会員のアンソロジー15・田中俊廣氏~
田中 俊廣 タナカ トシヒロ
①1949(昭和24)9・25②長崎③早稲田大学教育学部国語国文学科卒④「あるるかん」⑤『西行の麦笛』『水族として』七月堂、『時の波打際』思潮社。
空の記憶――一九四五年夏
水際の闇をみずから光をまとうように飛ぶ
帰ってきたのだ ひかり
死を浮かべた川に注ぐ清らかなせせらぎ
帰るためには渡らねばならない
名づけられないままの
暗い橋をいくたび越えてきたことか
肩を落とした時代の後姿
熱を帯びない螢のひかりはやさしい
晴れあがった空中
一瞬の光の炸裂 街を走った熱線
謀られた歴史の下では
熟したトマトの果肉のようにヒトは壊れる
――虫も樹木も(変異した八月の来歴)
何万年もの遺伝子で充たされた身体は
人の形だけ残し 影絵を地上に貼りつけた
爆心を今も青空は記憶しているのに
そらぞらしい明るさで歩く 二十一世紀
螢光のようなものでも、暗黒の中で一点
のひかりを出すことはできる。(魯迅)
田中 眞由美 タナカ マユミ
①1949(昭和24)6・19生②長野③信州大学繊維学部④「ERA」「詩季」「しずく」⑤『インドネシア語と 遊んでみま詩た』『降りしきる常識たち』花神社、『指を背にあてて』土曜美術社出版販売。
転 写
わたしは ニセモノ
気づかないまま大きくなった
全部同じかあさんから
コピーされた もの 雌ばかりの姉さん妹
かあさんを手にいれたい希望者は殺到し
産み出された わたしたち
欲しいのは かあさん だった
優良なかあさんの お腹の皮膚
それがわたしの 本当のかあさん
皮膚の体細胞の「核」は
受精卵の「核」とすりかえられて
受精してないから 命じゃないと捨てられた
代理母の雌牛の仔 すり代わった わたし
かあさんには 雄牛だってなれる
ひとつの卵から分かれた
自己複製プラスミド一卵性多子
みんなみんなかあさんそのもののわたしたち
わたしは ニセモノ クローン牛A
わたしを食べるのは あなた
田中 美千代 タナカ ミチヨ
①1949(昭和24)2・4②愛知③越ヶ谷高校卒④「野蜂」⑤『少年』地球社、『風の外から押されて』七月堂、『体内時計』火箭の会(エッセー集)。
カタツムリ
背中に貝をしょって
カタツムリが雨の中を
ゆっくり這ってくる
庭石の上
億年を生きた石に
海の中で暮らしていたころのことを
体の底で話しながら
時折、雨に海の香りを感じるのか
立ち止まっては進む
言葉のあとが
石の上に
光っている
田中 光子 タナカ ミツコ
①1933(昭和8)7・16②福井③城西国際大学大学院研究生④「日本海作家」⑤『あけぼのの指のように』北荘文庫、『顔』創文堂、『受胎の海へ』紫陽社、『田中光子詩集』芸風書院、『舞え舞えかたつぶり』花神社。
九十九里の天
阿多多羅と 阿武隈川と
まっすぐな智恵子に 号砲が鳴る
明治四十四年九月一日
黄と黒の隅どりをもつ瞳で宇宙を見つめた
『青鞜』のギリシア女神像
あれは あなた自身
敗れて流離うすこし前の
白光の闇に屹立する あなたの自画像
財産なく 職業をもたず からだ一つ
無能力者――と書いた あなたの真実
千鳥を呼びつつ駆けった ここ九十九里浜に
今日も 白い波が砕ける
脳に押し寄せる 白銀の鋏で
あなたが剪りつづけた 鰈の
透明な骨の輪郭に乘って
九十九里の天を翔けよ
封印された 近代の巫女ではなく
ぼろぼろの自由をとり戻した
女人芸術家の あなたに
わたしは もう涙をこぼさなくていい
田中 倫 タナカ リン
①1935(昭和10)9・25②東京④「未開」⑤『溶暗』思潮社、『鳥』角川書店。
その時 ぼくはそこにいた
一九四五年八月十五日
正午に玉音放送があった
山の中の小さな集落に微弱電波が届いた
ラジオからはじめに雑音が漏れてきた
それから途切れ途切れに
重々しい言葉が聞こえてきた
タヘガタキヲタヘとそれは言ったようだった
広島のことも長崎のことも
ぼくたちは後になってから知った
二つの都市に一発ずつ新型爆弾が投下された
人類が始めて体験した熱風が人と家を焼いた
戦争の終りは
早くから準備されていたに違いないが
多くの国民は不意を突かれたのだ
シノビガタキヲシノビともそれは言った
一九四五年八月十五日
太平洋戦争が終った
夏の空が染みるように青かった
戦争に負けてアラヒトガミは人間になった
それから長い戦後が始まった
谷口 ちかえ タニグチ チカエ
②旧満州奉天③早稲田大学第一文学部卒④「地球」⑤『光のノック』地球社、 『逆光のアングル』砂子屋書房、『P・K・ダグラス詩集』書肆青樹社、 『オデッセイ』国書刊行会。
「春ですね……」
たった一行の手紙が届いた
いっぱいの余白に吐息のような
待っていた時間が積もっている
遠い約束を果たしに 春は年ごと
凍えて寒いここにもやってきた
字も読めない幼いわたしが諳んじたのは
『こどものくに』から届いた遠い春だ
だんだんばたけにだんだんと
やまからだんだんはるがきた
だんだん長けた春はほうけて
だんだん戦争は酷くなり
焼けこげて狂った本土の夏へ
追われるように帰ってきた家族たち
あれからいろいろな春があった
――春ですね
寡黙な人の一行に
厳しい冬を辛うじて越えた吐息を読んでいる
もう秋です と散るまの……
*当時の月刊児童雑誌
谷﨑 眞澄 タニザキ マスミ
①1934(昭和9)5・12②北海道③日本大学芸術学部文芸学科卒④「パンと薔薇」⑤『夜間飛行』『喪失』私家版。
逃亡
どこの森でも
そのようなことが有るのかは知らない。
なんでも ひそかに樹木が
逃亡するらしいのだ。
打ち合わせでもしたかのように
彼らは 森を抜けて帰ってはこない。
森に残った樹という樹が
せつなく身震いをして
枝という枝が裂けて折れるらしいのだ。
その響きは滅多なことで聴こえはしない。
残らなければならない樹があるのだ。
裂けて折れる首吊りの枝として。
谷本 州子 タニモト クニコ
①1935(昭和10)9・13②三重③三重大学
学芸学部卒④「石の詩」「花筏」⑤『春星のかなたに』石の詩会、『綾取り』土曜美術社出版販売。
子守唄
ナツツバキにセミが来て
子守唄を唄う
うちのこの子は うちのこの子は
いま ねんねする
だれもやかまし だれもやかまし
いうてくれな
伊賀の昔からの町に
唄い継がれてきた子守唄
くの一や婆やも唄ったに違いない 子守唄
代々子だくさんのしもた屋の
大っきいばあちゃんそっくりに
小っちゃいばあちゃんが唄い セミが唄う
小っちゃいばあちゃんを真似て
おかあちゃんが唄う セミが唄う
昨日も今日もナツツバキの白い花は
咲いていた枝の真下の
苔の緑陰に
重なり合ってまどろむ
太原 千佳子 タハラ チカコ
①1937(昭和12)1・2②東京③聖心女子大学大学院修士課程修了④「布」⑤『物たち』詩学社、『森への挨拶』詩学社、『いい日を摘む』砂子屋書房。
羽虫の言い分
深夜 街灯のまわりに 羽虫が飛んでいる
スプレーのエネルギーから噴射された
微細な光の粒のようだが 拡散しない
街灯の光の輪を羽虫の大集団が揺すっている
意見を交わしあう羽虫の集会が 熱を帯びて
左傾し右傾し 中道にもどったりして
ときどき 燃えさかる薪から
弾けた火の粉のように
イレギュラーな大物が二匹三匹群れの中を飛
ぶ
静粛に 静粛に 群れのざわめきを制す
しかし羽虫たちは耳をかさない
大物にマイクは渡さない
タマキ ケンジ タマキ ケンジ
①1926(大正15)②奈良③早稲田大学露文科卒⑤『殻』飯坂書店、『ヒロシマの午後』北東出版社、『傍白』『流星』詩学社、『尋ね人』潮流出版社、評論『松川事件と詩人の立場』世代59特集。
とらうま の夜
二〇〇一年九月十一日の夜の十時すぎ
NHKテレビジョンの番組『プロジェクト
Ⅹ』堀尾アナのうわずった声で新しいニュー
スが入ってきました
スタジオから突然 ニューヨーク・マンハッ
タンの空に場面が変った なんと百階以上の
高さを誇る世界貿易センタービルに向うとい
う 航空機の影が視えた 何とハイジャック
されたという航空機が写り 一瞬何事があっ
たのか分からながった 他に誰も見ていない
のではと思った ビルの全面に鮮烈な火災と
噴煙が湧きだし渦巻きを起していた
私は、太平洋戦争に敗れた年 日本陸軍の一
兵卆として召集された。姫路城下の兵営にい
て八月六日、広島に〝新型爆弾?が投下され
たことを知った 十日後の深夜、九州の前線
へ向う軍用列車が父母弟妹達の住む広島の駅
へ停車した
鎧戸を上げて窓から外を覗くと 月の明かり
に一面の荒野が視えかくれした。
田村 のり子 タムラ ノリコ
①1929(昭和4)5・27②島根③松江高女卒④「山陰詩人」⑤『ヘルンさん』『幼年譜』『竹島』『入沢康夫を松江でよむ』山陰詩人社、『出雲石見詩史』詩史刊行会、『島根の詩人たち』島根県詩人連合。
名簿欄
勝手知ったる某会誌の校閲を任される
名簿欄を眺めていて気づく 末尾二名は会員
ではないようだ 「これは削除した方がよい
のでは?」というと「なぜですか」ときた
「では欄外に出して例えば執筆者とかにした
ら?」すると相棒はひどく狼狽した 「埓外
へですか そんなことしたら虎に喰われてし
まう」「喰われてもいいじゃないですか!」
「いえ喰われるじゃなくて喰うのです この
二行を野放図に野外草原に放逐してはならな
い」お互い身のためです
「校正人」
小さく朱を入れる 遠慮がちに身を縮めて
――というのはウソ これ見よがしに非難が
ましくぐいぐい ――というのもウソっぽい
昔々削除挿入勝手気侭の 鬼の首でもとった
ような 鬼の首 首 首がいっぱい 面白お
かしくうなされて抱きしめた その鬼の首
田村 雅之 タムラ マサユキ
①1946(昭和21)1・21②群馬③明治大学商学部卒④「花」「ERA」⑤『ガリレオの首』国文社、『破歌車が駆けてゆく』アトリエ出版企画、『デジャビュ』砂子屋書房、『鬼の耳』花社、『曙光』砂子屋書房、『エーヴリカ』紙鳶社。
春日幻境
あけぼのの空から
うすくまなぶたをあけるよう
しめりふかい糠雨が降りてくる
そんなしろじろとけぶり立つ
毛野の春日
彼岸への供花が
墓石の前をいろどり
大利根は盗人の表情で草原を
しのび這う大蛇のごと
川上からゆるりゆるり
にびいろの光を
面の背にはなちながら
ああ、なにもかが
憂鬱の相貌だ
ああ、差異もなき夢の気がかり
屠所の羊のあゆみなどとは
言ってはならぬ
地の底に深くこもりて
間遠にひびく
濁った男の説く声が__
近岡 礼 チカオカ レイ
①1943(昭和18)1・7②富山③龍谷大学文学研究科博士課程中退④「地球」「宇宙詩人」「北国帯」「カラブラン」⑤『入江にて』『蟹語の学習』『白夜』思潮社。
神を否定する者を否定せよ
人間の誇りなんて捨ててしまえ
雲も遠くなってしまった 秋だから
夏があんなに好きだったのに 秋に替えてし
まおう
考えてみれば人生ってけったいなものだ
神に騙されている人間を除けばろくな者はい
ない
思し召しのままに生きられるのは実に教養の
ない人間に限られる
神を否定する者を否定せよ
午前中は発狂したばかりなのに
午後はけろっとしている
馬鹿にされた原因が解けたから……
夜は子供のように怖ろしく
昼は歴史書を拝読し
鎌倉時代に遊女は尊敬されていたことに欣喜
雀躍し
底辺を見据える作業を階段の上の電線のたわ
みに託したら
ガードマンが私を睨んで階段を上って行った
千木 貢 チギ ミツグ
①1940(昭和15)4・26②東京③国学院大学国文科卒④「タルタ」⑤『オッペ川の橋』七月堂、『宿題』土曜美術社出版販売。
街道
道の真ん中の疎水で
男が大根を洗っていた
怒ったように大根を洗っていた
背後に堆く積まれた生白い大根は
どことなくエロチックな構図を見せた
しばらく行くと また男が大根を洗っていた
この町は男が大根を洗う町なのだと思った
どこにも女の姿が見受けられなかった
大根を洗うような季節は年の瀬が近いから
女は家のなかの仕事に忙しいのだろう
と思ったが
男の背後に累々と積み重なった大根は
女の裸の死体のようにも見えた
真新しい棺桶に女の綺麗な死体を収めて
男たちは新しい年を迎える準備に大童なのだ
ずいぶん離れてから振り返って見ると
腰をかがめた窮屈そうなその姿勢は
まるで謝っているようにも見えた
千葉 宣一 チバ センイチ
①1930(昭和5)12・29②北海道③北海道大学大学院文学研究科④「札幌詩学会」⑤『モダニズムの比較文学的研究』おうふう社。
人間の絆――死に水先生
町には本屋が一軒 生き延びていた
店頭には 詩集が五、六冊 飾られていた
戦死を覚悟して 無名の詩人たちが
遺書代わりに自費出版したという
中学の入学式は吹雪だった
戰局は重大で――教育勅語を早く暗誦せよ―
―と云う校長の祝辞は短かく 教育の自己
紹介は長かった
梅干一つの日の丸弁当の昼食をとっていると
ドヤドヤと上級生が寄ってきた
街で上級生に会ったら挙手をすること――
から始まつて先生方の〈アダ名〉を吠えた
校長はギヨッテ 禿げさん 蟹 蛸 モグラ
ロング ガンジー ジャジャ ルート3
戸惑ったのは〈死に水〉先生のアダ名で――
卒業の謝恩会で 先生が贈ってくれた
〈死に水を取って貫うのはこの女だ 死に水
を取らねばならぬのはこの女だと決断でき
た時 諸君は運命の人と出会ったのだ こ
のことを良く覚えて置きたまえ。〉
千葉 龍 チバ リョウ
①1933(昭和8)2・10②石川④「作家」「金澤文學」「新現代詩」「日本未来派」⑤『玄』甲陽書房、『夜のつぎは、朝』沖積舍、『死を創るまで』『新・日本現代詩文庫33』土曜美術社出版販売。
肩身の狭さ
偽の国・偽県・偽市にやって来た旅人一人。
もしもし この町のかた?
ハイ そうですよ
ここは偽県・偽市ですよ ね?
そう ここは偽市の大偽通り
じゃ あなた偽の市民ネ
とんでもない! 本物の偽市民です
だから、偽市のひと。つまり偽の市民
いいえ 本物の偽市民。
あなた ほんとにほんとの偽市民?
そう、ほんとにほんと本物の偽市民です。
いま 通り過ぎたひとも偽市民?
いいえ あの方は他所の人、偽物の偽市民。
(――?…この町に住みたいと思ったのに)
オレ やめときます。偽市の市民になるの
オヤオヤ どうして?
(オレ まだ当世珍しいホンモノなんデス)
肩身狭いから。(きっと、後悔するから)
千早 耿一郎 チハヤ コウイチロウ
①1922(大正11)②滋賀③神戸商業卒④「騷」⑤『長江』かいえ社、『黄河』花神社、『風の墓標』『いちゃりばちょーでー』木耳社、『千早耿一郎詩集』砂子屋書房。
COGITO,ERGO SUM?
朝 目をさますと ぼくがいなかった
昨夜はたしかにここに寢た
疲れ果て 倒れこむようにして……
深夜 激しく咳をした 肉体が捩れた
天と地とが捩れ 千々に碎けて四散した
そしてぼくがいなくなった
Cog ito ,Ergo Sum .
われ思う ゆえにわれあり だと?
たしかにいまぼくは思っているのだが
思っているのがわれだとどうして言えるのか
脱出したのだ はげしい咳とともに
四次元へ そして五次元の世界へと
光りも暗黒もない 無限銀河のここは世界
おい どうしたのだ 若い男の声がした
おれをかばって戦死した……
裂けた青春が集まってきた
ほら見ろ地球はいま 腐り歪んで燃えている
司 茜 ツカサ アカネ
①1939(昭和14)9・13②大阪③若狭高校卒④「楽市」「山脈」「若狭文学」⑤『若狭に想う』書肆青樹社、『番傘をくるくる』洛星書院。
平 和
平和って なに
九歳のタカオに聞く
うーん
せんそうのないこと
平和って なに
十四歳のユキコに聞く
うーん
いじめとかないこと
辞書に
平和って なにと聞く
おだやかにおさまること
と 言う
平和って なに
陽だまりの 野良猫に聞く
寝たふりをしている
私は
仏壇の前に座る__
塚田 高行 ツカダ タカユキ
①1950(昭和25)7・9②東京④「スウカイナ」⑤『樹光』『声の木』詩学社、『聖性空間』思潮社。
冬ぞ来る
水道水がつめたい
勢いよくてのひらに流すと血圧が高くなる
寒冷地に雪が降り 踏みつけられ 凍る
X線に透かされているあなたの指
骨が長くなめらかに曲線を描いてうつくしい
関節も空間が等間隔をたもち 湾曲している
さまざまな形の敷石をしきつめた甲の骨
最後のかえでの葉が枝から落ちる
葉隠れ隠遁の術
しかし鏡に映る自らの姿は消さず
社務服ならぬスエットパンツに身をととのえ
えいっ とばかりに宙空に足蹴を入れる
その時の手首の静脈の鮮やかな紅
冬が来た
高村光太郎の「冬」か
中原中也の「冬」か 私は知らぬ だが今
群青の懐かしさに張り裂かれた冬が来た
月岡 一治 ツキオカ カズハル
①1946(昭和21)7・6②新潟③新潟大学医学部卒④「泉」⑤『時間の原っぱ』『明日へ向かう駅』『風の駅』花神社。
どなたでしょう
一生には喜びより悲しみの方が多いのに
年を重ねる毎につらかったことを忘れさせる
のは
どなたでしょう
街には乳児からやっと歩く老人までいて
くり返す 命の短さに気づくのに
幼児が歩く姿にほほえませるのは
どなたでしょう
幼な児が誰かとお風呂に入っています
九つ 十 十一 十二……
おお 上手に数えられるねとほめているのは
どなたでしょう
ある日ほめた私には
この子が数えたほどの年数しか
残されていないと気づくのに
それでいいのだと思わせるのは
どなたでしょう
津坂 治男 ツサカ ハルオ
①1931(昭和6)6・15②三重③東洋大学国文学科卒④「みえ現代詩」⑤『石の歌』三重詩話会、『大きくなったら』教育出版センター、『鎮魂と癒しの世界 評伝・伊藤桂一』詩画工房。
光の階段
あそこから射してる、と孫
曇っているのにどうして暗くならないの、と
訊いたすぐ後
西の峰から雪崩れのように注ぐ光の束
雲の隙間から……という説明はもう聞かない
光の階段、と言いかけて 一瞬ぼくは戸惑う
実はあれはまた命を掬い取る上向重力かも?
招き遺した誰か誰かを丹念に掌に拾いとる弥
陀のまなざしかも……
東の首都では 63 年前の空襲焼死者十万の
何千もの霊が浄土の人別帳にまだ無記入で
故郷の家の隣で直撃弾を受けて微塵になった
ぼくらの身代り母子三人の魂も身体ごと繕わ
れないでいる?
喜寿だと言って半ば浮かれているこの老人の
丸ごと摂取も危なかしくて……
ロケットは こんな雲の中でも飛んで行くの、
と明日にでも宇宙に行くつもりか 七歳
あっという間さ、とは自分と重ね合わせて
いつか近づいているお迎えの 光の階段――
辻井 喬 ツジイ タカシ
①1927(昭和2)3・30②東京③東京大学経済学部商業学科卒⑤『わだつみ三部作』『鷲がいて』思潮社、『沈める城』文芸春秋社、『父の肖像』新潮社、『伝統の創造力』岩波書店。
失くし物
上衣を失くした 失くすはずがないのに
それほど暑い季節ではなく
どこかで脱いだ記憶もないのだが
気が付いたら着ていないのだ
あわててすこし頭に血が上って
さっきまでいた駐屯地の広場に戻ってみた
弱い陽が射していて昼のさかりなのに
なんだか朧月夜のような柔らかさ
これなら天をど突いても反応はないだろう
そういえばさっき猛々しい鳩が羽?いて
ぼくの頭の中を斜に飛んでいった
あの鳩もいつか愛について語るだろうか
もし語るのだったらぼくもあんなふうに
音を立てて飛んでみたいと思ったのだが
その時 なんだか肩が軽くなったようだ
それがいけなかったのだと覚った
上衣にはパスポートもカードも
それに運転免許証も財布も容れてあった
つまりぼく自身だったのだから
失くしたというのはぼくが失くなったこと
そう分るとなんだかほっとしてしまった
土田 晶子 ツチダ アキコ
①1932(昭和7)1・25②福岡④「たむたむ」「海峡派」(文芸同人誌)⑤『通話音』発表社、『譚―草の径』『草木渉猟記』梓書院。
応える ――雑踏のなかも地の涯ひぐらし鳴く
「ああ」とこたえる
「うん」とこたえるときもある
「おぉ」というこたえもあった
海原でゆきくれた船に
かすかにとどく燈台の灯のように
崖下の雑草へ差してくる日のひかりのように
あれは唇からでる声ではない
いいがたく澄み
たとえようのない深いところに
架けられた橋
そこを渡ってくるいのち
病むひとの
小さなこたえは
旱の地への滴り
潤される者たち
しかしもう
どこからも返されてくる声はない
天空の涯でことしはじめて鳴きだしたもの
土屋 智宏 ツチヤ トモヒロ
①1947(昭和22)②静岡③上智大学史学科卒④「彗星」「疎流」⑤『悲しき熱帯』詩学社、『クローンの恋』土曜美術社出版販売。
天国の山荘 ―詩友 五十嵐敬生氏に
バードがラバーマンを奏で死刑執行人として渓谷の山荘からわたしのところにやって来た
わたしは天国に導かれた
そこでは梢が永遠の空に波立ち
魚影が岸辺の水溜りに宿っていた
渓谷の水がわたしの胸を潤した
耳に聞こえる見知らぬ鳥の声
人々は微笑のように存在し
怒りも嫉妬も欲情もなく
悲しみだけは青い結晶となって
目の奥に残っていたが
ああ なんという清々しさだろう
わたしは天国にいたのだった
バードが天国の日々が終わることを告げ
仄明かりの旋盤室にわたしは向かった
堤 美代 ツツミ ミヨ
①1939(昭和14)11・13②群馬③高崎市立女子高校卒④「ダイレクション」⑤『石けんを買いました』ワニプロダクション、『途上』煥乎堂。
まさかの話
〈こないだの酒は
まさか旨い 酒だったのう〉
酒好きの長兄は言った
〈きょうは
まさか暑い 日だねえ〉
畑の草むしりのおばさんは言った
万葉の東歌に
〈我が戀は まさかもかなし 草枕
多胡の入野の 奥もかなしも〉
まさかかなし まさか旨い
まさか暑い
目の前に事実が迫っているのだ
まさかは
千三百年の時空を ふっ飛んで
今朝の夏 私の頬をピシャリ
言葉は 生きている
椿原 頌子 ツバキハラ ヨウコ
①1934(昭和9)4・29②南米サンパウロ④「龍生現代詩塾」⑤『踊り子』『鳥がいて人間がいて』花神社、『昼の月』福田正夫詩の会、『林檎の芯に』『聖夢』横浜詩人会。
樹木
樹は 千年の沈黙を
佇ずんできた
虫の音
驟雨のあとに
きりきり と鳴く
息をひそめる追憶の
樹皮にささる 爪あと
木の実の殻は 光りの中
鳥が啄く 葉々のすすり泣き
夜のしじまに 聴く
たたずむ たった独り
老いて やさしく
老いて つよく
樹木は
天に向かって立つ
壷阪 輝代 ツボサカ テルヨ
①1942(昭和17)3・27②兵庫③和気閑谷高校卒④「ネビューラ」「日本未来派」⑤『夢をうつ』詩の会・裸足、『川波・旅立ち』手帖舎、『詩神につつまれる時』『探り箸』コールサック社。
すかし箸
魚の真ん中には
骨が一本張り渡されている
ていねいに
下の身を崩さないよう
骨を取り除く男
裏返して
あらたな魚に向き合うように
箸を動かす男
骨を外さないで
骨越しに透かして
裏側の身をつつく男
窓の外は桜吹雪
三人の男は三様に
魚の味のことを話している
おのれの生き方を
そのまま食べていることに
気づこうとしないで
鶴岡 善久 ツルオカ ヨシヒサ
①1936(昭和11)4・13②千葉③明治大学文学部日本文学科卒④「六分儀」⑤『肌に添って』『蜃気楼の旅』沖積舍、『日本超現実主義詩論』思潮社、『危機と飛翔』『日本シュルレアリスム画家論』沖積舍。
偶感
歩きたい
葉を落としはじめた木が誘う
草もみじの原を
木と歩いていると
空爆の絶えない国のことが
突然思いだされる
鰯雲が広がつて
大いなるもののすべてを
激しく増悪したくなる
帰りの急な切り通しで木が消えた
酒がだされる
今夜のつまみは
二尾の焼いたししゃもである
靎見 忠良 ツルミ タダヨシ
①1942(昭和17)12・30②東京③東京教育大学教育学部特設教員養成部卒④「オルフェ」「ティルス」「歴程」⑤『みにくい象』詩学社、『声と風景』青土社、『空のエスキス』沖積舎。
淋しい獣
凝視することは
つらい
いつしかぼくは
自分の顔を
わすれてしまった
いのちは
ただ
いのちのままに燃えたがっているのに
ヒリヒリデコボコ
全身が
眼玉だらけの
まいごの獣
はがしてくれ
きらいだ
ぼくは
人間のまなざしが
ことばの亡霊が
寺内 忠夫 テラウチ タダオ
①1933(昭和8)10・20②徳島③早稲田大学第二文学部フランス文学科卒④「青い花」⑤『著我の歌』書肆青樹社。
亡 母 さん おかえり
後期高齢者医療の国民健康保険証が届いた
感懐なし 残された時間が短くなった 悔み
天空から微粒子に混じり 因数が落ちてくる
亡母はわたしの絶対秘密を素通りし身罷った
地平線の半音に浜木綿一葉 白鍵に山桃一粒
土筆一茎を手持ち 明るい容姿で佇んでいた
稚児になり 立ち竦み 贖いの掌を重ねる
ははは異常に膨大な心をみせ 五次元を喜ぶ
稚児は百年の時間を悼み 炮烙に麻幹を盛る
ひたすら天網に生き 餓鬼 畜生 地獄着地
整数に戻り おとないの時 曼珠沙華を供え
毛糸の桛づくりを手伝い 足裏を踏み 感謝
水精石が転がると 亡母は腕を巻き顔面蒼白
わたしは呻き 薄っぺらな矜持を遠くにみた
無学文盲 たらちねの母よ 詩 難しいねぇ
分解できなくても 稚児はこの場にいますよ