「清流の国ぎふ」文化祭2024
詩コンクール テーマ「家族の絆 愛の詩」(養老町)

 
「清流の国ぎふ」文化祭2024(第三十九回国民文化祭および第二十四回全国障害者芸術・文化祭)の「詩の祭典」は、十一月十七日に養老町民会館にて開催されました。養老町は毎年「家族の絆 愛の詩」をテーマに、全国募集のコンクールを行っています。今年は第二十五回で、「詩の祭典」の一貫として募集し、一般の部三一二篇、小中学生の部一七一八篇、計二〇三〇篇の応募がありました。
「詩の祭典」は、第一部として「家族の絆 愛の詩」の表彰式がありました。第二部は北畑光男氏が「虹を渡って」と題して講演されました。四月一日に亡くなられた養老町出身の冨長覚梁氏の詩を中心に話されました。第三部として、受賞者他の詩の朗読と彼末れい子氏によるひょうたん笛の演奏がありました。詩の朗読は、作品をステージのスクリーンに映し、手話とともに作者自らがゆっくり丁寧に読みました。手作りのすばらしい演出に、会場は一体となり、大変盛り上がりました。




「家族の絆 愛の詩」に寄せて(作品集『愛の詩25』より抜粋)
 じぶんのことより ひとのことをおもう                                                           岐阜県詩人会会長 頼圭二郎
 
 全国から集まった作品の数々には、個を超越した崇高な隣人愛が細く長く尾をひいて、まるで世界をこの愛で包むかのように脈打っています。
 私たちが生をつなぐこととは、まぎれもなく一人一人が幸せに生きることであり、その中心核には愛が備わっていなければなりません。その愛は無形で、有形ではありません。場面設定もできません。でもその愛は人を安らかにし、私たちの琴線に触れ、共鳴させてくれます。この冊子を開くと、そのことを再認識させるような、普段見過ごしている宝のような輝きのある家族の絆や愛が、多方面からすくいあげられています。岐阜県は海をもたない県でありますが、ページをめくると、その愛の潮騒が耳元で聞こえてくるような気になります。
 標題の「じぶんのことより ひとのことをおもう」は、斎藤隆介作「花さき山」からの一文です。きっと誰かを幸せにするためには、「つらいのを しんぼうして ひとのことをおもう」人たちがいたからなのです。それらはすべからく、家族の絆から生まれているのです。小中学生の部の詩を読みますと、家族のことを思う「やさしさと けなげさが」一面花になって咲き誇っているようです。(中略)この「愛の詩」に網羅されている奥深い無形から有形になった愛を感受し、これからの生きる力となれば幸いに思います。
 
 
 
《作品&講評》
 
【岐阜県知事賞】
ライオン兄弟     川添 蒼斗(かわぞえ あおと・岐阜県 小3)
 
毎日なわばりあらそいで
ちびっ子ライオン
ぼくにガルル ウーンと
いかくする
負けじとぼくもはんげきだ
かんでかまれて
じゃれあって
ぼくら ライオン兄弟さ
 
負けたちびっ子ライオンは
ウオンウオンないて
うるさいな
仕方がないからゆずってやろう
だってぼくは強いから
少しがまんもするけれど
ぼくら ライオン兄弟だ
 
そのあと ちびっ子ライオンは
なんにもなかったかのように
のどをならして ごろりんこ
ゴロゴロ ぼくのせにのって
あまえてあまえて
ちびっ子ライオン
少しせなかがおもいけど
おんなじおもさで
ぼくもすき
 
ぼくら ライオン兄弟さ
今日もガオガオ遊ぼうか

〈講評〉
 毎日のように起きる兄弟げんかやじゃれあいをいきいきと表現し、本当は大の仲良しであることが想像でき、強いリーダーとしての自覚を持つお兄ちゃんライオンのやさしさ、ちびっ子ライオンの吠え声も個性的で微笑ましく、無駄なことばも少なく、リズミカルで、連の分け方も状況が分かりやすくなっている。
 ぶつかり、ふれあい、助け合ってたくましく育っていく兄弟っていいなと思えるよい作品です。 (鬼頭武子)
                              
 
 
【養老町長賞】
きょうは何色?     珀(はく・岐阜県 小4)
 
「おはよう」
自分で元気に起きれたよ
きょうは何色?
水色かな
 
お母さん 体がえらいよー
きょうは何色?
グレーかな
 
たくさん食べておなかがいっぱい
もう食べれないよ
今は何色?
オレンジ色かな
 
だいすきなお母さんに
「ギュッ」
としたらいいにおいがしたよ
安心したよ
今は何色?
ピンク色かな
 
きょうはいいことがいっぱいあったよ
ラッキーだね
きょうは何色?
にじ色かな
 
毎日いろんな色の気持ちになるね
毎日にじ色だったらいいのにな

〈講評〉
 誰でも経験している「きょう」や「今」ですが、その「きょう」や「今」での出来事や気持ちを色に喩(たと)えて、自分自身や身近な近親者、友達に話しかけるように書いています。
 生活のなかで自分のことばとして使っているいきいきとしたことばが、詩に等身大で新鮮なリズムを生み出しています。又、「きょうは何色?」と「今は何色?」の繰り返し(リフレイン)も詩の展開には効果的でした。(岩井昭)
 
 
【日本現代詩人会会長賞】
ぼくと青虫     髙木 健(たかぎ たける・岐阜県 小3)
 
三年生になって新しく理科のべん強がはじまった。
モンシロチョウのよう虫をかうことになり
虫がにが手なぼくは、こわくてドキドキした。
でもキャベツをモショモショいっぱい食べて
動いている青虫をみて「かわいい」と思えてきた。
「おなかすいてないかなぁ」といつも気になって
じーっと見つめてしまうほど。
青虫くんたちはとにかくすごい食よくで
めちゃくちゃ食べる。
お世話するのは大へん。
そんな時いきなり青虫が動かなくなった。
「びょう気なの? 大じょうぶかな?」
色んな気持ちになった。
けど青虫はさなぎになり
やがてひらひらとぶチョウチョになった。
うれしかったけどちょっとさみしい。
お母さんにお家で話した。
「分かるわ、その気持ち」とお母さんが言った。
「お母さんも青虫かってたの?」と聞いたら
「青虫はかってないけど、げんざいしんこうけいで
 健を育てています」と言った。
ぼくは、青虫といっしょにされ
ちょっとおこったみたいに
「はあ?」とお母さんに言ったら
「そんなにくたらしい言い方するようになったかね。
 それよ」と笑顔で言った。
しばらくして「健、ごはんやよー」と
お母さんが呼んだのでテーブルについたら
ぼくの好きなものがいっぱい並んでいた。
ふと青虫のことがうかんだ。
「お母さん、ありがとう。いただきまーす」
ぼくもモリモリごはんを食べた。

〈講評〉
 愛の詩にふさわしい、あたたかみとユーモアのある作品でした。青虫の観察をすすめていくと、それは子育てをするお母さんのような気持ちなのですね。
「青虫はかってないけど、げんざいしんこうけいで健を育てています」
 このお母さんの言葉をキャッチした作者がさっそく、作品にしたことで成功しています。いのちを育てる尊い時間をつめこみました。(椎野満代)
 
 
【一般社団法人日本詩人クラブ会長賞】
握手     植田 望叶(うえだ ののか・岐阜県 中3)
 
私のおじいちゃんは
握手がスキ
顔を会わせるたびに
おはようの握手
こんにちはの握手
こんばんはの握手
お手伝いをすれば
ありがとうの握手
帰る時間になれば
またねの握手
ずっと
ずっと前から
そうだった
私のおじいちゃんは
握手がスキ
あの日も
こんにちはの握手を
期待して会いに行った
おじいちゃんは
泣き腫(は)らした目で
緩く笑い
これで最後だと
強く
強く
私の手をとった
三月六日
おじいちゃんに
つながっていた
延命治療器具が
外れた
私は悟った
あれは本当の意味での
またねの握手だった
私はそっと手をとり
握手をした
ありがとう
私のおじいちゃんは
握手がスキだった
 

〈講評〉
 おじいちゃんとの思いが、心をこめて書かれています。「握手」は、裏を返せば、「おじいちゃんが大好き」という愛情表現です。「握手がスキ」のフレーズが要所に三回入っていますが、それは「おじいちゃんが好き」という隠語なのです。後半の驚き、嘆き、悲しみは、よく考えられ、その効果を倍加しています。構成がよくできていて、末尾の「私のおじいちゃんは/握手がスキだった」も、「おじいちゃんが大好き」の言い換えであります。テーマがはっきりし、優れた作品になっています。(頼圭二郎)
             
 
 
【佳作】
つばめのふうふ     田中 朝陽(たなか あさひ・岐阜県 小3)
 
春がきた
ぼくのすんでいるアパートの入口に
つばめのふうふがやって来る
すを作って子育てだ
つばめがす作りした家は
「こうふく」がおとずれるという
つばめは幸せをはこぶ鳥
やがてつばめはたまごをうんで
たまごをせっせと温める
毎日いそがしく
ふうふで交ごに温める
ヒナがいつうまれるか
毎日ぼくは楽しみに
つばめのすを見まもった
 
けれどある朝 とつぜんに
すはこわされなくなった
そばにはわれたたまごのかけら
ぼくのむねがぎゅうっといたむ
悲しくていたかった
それでもあきらめないつばめのふうふ
こわされてもこわされても
何ども何どもふうふです作り
つばめは家ぞく子どものため
決して決してあきらめない
ぼくはずっとずっと見まもった
 
べつの場所です作りし
子育てしているつばめのふうふ
かわいいヒナが顔を出し
早く早くとエサをおねだり
ぼくは心がぽっかぽか
いっしょにみていたぼくのママ
「うちの子みたい」
とほほえんだ
ぼくもいっしょにほほえんだ
春のあたたかい陽(ひ)ざしが
ぼくをやさしくてらした

〈講評〉
「春がきた」と明快に始まるこの詩の作者は、アパートの入口に巣を作った「つばめのふうふ」を見守っています。ヒナがいつうまれるか、期待はふくらみます。だが巣は壊され「そばにはわれたたまごのかけら」。それをみて、「ぼくのむねがぎゅうっといたむ」のです。しかし、つばめはあきらめない。他所で巣作りをはじめ、ついにヒナがうまれます。つばめの姿を通して作者は家族への強い愛を体感します。「うちの子みたい」とほほえむ、ママとともに。(井手ひとみ)
                             
 
 
【佳作】
幸せの青い鳥     田中 海翔(たなか かいと・岐阜県 小3)
 
キラキラと陽(ひ)が光る
あたたかい冬の日
幸せの青い鳥
ルリビタキをさがしに
 
青色がすきで野鳥がすきで
幸せを運ぶ鳥だから
ルリビタキはぼくにとって
とくべつな鳥だった
 
ぼくはその時心がとても弱っていて
外に出るのもこわかったけど
となりの町へ家ぞくと
ルリビタキをさがしに行った
一日中さがした
それでも見つけることができなかった
 
次の日ぼくはパパと
養老のたきに登った
歩いて歩いて 歩いた
すると木のえだに見たことのない
黄色い小鳥がとまった
いいことありそうな予感
ぼくは深くしんこきゅうした
その時
一羽の鳥が林の中からとびだした
「ルリビタキ‼」
ぼくはさけんだ
ルリ色の羽がキラキラとかがやいた
小さく弱くなっていたぼくの心に光がさし
きぼうがゴワーッとわいてきた
 
ずっと見まもってくれていたパパが
ぼくを見てわらった
ぼくはすぐに家に帰って
みんなにつたえようと思った
「ルリビタキ見つけたよ
 次は家ぞくで幸せの青い鳥見つけよう」

〈講評〉
 ていねいにていねいに書いてありますね。手にとるようによくわかりました。林の中からとびだしたルリビタキが、まざまざと目に浮かびます。
「ぼくはその時心がとても弱っていて」と、胸のうちを正直に書いてあることに惹かれました。そして、「ずっと見まもってくれていたパパが/ぼくを見てわらった」とあって、パパとぼくの深い信頼関係が伝わり、じーんと来ました。(古賀大助)
 
 
【佳作】
ありがとうのよび声     玉井 奏多(たまい かなた・岐阜県 小4)
 
あたたかなぬくもり
どんどん消えていく
ついに消えた
そのしゅん間
じいちゃんは静かにねむった
 
静かにねむるじいちゃんに
たくさんの人が会いに来た
じいちゃんはほほえんでいた
たくさんの人がありがとうと言った
じいちゃんは幸せだ
不幸なんかじゃない
 
しかしその日はやってきた
 
ぼくはじっと見た
ほねになった真っ白なじいちゃんを
ざんこくだった
悲しくなって
悲しくなって
悲しくなって
言葉にならない悲しみは
なみだになった
ぼくの心の中に、ぽおっと光がともった
やわらかなともしびは
思い出となってふくらみよみがえってくる
 
ありがとうじいちゃん
じいちゃんが口にした、さい後の水
ぼくがとどけたんだよ
じいちゃんのありがとうの声、聞こえるよ
だからぼくからもありがとう
家族みんなでありがとう

〈講評〉
 この詩は、奏多さんのおじいちゃんが亡くなるかなしい別れをめぐって描かれていますね。とてもつらいことでしたね。骨になったおじいちゃんを見て「ざんこく」と感じ、悲しみが言葉にならずになみだになって、心の中で光となりふくらみよみがえるという、最も重要な場面の心の描写は、すばらしいです。冷たくなったおじいちゃんから感謝のぬくもりをもらう形に奏多さんの心は移動したのですね。奏多さんの中の光を感じます。(太田葉子)
 
 
【佳作】
いつもありがとうお母さん     問山 貴弘(といやま たかひろ・岐阜県 小6)
 
ぼくは 文章を書くのがにがてだ
いつもしくしく かきかき
メソメソ かきかき
いやだと苦しみながら書く
 
そんな時 よんでないけどあらわれて
たよりになる? お母さん‼
 
たいてい楽しく変なこと
ぶつぶつ ぼそぼそつぶやいている
よく聞くとヒントをくれている そして
やっとおわりがみえてきた
 
ありがとう お母さん
この詩はなんとかなりそうです

〈講評〉
 何という素直な詩なのでしょう。四行二行四行二行の短い詩です。苦手なことから逃げるのではなくありのままに伝えることで、平易な中にユーモアを感じさせます。
 また「しくしく かきかき/メソメソかきかき」など、効果的にオノマトペを使用したことが成功し、リズミカルな楽しさが伝わってきます。最終行「この詩は何とかなりそうです」は、隠したりためらったりしない潔さに、作者の未来の可能性を思います。(天木三枝子)
 
 
【佳作】
くせ     德本 恭子(とくもと きょうこ・岐阜県 中3)
 
言うことを聞いてくれない
前髪に手こずって
焦る朝の私
 
急いでいる時に限って
出てこない名札
 
カリカリしている私に
ちゃんと用意しといたらと
お父さんの言葉が突きささる
 
わかってるよ そんなこと
ひとりごちていると
すぐに二の矢が飛んでくる
 
あぁ また靴ひも忘れてるよ
 
自分でもわかってる
何でも後回しにするくせを
直さなきゃいけないことくらい
ちゃんとわかってる
 
ただその時は
ちょっとやりたくなかっただけ
後でやりるからというか
今やろうと思っていたのに
 
でも
くせの強いこの前髪と
後回しにしがちなこの性格は
お父さんからの
贈り物です

〈講評〉
 親子って必要な存在なのに、時に面倒な気持ちになることありますよね。恭子さんの描いたお父さんとのやりとりは、よくあるそういった微妙な親子の心のキャッチボールをうまく描いています。「くせ」というタイトルも、詩全体をやわらかなユーモアある雰囲気にしてくれていますね。前髪のくせと性格は「お父さんからの/贈り物です」と、詩を書いていく中で発見していく、恭子さんの成長も感じられ、詩としても完成されています。(太田葉子)
 

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