研究活動・親睦

各地の声・各地のイベント

各地の声 —わかやま詩の会 中尾彰秀/各地のイベント・いばらき詩祭、兵庫県現代詩協会イベント

各地の声

わかやま詩の会 中尾彰秀

 「わかやま詩の会」の1つとして、「EARTHPOEM詩の教室」があり、今回は二十七回目。約十年前から実施。ゲスト詩人を迎えるのではなく〝ゲスト詩集〟を迎えている。詩人ならず〝詩集〟なので地方であることはハンデにはならない。深い詩の理解があればOKなのだ。
 今回の詩集は長岡紀子詩集『タンバリン打ち鳴らし踊れ』(竹林館)著者・京都在住

 この詩集のテーマは平和の魂。人生の様々の波調に引っ張られ我々は、あれやこれやと苦しむのだが、深い心の奥に集中すると見えるのだ月の雫が。この詩の舞台はインドであるが。「月の雫で 顔をあらう」(夕暮れの路を迷う 子らに 帰ってくる人を待つ 窓辺に 廃屋の 破れた障子に 白い月 

ゴンドラで寄り添う 恋人に カンツォーネが風に乗ってただよう 波間に ワインを飲みほす 唇に 赤い月
 
戦乱の中を 逃げまどう人々に 砂漠化した草原に横たわる 動物の骸に はてしなく続く 難民の列に 青い月

静寂の中

沈黙

月の雫で 顔をあらう)

 さて問題は、日本の方がましかましでないか、などではなく、普遍的な心を持つか持たないか。美しさを持つ詩の高さ。決して表現主義でない、生き方の問題。生命エネルギーの高さを保つこと。詩とは生き方なのだ。どこかに所属せずとも政治的なものは必要だ。世界を救う為には。もちろんスピリチヤルなものの必要性。・・・結局、生き方。詩とは何ぞや、の答である。
 また、かような国際的な詩を理解する必要性。ジャンルを超える必要性。そして、常に私は感じているフラワーオブライフの魂を彼女に。

手前より 大場百合子
     中尾彰秀
     中尾偕子(ともこ)


撮影 武西良和 2022年1月9日


各地のイベントから

いばらき詩祭2021in結城
             生駒正朗

「いばらき詩祭2021in結城―詩人 新川和江の世界」(茨城県詩人協会主催)が令和三年十一月二十一日に開催された。コロナ禍で一年の延期を経ての開催だった。故郷への思いを込め、新川和江氏が寄贈した一万冊の詩に関する書籍が収められている結城市民情報センター・ゆうき図書館に、結城市長、近県詩人、新川和江賞受賞者の子どもたちをお招きし、講演会、朗読会が盛大に行われた。
 まず、茨城県詩人協会の前会長、硲杏子氏による講話「新川和江氏とラ・メール」。一九八三年に新川氏と吉原幸子氏によって創刊された、女性たちによる、女性たちのための詩誌『現代詩ラ・メール』を通して氏の足跡をたどり、さまざまな分野の女性たちが交流して活躍する場をつくり、新たな才能を育てる役割を果たしたと評価した。
 次に、「センダンの木の集い」事務局の関和代氏が、毎月第一日曜日に開催され、間もなく二〇〇回を数えるという「センダンの木の集い」の活動を紹介した。この会は平成十六年から毎月一回、新川和江氏を囲んで開催されてきた。「普段着の新川和江」のエピソードから、先生としてではなく、打ち解けた雰囲気の中で、故郷の友人たちと戯れながら詩を楽しんでいる新川氏の姿が浮かび上がった。
 さらに、ゆうき図書館設立五周年の記念事業として始まった「新川和江賞」について、新川氏が子どもたちの詩を丁寧に受け止め、心温まる選評を書いて励まし続けたことが、現選者の武子和幸氏によって紹介された。
 その後、「新川和江賞」を受賞した子どもたちによる詩の朗読、さらには近県詩人諸氏による新川詩の朗読へと進んだ。
 新川氏ゆかりの詩人たちによるたくさんのエピソードとともに氏の活動をたどることで、「種をまき、成長を眺め、収穫を広くみんなに分けてやる「言葉の農婦」(講演で引用された小池昌代氏の言葉)」としての新川和江氏をしみじみと感じた会であった。

開会の挨拶 会長 高山利三郎氏


兵庫県現代詩協会
第11回ポエム&アートコレクション展
 特別イベント講演
 「詩を書くということ 第三回」
                   山本眞弓

 一月十五日神戸文学館で時里二郎氏の講演会を開催。
 先ず「詩が言葉で書かれている意味についてお話します。『言葉が詩人を連れ出す』こと。また詩の一行を書き始めるとどんなことが起こるのかを考えて見たいと思います。」と前置きして始まった。「神戸新聞文芸欄」(詩の選者担当)の投稿詩を例に挙げる。
 身体と心の重なるところを/私と呼ぶのなら私はどこにもいない/身体は身勝手に発達した男感を醸す
         (「性」星野灯)
詩の作者と詩の私にはブレがあり詩の私の方が先をいっている。言葉が私の先をいくことで性の違和感を抱えながら未来を切り拓こうとするそこに詩の原点があると言う。
言葉は現実そのものを傷つけ、現実そのものから傷つけられる(吉本隆明)
 夢の中に手を差し込んで/置き去りにした私を/だらりとした腕の/消えられない少女を抱き上げて/抱えて来たい/
     (「消えられないあれを」北爪満喜)
出自の不安と向き合うことで「言葉に連れ出され浮上した」とあとがきに記している。だから今なら埋めた少女を抱き上げることができると
 ゆらゆらのぼってくる言葉を/はっと/書き留める ここで/水の底のように歪む膜を/破って/引き上げられる/今に/
詩は自分の思い・願い・考えを表現するだけではなく自分を発見することなのだ。
最後に現代詩の《今》を読むことで詩人たちはどうやって詩を書いているのか、詩を朗読しながら読み解く。
 梨を四つに、切る。今日、海のように背筋がうつくしい/ひとから会釈されて、こころにも曲がり角があることを知った
透明になって紛れ込む意表を突く比喩
 私などないまま、あなたの中に、あなたのものとなって溶け込んでいく言葉を書いていきたい。
 (「愛の縫い目はここ」あとがき最果タヒ)
私は出てこない。相手の中に潜り込む。
 言葉が自身に溝を掘り/渦を巻いてこの世もろとも落ちてゆくものを詩と呼ぶべきか
            (「12」松下育男)
言葉に導かれ、言葉に任せることが詩の始まりなのか、詩集を編むことで自分がわかる、自分の発見があるという。~言葉は《私》の先をゆく~の副題の意味を問う有意義な時間であった。

講演する 時里二郎氏

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