各地のイベントから(会報176号から)
各地のイベントから第64回中日詩祭―中日詩人会・
中日新聞社 共催―報告
中原秀雪
第64回中日詩祭は、2024年7月7日(日)午後1時より、名古屋市の電気文化会館にて開催された。
第一部は、中日詩人会会長(中原)と、中日新聞社文化芸能部部長・平岩勇司さんの挨拶で始まった。次いで選考委員長の木下裕也が中日詩賞の選考経過を報告。『みずうみ』で中日詩賞を受賞された中山郁子さんに賞状と花束が贈られた。『あなめあなめ』で中日詩賞・奨励賞を受賞された坂井一則さん (事情により欠席)の代役を、出版元の鈴木比佐雄さんが務められた。受賞者の紹介では岡田尚子さんが中山さんの詩歴等を、宇佐美孝二さんが坂井さんの詩歴等を語られた。中山さんの受賞挨拶と朗読、坂井さんの詩を鈴木さんが代読されて第一部は終了。
第二部は、中本道代さんの講演。演題は「詩に近づく」。幼い頃、野口雨情や西條八十の童謡の歌詞によって詩を意識した。詩を書きたいと思い始めたのは、大学を卒業して就職し、その後会社を辞めた二十代後半。詩の周辺を巡ってしまうもどかしさを感じた。
アルゼンチンの詩人で作家ボルヘスは、「詩は暗示させるもの」と述べた。また作家のプルーストは、人間の死と実り豊かな芸術との深い関係を説く。詩に近づくために、同時代の四人の詩人たちを紹介。江代充さんの詩は、事物を精確に捉えることで現われる聖性を提示する。高貝弘也さんの詩は、紙の裏に浮かび上がる命の儚い世界に触れている。杉本徹さんは、捉えがたい時間を記憶の痕跡として立ち上がらせる。川田絢音さんの詩は、母国語が通じない場所で生の実体に突き当たろうとしている。詩は、賑やかな言葉に満ちた人間の世界の、大きな沈黙に耳を澄ませ、聴き取ること、と語った。示唆に富んだ深みのある講演だった。
第三部は、幸木政博さんと幸木みかさんによる声楽コンサート、ピアノの伴奏は山梨晴哉さん。ハイネの「うたの翼に」や土井晩翠の「荒城の月」、北原白秋の「からたちの花」等、ヨーロッパや日本の歌曲が心に響いた。
最後に、中日詩人会副会長の古賀大助から閉会の挨拶があり会を閉じた。猛暑であったが来場者は多かった。
●講演会報告
第三十一回長野県現代詩ゼミナール
期日 令和五年七月二十一日(日)
会場 松本市あがたの森文化会館
講師 日本現代詩人会会員
加藤廣行氏
第一部「詩が匿うもの」
(AM11:00~12:20)
詩は決して隠しはしない。むしろ大切なものがここにあると知らせて共感を得たい、とする加藤氏の一篇の詩への解釈、捉え方、信条に裏打ちされた内容であった。昨年度も講師に依頼したが、氏自身の幅広い識見が今回もうかがわれ、深みある講演になった。
「詩と思想」(1975)からの引用、三好達治「雪」(『測量船』)、安西均「花の店」の鑑賞に触れて、唐木順三「自然ということ」、パスカル「考える葦」からの考察。学生時代に感化された西脇順三郎の「難しいことを難しく言うのはやさしい。難しいことをやさしく言うのは難しい」という言葉から、詩を書く時には「大切なことをかくまう」上で、難しさで囲うことは簡単、やさしく囲って気配が感じられるようにする感性の大切さを説いた。鴨長明「無名抄」、本間義人「春の声―追憶―」、斎藤貢「遠い春」、山村暮鳥「梅」それぞれの作品を通して、詩について考え合う機会となった。最後に「流行り歌の世界」として西条八十作詞「青い山脈」、原六朗「お祭りマンボ」の時代背景とそこに隠されたメッセージ、こめられた思いについて考えつつ講演を締めくくった。
第二部「子供の詩を読む」
(PM1:30~2:40)
今年度「第二十三回大町市北アルプス雪形まつり」詩部門は、小中学生応募作品三五四点の中から、詩誌「しある」同人による選考会を経て優秀賞三、佳作五が決定した。そのすべてについて、講師が予め感想を添えて各生徒、児童に手渡すべく予め準備されていたが、あいにく保護者の都合がつかず、生徒・児童の参加が得られなかったため、県詩協会員ほか参加者を中心に、昨年と同様、授業形式による展開になった。詩部門実行委員平林みえ氏の話を踏まえ、詩を選考した「しある」同人の子供たちの詩の核心に迫る意見、感想も交え、加藤氏の熟練した手腕による発問から一作品ごとに、詩が生まれた背景、作者の気持ちに寄り添い、互いに解釈を深め合う盛り上がりある時間になったことを特筆したい。
優秀賞作品を一篇ひいてまとめとする。
「私はヒメ」 江津胡音 中学一年生
わたくしヒメです/モテるんです/いつも甘いと/吸われます/花のみつって甘いわよね/でも食べ物じゃないわよ/春に咲くお花なのよ/見た目もどう/味だけでなくきれいでしょ//わたくしヒメです/見ての通りヒメなのよ/オドリコのよう
には/オドレません/オドレなくてもステキなの/この春だれより/光輝くのは/わたしだわ
(長野県詩人協会会長 酒井力記)
●ポエトリー岡山2024開催
2024年7月27日(土)14時、現代詩人会様の賛助をいただき岡山県詩人協会では「ポエトリー岡山2024」の催しで、講師の堀内統義氏の講演会を行いました。演題の『画に描いた餅でなければ食べられない』のとは独創的考えを持っている訳でもない自分を先行の人から学んで方向づけるために「画に描いた餅」が必要であるという意味。
高1のころ愛媛新聞に「石斧の音」という詩集を佐田岬の高3の生徒が出版したという記事があり、その詩の断片を読んで衝撃を受けた。その少年とは坪内稔典さんで今に至るまで学ぶがこと多く触発されてきた。
同じく心に残ったのは郷原宏氏の『反コロンブスの卵』のなかの「詩を作るより田を作れ」の格言で、「父なる農夫が子なる詩人に言っているのではなく、詩を作っている者の内部への問いかけでないとだめだ」という詩を作る姿勢を見直す鮮烈なことばだ。
上京して大学に入ったころは大学紛争の時期だった。「早稲田詩人会」には一色真理がいて、彼から詩を書く人は自分の視座を持ち自分に向き合うと学んだ。卒業後は業界紙勤務、教員などしたのち、昭和55年帰郷した。
松山で生活しながら詩作を続けていたところ、京都の有馬敲さんが松山に赴任してきた。京都のほんやら洞で朗読し「オーラル派」と呼ばれた詩人で、「松山でも朗読したい」と言われ友人に相談し、喫茶店「風の街」で、有馬さん、山本耕一路さん、松山の若い詩人で朗読した。
ゲーテの自伝にある、事実は真実ではなく意味があるから価値がある、先に絵を描いた先輩がいたから導かれるのである。
『青い夜道の詩人、田中冬二』は、冬二の全集3巻を10年位読み込んで、冬二の世界に入りながら詩を考え、それを本にまとめた。
日々を続けるためには理想郷を想定し、日常をやり過ごそうとする心の動き、渡りきれない海を自分の意思の力で渡ろうとする心の動きが人生を支える。詩を書いて自分の周りを考えていくことが大事なことと学んだ。年齢を重ねるごとに時代の変容を踏まえるようになり今に至っている。
『広島県詩集34集』出版記念会
北村 均
広島県詩人協会は8月4日(日)広島市西区のコジマホールデングス西区民文化センターで『県詩集34集』の出版記念会を開催。三十一名が出席。ゲストは福岡の詩人、渡辺玄英さん。演題は『戦争と詩人~「荒地」の詩が始まる時~』
講演に先立って六人が県詩集に掲載の自作詩を朗読。続いて登壇した渡辺さんは、原爆忌に近い時期に広島市で講演することから今回のテーマを選んだと説明。「戦時中に大半の詩人が、自ら進んで戦争詩を書いていたことが不思議であった」と長年追求してきたテーマであったことを明かした。
西條八十、安西冬衛、三好達治等数名の詩人の戦争協力詩と戦後の詩を比較して論を進め、一般的な価値観(規範)を疑うべき自分の立ち位置を確立すべきだと結論づけた。
みんな、かたれし! 言の葉はふるさと 言の葉の森のつどい
こまつ かん(山梨県詩人会代表)
山梨県に県レベルでの詩人会が誕生して98年となりました。が、今この高齢化社会のなかで、県詩人会も会員の減少が止りません。そこで、詩の裾野を広げるための企画の一つとして、詩の書き手と市民とが出会う機会を作れば楽しいだろうなとの思いから、表題のイベントを9月28日、山梨県立文学館の茶室で開催しました。講演・自作詩の朗読・交流の三本柱です。「みんな、かたれし!」の「かたれし」には「皆で語って」「皆、(方言)加わって」と、二つの意味が込められています。県内各地、東京・神奈川からも集ってくださり、久しぶりの再会を喜ぶ姿も見られました。詩の言葉と和の空間とが織り成す午後の時間は和みのひとときとなりました。
『可能が可能のままであったところへ』の著者、池田髙明氏は「帰郷の詩人が語るふるさと、詩のこころ」と題して講演しました。神奈川で四十数年の教員生活をおくった後、今年の三月に古里である山梨県都留市に転居して第二の人生をスタートさせた心境を、古里で再会した詩人との交流、また、自著に沿いながら朗読も交えて半生を振り返りました。
自作詩の朗読者はArim・安藤一宏・梓ゆい・数野徳子・桜井節・沙羅樹・名取眞弓・のろくこ・ひろせ俊子・古屋久昭・星乃マロン・みなみ早和の各氏。その人らしさあふれる魅力的な詩作品の肉声での朗読を皆で堪能しました。
交流の場では県内の詩誌や詩人の著書の紹介をしながら情報交換や親睦を深めました。来場者のなかには詩に関心があるが作ったことがないという方、詩人による自作詩の朗読に興味があって聴きに来たという方もおり、意中の人を囲んで話す場面も随所に見られ、イベントは熱気に満ちて盛況でした。
今回の、「詩」が飛び交う現場で新鮮な刺激を受けた人が、新たな詩の言葉を生み出す力につながるのでは……との思いが脳裏をよぎりました。