会員のアンソロジー1・相生葉留実氏~
アンソロジー――作品と略歴
凡 例
この「会員アンソロジー」は、二〇〇八年(平成二十年)十二月三十一日現在の日本現代詩人会会員の略歴(氏名・同読みを含めて六行以内)、自選作品(二十字二十一行以内)を掲載したものである。この時点における会員総数は一〇〇八名であったが、欠稿者があったので、掲載者は九三八名となった。表記は明らかな誤りと思われるものの訂正を除き、 本人提出原稿の通りとした。したがって正字使用、促音・拗音不使用、歴史的仮名遣い使用等のものもあるが、いずれも原文のままとした。ただし、略歴については編集委員会が定めた統一原則にもとづいて削除・訂正をおこなったものもある。
略歴の記載順序は次の通り
氏名。氏名の読み。①生年月日。西暦(和暦)・月・日②出生地=都道府県・外地名③最終学歴④所属詩誌⑤主要詩集・著書(発行所)
出典『資料・現代の詩2010』(日本現代詩人会編)
*HPの表記上、印刷物の表記とは若干違う部分がありますのでご了承願います。 *あいうえお順に毎月少しずつ会員のアンソロジーを掲載していきます。
相生 葉留実 アイオイ ハルミ
①1940(昭和15)12・17②京都③放送大学卒⑤『日常語の稽古』思潮社、『紅葉家族』現代文学刊行会、『饗宴』共著、銅林社。
棕櫚の花
背丈の二倍はある高さの
もじゃもじゃの毛皮の上に
黄色の棕櫚の花が顔をのぞかせている
思いがけない所から舌先をほんの少しだして
いたが
みるみるうちにだらりと垂れてきた
枝がないため木の中は軟らかい
大きな旅館の中の布団部屋から
次々と持ち出される黄色の座布団
大広間だけでは足りなくて廊下にまではみだ
して、それでも客の大勢に
まだまだ運び出されてくる
棕櫚の中でも大騒ぎ 座布団のような花が
外へ外へ押し出され この辺で止めてもよい
といっているのに垂れてこぼれる
地面にこまかい花屑が噴水のようにちらばる
庭へ出てきた寺男は 見上げる
棕櫚箒で掃き集めながら
修行せねばならないと律気に考える
相川 祐一 アイカワ ユウイチ
①1938(昭和13)2・26②神奈川③明治大学文学部二部仏文学科卒④「騒」⑤『カイロの朝』潮流出版社、『一九九〇年夏の抒情は』青娥書房、『タレー』『春』狸亭工房、『ロクドウリンネ』青娥書房。
ここではないどこかへ
ここではないどこかへとんで行きたいのだずうっとそうおもいながら生きてきたのだ
ぷーるの中であおむけに空をみあげて
おおきく息をすいこんで溜息ついて
からだにまといつくなめらかな水のゆれ
あざやかな朝の光や風にもつかれ
おれはここでもやっぱり囚われ人だと
いやなおもいにおそわれるのだ逃げたいと
どこへときかれてもすぐに答えられない
どこへ行ってもいつも日常しかない
非日常もすぐ日常になるだけ
こんなわたしを必要とするひとがいて
それだけでいまもこうして生きながらえて
詩のようなものを書きつづっているのかな
愛敬 浩一 アイキョウ コウイチ
①1952(昭和27)5・30②群馬③和光大学人文学部文学科卒④「東国」⑤『長征』紫陽社、『夏が過ぎるまで』砂子屋書房、『詩を嚙む』詩学社、『現代詩における大橋政人』紙鳶社。
古管
夏の
いつもの朝を
いつものように通勤の車を走らせて
ようやく勤め先の街へ入り
新幹線の高架下で赤信号につかまり
ふいに
対向車線の、大型のクレーン車を見上げたら
その運転手が
笛を吹いているのだ
まるで、田舎の神社の
神楽殿で横笛を吹く楽師のように
笛を吹いているのだ
音は聞こえなかったが
いや、聞こえるはずもないのだが
私自身の耳の奥から
音は、やって来た
柔らかく幅のある中間音程が
高くなく
低くもなく聞こえてくる
私をどこかへ連れて行ってくれるような
古管の音が聞こえている
相沢 正一郎 アイザワ ショウイチロウ
①1950(昭和25)11・28②東京③拓殖大学商学部卒④「歴程」⑤『リチャード・ブロ ーティガンの台所』『ミツバチの惑星』『パルナッソスへの旅』書肆山田。
砂の声
海のむこうに沈む夕陽を見たい――そうお
もって引っ越したのがまちがい。潮のにおい
は熟れたくだものの腐る臭いだし、波の音は
テレビから床にこぼれひろがる光の砂音。天
井から降る砂が、畳や床板やふとんを腐らせ
てゆく。
ドアはあけしめするたびに軋む。柱は朽ちて
傾いた。鉢植えの花も枯れた。錆の味のする
水を飲んだり、じゃりじゃりしたごはんを食
べてるせいか、からだのふしぶしまで砂が。
あーア、なんだかいつも眠くて、ねむくて
……。
(卓上のテープレコーダーから、うすあかり
のような母の声を掬った。いくぶん砂まじり
の声にさわっているうちに、いつのまにか雨
脚みたいな時と間きの爪がテーブルをザーザ
ーひっかいていて……。吹き込む砂に、わたし
も埋もれた)。
相沢 史郎 アイザワ シロウ
①1931(昭和6)4・24②岩手③青山学院大学大学院(修)文学部英米文学科修了⑤『悪路王』『血の冬』『片目の神さま』青磁社、『夷歌』オノ企画。
サギソウ(鷺草)――鷺になって――
風の強え夜に 飛んでげー
鷺になって
人間 の消える気圏さ 飛んでげー
(沼さかがるのあ
霧の虚無ばりで)
白え風なって
魂の一番近え気圏さ 飛んでげー
(南の天のどんづまりさ
イダチに追われる
サソリの赤え目玉ぎらきらっど)
埋められる沼の寂す――エロスだづ
殺されるの 震えで待ってるばりだ
(リンドウ平で
夜鷹 不吉に騒ぐばり)
明日沼は……
会田 千衣子 アイダ チエコ
①1940(昭和15)3・31②東京③慶応義塾大学文学部仏文科卒⑤『鳥の町』東山書房、『フェニックス』思潮社。
神の計画
神の意志の成就されるまで思いがけない偶発や事故が起こり
私は時にうち沈む
それから髪を短く切って変身し
明かるい希望に夢を育む
冬の寒い午後
ストーブは燃えオペラの歌声が響く
私は日々を感謝し香りのあるパンを焼く
神の計画の完成されるまで
どこまで軌道を外れるのか
それでも神の意志は全一で
宇宙のエネルギーは満ち
そこから星がこぼれ落ちる
花が咲くまで 鳥が鳴くまで
葵生川 玲 アオイカワ レイ
①1943(昭和18)1・26②北海道④「飛揚」⑤『冬の棘』『夕陽屋』『苦艾異聞』『時間論など』『初めての空』『草の研究』カセット詩集『葵生川玲詩集』『葵生川玲詩集成』視点社。
雪虫幻想
旅立ちの日に乱舞していた白い虫の煌きが
私に与え続けてきたものは何だったのか
四十数年前の秋の日の
北の街のプラットホーム
父がその場で外して手渡してくれた腕時計が
何度も、質屋の暖簾を潜りながら
辿りきれない記憶の向こう側で
貧しい日々の物語を計り続けていた
辛うじて支えていたのは
それでも 何事かを自身に課すること
具体的な何事かを己に課し続けること
そして生きること
季節外れの陽気に照らされた
祝祭の日のような
首都の高架のプラットホーム
秋の日の逆光の煌きのなか
白くしろく 群れ飛ぶものがある
青木 はるみ アオキ ハルミ
①1933(昭和8)8・4②兵庫③西宮高校卒④「十三階から」⑤『ダイバーズクラブ』『鯨のアタマが立っていた』『大和路のまつり』思潮社、『火薬』沖積舍。
妖怪のように
古い民家の軒先がささくれだち
竿が一本吊るしてある
縞柄の固そうな敷布団が二つ折れに干してあ
る
ブルージーンズの片方だけが竿に通り
ほとんど崖といってよいほどの険しい山肌が
迫る露地
そこには僅か 陽の差す時間もあるのだ
彼と私はグループで遊びに来ただけなのに
いつしか二人っきりになり蕨を摘んでいた
山肌は徐々に紫の色を深め
足もとの芹も小川のなかに消えていく
他人の家のことだが あの敷布団を取りこも
うと思う
蕨を上手に煮て卵で閉じようと思う
芹が もしも毒草のキンポウゲだったなら
お酒といっしょに ほどよく体の隅々まで
めぐりめぐって
どんな最期になるのかしら
(ねえ ここに住みましょうよ)
青柳 晶子 アオヤギ アキコ
①1944(昭和19)8・18②中国・上海③宇都宮女子高校卒④「馴鹿」⑤『月に生える木』土曜美術社出版販売、『空のライオン』本多企画。
生産
(生産)の第一義 生活の資を作り出す仕事建物や自動車や食料をつくる
生きるための積極的な人の活動
(生産)の第二義 出産
生と死の字が並んだカルテの死に○がついた
分娩台のうえで さっき死が産まれた
白布と書類 用意した産着はもう要らない
親になれなかった若い父が肩を落とす
個室に移された産婦の孤独な長い夜
夜が明ければ 街が活気づいて
あたりまえのように生産活動が始まる
セルリアンブルーの空に白い雲が浮いている
雲の縁がきらきら輝くのは
小さな魂が親を探して下界を見ている目だ
思いきって ひとつがすべり降りた
直感ひとつをたよりにして
子を待ち望む暖かい家庭へと
喜んで産まれていこうと
青山 かつ子 アオヤマ カツコ
①1943(昭和18)12・2②福島④「すてむ」「ル・ピュール」⑤『橋の上から』『さよなら三角』詩学社、『あかり売り』花神社。
夏
乾ききった道の端に
軍刀の鞘が
ずらりと並んで突き立てられている
軍服の男が
その鞘の一本一本に軍刀を差し込みながら
こちらに近づいてくる
真っ青な空
真夏の陽に研がれて 刃が
一瞬 きらめく
最後の鞘は
わたしだ
――脳天からまっすぐに刺してくる刃――
気をつけの姿勢がさだまらず
小刻みにふるえている
ひらいた口 のどがひりつく
シャキッ
シャキッ
シャキッ
阿賀 猥 アガ ワイ
①1944(昭和19)1・10②宮崎③お茶の水女子大学卒④「現代詩図鑑」⑤『山桜』『ラッキー・ミーハー』思潮社、『猥について』『アガシ1988』紫陽社、『不まじめな神々』 詩学社。
21世紀のミミズ、蛇
にょろりにょろり、くにゃりくにゃり
ミミズのような歩き方をしてはいけない
行きたいのか、行きたくないのか
くにゃりくにゃり、にょろりにょろり
進んだり、戻ったり
そんな歩き方をしていると、今にミミズにな
るぞ!
ぐねりぐねり くねりくねり
曲りくねった喋り方をするな
イエスかノーか、それだけを言え!
イエスとノーの間を
くねりくねり、ぐにゃりぐにゃり
そういう喋り方をすると、今に蛇になるぞ!
にょろり、ミミズのようなものとして生きる
ぐねり、蛇のようなものとして生きる
ミミズのような蛇のようなものとして21世紀
を生きる
赤木 三郎 アカギ サブロウ
①1935(昭和10)5・16②福岡⑤『物語詩片』飯塚書店、『緊急な詩であった詩集』秋津書店、『ふるさとは怒りをこめて』飯塚書店。
(すべてに日晒し)
建築のように
誦えよ わたしのことばを 詩句を
即興こそが すべて
(存在と声)
いまわたしは生きることに溺れて
(簡素で単純)
苦い秋にも……
(また 思いつくべき言葉を 失った)
明石 裸人 アカシ ラジン
①1929(昭和4)2・4②大阪③奈良医大卒④「トロピカーナの会」⑤『土の上に』 浮遊社、『地下茎抄』花神社、『ディジュリドウ』ユニアシスタント社。いつも
ネギ坊主が 流れる雲を見ている獲れたてのイワシをフライにし
塩をかけて嚙む
新茶を入れる
黄緑の一碗が のどを滑り落ちる
それから
牛 豚 鶏 キャベツ ダイコン ピーマン
生きているものを食べて
生きている自分をつないでいく
けれど 死もまたどこにでもころがっている
街角にも 家の中にも ぼくの中にも
どちらを選び どちらに選ばれるか
スズメが電線に乗って遊んでいる
地球の崖っぷちはいつも輝いている
赤松 徳治 アカマツ トクジ
①1935(昭和10)8・2②兵庫③神戸市外国語大学大学院修士過程修了④「第三紀層」 ⑤『怒り遠くまで』輪の会、『痛み遠くまで』第三紀層出版、『やさしい季節』『雲を追って *風を追って』、訳詩集『愛は痛みをこめて』国文社。
白い方舟
昼から夜へ 黒から白へ だが その間には
重く流れる 斑な時の河 が 在る
黄昏 暁闇 天の川 三途の渡し場……
こちらから向こうへ 渡るには
ひと夏の蝉の叫び か 杉の樹齢 か
その時間 は 徐々に 長くなっている
白い方舟 に 乗ると
ことば は 次第に 外に出ない で
内側で 盛んに 発酵する
舟は 未来へ と 向かうのだが
意識は 逆に 過去へ と 辿り
故人に出会い 古い風景が よみがえる
昼も消え 夜も消えて 時は 混ざり
ひたすら 半濁の光 が 天井に流れ
嬰児の仕種へ 言語外の領域へ と
静けさの中 舟は漂う
赤山 勇 アカヤマ イサム
①1936(昭和11)9・20②香川③四国電気通信学園電信科卒④「全電通詩人」「詩人会議」「発信地」⑤『血債の地方』思潮社、『アウシュビッツトレイン』詩人会議出版、『募ぼっしゅう集』光陽出版社、『在日日本人』詩人会議出版。
「おじさん」
団地の清掃日で不意に「おじさん」と呼ばれた わたしは今までずっと姓で呼ばれてきた
し それがわたしだと思いこんでいた
「見れば「二人の女が蹲っていた。その顔は
約一倍半も膨張し「焦げた乱髪が「私の立
留ったのを見ると (「夏の花」原民喜)
取入れ後の藁燒きなのだと 立ちこめる臭い
と火と煙をやりすごしていたが どうも違う
らしい 空襲がずれてそのあわいに取り残さ
れてしまったようだ
顔のない顔 顔であって顔でない顔 血と脂
が流れて 乾いて破れて 張り裂けたばかり
の管のどこから 絞り出されてくるのか
アノーではない モシモシではない スミマ
センではない 姓よりも確かな「おじさん」
今がわたしが丸ごとが呼ばれている 断じて
召されてではない
秋村 宏 アキムラ ヒロシ
①1931(昭和6)6・11②東京③明治大学文学部日本文学科中退④「詩人会議」⑤『実用的研究』飯塚書店労働組合、『夜のための歌』秋津書店。
とんぼ
空いっぱいのとんぼをみて
秋津
と名づけた人は
どんな顔をしていただろう?
探すと
背をかがめて
畑にいる
百姓の姿になってしまう
けれどその人は
空をみない
とんぼは
曲がった身体のなかに群れている
秋元 炯 アキモト ケイ
①1952(昭和27)1・30②大阪③千葉大学園芸学部園芸学科卒④「花」「地平線」⑤『我らの明日』『血まみれの男』『見えない凶器』土曜美術社出版販売。
南風
眠っている間にあやかし達が入り込まぬよう
女どもが家中に張りめぐらした結界を
朝早く
男は ひとつひとつ外して歩く
いましめを解かれた家は
明けきらないほの暗さの中で
木組みが気だるくゆるんでくる
外で 鳥が鳴き始めると
男は
褥で丸まって眠っている女の
白い頬に髭面を押しつける
女どもが起きだして
家のあちこちで水を使い始めると
家の中はかえって闇が濃くなってくる
男は 目をじっと閉じて
家がゆるやかな息をしながら
外のあやかし達と交信し始めるのを感じてい
る
秋谷 豊 アキヤ ユタカ
①1922(大正11)11・2②埼玉③日本大学予科修了⑤「地球」⑥『遍歴の手紙』岩谷書店、『降誕祭前夜』地球社、『ヒマラヤの狐』鷹書房、『砂漠のミイラ』地球社、『抒情詩の彼方』荒地出版社、『穂高』毎日新聞社。
一枚の地図
ぼくはいろんな夜明けを知っているあの氷河の億万の年の夜明け
北斗七星が桿をつきたてている
真白い山の夜明け
ぼくらは異国のみしらぬ地図をひろげ
ほのぐらい暁の闇の氷河を渡った
牛が走り羊が走りメンドリがなく
辺境の放牧地帯を渡った
まぼろしの雪男のいる部落では
体に菜種油を厚く塗ったチベットの女が
ふかぶかと神に祈っていた
ぼくは灯りを消してそれを聞いていたが
氷河の頂きは遠くはるか
ここでは鉄鋲の山靴どころか
会話までが氷ってしまうのだ
この夜明けの時のなかに
生きのびることが人生だとしたら
ぼくらは何に祈ればいい
ああ 一枚の地図が
おわったところから人は歩く
これがぼくらの出発なのだ
秋山 江都子 アキヤマ エツコ
①1926(大正15)②福岡③昭和女子大学家政科卒④「ALMEE」「地球」「白亜紀」「幻視者」「指紋」⑤『忘れられた海から』思潮社、『地衣』幻視者、『帰らなくともよい所』詩学社、『あやうく木』花神社。
指定席
始発から乗るバスには
私の指定席がある
後の方左側でいつもあいている
始発の空っぽのバスに乗る人は
たいてい指定席を持っていて
それぞれためらいなく座る場所がある
右だったり前だったり
時には先に座られたこともあるが
その席にすっぽり腰をかけ
昔は畠ばかりの多摩川の堤に出る道が
どんどん変わっていくのをみてきた
人の一生にも自分で気付かない指定席に座っ
ていて
もう次の停留所で下車かもしれないし
相撲や劇場にも指定席をもっている人もいる
ささやかなバスの指定席は
終点まで三十分
秋山 公哉 アキヤマ キンヤ
①1957(昭和32)2・14②茨城③龍谷大学文学部史学科卒④「地球」⑤『夜と魔女とカラス』地球社、『夜が明けるよ』土曜美術社出版販売、『河西回廊』文芸社。
雨
雨が降ると
製材所の匂いが濃くなる
立て架けられた材木の
滑らかな肌が水気を吸って鈍く光り
道往く人の顔を淡く照らす
重い空を傘で支えながら街を歩く
くちなしの香りが
歩道にたたずんでいた
子供の歌う声が聞こえる
寺社の多い街だ
弘法大師が植えたという
楠の巨木が
葉の色を濃くして
雨粒を受け止めていた
この街では
雨が降ると木も道も人も濡れて
たましいの在り処が
濃くなっていく
秋山 千恵子 アキヤマ チエコ
①1946(昭和21)8・10②奈良③一条高校卒④「花筏」⑤『片方の靴』『花の戸』花神社、『桜パヴァーヌ』書肆青樹社。
あいさつ
稲藁が枷にかかる穭田
片端に寄せた籾殻から一筋たちのぼる煙
いがらっぽい匂いを残し大気に溶けてゆく
刈入れ前に逝った父は 煙も出さず
カラカラと わずかの骨片となった
竹取物語伝承地かぐや姫ゆかりの地に暮らし
たちのぼる煙を見るとき
富士山の噴煙に
竹取の翁の心にひびいたものを思い浮べる
いたわりも なぐさめも やさしさも
重くて受け取れなくて心を素通りしてゆく
人の背丈ほどたち昇った煙が溶けるあたりに
たましいが在るよう
ぐすぐすと幾日も燻りつづける籾殻の
匂いが揺らぐ あのあたり
我執も君臨も呼吸も忘れて小さくなった父の
チューブと器具で阻まれ 別れも言わず
遺す言葉もなく逝った父の
あいさつが見えて
秋山 基夫 アキヤマ モトオ
①1932(昭和7)②兵庫③岡山大学法文学部卒④「どぅるかまら」「ペーパー」⑤『十三人』『家庭生活』『オカルト』評論集『詩行論』思潮社、『西洋皿』和光出版。
星の音楽
こどもが目覚めると
世界も目覚める
光がさして
木々がみどりにかがやき
花には蜂がとんでくる
風は海まで吹いてゆき
雲もこどもも
一日中いそがしく旅をする
こどもが眠ると
世界は夜になる
ゆめの中に
星の音楽が降りてくる
秋吉 久紀夫 アキヨシ クキオ
①1930(昭和5)1・7②福岡③九州大学文学部中国文学科卒④「天山牧歌」⑤『南方ふぐのうた』飯塚書店、『天敵』光風社、『恐竜卵化石』『イスラエル・詩と紀行』石風社、『黒いスカーフの女』土曜美術社出版販売。
五島の大瀬崎灯台にて
ここは九州の最西端、五島列島福江島の、
また最果てにある
白亜の大瀬崎灯台である。
車の駆け登って来た背後をふり返ると、
丘陵の路は紆余曲折していても、
まるで緑の絨毯のようだったが、
眼の前に広がる東シナ海は、
無限の彼方にまで羽ばたく青い翼だった。
足元を見下ろすと、
そそり立つ断崖は波に浸蝕されて、
何万年もの雄叫びを上げている。
だが、わたしを待ち受けていたのは、
遠ざかるあの灯台を、瞬きもせずに、
見続けていた沖合の幾百万の兵士の眼玉。
(二〇〇六)
飽浦 敏 アクウラ トシ
①1933(昭和8)10・3②沖縄③八重山高校卒④「アリゼ」⑤『悠久ぬ花』浮游社、『星プシピローマ昼間』創文社、『にーぬふぁ星(ブシウ)』沖縄タイムス社出版部。
狭庭のテーブル
しだいに輝きを深くして遥より 私に向って近づいてくる
真丸月よ
優雅な その歩みよ
澄みわたる夜空を静静と
歩みに合わせ 私も気持ちを長くして
つくづくと眺める
ついに中天に月繋る
目をあげて 私は矢を放つ
草矢もて 射られし月よ
降りて来よ
つれづれなる狭庭の卓に
降りて来よ
そして聞かせてほしい
一人旅路の折折のこと
すでに杯は満たされてある
浅井 薫 アサイ カオル
①1937(昭和12)10・8②愛知③大学卒④「詩人会議」「独行」⑤『越境』青磁社、『鳥の歌 わがスペイン』独行社、『アンダルシア幻夢行』みずほ出版、『浅井薫詩全景』独行社。
葦原のうた
わたしが
いま立っているところは
どこかって?
そう、河口である。
川と海とが出合いせめぎ合う
汽水域といわれる辺りの夜明けの葦原のなか
である。
朝露に全身を濡らしながら
きみも
やって来い!
ここでは冬枯れの葦の一本一本が
風に鳴り
身をゆすぶって
生きる息吹きに充ちみちている。
きみがここに立つとき
川と海とがせめぎ合うざわめきと
風と地との心地よい交感に
きみのリズムが響き合う
きみの血が
明日へのうたを
うたいはじめる。
浅尾 忠男 アサオ タダオ
①1932(昭和7)8・16②大阪③高校中退④「詩人会議」⑤『ヒロシマ幻像』詩人会議出版、『秩父困民紀行』『詩人と権力・戦後民主主義詩論争史』新日本出版社、『金芝河の世界』清山社。
イラクの雪
さくらの開花予想が 二、三日
はやまったという知らせにさそわれて
恩田川沿いのさくら並木をたどる
〈イラクは遠いが
さくらの蕾に 生きるよろこび〉
とうたったあの春から五年
市民の死者十五万人と
国外への難民二百万人と
国内の避難民がさらに二百万人と
そして米兵の死者四千人と
ことしもほころびはじめた
さくらの蕾をたしかめながら
一月十一日の未明から朝にかけて
バグダッドに降ったという雪のニュースに
過去一〇〇年ではじめてという雪に
――イラクに平和が訪れる予兆
と大歓迎した人びとにこころかよわせ
季節はずれの春の雪が降りつづく
チグリス川沿いの満開のさくら並木を
夢みながらぼくはたどる
この三月二十日にも また
朝倉 勇 アサクラ イサム
①1931(昭和6)2・6②東京③静岡中学中退④「歴程」⑤『掟』書肆ユリイカ、『神田川を地下鉄丸の内線電車が渡るとき』歴程社、『鳥の歌』『みてみたいみたい』思潮社、『散骨の場所』書肆山田。
ぶらんこ
どこかに鳥の声
いない あそこ
いないここ
なのに
いる気配
子どもたちの
立ち去った公園に
ぶらんこが
小さく ゆれている
子どもたちの
声の記憶を乘せて
ゆっくり
日暮れ近くに
時が
ぶらんこをこいでいる
朝倉 宏哉 アサクラ コウヤ
①1938(昭和13)2・7②岩手③早稲田大学第一文学部史学科卒④「堅香子」⑤『満月の馬』レアリテの会、『獅子座流星群』土曜美術社出版販売、『乳粥』コールサック社。
きらっと
どんな平凡な日日のなかにもきらっと 素敵な日があるものさ
たとえばね
朝顔がたくさん咲いてうっとり眺めていると
つがいのアゲハチョウが飛んできた
どの花に停まるだろうか
小振りの青か 大振りの白か 斑入りの赤か
チョウたちが飛び回っているあいだ
朝顔のそれぞれの顔も耀いて小躍りしている
そんな朝で始まる一日は 素敵じゃないか
どんな単調な日日のなかにも
きらっと 新鮮な日があるものさ
たとえばね
鈴虫が六月半ばに孵化して
念入りに世話をしているうち
八月半ばに一番手が鳴きはじめた
二番手 三番手が鳴いて 十番手が鳴いて
やがて 玄妙な鈴鈴
シンフォニーだ
鈴虫のそれぞれの鈴の演奏を生
そんな夜で終わる一日は 新鮮じゃないか
浅田 隆 アサダ タカシ
①1930(昭和5)3・28②北海道③富良野中学校(旧制)卒④「青芽」⑤『口説きぶし』『七星寓話』『アイノカゼ』『樹海』青い芽文芸社。
抱える岩棚
風におもねる弱々しい陽ざし粗い土くれにからまった根毛は
いつか果てた数知れない個体たちの
弔いのテラスをしめやかに砕こうとする
湿 温 風によって偶然を分ける
たどたどしい土着への試み
亀裂の底でわずかにあたためられ
水の接点に張りつく硬い皮膜
はがれそうな茎を伝って背伸びする
色素からの厳しい伝言
崖をわずかにいろどる植生に
情を乞うひ弱わさなど かけらほどもない
同類にさえ嫉妬のまなざしを凝らしながら
したたかに しなやかによみがえるのだ
空を裁つ 十勝岳の白い稜線
十月… 極寒を目前にして…
東 延江 アズマ ノブエ
①1938(昭和13)4・12②北海道③旭川藤女子高校卒④「りんごの木」「嶺」「EN」 ⑤『渦の花』青い芽文芸社、『北の涯の』北海道詩人クラブ、『季の音』情緒刊行会、『殉教』茴の会、『花散りてまぼろし』林檎屋。
少年は
少年は知っていた
夜毎
窓からみえる細い道に続くむこうから
不思議な光りが風にゆらぐのを
光りの中には
時折
妙な影がうたいながら点になり
点は
人や鹿や熊やライオンになった
少年は
今夜こそあの光りをたしかめたいと
リュックに
カンパンと水と少しの下着をつめて
父の寝息をうかがい
母の寝返りをまった
時計が十二時の最後をうったとき
そっと二階の窓を開け
足をのせた