を駆使し概念を再構築しようとする作者の試みを応援したい。

【佳作】
宮本小路「帰り路」
「この街には生活がある/銭湯の煙突のような 質素な明るさ/僕の生き方には そのような/街の灯に乏しい。」この冒頭にぐっと心を掴まれる。今まさに詩を読み、独自の表現を身につけてゆこうとする詩人のみずみずしい感性の片鱗を感じる。「かなしみ」の解像度を深くするとより良いものとなるのではないだろうか。

吉田圭佑「つまらないパワー」
冒頭の物理学の解説のような語句には数式に似た美しさがある。語句の選び方、並べ方に傑出したセンスを感じるが、最後の一連は蛇足ではないか。結びが一番難しくかつ詩の印象が左右されてしまうものなので、心血を注いでみていただきたい。

nostalghia「こんにちは。」
自分に言い聞かせるように、呪文のように繰り返される「できるできる」。すると不思議と本当に何もかもが「大丈夫」なように思えてくる。言葉のおもしろさと力、そして自他へのあたたかなまなざしを感じる作品。駄目になりそうな時に声に出して読みたい。

村口宜史「厠」
噺家のような語り口が心地よく、不可思議さのバランスもちょうど良い。しかし、「まあ、世の中なんてものはね/不思議なものなんですよ」で方を付けてしまうところに物足りなさを感じる。果たして匣の中にあったものとは? 作者独自の結論を知りたい。

河本瞳「蝶のてのひら」
見かけた蝶を「偶然祈りの姿をしていた生命」と形容し、「それが日常であるというように/あの日すっと立ち上がり/そのまま台所へと向かった祖母」に重ねて見せる。何気ない風景を奇跡のように捉える視点には代え難いものがある。おなじ作者の「残り時間」という作品もとても良かった。

サイトウマサオ「いちょう並木」
今期投稿してくださったどの作品にも作者独自の素朴で軽妙な味わいがあった。「サイトー君はひょっとしてさ/あの子はこっちを向かずに言った/落ち葉いちまいいちまい見てるよね/口もとを少し曲げながら/普通そうちゃうのと聞くと/いや集合として見るよと答えた/落ち葉なんて/わたし集合としてしか見られないよ」この連が光っていた。

上記のほか、関根 怜「アンリ・ファーブルの森で」、加澄ひろし「カルロフォルテ(孤島)」、大野 博昭「木の影」、結城 仁「独りぼっちで」、南田偵一「指し」、田中 綾乃「青草の原」、齋藤 美宣「かわたれ」、田邊容「かわらけの欠け」、長束静樹「ドラゴン」、中村 エリ「夏の思い出」、八尋由紀「トランキライザー」、竹井 紫乙「みずくぐり」、有門萌子「引力(38w3d)」、などにも惹かれた。

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